『新蘭』ガチ勢のベルモットがいるんだから、『コ哀』ガチ勢がいてもいいだろう! 作:菖蒲の花
コナンくんの提案で、庭にある巨大なチェスの駒を一望できる部屋へと移動した。
そこで元太くんと光彦くんが窓から身を乗り出しすぎて落ちそうになるという、心臓に悪いちょっとした事件がありながらも、私たちはそれなりに楽しく時間を過ごした。
やがて、男の子たちが飽きもせずに夕暮れの庭へと飛び出し、チェスの駒の間を元気いっぱいに走り回って遊び始めた頃。部屋に残った歩美ちゃん、灰原さん、そして私の女子組3人は、間宮家が用意してくれた豪勢な部屋の、ふかふかのベッドの上でガールズトークに興じていた。
「ねぇ、哀ちゃん。私、ずっと気になってたんだけど……」
歩美ちゃんが意を決したように、隣に座る灰原さんの顔を覗き込んだ。その白い頬は、夕焼けのせいだけではなく、ほんのりと赤く染まっている。
「――コナンくんのこと、好きなの?」
その瑞々しくも真剣な問いかけに、私は思わず飲んでいた紅茶のカップを引く手を止め、息を呑んだ。
普段の灰原さんはあまりにも大人びていて、同年代の子供らしい初々しさがまるで感じられなかったのだけれど……。なるほど、そんな彼女にもちゃんとそういう浮いた話があるのね、と大人気なくも彼女の答えが気になって仕方がなくなってしまった。
「……歩美ちゃん、どうしてそう思うの?」
私の問いに、灰原さんは表情を変えず、静かに紅茶のカップをソーサーに戻した。
「だって、哀ちゃんってコナンくんの事、すごく色々わかっちゃうじゃない?」
「へぇー、なんでそんなに分かっちゃうんだろうね? ――やっぱり、いつも目で追っているから、とかかしら?」
私がいたずらっぽく横からクスクスと笑いながら目を向けると、室内に一瞬の沈黙が流れた。
灰原さんはふっと視線を落とし、それから口元に少しだけ意地悪で、だけどどこか遠くを見つめるような寂しげな笑みを浮かべてみせた。
「……だったら、どうする?」
「え、こ、困るよぉ……!」
予想外の直球の返しに、歩美ちゃんはあからさまに狼狽して両手をあわあわと動かす。そのどこまでも純粋な反応を見た灰原さんは、少しだけ張り詰めていた表情を柔らかく和らげた。やっぱり、精神年齢的には灰原さんの方が何枚もうわてのようね。
「安心して……私、彼のことはそういう対象としては見ていないから」
「ホ、ホント――!!? よかったぁ! ホントにホントに、ホントだねー!?」
途端にぱっと表情を世界で一番明るく輝かせ、灰原さんの手をぎゅっと握りしめて大喜びする歩美ちゃん。実に現金なものだけど、それが彼女の、無条件の可愛らしさでもある。私と灰原さんは少し呆れたように、けれどどこか愛おしそうに目を合わせて微笑んでいた。
「もー、びっくりさせないでよ哀ちゃん! ――じゃあ、哀ちゃんは本当はどんな子がタイプなの?」
胸をなでおろした歩美ちゃんが、今度は興味津々といった様子で身を乗り出してきた。小学生の恋バナにしては、随分と核心に迫る質問ね。
灰原さんは少し困ったように眉をひそめ、窓の外で相変わらず泥だらけになってチェスの駒を蹴っている元太くんたちに視線を向けた。
「タイプ、ねぇ……。そうね、精神的に自立していて、口が堅くて、自分の世界をちゃんと持っている人……かしら。少なくとも、 無駄に正義感ばかり強くて首を突っ込んでくる『誰かさん』ではないことは確かよ」
「うわぁ、やっぱり哀ちゃんのタイプってすっごく大人っぽいんだね!」
「ふふ、確かに。ちょっと注文が多すぎる気もするけれど、まぁ、妥当なラインね。……でも、そういう男って、大抵ろくな私生活を送っていないか、あるいは、とっくに誰か別の女性のものになっている可能性が高いわよ? 経験者は語る、だけど」
私が髪をかき上げながら皮肉混じりに微笑むと、灰原さんはハッとしたように私の方に顔を向けた。
「……千代田さんは、そういう『ろくでもない男』をたくさん知っているみたいね。さすがは、経験豊富な大人の女性ね。」
「あら、ただの一般論よ。でも、コナンくんみたいな男の子の良さが分からないならまだまだ子供ね。あの子はとても可愛げがあるし、頼り甲斐のある子よ。」
私がわざとらしく手鏡を取り出し、リップを塗り直しながらウインクしてみせると、灰原さんはふん、と鼻で小さく笑って再び窓の外へ目を向けた。
「えー? もしかして凛お姉さん、コナン君のこと好きなの!?」
一人だけ話の意図が分からず、慌てふためく歩美ちゃん。
平和で、暖かくて、だけどどこか緊張感が漂うガールズトークが終わり、やがて日が暮れて行く。
ーーーーーーー
楽しいお城探索の時間は終わり、夜の帳(とばり)が降りるとともに、この城はついにその本性を現した。
――江戸川コナンが、忽然と行方不明になったのだ。
庭師の田畑さんたちにも手伝ってもらい、懐中電灯を手に城の隅々まで探して回ったが、彼の小さな身体はどこにも見当たらなかった。残る可能性は城の周囲に広がる広大な森の中。しかし、あたりはすでに一寸先も見えないほど真っ暗になっており、追い打ちをかけるように冷たい雨まで降り出してしまった。
これ以上の夜間捜索は二次災害の危険があるという大人の判断で、今夜は一度切り上げ、明日の早朝に私が警察の応援を呼んで本格的な合同捜索を行うことになった。
「コナンくん、暗くて寒いよぉ……今もどこかで泣いてるかもしれないのに、どうして探しに行っちゃダメなの!?」
今すぐにでも嵐の森へ飛び出して行きそうなくらい、泣きながら強く主張して聞かない歩美ちゃんたちを、私は根気強く宥め、ようやくベッドで寝かしつけた。
寝室の電気が消え、静かな寝息が聞こえ始めたのを見届けてから、私は音もなく部屋の扉を開け、暗闇が支配する廊下へと静かに抜け出した。
上着のポケットの中で、愛用の銃がその冷たい金属の重みを伝えてくる。
(――あり得ないわ。あのコナンくんが、子供の悪戯なんかで何の連絡もなく姿を消すはずがない)
あの子が忽然と消えたということは、この城の『何か』に触れてしまい、厄介な問題に巻き込まれたと考えるのが自然だ。そしておそらく、その原因はあの老婆が口にしていた「大旦那様の遺言の謎」にある。
私は、昼間に解き明かした暗号を試すべく、チェスを一望できるあの部屋へと向かうことにした。
窓の外から時折差し込む、鈍い雷光だけが頼りの暗い廊下。
絨毯に足音を一切吸わせず、気配を完全に消してしなやかに歩を進める中、私の首筋にピリッとした微かな電気が走った。
(……誰かが見ているわね)
私は歩みの速度を一切変えないまま、網膜の隅で背後の死角を捉えていた。
この手の尾行を撒く、あるいは逆手に取るなど、警視庁捜査一課の刑事にとっては初歩中の初歩。
次の曲がり角が視界に入った瞬間、私はあえて無防備を装ってそこへ滑り込み――直後、音もなく反転して壁の影に身を潜めた。
追跡者が角を曲がってくる、まさにその刹那を狙って、私は影から音もなく飛び出し、相手の退路を完全に塞ぐようにして間合いを詰める。暗闇の中で手のひらを鋭く突き出し、いつでも相手の喉元を圧壊できる体勢で組み伏せようとした。
「そこまでよ、ネズミさん――っ!?」
だが、突き出しかけた私の手は、またしても虚空でピたりと止まることになった。
「……あら。随分と手荒い歓迎ね、千代田刑事」
雷光に照らされたのは、小さく華奢な体躯。
そこに立っていたのは、怯える風でもなく、冷徹なブルーグレーの瞳で私をじっと見上げてくる茶髪の少女――灰原哀ちゃんだった。
「灰原……さん……?」
私は突き出した手をゆっくりと下ろし、驚きを隠せないまま、細めるような目で彼女を見つめた。
「あなた、歩美ちゃんたちと一緒に寝ていたはずじゃ……。どうして私の後ろを ついてきたの?」
「あなたが、あの子を探しに部屋を出るのが分かったからよ」
灰原さんは小さく腕を組み、冷たい雨が窓を叩く音に声を紛れ込ませるようにして、淡々と言葉を続けた。
「あの子……江戸川くんは、ただ迷子になったわけじゃない。それは、あなたも気づいているんでしょう? ――刑事さん」
暗闇の中で対峙する、一人の女刑事と、謎めいた一人の少女。
彼女のそのあまりにも大人びた佇まいと、警察官である私を値踏みするような鋭い眼光に、私の心は違和感とざわめきを感じた。
「なるほど……暗号の正体は、この時計の針だったわけね」
辿り着いたチェス一望の部屋。私たちが暴いた暗号の答えは、部屋に鎮座する古びた大時計の針を、手動で決まった回数だけ回すというものだった。
長針が最後の位置にカチリと収まった瞬間、重々しい金属音と共に壁の一部が滑るように開き、ぽっかりと暗黒の口を開けた――隠し通路だ。
恐らく、コナンくんはこの先へと進み、そして姿を消した。
「……さて、灰原さん。大人としての当然の義務、そして警察官としての義務を果たすわ。あなたは今すぐ部屋に戻って、みんなと一緒に寝ていなさい」
「断るわ。あの子がこの先にいるかもしれないのに、大人しくベッドの中で待っているほど、私はお行儀の良い子供じゃないの」
小さな胸の前で腕を組み、冷徹な一瞥をくれる灰原さん。一歩も引く気のないその頑なな態度を前に、私はふぅと降参の溜息をつくしかなかった。ここで無理に突き返して、彼女が一人で別の行動を起こす方がよっぽど危険だ。
「分かったわ、仕方ないわね。ただし、絶対に私の後ろから離れないこと。約束よ?」
懐中電灯の細い光で足元を照らしながら、私たちは埃っぽい隠し通路の奥へと足を踏み入れた。
だが、数メートルも進まないうちに、ライトの白い光がある一点でピタリと止まる。
「――血痕ね」
「ええ。この乾き具合から見て、かなり時間が経っているわ。少なくとも、今日明日についたものではないわね……」
灰原さんがライトに照らされた床を見つめ、冷静に、どこか他人事のように呟く。四年前の大火事、あるいはそれ以前の悲劇の痕跡だろうか。不穏な空気はさらに濃くなっていく。
さらに狭い通路を奥へと進むと、今度は荒々しく壁に引っ掻いたような、煤けた文字が目に飛び込んできた。
『あいつは、私になりすまして城の宝を横ど……』
「……文字が途中で消えてるわね」
「ええ、最後まで書けなかったみたい。ここで力尽きて衰弱死したのか、それとも、書いている途中で『あいつ』に気づかれて襲われたのか……」
いずれにしても、この間宮家のお城には、世間には決して出せないドス黒い秘密が隠されている。
ジメジメとした通路をなおも進むと、不意に視界が開け、冷たい夜風が吹き込んできた。
そこは、四年前の大火事の後、危険だからと完全に封鎖されているはずの『焼け焦げた塔』の入り口だった。
「ねぇ、哀ちゃん。私としては、ここで改めてみんなのところに戻って欲しいんだけど……やっぱり、戻ってはくれないわよね?」
「当然ね。ここまで来て引き返す選択肢は私にはないわ。それに……この状況なら、むしろ大人で警察官のあなたと行動を共にする方が、かえって安全な気がするしね」
あら……今のは、ツンツンした彼女からの、最高に可愛い『デレ』と受け取っていいのかしら。
張り詰めた空気の中、そんな場違いなことをふと考えて少しだけ口元を緩めながら、私は彼女を伴って塔の内部へと足を踏み入れた。
塔の中は、想像以上に過酷だった。
子供の華奢な体格――そして、いくら中身が大人であっても、小学生の筋力にとってはあまりにもきつい、急勾配の螺旋階段が果てしなく上へと続いている。
――カツン。
階段の中ほどに差し掛かった時、背後で小さな衣擦れの音と共に、灰原さんがバランスを崩してよろめいた。
どれだけ大人びていようとも、肉体はただの幼い子供。そんな彼女の、年相応の弱くて可愛い「子供らしさ」を間近で見て、私の胸の奥にどこか愛おしいような、少し嬉しい感情が芽生える。
「もう、無理しちゃって。大人しく私に甘えなさいな」
私はしなやかに膝を折り、彼女の小さな身体を抱き上げようと、無防備に屈み込んだ。
私の腕にすっぽりと収まり、重みを預けてきながら、灰原さんは少し照れたように口元を尖らせた。
「何だか扱いが慣れてるわね、あなた。……兄弟でもいるのかしら」
「そうね、実は最高に可愛いいもうとが……」
―そう続けようとした、その瞬間だった。
「――千代田さん、後ろっ!?」
灰原さんの声が、恐怖に引き裂かれたように鋭く響き渡った。