「お姉ちゃん、元気ない? 体調悪いの?」
「ヴィ、ヴィブロス!? 大丈夫よ、ちょっと考え事をしていただけなの」
いつものように妹であるヴィブロスと買い物に出かけていると、じぃっと上目遣いでヴィブロスが心配そうに見上げていた。
咄嗟に誤魔化すが、誤魔化しにもなっていないのはヴィルシーナ自身もわかっていた。
体調が悪いわけではないが、悩みが尽きないのは事実だからだ。
「……トレーナー選びでちょっと悩んでいるだけなの。あまり心配しなくても大丈夫よ?」
結局、誤魔化すことを諦めて本心を明かすことにした。
姉として情けない姿は見せたくなかったが、正直に伝えない方が心配を招きそうである以上仕方がない。
しかしそれで情けなさが消えるわけでもなく、少し憂鬱な気分になっているヴィルシーナに対してヴィブロスはピンと耳を立てて瞳を輝かせていた。
「じゃあ、私とシュヴァちがお世話になってるトレーナーさんに会いに行こう! きっと相談に乗ってくれるよ~!」
「え、ちょ、ヴィブロス!?」
ガシッと手を握られ、そのまま引きずられるように二人は店を出ていった。
連れられた先はトレセン学園内のグラウンドだった。
正確には、野球用のグラウンドだ。
(そういえば最近、キャッチボールもしてないわね……)
ジェンティルドンナに勝つために余暇を惜しんでレースに打ち込んでいたこともあり、趣味である野球からは離れていた。
そしてまだデビューも先であるヴィブロスやシュヴァルグランがお世話になっているトレーナーとはどういうことだと思っていたが、その答えもわかった。
趣味やレクリエーションの一環でウマ娘が野球をすることはそう珍しいことではない。
その中でトレーナーと関わることもあったのだろう。
「今日が引退試合って言ってたから……あ、マウンドに上がってる! あの人だよ!」
「え、マウンド? トレーナーが?」
トレーナーが関わるとは言っても、グラウンドを借りるための事務手続きや、監督役やコーチ役が精々のもの。
流石に直接試合に関与するには身体能力という大きすぎる壁がある。
いくら本腰を入れて取り組んでいるわけではないという前提があっても、無理があるはずだ。
「ズルいですわ! 卑怯ですわ! ただでさえ落差の大きいフォークがあるのに、最終回にリリーフ登板されたら球速差も相まって打てるわけがありませんわ!」
なんだかやけに高貴な雰囲気のする声が観客席から響いている気がするが、それを聞き流してマウンドに視線を向ける。
確かにそこにいるのはウマ娘ではなくトレーナーだった。
ユニフォーム姿の男は、惚れ惚れするような美しいフォームからキレのあるフォークを投げ込み三振を奪っている。
そのまま三者連続で三振を奪うと、審判からゲームセットが告げられた。
「す、すごいわね。プロ志望だったのかしら……?」
「んー、でもプロは流石に無理って言ってたよ? 甲子園でも投げられなかったって」
マウンドではキャッチャー防具を身に纏ったシュヴァルグランがマウンドに立つ男とハイタッチを交わしている。
バッテリーまで組んでいるのだから、それは確かにお世話になっていると言えるだろう。
「それでねー、担当ウマ娘が決まったから今日が試合に出てくれるのは最後なんだって! ねー、
「…………え?」
ヴィブロスの声に反応してこちらに視線を向けたのは、間違いなくジェンティルドンナの担当トレーナーだった。
「……まさか妹達と草野球をしているだなんて、驚きました」
「隠していたわけではないんだけどね……。少し前にヴィブロスさんに一人ピッチャーが抜けてしまったから代わりに投げてほしいと熱心に頼みこまれてしまって断れなくて。どこからか僕が元高校球児であることを聞きつけたみたいだ」
「な、なるほど」
ヴィルシーナには数ヶ月前に、ヴィブロスにレースに集中したいからしばらく草野球には出れないと断った記憶があった。
そしてポジションはヴィルシーナがピッチャー、ヴィブロスがショート、シュヴァルグランがキャッチャーである。
抜けてしまったピッチャーが誰であるかは明々白々だったが、ヴィルシーナは気づかなかったことにした。
「それでヴィブロスさんは君が僕に相談があると言ってけど、どうしたんだい?」
まさか勝手に妹が声をかけてしまっただけとは言い出せず。
そして何より扶桑に用があるかどうかと言われれば、あるのだ。
ヴィルシーナは数日間、ずっと考えていた。
己に相応しいトレーナーとは、そしてジェンティルドンナから向けられた言葉の真意とは。
そしてそのいずれにも、答えは出ていた。
だから後は、それを言葉にするだけだった。
「────扶桑さん。私の担当トレーナーになっていただけませんか?」
予想外の言葉だったのか、扶桑は微かに目を見開いていた。
「……知っての通り、僕はジェンティルドンナの担当トレーナーだ。君の言葉を聞き入れる場合、兼任することになるけどそれは理解しているよね?」
「はい、彼女との契約を切って私を選べ、などと横暴なことを求めるつもりはありません」
扶桑はしばらく、考え込むように黙り込んでいた。
言葉を促すことはしなかった、急かしたいわけではない。
「……この前、僕が話したトレーナーとしてのあるべき姿については、まだ覚えているよね」
「もちろんです」
「だったら、僕は僕が考えうる限り最も君に相応しくないトレーナーである、ということもわかるだろう? 僕は、ジェンティルドンナの勝利を信じている。あらゆるレースに置いてそれは変わらない。つまり」
君が彼女と共に走るレースでも同じことだよ、例え僕が君のトレーナーを兼任することになったとしてもね。
扶桑はそう言って苦笑した。
そしてその言葉は、ヴィルシーナが想像した通りの言葉だった。
故に、彼と交わすべき言葉はまだ残っている。
「それも当然、承知の上です。貴方は言いましたよね、これは僕の私見だ、と。私がトレーナーに求めるべきは、己の勝利を信じてもらうことではない。であればその言葉は覆ります」
「それは……そうだ。なら、聞かせてもらえるかな。君が考える、君に相応しいトレーナーとは何なのか。そして君が僕に求めることは、何なのか」
それこそまさに、ヴィルシーナが数日間ずっと考えてきたことだ。
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
そのジェンティルドンナの言葉が指す己というのは、ヴィルシーナ自身のことであり同時に担当トレーナーも指しているだろう。
であれば敵を知るのは誰か、当然ジェンティルドンナ自身がまず一人。
そして同様に考えれば、そこにはジェンティルドンナの担当トレーナーも含まれるはずだ。
(彼女の手のひらの上、というのはあまりにも癪ですが)
これは間違いなく、ジェンティルドンナの誘導だった。
ジェンティルドンナは言った、貴方に残された選択肢は一つしかないと。
その残された一つこそ、ジェンティルドンナの担当トレーナーである扶桑にヴィルシーナの担当を兼任してもらう、ということを指しているのは確実だった。
何故なら、考えれば考えるほど、ジェンティルドンナ相手に最も勝利を齎す可能性を高められるのが眼前のこの男の他に考えられないからだ。
「私がトレーナーに望むことは、私がトリプルティアラを勝ち取る可能性を可能性を少しでも引き上げてくれることその条件に最も合致するのは、ジェンティルドンナの担当トレーナーである貴方の他にはいません」
「……敵を知り、己を知れば百戦危うからず。ジェンティルドンナを最も知る者こそが、ジェンティルドンナに勝つために何が必要なのかを知っている、か」
彼が告げたのは、奇しくもジェンティルドンナの告げた言葉と同じものだった。
「トレーナーが私の勝利を信じられない、というのは当然歓迎したいことではありません。ですが、信じてもらえないのであれば信じさせればいい。貴方の視線が私に向かないのであれば、それは貴方の怠慢ではなく振り向かせられない私の不足」
ヴィルシーナは扶桑に向けて手を差し出す。
「────きっと貴方を振り向かせてみせます。だから、私の手を取っていただけませんか」
認めよう。
きっとこの人の視界に映っているのはジェンティルドンナという強者ただ一人。
今の私は視界の端にだって映っていない。
ならば振り向かせて見せよう。
ジェンティルドンナ相手に勝つヴィルシーナというウマ娘の姿を、想像させてみせよう。
「目下、ジェンティルのトリプルティアラを最も阻止する可能性が高いのは君だ。つまり、君の育成に僕が手を抜けば彼女のトリプルティアラはより盤石になるということを意味している。僕がそうするとは思わないのかい?」
「思いません。だって貴方は、ジェンティルさんが選んだトレーナーですから」
ジェンティルドンナとは幾度も模擬レースを繰り返した。
そしてヴィルシーナが己に肉薄することを喜びこそすれ、圧勝して嬉しそうにしているところなど見たことがない。
ライバルを敢えて弱体化し蹂躙するという手段は、ジェンティルドンナが望むところではないというのは明らかだった。
「約束するよ。君をジェンティルドンナに勝てるウマ娘に、きっと育ててみせる」
扶桑はヴィルシーナの手を握り返し、微笑んだ。