女王に捧ぐ冠   作:時藤 葉

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ジュニア期
It's mine.


 

 

「────随分と、焚き付けてくれたみたいだね」

 

 某日。

 

 トレーナー室で扶桑は資料に目を通しながら悠然とソファに座るジェンティルドンナにそう告げた。

 

「あら、焚き付けただなんて人聞きの悪い」

 

「……否定はしないんだね」

 

 ジェンティルドンナは何も言わずにたおやかに微笑みを返す。

 話題は当然、ヴィルシーナと担当トレーナーを兼任することについてである。

 

「そうならなければそれはそれでよい、という程度のこと。最善を選ぶ気がないというのであればそれもまた良し。まぁ、彼女はそれほど愚かな方ではありませんけれど」

 

「僕がヴィルシーナの担当になることが最善、ね」

 

「あら、疑う余地などありまして?」

 

──私の担当トレーナーさん。

 

 艷やかに、優雅に、ジェンティルドンナは笑みを浮かべる。

 

「彼女がどんな道を選ぼうとも、私の勝利は揺らがない。それでも、貴方か、貴方以外か。それは戦いの舞台に上がる権利の有無を左右するくらいには違いがありましてよ」

 

 いっそ傲慢なほどに、ジェンティルドンナはそう告げた。

 貴方以外が育てた彼女など、相手にならないと。

 

「もし、僕が君を勝たせるために彼女の育成に手を抜くとしたら?」

 

「そんなつまらないことをするトレーナーなど願い下げ。契約終了ですわね。それと、するつもりもないことをわざわざ問うのは辞めてくださる?」

 

 参りましたと言わんばかりに扶桑は苦笑を浮かべる。

 

「今の僕は君のトレーナーであると同時に、ヴィルシーナのトレーナーでもある。当然、彼女の勝利のために全力を尽くすよ。例えそれが君の弱みを突くようなものだとしても」

 

「大いに結構。そうでなくては、彼女に貴方を選ばせた意味がありませんもの」

 

「その上で────勝利するのは君だ。トリプルティアラの栄冠は君以外にあり得ない」

 

 それはある種の信仰を孕んだ、確信が込められた言葉だった。

 意外そうに片眉を上げてジェンティルドンナは応じる。

 

「……あら。私のトレーナーとしては合格点を差し上げますが、今の貴方はヴィルシーナさんのトレーナーでもあると、そう仰ったのは貴方でしょうに」

 

「兼任だからね。ジェンティルドンナのトレーナーであることを放棄したつもりも一切無いよ」

 

 扶桑というトレーナーの視界にはジェンティルドンナの勝利以外見えていない。

 それは狂信の域に達するものだが、単なる狂信というわけでもない。

 何故ならこの二人には、それを現実にしてしまえるだけの力があるから。

 

「……ふぅん、ヴィルシーナさんとの契約を受けた以上、貴方のポリシーを多少曲げたのかとでも思っていたのだけれど」

 

「彼女との契約は確かに僕のポリシーに反するものだけど、彼女がそれを承知の上だと言うのなら僕個人のこだわりを理由に断るのは自己満足に過ぎないからね」

 

 扶桑の考えるトレーナー像とは、担当ウマ娘の勝利を信じること。

 そしてヴィルシーナにジェンティルドンナと同じレースを走らせる限り、扶桑はヴィルシーナに対してそのトレーナー像を守ることができない。

 己の全力を注いでヴィルシーナを育て上げたとしても、ジェンティルドンナの勝利を揺らがせるには至らないと確信しているから。

 

 ジェンティルドンナは目を閉じて紅茶に手を付ける。

 

 ヴィルシーナの不屈の精神は好ましいものだ。

 勝利を諦め、屈した者を蹂躙することほどつまらないものはない。

 その点に置いてジェンティルドンナはヴィルシーナを極めて高く評価している。

 

 では、そんな彼女が己のトレーナーが自身の勝利を信じないということを許容し得るのか?

 当然、そんなわけはない。

 しかし実際に扶桑は己のポリシーに反することを認めながらも彼女とのトレーナー契約を引き受けている。

 

 となれば必然、扶桑にそれを納得させるだけの何かをヴィルシーナは示したのだろう。

 

 ソファから立ち上がったジェンティルドンナは、資料に目を通している扶桑に向けて歩み寄る。

 

「確かに貴方がヴィルシーナさんの担当トレーナーになることは私が望んだこと。ですけれど───」

 

 歩み寄ってくる気配に顔を上げた扶桑の額を、ジェンティルドンナの人差し指が突く。

 

「───許したのは担当トレーナーになることだけ。貴方は私のもの。よろしくて?」

 

 ツンとした表情のまま、扶桑の返事を待つことなくジェンティルドンナはトレーナー室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、それじゃあミーティングを始めようか」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 ヴィルシーナと担当契約を結んで初めてのミーティング。

 あくまでまだ契約を結んだばかりなのだから、話しておかなければならないことはいくつもある。

 その中で扶桑が最初に選んだ話題は。

 

「まずは、君の脚質について。どんな戦法で戦っていくかだけど……『逃げ』一択だ。これに関しては選択の余地はないと思ってもらいたい」

 

 選択の余地はない。

 そんな簡単に断言できるものなのだろうかと思う。

 しかし敢えてそう言い切るということは、それに足るだけの根拠があるのだろうとも思う。

 

「理由について、お聞かせ願えますか?」

 

「もちろん。大前提として、君は差しや追込に対しての適性は高くない。逃げや先行が向いていると言える」

 

「はい、それは私もそう思います」

 

 扶桑の側に積まれた書類の束に軽く視線を向ける。

 目に入るのは、己に関する詳細なデータやレース結果。

 山積みにされたその全てが自身に関するものだとまでは思わないが、それでも短期間の間に相当量の情報を集めたのだということは容易に推察できた。

 

 実際にヴィルシーナ自身、どの脚質で走るか選べるのであれば先行か逃げから選ぶことになるだろうと感じていた。

 しかし、あくまで逃げと先行のどちらか、である。

 逃げを選ぶことに不満はないし、納得できる。

 だが、先行という脚質を捨てる理由については思い当たるものがなかった。

 

「ただ単に適性のことだけを考えるのであれば先行でも構わない。だけど、そうはいかない理由がある」

 

 その答えは、酷くシンプルなものだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()。つまり先行を選ぶということは、彼女と同じ土俵に立つということ」

 

「……真っ向勝負では、勝てませんか」

 

 ジェンティルドンナと同じ脚質を選ぶということは、レース中に彼女と最も近い距離を保つということ。

 前に出るか後ろにつくかという程度の違いはあれど、序盤のポジションから仕掛け時まである程度は共通したものになる。

 同じポジションから同じタイミングで仕掛けて勝てるのであれば、幾度となく繰り返した模擬レースの内の一つか二つは白星を飾れていただろう。

 

 しかし現実はそうなっていない、それが答えと言えた。

 

「それが理由の半分。もう一つは君自身の持ち味にある」

 

 扶桑は書類の山から一枚の資料を取り出した。

 

「調べられる範囲で君に関するデータを精査した。そして君の持ち得る競走能力の中で、最もずば抜けたもの。それは勝負根性」

 

 スタミナが尽きた時、後方から差された時、ウマ娘は本能的にもう無理だと勝負を諦めてしまう。

 それは不自然なことではない。

 先頭に立ってゴールを終えることが勝利であり、抜かされてしまえば必然抜き返さない限り敗北だからだ。

 

 抜かされかけた時に、抜かせまいと踏ん張れるか。

 差された後に、差し返そうと気力を振り絞れるか。

 それこそが勝負根性であり、ヴィルシーナに与えられた天禀だった。

 

「つまるところ、逃げてリードを作り、勝負根性でリードを守り切る。シンプル故に愚直で、単純で、工夫の余地もない戦法。これが僕が考える、君がジェンティルドンナに勝つための最善策だ」

 

 その言葉は、スッとヴィルシーナの耳に染み入ってくるようだった。

 間違いなくこれが最善だとヴィルシーナにも容易に理解ができた、納得もした。

 だからこそ問わなければならないことがある。

 

「逃げれば、私はジェンティルさんに勝てますか」

 

「───()()()()。これは最善策であって、君がジェンティルドンナに勝ち得ることを意味しているわけじゃない」

 

 それは最も勝利に近い策。

 しかし近いということと、手が届くということはイコールではない。

 ベストを尽くして尚、ヴィルシーナはジェンティルドンナには届かない。

 

「であれば────届かない分は私が埋めなければならない、ということですね」

 

 オブラートに包むこともせず勝てないと直截に告げたことを、ヴィルシーナは不誠実だとは思わない。

 何故なら、元より彼は自分にはジェンティルドンナの勝利以外見えていないと明かしているから。

 その上で最も勝利に近い策をヴィルシーナに与えてくれた。

 

 きっと振り向かせてみせると、そう告げたのは自分だ。

 であれば足りない分を埋めるのも己以外にあり得ない。

 

「私は諦めません、歩みを止めません、ジェンティルさんに勝つその時まで」

 

 決意を新たに、ヴィルシーナは力強く笑みを浮かべた。

 

「────担当の勝利を信じることがトレーナーの証であるというのなら、いつかきっと、貴方を本当の意味で私のトレーナーにしてみせますから」

 

 

 




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