BLACK LAGOON Maid's Salvation   作:AI太郎

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第十二話

夜の港

 

ロアナプラの夜は、静かではない。

ただ、騒音の種類が変わるだけだ。

昼間の港に満ちていた怒号とエンジン音が遠ざかり、代わりに酒場の笑い声、安い音楽、遠くの銃声が街の底から浮かび上がってくる。

 

ガルシアは窓際に立っていた。

手には雑誌がある。

だが、もう随分前から同じページを開いたままだった。

 

ロベルタが来ない。

本来なら、もう来ているはずだった。

原作ではそうだった。

ロベルタは距離も障害も常識も踏み潰して、ガルシアの元へ辿り着く。

それがロベルタだ。

少なくとも、ガルシアはそう知っている。

だから最初の一日は気にしなかった。

現実と原作に多少のズレはある。

二日目も、まだそう思えた。

だが三日、四日、五日と過ぎていくうちに、その違和感は少しずつ重くなっていった。

 

父を疑っているわけではない。

ロベルタを疑っているわけでもない。

むしろ逆だった。

あの二人が動いていないはずがない。

ならば、何かに阻まれている。

それしか考えられなかった。

 

「起きてたか」

 

扉の方から低い声がした。

振り返ると、ダッチが立っていた。

大きな身体を屈めるようにして部屋へ入ってくる。足音は驚くほど静かだった。

「うん」

ダッチは窓の外を見る。

港。

黒い海。

揺れる灯り。

それからガルシアを見た。

「眠れないか」

「少し」

 

嘘だった。

ほとんど眠れていない。

ダッチは追及しなかった。

その距離感がありがたかった。

しばらく沈黙が続く。

やがてダッチが口を開いた。

 

「どうして俺達がまだお前を引き渡してないと思う」

ガルシアは少しだけ目を細めた。

考えたことはある。

何度も。

「カルテルが揉めてるから?」

「それもある」

 

それも。

つまり、他にもある。

ダッチは窓の外を見たまま言った。

「今回の件は臭ぇ」

静かな声だった。

「連中の動きが妙だ。金の流れも、話の筋もな。何より、急ぎ過ぎてる奴が多い」

「急ぎ過ぎてる?」

「ああ。俺の経験じゃ、こういう時に急いだ奴から死ぬ」

 

理屈ではなかった。

だが、その言葉には妙な重さがあった。

戦場を生き残った男の勘。

それはガルシアの原作知識とは違う種類の未来予測だった。

 

「だから待つ」

ダッチは言った。

「引き渡しは、こっちが納得してからだ」

ガルシアは頷いた。

安心したわけではない。

だが、自分だけが異変を感じているわけではない。

それは少しだけ救いだった。

 

 

 

 

 

その頃。

コロンビアのラブレス邸では、夜になっても執務室の灯りが消えていなかった。

ディエゴ・ラブレスは机の前に立っていた。

椅子には座っていない。

座っていられなかった。

机の上には地図が広げられている。

港。

道路。

空路。

国境。

カルテルの勢力圏。

警察からの報告書。

軍からの連絡。

政府関係者からの返答。

その全てが、綺麗に揃い過ぎていた。

だからこそ不自然だった。

 

「また空振りですか」

 

ロベルタが静かに言った。

声は落ち着いている。

だが、その奥にあるものをディエゴは知っていた。

怒りだ。

冷えた怒り。

刃物のような怒り。

 

「軍は動いた」

 

ディエゴは言った。

「警察もだ。情報機関にも話を通した」

「はい」

「だが、我々が掴んだ拠点は全て空だった。押収されるはずだった記録は消え、証言者は姿を消した」

 

ロベルタは何も言わない。

ディエゴは地図に視線を落とす。

 

「敵が優秀なのではない」

低い声だった。

「こちらの情報が漏れている」

ロベルタの眼鏡が灯りを反射した。

表情は読めない。

「政府の中に、カルテルと繋がっている者がいると」

「そう考えるのが自然だ」

 

ディエゴは拳を握った。

怒鳴りたい衝動を押し殺す。

ラブレス家は、以前のラブレス家ではない。

金もある。

影響力もある。

政財界への繋がりも取り戻しつつある。

だからこそ、ガルシアが攫われた直後から全力で動いた。

動けた。

原作のように、無力に祈るだけの家ではなかった。

それなのに。

届かない。

あと一歩のところで、必ず道が塞がれる。

 

「旦那様」

ロベルタが言った。

 

「ご命令を」

短い言葉だった。

 

だが十分だった。

ディエゴはゆっくりと顔を上げる。

目の前にいるのは、ラブレス家のメイドだ。

料理は壊滅的。

掃除も完璧とは言いがたい。

だが、彼女ほど信頼できる者をディエゴは知らなかった。

 

「これは公式の依頼ではない」

ディエゴは言った。

「ラブレス家当主としての命令でもない」

ロベルタの表情が僅かに変わる。

「父親として頼む」

声が少しだけ震えた。

それを隠さなかった。

「私の息子を連れ戻してくれ」

ロベルタは深く頭を下げた。

迷いはなかった。

 

「必ず」

それだけだった。

それだけで十分だった。

ディエゴは机の上から一枚の封筒を取る。

公式な捜査資料ではない。

信頼できる筋だけを通して集めた断片。

港の名前。

船の航路。

裏社会の仲介人。

そしてロアナプラ。

ロベルタは封筒を受け取った。

 

「誰にも知られるな」

「承知しております」

「政府にも、軍にも、警察にもだ」

「はい」

ディエゴは息を吐いた。

「ガルシアは生きている」

「はい」

ロベルタは即答した。

それは希望ではなかった。

確信だった。

「坊ちゃまは、必ずお待ちです」

ディエゴは目を閉じた。

その言葉に縋りたくなった。

だが縋るだけでは父親ではない。

「頼む」

ロベルタはもう一度頭を下げた。

そして部屋を出ていく。

扉が閉まる。

廊下の足音はすぐに遠ざかった。

ディエゴは一人残された執務室で、地図を見下ろした。

政府の中に敵がいる。

カルテルの中にも敵がいる。

味方の顔をした敵が、どこにでもいる。

それでも。

息子を取り戻す。

ラブレス家当主としてではなく。

ただ一人の父親として。

その夜、ロベルタは屋敷を出た。

音もなく。

誰にも告げず。

胸元には、坊ちゃまから贈られた銀のロケットペンダントが揺れていた。

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