BLACK LAGOON Maid's Salvation 作:AI太郎
第十三話 ベニーの仕事
昼下がりのラグーン商会は、珍しく静かだった。
ダッチは外出中。
ロックも何かの用事で出ている。
レヴィは朝から姿を見ていない。
どこへ行ったのかは知らない。
聞こうとも思わなかった。
数日一緒にいて分かったことがある。
レヴィは、探さない方がいい時がある。
たぶん今日はそれだ。
だから。
事務所にいるのは、俺とベニーだけだった。
カタカタ。
カタカタ。
キーボードを叩く音が響く。
俺はソファに座って本を読んでいた。
正確には。
読もうとしていた。
カタカタ。
カタカタ。
気になる。
ページをめくる。
三行読む。
カタカタ。
また気になる。
顔を上げた。
ベニーは机に向かったまま、こちらを見ようともしない。
普段とは少し違っていた。
いつもは。
どこか力が抜けている。
話し方も柔らかいし、レヴィに何か言われても大抵は苦笑して流す。
でも。
コンピューターの前に座っている時だけ。
目が違う。
画面を見る。
キーボードを叩く。
一度止まり。
何かを確認して、また打つ。
集中している。
というより。
ここだけが完全に自分の領域だと知っている人間の顔だった。
「…………」
本へ戻る。
一行。
二行。
カタカタ。
駄目だ。
気になる。
本を閉じた。
「ベニー」
「ん?」
目は画面から離れない。
「何してるの?」
「仕事」
「それは分かる」
「なら問題ないね」
「どんな仕事?」
そこで。
初めて手が止まった。
ベニーがこちらを見る。
「興味あるのかい?」
「うん」
「珍しいね」
「そう?」
「普通、君くらいの歳なら、あっちの方が気になると思うけど」
ベニーが顎を動かす。
視線の先。
机の端に。
雑誌が一冊。
表紙を見て。
俺は黙った。
「…………」
「興味ない?」
「ないわけじゃないけど」
「正直だね」
「十四歳だから」
「なおさら正直だ」
ベニーが笑った。
俺も少し笑う。
「でも今はそっちの方が気になる」
「変わってるなぁ」
それも最近よく言われる。
ベニーは椅子を少し横へずらした。
「見たい?」
「いいの?」
「見せちゃまずいところは見せないよ」
当然か。
俺はソファから立ち上がった。
ベニーの後ろへ回る。
画面を見る。
「…………」
分からない。
英語は読める。
数字も読める。
でも。
それらが何を意味しているのかが分からない。
いくつかのウィンドウ。
大量の文字。
数字。
時刻らしき表示。
何かのアドレス。
次々と流れていく情報。
「これ何?」
「通信記録」
「誰の?」
「そこは企業秘密」
「犯罪?」
ベニーが振り返った。
「君、結構失礼だね」
「違うの?」
「…………」
「…………」
「仕事だよ」
「今、間があったよ」
「細かいこと気にすると、この街じゃ長生きできないよ」
レヴィと似たようなことを言う。
便利だな、その理屈。
画面へ戻る。
「通信記録ってことは、誰がどこと連絡したか分かるの?」
「場合によるね」
「内容も?」
「それも場合による」
「読めないようにしてあるから?」
今度は。
ベニーの指が止まった。
「……へえ」
「何?」
「いや」
ベニーがこちらを見る。
「そこまで分かるんだ」
「そこまでってほどじゃないだろ。大事な通信なら、そのまま読めるようにはしないんじゃない?」
「まあ、そうだね」
「暗号にするとか」
「正解」
ベニーが画面へ向き直った。
少し。
座り方が変わった。
さっきまでは子供に仕事を見せている感じだった。
今は。
説明する気になったらしい。
「通信っていうのは、送りゃ終わりじゃない」
画面の一部を指差す。
「どこから送ったか。どこを通ったか。どこへ届いたか。いつ送ったか。色んな情報がくっついてくる」
「手紙の消印みたいなもの?」
ベニーが止まった。
「……そう」
「違う?」
「いや。かなり近い」
少し嬉しそうだ。
「中身を読めなくしても、誰と誰がやり取りしてるか分かったら困る場合がある」
なるほど。
内容だけ隠せばいいわけじゃない。
「じゃあ、それも隠す?」
「隠すというより――」
ベニーが少し考える。
「分かりにくくする、かな」
「完全には消せないから?」
また。
ベニーが止まった。
今度ははっきり俺を見る。
「どうしてそう思った?」
「だって、通信したこと自体を完全になかったことにできるなら、最初から困らないだろ」
「…………」
「違う?」
「いや」
ベニーが眼鏡を押し上げた。
「合ってる」
そして。
少し笑った。
「君、面白いね」
「褒めてる?」
「今のところは」
何だそれ。
ベニーがキーボードを叩く。
別の画面が開いた。
「コンピューターってのはね、意外と正直なんだ」
「正直?」
「何かすれば、何かが残る」
画面にいくつかの記録が表示される。
「接続した。送った。受け取った。失敗した。成功した。消した」
「消したことも?」
「消し方が悪ければね」
面白い。
俺は画面へ少し近づいた。
「じゃあ、痕跡を全部消すんじゃなくて」
「うん」
「どれが本当の痕跡か分からなくする?」
ベニーの手が止まった。
「…………」
「何?」
「いやぁ」
椅子の背もたれへ身体を預ける。
俺を見る。
「本当に十四歳?」
「戸籍上は」
「ああ、もう」
ベニーが額を押さえた。
「何?」
「それレヴィにも言っただろ」
「言った」
「やっぱり」
何で分かるんだ。
「その返し、あの女が絶対嫌がるやつだ」
「嫌がってた」
「だろうね」
二人で笑った。
そのまま。
ベニーはまた画面へ向き直った。
「まあ、考え方としては近いよ」
「本当に?」
「ただし」
指を一本立てる。
「今のは、かなり乱暴な説明だからね」
「うん」
「実際はもっと面倒臭い」
「例えば?」
「例えば?」
ベニーがこちらを見る。
「うん」
「…………」
何だ。
「知りたいの?」
「せっかく教えてくれるなら」
「僕は教えるって言ってないけどなぁ」
そう言いながら。
ベニーは新しい画面を開いた。
教える気じゃないか。
「ここを見る」
「どこ?」
「この数字」
身を乗り出す。
「これ?」
「そう。こっちと比べてみて」
二つを見る。
違いを探す。
「……最後が違う」
「他は?」
「時刻」
「そう」
ベニーが笑う。
「じゃあ、それが何を意味すると思う?」
「分からない」
「即答だね」
「分からないものは分からないから」
「いい答えだ」
ベニーがキーボードへ手を戻した。
「じゃあ、そこからだ」
それから。
十分くらいのつもりだった。
たぶん。
一時間以上経った。
最初は通信の話だった。
そこからネットワーク。
アドレス。
サーバー。
ログ。
途中から知らない言葉だらけになった。
分からないたびに聞いた。
ベニーは答えた。
一度で分からなければ、別の言い方をした。
紙まで取り出して図を書き始めた。
気づけば。
俺よりベニーの方が楽しそうだった。
「じゃあ、ここを通ったら?」
「記録が残る」
「どこに?」
「ここと……こっち?」
「惜しい。もう一つ」
「えー……」
画面を見る。
考える。
「ここ?」
「正解」
「おお」
「飲み込み早いなぁ、君」
普通に嬉しい。
「ベニー、教えるの上手いね」
「そう?」
「うん」
「…………」
ベニーが少し黙った。
「何?」
「いや」
苦笑する。
「そういうこと言われたの、初めてかもしれない」
「何で?」
「こんな話を聞きたがる奴が、そもそもあんまりいないんだよ」
それは。
少し分かる。
ダッチは必要なことなら理解しているだろうけど。
レヴィはたぶん三分で寝る。
「ベニーは、どこで覚えたの?」
何気なく聞いた。
途端。
キーボードの音が止まった。
「あ」
まずかったかもしれない。
ベニーは画面を見たまま。
数秒黙っていた。
「……昔ね」
「うん」
「ちょっと、色んなところに入りすぎた」
「入った?」
「コンピューターに」
なるほど。
「どこ?」
「それは言えない」
「何で?」
「怒られるから」
「誰に?」
ベニーが俺を見た。
真顔だった。
「アメリカ政府」
「…………」
「…………」
事務所が静かになった。
窓の外から。
港の音だけが聞こえる。
俺は。
ベニーを見る。
「……それ」
「うん」
「『ちょっと』で済む?」
ベニーが吹き出した。
「済まなかったから、ここにいるんだよ」
「ああ」
ものすごく納得した。
「なるほど」
「納得されると、それはそれで傷つくなぁ」
「ごめん」
「いや。否定できないからいいよ」
ベニーは笑いながら画面へ戻った。
俺も笑う。
それから。
さっきの画面を見る。
「で、この記録は?」
「まだやるの?」
「途中だろ」
ベニーが俺を見る。
少しだけ呆れた顔。
そのあと。
楽しそうに笑った。
「分かったよ」
椅子をもう少し横へずらす。
俺が画面を見やすいように。
「じゃあ次」
カーソルが動く。
「さっきの続きだ」
「うん」
「まず、この二つを見比べてみな」
俺は画面へ顔を寄せた。
最初は。
ただ。
ベニーが何をしているのか気になっただけだった。
教えてくれと頼んだわけでもない。
何かを覚えようと決めていたわけでもない。
ベニーも。
たぶん最初は。
暇を持て余している子供へ、自分の仕事を少し見せるだけのつもりだった。
でも。
一つ聞けば。
次が気になった。
答えを聞けば。
その先が知りたくなった。
そしてベニーも。
聞けば理解する相手に説明することが、思っていたより楽しかったらしい。
窓の外では。
ロアナプラの午後が、いつも通り騒がしく流れていた。
その中で。
俺は初めて。
ベニーの世界を覗いていた。