BLACK LAGOON Maid's Salvation 作:AI太郎
第十四話 善人と悪人
昼のイエローフラッグは、夜に比べれば幾分まともだった。
幾分。
というだけだが。
カウンターの向こうでは、バオがグラスを磨いている。
昼間から酒を飲んでいる男。
テーブルに足を乗せてカードをしている男。
明らかに普通の仕事では使わない種類の鞄を持った男。
そして。
二階から、派手な化粧をした女が降りてきた。
知らない男の肩へ腕を回し、何かを囁く。
男が笑う。
女も笑う。
そのまま二人で店を出ていった。
「…………」
すごい街だ。
もう何度目か分からない感想だった。
俺はストローでジュースを飲んだ。
向かいにはロック。
コーヒーを飲んでいる。
この店で昼間からジュースを頼む十四歳も大概だと思うが。
イエローフラッグでコーヒーを頼むロックも、なかなか浮いている。
「何見てるんだ?」
「人」
「人?」
「うん」
ロックも俺が見ていた方を見る。
傭兵らしい男たち。
運び屋。
娼婦。
酔っ払い。
たぶん犯罪者。
たぶん、じゃない犯罪者。
「面白いか?」
「少し」
ロックが苦笑した。
「変わってるな」
「最近そればっかり言われる」
「誰に?」
「レヴィとベニー」
「ああ」
納得するなよ。
「でも普通、十四歳ならもう少し別のものを見ると思うぞ」
「普通の十四歳はロアナプラにいないと思う」
ロックが止まった。
それから。
「確かに」
笑った。
俺も笑う。
カウンターの向こうでバオが一瞬こっちを見た。
何だよ。
⸻
少しして。
俺はまた店内を見た。
今度は。
さっきとは違う男が入ってくる。
腰に拳銃。
腕に刺青。
顔に古い傷。
見るからに怖い。
でも。
カウンターへ座ると、バオと普通に話し始めた。
何かの冗談を言ったらしい。
バオが笑う。
男も笑う。
それを見ていると。
少し前から考えていたことが、また頭に浮かんだ。
「ロック」
「ん?」
「悪人って何だと思う?」
ロックが。
コーヒーカップを口元で止めた。
「……何だって?」
「悪人」
「それは聞こえたよ」
カップを置く。
「どうしたんだ、急に」
「ちょっと気になって」
「十四歳が昼飯時に考えることじゃないぞ」
「じゃあ何考えるの?」
「女の子とか」
「ロックは十四歳の時、女の子のことばっかり考えてたの?」
「…………」
黙った。
「違うんだ」
「今のは忘れてくれ」
ちょっと面白い。
でも。
ロックはすぐに表情を戻した。
「悪人、か」
「うん」
「難しいな」
「そう?」
「難しいよ」
ロックはコーヒーを一口飲んだ。
少し考える。
「日本にいた頃なら、もう少し簡単に答えてたかもしれない」
「どんなふうに?」
「そうだな……」
カップを置く。
「法律を守って、真面目に働いて、他人に迷惑をかけない人間がまともな人間」
少し間を置く。
「犯罪をする奴は悪い奴」
「今は違う?」
ロックは答えなかった。
店内を見る。
その視線の先に。
酒を飲んでいる男たちがいる。
拳銃を持った人間がいる。
そして。
俺の知っている人たちがいる。
「違うというより」
ロックが言った。
「日本にいた時は、あまり考えなくても済んでたんだと思う」
「考えなくても?」
「ああ」
少し笑う。
でも。
楽しそうではなかった。
「社会が先に線を引いてくれてたからな」
俺は黙って聞いた。
「こっちが善い側。こっちが悪い側。こっちにいれば普通で、向こうへ行けば犯罪者」
指で。
テーブルの上に見えない線を引く。
「もちろん、本当は日本だってそんなに単純じゃない。でも俺は、その線の内側にいた」
「ロアナプラにはない?」
「あるさ」
意外だった。
「あるの?」
「ただ」
ロックが苦笑する。
「引いてる奴が多すぎる」
少し考えて。
意味が分かった。
法律の線。
組織の線。
仲間の線。
自分自身の線。
たぶん。
全部違う。
「例えばレヴィは人を殺してる」
「うん」
「ダッチだって、綺麗な仕事だけして生きてきた人間じゃない」
「うん」
「ベニーも――」
ロックが止まった。
「ベニーも?」
「……まあ、色々ある」
知ってる。
アメリカ政府に怒られるやつだ。
「でも」
ロックが続ける。
「だからあいつらが、人間として全部腐ってるかって言われたら、俺はそうは思わない」
俺も。
そう思う。
「逆もある」
「逆?」
「法律を一つも破らずに、人を潰すことだってできる」
声が。
少しだけ変わった。
俺はロックを見る。
「会社でも?」
ロックの目が止まった。
しまった。
少し踏み込みすぎたかもしれない。
「……そうだな」
でも。
答えてくれた。
「会社でもだ」
それ以上は聞かなかった。
ロックも続けなかった。
しばらく。
二人とも黙っていた。
「だから」
ロックが言う。
「俺にも、悪人が何なのかは分からない」
「そっか」
「期待外れだったか?」
「全然」
「そうか?」
「分からないって答えも、答えだと思う」
ロックが俺を見る。
「……やっぱり変わってるな、君」
「またそれ?」
「悪い」
笑っている。
全然悪いと思ってなさそうだ。
「じゃあ」
今度はロックが聞いた。
「ガルシアはどう思う?」
「僕?」
「聞いたんだから、君の答えも聞かせてくれよ」
「ずるいな」
「大人だからな」
「関係ある?」
「ないかもしれない」
俺はジュースを飲んだ。
考える。
悪人。
少し前までなら。
俺にも。
もっと簡単な答えがあったかもしれない。
でも。
今は。
頬に傷のある男の顔が浮かぶ。
俺を誘拐した人間。
犯罪者。
間違いなく悪いことをした。
許してはいない。
でも。
あの男には。
大切そうに持っていた女の子の写真があった。
俺に果物をくれた。
話もした。
笑ったこともある。
だからといって。
誘拐が許されるわけじゃない。
それでも。
あの人を。
ただ「悪人」という一言だけで終わらせると。
何かを見落とす気がした。
「僕も」
ゆっくり言う。
「善人とか悪人とかは、まだよく分からない」
「うん」
「でも」
言葉を探す。
「悪いことをした人と、全部が悪い人って、同じなのかなって思う」
ロックが黙った。
「どういう意味だ?」
「誘拐した人は悪いことをした」
自分のことだと気づいたのだろう。
ロックの表情が少し変わった。
「僕は怒ってるし、許してない」
「……ああ」
「でも、その人にも家族がいるかもしれない。大切な人がいるかもしれない」
あの写真を思い出す。
「誰かにとっては、いい父親かもしれない」
言っていて。
変な話だと思う。
子供を誘拐する人間が。
別の子供には良い父親かもしれない。
でも。
たぶん。
人間はそういうものなんだと思う。
「それで罪がなくなるとは思わないよ」
俺は続けた。
「悪いことは悪いことだから」
「じゃあ、何が違う?」
「……知りたいんだと思う」
「何を?」
「その人が、どうしてそうしたのか」
ロックは何も言わない。
「何が好きで。何が嫌いで。何を怖がって。誰を大切にしてるのか」
考えながら。
少しずつ言葉にする。
「そこを知らないで『悪人だから』で終わらせたら、その人のこと、何も分からないままじゃない?」
ロックの顔から。
少しずつ笑みが消えていた。
怒っているわけではない。
ただ。
聞いている。
「人って」
俺は言った。
「善人だから誰かを守るわけじゃないと思う」
父上を思い出す。
ファビオラを。
ロベルタを。
レヴィを。
ダッチを。
ベニーを。
そして。
目の前にいるロックを。
「大切な人だから守ることもある」
「…………」
「そのために良いことをする時もあるし」
少し考える。
「悪いことをする時もあると思う」
ロックが。
ゆっくり息を吐いた。
「それは」
少し笑う。
「結構危ない考え方だぞ」
「そう?」
「ああ」
「何で?」
「理解することと、許すことは違うからだ」
今度は。
俺が黙った。
ロックは続ける。
「相手にも事情がある。大切な人がいる。そう考えるのは悪くない」
コーヒーカップに指を添える。
「でも、それを知ったからって、そいつがやったことまで正しくなるわけじゃない」
「うん」
「そこを混ぜると危ない」
なるほど。
俺は少し考えた。
「じゃあ」
「うん?」
「理解はする。でも、許すかどうかは別?」
ロックが笑った。
「少なくとも、俺はそう思う」
「……それ、いいね」
「十四歳に人生相談されるとは思わなかったな」
「僕から聞いたのに、途中からロックが先生になってる」
「大人だからな」
「さっき関係ないって言っただろ」
「言ってない」
「言ったよ」
「証拠は?」
「汚い大人だ」
「この街じゃ褒め言葉だよ」
絶対嘘だ。
でも。
俺は笑った。
ロックも笑った。
⸻
「ねえ」
突然。
横から声がした。
顔を上げる。
女が立っていた。
さっき二階から降りてきた人とは違う。
派手な化粧。
露出の多い服。
甘い香水。
そして。
かなり近い。
「……何?」
女が俺を見る。
じっと。
「やっぱり可愛い」
「え?」
頬を触られた。
「ちょっ」
「肌も綺麗」
「待って」
「ねえロック。この子どこで拾ってきたの?」
「犬みたいに言わないでくれ」
ロックが苦笑している。
助けて。
女は俺の向かいにしゃがみ込んだ。
目線が同じ高さになる。
「名前は?」
「……ガルシア」
「ガルシア」
なぜか復唱された。
「何歳?」
「十四」
「十四!」
大きい。
声が。
「ちょっと! みんな、この子十四だって!」
何で報告するんだ。
二階から声が返ってきた。
「知ってるわよ!」
知ってるの?
いつから?
「ロック」
「何だ?」
「助けて」
「悪い」
コーヒーを飲む。
「俺には無理だ」
裏切った。
女が俺の髪を撫でる。
「こんな街にいたら駄目よ、坊や」
「僕もそう思う」
「あら、賢い」
「でも帰れないんだ」
その瞬間。
女の手が止まった。
「……そう」
少しだけ。
声が変わった。
詳しく聞いてはこなかった。
ただ。
もう一度。
今度はさっきより優しく頭を撫でる。
「じゃあ帰れるまでは、変な奴についてっちゃ駄目よ」
俺は周囲を見た。
「この街で?」
女も周囲を見る。
「……難しいわね」
ロックが吹き出した。
女も笑った。
俺も笑う。
その声を聞いたのか。
二階から別の女が顔を出した。
「何? 何笑ってんの?」
「坊やが面白いのよ」
「さっきの子?」
「ガルシアだって」
「へえ」
もう一人降りてくる。
嫌な予感がする。
「ロック」
「頑張れ」
「だから助けてって」
「悪人じゃないさ」
「さっきの話をこんなところで回収するなよ!」
ロックが笑った。
女たちも笑った。
カウンターの向こうでは。
バオが。
面倒臭そうにこちらを見ていた。
ロアナプラへ来て。
俺は色々な人間に会った。
犯罪者。
運び屋。
ハッカー。
娼婦。
人を殺したことのある人。
法律の外側で生きている人。
前世の俺なら。
一つの言葉で分類していた人たちかもしれない。
でも。
近くで話すと。
当然ながら。
一人ずつ違った。
善人か。
悪人か。
まだ。
俺には分からない。
ただ。
一つだけ。
少し分かってきたことがある。
人間は。
遠くから見ている時より。
近くで話した方が。
ずっと簡単には分けられなかった。