BLACK LAGOON Maid's Salvation   作:AI太郎

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第十五話

第十五話 ダッチの授業

 

その日の夕方。

 

ラグーン商会の事務所には、見事なくらい誰もいなかった。

 

ベニーは仕事中。

 

ロックは外出。

 

そしてレヴィは。

 

「じゃあな」

 

それだけ言って、どこかへ消えた。

 

行き先は聞いていない。

 

いつ帰るのかも知らない。

 

たぶん本人も知らない。

 

結果。

 

俺の相手をすることになったのは。

 

「何でそんな嫌そうな顔をする」

 

ダッチだった。

 

ラグーン商会の車庫。

 

俺は目の前の男と。

 

その後ろに停まっているピックアップトラックを交互に見る。

 

嫌な予感がする。

 

ものすごく。

 

「何か教えられそうだから」

 

正直に答えた。

 

ダッチが笑った。

 

低い笑い声。

 

「賢くなったな」

 

「ここ数日で学んだんだよ」

 

レヴィには銃。

 

ベニーにはコンピューター。

 

ロックとは人生について考えさせられた。

 

そして。

 

ダッチ。

 

何もないわけがない。

 

「乗れ」

 

ほら。

 

「やっぱり」

 

「嫌か?」

 

「嫌というか……」

 

ピックアップトラックを見る。

 

古い。

 

車体は傷だらけ。

 

塗装もところどころ剥げている。

 

でも。

 

不思議とボロには見えなかった。

 

タイヤ。

 

足回り。

 

エンジン。

 

必要なところには手が入っている。

 

長く使われている道具の雰囲気がある。

 

「僕、十四だよ」

 

「知ってる」

 

「免許ないよ」

 

「知ってる」

 

「運転したこともない」

 

「そいつは今から変わる」

 

駄目だ。

 

この人。

 

「犯罪じゃない?」

 

「誰が捕まえる?」

 

「…………」

 

周囲を見る。

 

警察はいない。

 

というか。

 

いたとしても、たぶん仕事をしてくれない。

 

「ロアナプラ嫌いになりそう」

 

「今さらか?」

 

ダッチが笑った。

 

⸻

 

とはいえ。

 

いきなり運転席へ放り込まれたわけではなかった。

 

ダッチはボンネットに腰を預けた。

 

「座れ」

 

俺も隣へ腰掛ける。

 

夕方になっても。

 

車体には昼間の熱が少し残っていた。

 

港から風が吹く。

 

昼より涼しい。

 

遠くではクレーンが動き。

 

その向こうで、太陽が海へ沈み始めている。

 

「ロックから聞いた」

 

ダッチが言った。

 

「何を?」

 

「随分と面倒臭い話をしてたらしいな」

 

一つしか思い当たらない。

 

「善人と悪人?」

 

「ああ」

 

ロック。

 

喋ったのか。

 

「答えは出たか?」

 

「出てない」

 

「そうか」

 

それだけだった。

 

「ダッチは?」

 

「何だ」

 

「自分を悪人だと思う?」

 

ダッチは。

 

少しも考えなかった。

 

「ああ」

 

即答だった。

 

思わず顔を見る。

 

「迷わないんだ」

 

「迷って何か変わるのか?」

 

「……変わらないかも」

 

「なら同じことだ」

 

ダッチは煙草を取り出した。

 

火を点ける。

 

一度吸う。

 

「俺は人を殺してる」

 

静かな声だった。

 

自慢でも。

 

懺悔でもない。

 

ただ。

 

事実を口にしている。

 

「金で危ない橋も渡った。今やってる仕事だって、胸張って法の内側だとは言えん」

 

煙を吐く。

 

「それで善人を名乗ったら、そっちの方が厚かましいだろ」

 

「後悔してないの?」

 

「ものによる」

 

予想していなかった答えだった。

 

「ものによる?」

 

「全部後悔してると言えば嘘になる。全部正しかったと言っても嘘だ」

 

ダッチは海を見ている。

 

「生きるために必要だったこともある。仲間を守るためにやったこともある」

 

一拍。

 

「間違えたこともある」

 

俺は何も言わなかった。

 

「重要なのは」

 

ダッチが言う。

 

「自分が何を選んだかを、後から他人のせいにしないことだ」

 

その言葉が。

 

少し引っかかった。

 

「他人のせい?」

 

「命令された。仕方なかった。あいつが悪かった。状況が悪かった」

 

煙草の灰を落とす。

 

「そういう言い訳はいくらでもできる」

 

ダッチが俺を見る。

 

「だが最後に引き金を引いたのが自分なら、それは自分が引いたんだ」

 

レヴィに教わった。

 

引き金。

 

指に残る感触を思い出す。

 

「正しい選択が分からない時は?」

 

聞いてみた。

 

ダッチは少し笑った。

 

「そんなもん、分かる方が珍しい」

 

「じゃあどうするの?」

 

「選ぶ」

 

「それだけ?」

 

「それだけだ」

 

あまりにも単純だった。

 

「選んで」

 

ダッチが続ける。

 

「結果を見る」

 

「間違ってたら?」

 

「次は変える」

 

「取り返しがつかなかったら?」

 

少し。

 

沈黙した。

 

「背負う」

 

短かった。

 

でも。

 

それ以上の答えはない気がした。

 

俺は海を見る。

 

未来を知っている。

 

だから。

 

正しい選択ができると思っていた。

 

でも。

 

誘拐された。

 

ロアナプラへ来た。

 

原作とは違うことが、もういくつも起きている。

 

これから。

 

もっと増えるかもしれない。

 

その時。

 

俺は。

 

「正解」を選べるんだろうか。

 

「ガルシア」

 

「ん?」

 

「難しく考えすぎるな」

 

「考えさせたのダッチだろ」

 

「そうだったか?」

 

「そうだよ」

 

ダッチが笑う。

 

理不尽だ。

 

「まあ」

 

煙草を消す。

 

「今すぐ分かる必要はない」

 

「うん」

 

「十四だからな」

 

少し意外だった。

 

レヴィなら。

 

年齢なんて関係ねぇ。

 

とか言いそうなのに。

 

「ただし」

 

ダッチが立ち上がった。

 

嫌な予感が戻ってきた。

 

「運転は今覚えろ」

 

「何でだよ」

 

「必要だからだ」

 

「今の話と関係ある?」

 

「ある」

 

「どこが?」

 

ダッチはピックアップトラックを指した。

 

「自分で行き先を選ぶなら、自分で走れた方がいい」

 

「絶対今考えただろ」

 

「証明できるか?」

 

ロックと同じこと言い始めた。

 

この会社。

 

教育に悪い。

 

「運転席へ行け」

 

「本当にやるの?」

 

「当然だ」

 

「十四だよ?」

 

「さっき聞いた」

 

「無免許」

 

「それも聞いた」

 

「事故ったら?」

 

「俺が止める」

 

「どうやって?」

 

ダッチは助手席を指差した。

 

「隣にいる」

 

俺は少し考えた。

 

それなら。

 

まあ。

 

安心ではある。

 

少なくとも。

 

「今、レヴィよりマシだと思ったな」

 

「思った」

 

「正しい判断だ」

 

即答だった。

 

そこは否定しないんだ。

 

俺は諦めて運転席へ向かった。

 

ドアを開ける。

 

乗り込む。

 

大きい。

 

座席をかなり前へ出す必要があった。

 

ダッチが助手席へ乗る。

 

「まず何すると思う?」

 

「エンジン?」

 

「その前だ」

 

「シート?」

 

「もうやった」

 

「ミラー?」

 

「そうだ」

 

意外とちゃんとしてる。

 

「ダッチ」

 

「何だ」

 

「もっと『アクセル踏め』とか言うと思ってた」

 

ダッチが俺を見る。

 

「俺をレヴィと一緒にするな」

 

「ごめん」

 

これは普通に謝った。

 

ダッチが笑う。

 

「いいか。速く走るのは後でいい」

 

ミラーを指す。

 

「まず周りを見ろ」

 

「うん」

 

「車も船も同じだ。自分だけ見て動かす奴から死ぬ」

 

サイドミラー。

 

バックミラー。

 

前方。

 

確認する。

 

「次」

 

「ブレーキ」

 

「踏め」

 

踏む。

 

「そのままにしろ」

 

キーへ手を伸ばす。

 

エンジンが掛かった。

 

車体が震える。

 

思わず。

 

少し笑ってしまった。

 

「何だ」

 

「いや」

 

ハンドルへ手を置く。

 

「ちょっと楽しいかも」

 

ダッチの口元が上がった。

 

「そうだろ」

 

「まだ動いてないけど」

 

「すぐ動く」

 

「急に怖くなってきた」

 

「遅い」

 

ギアへ手を伸ばす。

 

夕暮れの車庫に。

 

エンジン音が低く響いていた。

 

⸻

 

同じ頃。

 

ロアナプラから遠く離れた。

 

東南アジアの、とある港町。

 

一人の男が。

 

椅子に縛られていた。

 

額には汗が浮かんでいる。

 

唇は乾き。

 

呼吸は浅い。

 

逃げようとは思わなかった。

 

正確には。

 

逃げられるとは思えなかった。

 

目の前に。

 

女が一人立っている。

 

黒いメイド服。

 

白いエプロン。

 

綺麗に整えられた黒髪。

 

眼鏡。

 

そして。

 

淡い桃色のパラソル。

 

足元には大きなアタッシュケース。

 

どこからどう見ても。

 

裕福な家に仕える使用人だった。

 

背後に。

 

男が三人転がっていなければ。

 

一人は気絶している。

 

一人は呻いている。

 

もう一人は。

 

さっきから起き上がろうともしない。

 

「もう一度お尋ねいたします」

 

女――ロベルタは。

 

写真を一枚取り出した。

 

「こちらの方をご存じありませんか」

 

男は写真を見る。

 

少年。

 

まだ若い。

 

十四歳くらいだろう。

 

品のいい服を着ている。

 

「し、知らねぇ……」

 

「左様でございますか」

 

穏やかな声。

 

男は。

 

ほんの少しだけ息を吐いた。

 

「では、特徴をお伝えいたします」

 

駄目だった。

 

終わっていなかった。

 

「お名前はガルシア・フェルナンド・ラブレス様」

 

「……ああ」

 

「十四歳であられます」

 

「……ああ」

 

「聡明で」

 

「はあ」

 

「礼節を重んじ」

 

「はあ」

 

「非常に慈悲深く」

 

「……はあ」

 

「責任感がお強く」

 

「はあ」

 

「読書を好まれます」

 

「……はあ」

 

「特に歴史、経済、金融関係の書物をよくお読みになり――」

 

「待て」

 

男が言った。

 

ロベルタが止まる。

 

「はい?」

 

「それ、捜すのに必要か?」

 

沈黙。

 

ロベルタが瞬きをした。

 

「当然でございます」

 

「どこが!?」

 

思わず叫んだ。

 

背後で倒れていた男が、僅かに身じろぎした。

 

ロベルタは気にしない。

 

「坊ちゃまを正確に識別するための重要な情報です」

 

「写真あるだろ!」

 

「写真だけでは坊ちゃまの魅力を十分にお伝えできません」

 

「魅力で捜すな!」

 

「それから」

 

まだ続くらしい。

 

男は天井を見た。

 

「使用人に対しても常にお気遣いくださり」

 

「…………」

 

「ご自身より他者を優先されることも多く」

 

「…………」

 

「時折、ご無理をなさるところはございますが、それも責任感のお強さゆえであり――」

 

「もう分かった!」

 

ロベルタが止まる。

 

「……左様ですか」

 

「分かった。分かったから」

 

男は写真を見た。

 

「要するに、そのガキを捜して――」

 

空気が。

 

変わった。

 

男の口が止まる。

 

何が変わったのか。

 

分からない。

 

ロベルタは動いていない。

 

微笑んでいる。

 

さっきまでと。

 

何一つ変わっていない。

 

なのに。

 

寒い。

 

「……その」

 

ロベルタが。

 

ゆっくり瞬きをした。

 

「ガキ、と?」

 

「いや」

 

まずい。

 

理屈ではない。

 

本能が叫んでいる。

 

「違う」

 

「何がでございますか?」

 

「言い間違えた」

 

「左様ですか」

 

「坊ちゃま」

 

即答した。

 

「はい」

 

「ガルシア様」

 

「はい」

 

「ラブレス家のご子息」

 

「はい」

 

「世界で一番素晴らしい十四歳」

 

ロベルタが。

 

ほんの少し微笑んだ。

 

「ご理解いただけたようで何よりです」

 

合っていたらしい。

 

男は泣きそうになった。

 

「それで」

 

ロベルタが写真をもう一度見せる。

 

「お心当たりは?」

 

男は必死に記憶を探った。

 

写真。

 

名前。

 

ラブレス。

 

十四歳。

 

船。

 

人質。

 

南米。

 

東南アジア。

 

そして。

 

思い出した。

 

「……待て」

 

ロベルタの目が変わった。

 

「何か?」

 

「本人は知らねぇ。だが、その名前なら聞いた」

 

「どちらで?」

 

「船だ」

 

声が震える。

 

「南米から来た荷を扱った奴がいた。ガキ――」

 

ロベルタの目を見る。

 

「坊ちゃまを一人、乗せてたって」

 

「その船は?」

 

「もう出た」

 

「行き先を」

 

「知らねぇ」

 

ロベルタは何も言わない。

 

「本当だ!」

 

男が叫ぶ。

 

「ただ、仲介した奴なら知ってる!」

 

沈黙。

 

「名前を」

 

男は答えた。

 

ロベルタは。

 

一度だけ頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

穏やかな声だった。

 

「大変参考になりました」

 

男は大きく息を吐いた。

 

終わった。

 

助かった。

 

そう思った。

 

「なあ」

 

余計なことを聞いた。

 

後から。

 

男はそう思うことになる。

 

「何でそこまでやる?」

 

ロベルタが振り返る。

 

「何がでございますか?」

 

「その……坊ちゃまだよ」

 

もう間違えない。

 

「そんなに大事なのか?」

 

ロベルタは。

 

本当に不思議そうに首を傾げた。

 

質問の意味そのものが。

 

理解できない。

 

そんな顔だった。

 

「当然でございます」

 

「…………」

 

「坊ちゃまは」

 

一瞬。

 

胸元へ手を添えた。

 

服の下。

 

銀のロケットがある場所へ。

 

「私の命よりも、大切なお方です」

 

迷いはなかった。

 

比喩でもない。

 

誇張でもない。

 

男には。

 

それが分かってしまった。

 

だから。

 

怖かった。

 

この女は狂っている。

 

そう思った方が。

 

まだ理解しやすかった。

 

でも。

 

違う。

 

狂っているのではない。

 

本気なのだ。

 

必要なら。

 

どこへでも行く。

 

誰が相手でも。

 

何を壊してでも。

 

あの写真の少年を連れ戻す。

 

それを。

 

一切疑っていない。

 

ロベルタはパラソルを手に取った。

 

アタッシュケースを持ち上げる。

 

「ご協力、感謝いたします」

 

一礼。

 

本当に。

 

屋敷を辞するメイドのような礼だった。

 

扉へ向かう。

 

「あ」

 

男が思わず声を出した。

 

ロベルタが振り返る。

 

身体が固まった。

 

「……何でもない」

 

「左様ですか」

 

扉が閉まった。

 

足音が遠ざかる。

 

完全に聞こえなくなってから。

 

男はようやく。

 

肺に溜めていた息を吐いた。

 

そして。

 

誰に言うでもなく呟いた。

 

「……あの坊ちゃん」

 

少し考える。

 

言い直す。

 

「絶対、無事でいろよ」

 

心の底から。

 

そう願った。

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