BLACK LAGOON Maid's Salvation   作:AI太郎

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幕間

幕間 ロック

 

 あの騒動から、二か月ほどが経った。

 

 ロアナプラでは、二か月もあれば色々なことが起きる。

 

 昨日まで幅を利かせていた連中が消え、聞いたこともない名前の連中がその縄張りを歩く。人が死に、店が潰れ、また別の店ができる。

 

 そして何事もなかったように、街は回り続ける。

 

 ガルシア・フェルナンド・ラブレス。

 

 十四歳の少年がラグーン商会と過ごした三週間も、少しずつ過去の出来事になり始めていた。

 

 そんな日の午後だった。

 

「……なんだ、これ」

 

 ラグーン商会の事務所に、大きな荷物が届いた。

 

 一つではない。

 

 大小いくつもの箱が積み上げられ、その一番上には一通の封筒が載せられている。

 

 ベニーが伝票を確認した。

 

「送り主……ガルシア?」

 

「あのガキか?」

 

 ソファに寝転がっていたレヴィが顔を上げた。

 

「みたいだね」

 

 僕は封筒を手に取った。

 

 宛名はラグーン商会の四人へ。

 

 中にはガルシアからの手紙が入っていた。

 

 無事にロアナプラを離れたこと。

 

 世話になった礼。

 

 そして、荷物の中には僕たち一人一人に選んだものを入れてあること。

 

「僕たち全員にあるみたいだ」

 

「へえ。坊ちゃん、律儀じゃねえか」

 

 レヴィが起き上がる。

 

 それぞれ名前の書かれた箱を探していると、ベニーが自分宛ての一番大きな箱を見つけた。

 

「これか」

 

 テープを切り、梱包材を取り除く。

 

 蓋を開けた。

 

「…………」

 

 ベニーの動きが止まった。

 

「どうした?」

 

 ダッチが尋ねる。

 

 返事がない。

 

 ベニーは箱の中を凝視していた。

 

 やがて、妙に慎重な手つきで一つ取り出した。

 

 型番を確認する。

 

「……おい」

 

「なんだよ」

 

「おいおいおいおい……」

 

 もう一つ。

 

 さらにもう一つ。

 

「嘘だろ!?」

 

「うるせえな!」

 

 レヴィが顔をしかめる。

 

 ベニーは構わない。

 

「日本製だ!」

 

「だからなんだよ」

 

「だからって――レヴィ、見ろよこれ!」

 

「見ても分かんねえよ」

 

「こいつ、こっちじゃまず手に入らないやつだぞ!」

 

 床へ座り込む。

 

 そこからは早かった。

 

 梱包材が次々と放り出され、PCパーツの箱が床いっぱいに並べられていく。

 

「待て待て待て……マジか。こっちも入ってる! おい、この型まであるぞ!」

 

「知らねえよ」

 

「メモリに、ドライブに……このボードまで!? こんなのどうやって揃えたんだ!」

 

「だから知らねえって」

 

「ガルシア! お前、分かってるじゃないか!」

 

「本人ここにいねえぞ」

 

「そんなことはどうでもいい!」

 

「よくねえだろ」

 

「見ろよレヴィ!」

 

「だから見ても分かんねえっつってんだろ!」

 

「説明してやるよ!」

 

「いらねえよ!」

 

 完全にスイッチが入っていた。

 

 普段なら機械の話を始めたところで、誰もまともに聞いてくれない。そのベニーにとって、箱いっぱいの日本製PCパーツというのは、それだけで理性を失わせるには十分だったらしい。

 

「こいつは最高だ……」

 

 パーツを両手に持ったまま、本気で呟いている。

 

「ガルシア、やるじゃないか……」

 

「だからいねえって」

 

 レヴィは呆れながら、自分の名前が書かれた箱を引き寄せた。

 

 ベニーほど丁寧には開けない。

 

 梱包を破り、中から一本の瓶を取り出す。

 

「……なんだこれ」

 

 見慣れない文字の並んだラベルを眺めてから、僕へ瓶を向けた。

 

「読め」

 

「人使い荒いな」

 

「いいから」

 

 ラベルを見る。

 

「日本のウイスキーだよ」

 

「ジャパニーズ・ウイスキー?」

 

「うん。それも、かなりいいやつ」

 

「へえ」

 

 レヴィの目が変わった。

 

 瓶を光へ透かす。

 

 口元が上がる。

 

「坊ちゃん、分かってんじゃねえか」

 

「昼間から開けるなよ」

 

「誰が開けるっつった」

 

「今、栓に手をかけただろ」

 

「気のせいだ」

 

 そう言いながら、瓶をしっかり自分の横へ置いた。

 

 誰にも触らせるつもりはないらしい。

 

 その横では、ダッチが自分宛ての重そうなケースを開いていた。

 

 中には工具が整然と並んでいる。

 

「ほう」

 

 一つを手に取る。

 

 握りを確かめ、金属部分を眺める。

 

「日本製か」

 

 僕は手紙に目を落とした。

 

「ラグーン号の整備に使ってくれって」

 

「なるほどな」

 

 ダッチは別の工具も取り出し、あれこれ確かめる。

 

「どう?」

 

「悪くねえ」

 

 口ではそう言う。

 

 けれど、工具をケースへ戻す手つきを見れば分かる。

 

 かなり気に入っている。

 

 最後に。

 

 僕は自分の名前が書かれた細長い箱を手に取った。

 

「僕は……これか」

 

 蓋を開ける。

 

「…………」

 

 ネクタイだった。

 

 日本製の上等なもの。

 

 派手ではない。

 

 落ち着いた色合いで、生地もいい。

 

 商社に勤めていた頃なら、そのまま会社につけて行っても何の違和感もない。

 

「なんだよロック」

 

 レヴィが横から覗き込んだ。

 

「お前だけ随分地味じゃねえか」

 

「地味でいいんだよ、ネクタイは」

 

「そんなもん首に巻いて何が楽しいんだ?」

 

「楽しいから巻くものじゃないよ」

 

「じゃあ何のために巻くんだよ」

 

「……そう言われると困るな」

 

 苦笑して、もう一度手紙へ目を落とした。

 

 そして。

 

 ある一文で、視線が止まった。

 

「……日本?」

 

「あ?」

 

 レヴィが振り向く。

 

「ガルシア、日本にいたみたいだ」

 

「日本?」

 

「うん」

 

 ロアナプラを離れた後、すぐにベネズエラへ帰ったわけではないらしい。

 

 ロベルタと一緒にいくつかの場所を回り、その途中で日本にも滞在した。

 

 この荷物も、日本にいる間に選んだものだという。

 

「へえ」

 

 レヴィがウイスキーを抱えたまま笑った。

 

「坊ちゃん、随分と旅行を満喫してやがんな」

 

「日本か……」

 

 ベニーが床一面に広げたパーツを眺める。

 

「そりゃ、こんなのも手に入るわけだ」

 

 ダッチも工具ケースを閉じた。

 

 僕は何も言わなかった。

 

 手の中のネクタイを見る。

 

 日本にいたのか。

 

 ガルシア。

 

 そう思った時だった。

 

 ふと。

 

 二か月前のことを思い出した。

 

     *

 

 最初に会った時から、不思議な子だった。

 

 物怖じしない。

 

 誘拐されたというのに泣き叫ぶわけでもない。

 

 かといって、自分が置かれた状況を理解していないわけでもなかった。

 

 むしろ、よく分かっていた。

 

 自分が誘拐されたことも。

 

 僕たちがまともな人間ではないことも。

 

 レヴィが腰から提げているものが玩具ではないことも。

 

 全部分かっている。

 

 そのうえで、僕たちを必要以上に怖がらなかった。

 

 もちろん、恐怖心そのものがないわけじゃない。

 

 ただ、相手がどんな人間なのかを知る前から、拒絶することがなかった。

 

 レヴィに対してもそうだった。

 

 普通の子供なら、一度でも彼女が銃を抜くところを見れば距離を取るだろう。

 

 ガルシアは違った。

 

 レヴィがレヴィであることを、そのまま受け入れていた。

 

 ベニーにも。

 

 ダッチにも。

 

 僕にも。

 

 変に媚びるわけじゃない。

 

 機嫌を取ろうともしない。

 

 ただ、ごく自然に話しかけてくる。

 

 そしていつの間にか、こちらも普通に話している。

 

 人との距離を縮めるのが上手い。

 

 いや。

 

 少し違う。

 

 ガルシアの方から距離を詰めてくるというより、あの子といると、こちらが勝手に距離を縮めてしまう。

 

 たぶん、本人にはそんな自覚すらなかったんだと思う。

 

 そして。

 

 頭がいい。

 

 それも、かなり。

 

 一度説明したことは大抵覚えている。

 

 知らないことを曖昧なままにしない。

 

 何かを教えれば、次に出てくる質問は一段深い。

 

 話を聞いている時の顔を見れば、ただ相槌を打っているんじゃない。

 

 本当に理解しようとしている。

 

 それでも。

 

 あの頃の僕は、それ以上には考えなかった。

 

 少し出来すぎなくらい頭のいい子。

 

 それだけだった。

 

 三週間も一緒にいると、妙なことになった。

 

 気がつけば。

 

 レヴィが銃を教えていた。

 

 ベニーがコンピューターを教えていた。

 

 ダッチに至っては、車の運転まで教えていた。

 

 別にガルシアが、教えてくれとせがんだわけじゃない。

 

 むしろ僕から見れば、あいつらの方が勝手に教えていた。

 

 レヴィが拳銃の持ち方に口を出す。

 

 ガルシアがやってみる。

 

 それを見たレヴィが、今度は構え方を直す。

 

 ベニーがパソコンを触っているところをガルシアが見ていれば、いつの間にか横から説明を始める。

 

 それでガルシアが理解すれば、面白くなって、さらに難しいことを教える。

 

 ダッチだって同じだった。

 

 最初は運転席の横から見ていただけだったのに、気づけばハンドルを握らせていた。

 

 今になって考えれば、子供に銃や車の扱いを教えるなんて、まともな大人のすることじゃない。

 

 もっとも。

 

 この会社にまともな大人が何人いるのかという話は、この際置いておくとして。

 

 誰かがそうしようと決めたわけじゃない。

 

 ガルシアがそう仕向けたわけでもない。

 

 ただ。

 

 そうなった。

 

 レヴィが何かを教える。

 

 ガルシアが覚える。

 

 ベニーが面白がって別のことを教える。

 

 ダッチまで加わる。

 

 僕は横からそれを見ている。

 

 そんなことを繰り返しているうちに、三週間も経つ頃には、ガルシアが事務所にいること自体が当たり前になっていた。

 

 たぶん。

 

 僕たちはみんな、少しずつあの子に絆されていたんだと思う。

 

 僕も例外じゃない。

 

 ガルシアは僕によく話しかけてきた。

 

 そして、よく質問した。

 

『ロックって、日本のどこ出身なの?』

 

『東京だよ』

 

『ずっと東京?』

 

『まあね』

 

 最初は、そんな他愛のない話だった。

 

『前は会社で働いてたんだよね?』

 

『うん』

 

『どんな会社?』

 

『商社だよ』

 

『商社って具体的には何をする会社なの?』

 

 そう聞かれて、僕は説明した。

 

 物を売る。

 

 買う。

 

 仲介する。

 

 海外とも取引する。

 

 扱うものによって、仕事の形はいくらでも変わる。

 

 すると今度は、僕自身が何をしていたのか聞いてきた。

 

 どんな仕事だったのか。

 

 海外ではどういう人間と仕事をするのか。

 

 会社はどうやって利益を出すのか。

 

 そのうち、質問の範囲はもっと広がった。

 

『今の日本って、景気はいいの?』

 

『そんなことまで気になるのか?』

 

『うん。日本のこと、もっと知りたいから』

 

 日本経済。

 

 企業。

 

 どんな産業が強いのか。

 

 どんなものが海外へ売れているのか。

 

 これから伸びそうな業界はあるのか。

 

 逆に、どんな業界が苦しんでいるのか。

 

 僕が答えられる範囲で話すと、ガルシアは真剣に聞いていた。

 

 あの時は何とも思わなかった。

 

 ラブレス家の跡取りだ。

 

 いずれ家を背負うことになる。

 

 経済や企業に興味を持つことだって、おかしくない。

 

 何より。

 

 ガルシアは色んなことに興味を持つ子だった。

 

 だから僕も、聞かれるままに答えた。

 

 好奇心旺盛なんだ。

 

 それだけだと思っていた。

 

 ――あの日までは。

 

     *

 

 コンテナヤード。

 

 今でも、あの光景ははっきり覚えている。

 

 レヴィとロベルタが殺し合いを始めた。

 

 ホテル・モスクワが現れた。

 

 周囲を武装した兵士たちに囲まれ、その中心にバラライカがいた。

 

 そして。

 

 ガルシアは、自分から彼女の前へ歩いていった。

 

 怖くなかったはずがない。

 

 あのバラライカだ。

 

 この街で生きている大人だって、真正面から目を合わせるのを嫌がる女だ。

 

 でも。

 

 ガルシアは逃げなかった。

 

 背筋を伸ばした。

 

 そして、名乗った。

 

 ガルシア・フェルナンド・ラブレス。

 

 ラブレス家次期当主として。

 

 僕は少し驚いた。

 

 三週間、ずっと一緒にいた少年だった。

 

 レヴィとくだらないことで言い合って。

 

 ベニーのパソコンを覗き込んで。

 

 ダッチの横でハンドルを握って。

 

 僕に日本のことを聞いていた。

 

 そのガルシアが。

 

 まるで最初からそうすることを教え込まれていたみたいに、完璧に振る舞っていた。

 

 言葉遣い。

 

 姿勢。

 

 相手との距離。

 

 声の調子。

 

 僕の知っているガルシアとは、少し違って見えた。

 

 そして何より。

 

 ガルシアは、バラライカの過去を知っていた。

 

 彼女が軍人だったこと。

 

 それだけじゃない。

 

 もっと深いところまで。

 

 一瞬だった。

 

 本当に一瞬だけ。

 

 でも。

 

 僕には分かった。

 

 バラライカの空気が変わった。

 

 あの人が、ガルシアを警戒した。

 

 それでもガルシアは退かなかった。

 

 知っていることを全部ひけらかすわけでもない。

 

 相手を脅すわけでもない。

 

 自分が何を知っているのか。

 

 どこまで話すべきなのか。

 

 相手が何を欲しがるのか。

 

 一つ一つ、慎重に言葉を選びながら話を進めていった。

 

 そして。

 

 自分と付き合うことで、バラライカにどんな利益があるのか。

 

 そこまで話した。

 

『これから先、価値を持つものを、人より少し早く見つけることには自信がございます』

 

 そんなことを言った。

 

 企業。

 

 技術。

 

 市場。

 

 投資。

 

 その話を聞いていた時だった。

 

 僕の頭の中で、何かが引っかかった。

 

 日本の景気。

 

 企業。

 

 産業。

 

 商社。

 

 海外との取引。

 

 ガルシアが僕に聞いてきたこと。

 

 あの三週間の会話が、一瞬だけ頭をよぎった。

 

 ――あれ?

 

 そう思った。

 

 でも、考える時間はなかった。

 

 目の前で交渉は続いていた。

 

 バラライカは笑っていた。

 

 ただ、あの人が本当に面白いものを見つけた時にする笑い方だった。

 

 ガルシアも退かなかった。

 

 怖くないわけじゃない。

 

 それは、そばにいた僕にも分かった。

 

 それでも退かなかった。

 

 そして最後には。

 

 バラライカの方が紙とペンを要求した。

 

 電話番号を書いた。

 

 それをガルシアへ渡した。

 

 あのバラライカが。

 

 自分から。

 

 個人的な連絡先を渡した。

 

 あの瞬間。

 

 初めてだった。

 

 僕がガルシアを見て――。

 

 ほんの少しだけ。

 

 怖いと思ったのは。

 

     *

 

「ロック?」

 

 ベニーの声で、意識が戻った。

 

「ん?」

 

「どうしたんだ? さっきから黙って」

 

「いや……なんでもない」

 

 目の前には、二か月後のラグーン商会。

 

 いつもの事務所。

 

 いつもの面子。

 

 ただ、そこら中に日本から届いた箱が散らばっている。

 

「いやあ……いいな、これ」

 

 ベニーはまだやっていた。

 

 パーツを一つ手に取っては型番を確認し、嬉しそうに眺めては、また次のものへ手を伸ばしている。

 

「こいつは最高だよ。日本まで行ったんなら、もっと買ってきてもらえばよかった」

 

「次に会った時に自分で頼めよ」

 

 レヴィが言う。

 

「もちろんそうする」

 

「マジかよ」

 

「当然だろ。こんなの手に入るなら――」

 

「はいはい。分かったから黙れ」

 

 そう言うレヴィ自身も、ウイスキーをしっかり抱えている。

 

 ダッチは工具ケースを、もう自分の机の近くへ移していた。

 

 そして。

 

 僕の手にはネクタイ。

 

 四人に。

 

 四つの違う贈り物。

 

 全員が、それぞれ一番喜びそうなもの。

 

 ただ高価なものを買ったわけじゃない。

 

 ガルシアは覚えていたんだ。

 

 ベニーが何を好きなのか。

 

 レヴィが何を喜ぶのか。

 

 ダッチが何を必要としているのか。

 

 そして。

 

 僕が昔、どんな世界にいた人間なのか。

 

「…………」

 

 ネクタイの生地を、指でなぞる。

 

 やっぱり。

 

 ガルシアは優しい子だ。

 

 僕たちに懐いていたのだって、嘘じゃない。

 

 この荷物を見れば分かる。

 

 きっと日本でこれを選んでいる時にも、僕たちの顔を一人ずつ思い浮かべていたんだろう。

 

 ベニーならこれ。

 

 レヴィならこれ。

 

 ダッチならこれ。

 

 ロックならこれ。

 

 そうやって。

 

 異国の店を歩きながら、僕たちのことを考えていた。

 

 それを想像すると、少し嬉しかった。

 

 だからこそ。

 

 あの感覚が消えなかった。

 

 ガルシアは、人の話をよく聞いている。

 

 人をよく見ている。

 

 そして。

 

 覚えている。

 

 聞いたことを。

 

 見たものを。

 

 教えられたことを。

 

 たぶん。

 

 僕たちが思っているより、ずっと多く。

 

 そして必要な時には。

 

 それを取り出して、使える。

 

 あのバラライカを相手にした時のように。

 

 でも。

 

 あの三週間の全部が計算だったなんて、僕は思わない。

 

 ガルシアが笑っていたのも。

 

 レヴィとくだらないことで言い合っていたのも。

 

 ベニーの話を楽しそうに聞いていたのも。

 

 ダッチの運転を真剣に見ていたのも。

 

 僕に日本のことを聞いていたのも。

 

 全部、本物だったと思う。

 

 あの子は僕たちを利用するために近づいたわけじゃない。

 

 少なくとも、僕はそう思っている。

 

 だから。

 

 余計に不思議だった。

 

 純粋で。

 

 物怖じしなくて。

 

 人懐っこくて。

 

 頭が良くて。

 

 少し生意気で。

 

 放っておけない少年。

 

 それは、きっと全部正しい。

 

 でも。

 

 それだけじゃない。

 

 僕たちは三週間も一緒にいた。

 

 色んなことを話した。

 

 色んなことを教えた。

 

 一緒に飯を食った。

 

 くだらない話もした。

 

 危ない目にも遭った。

 

 随分、あの子のことを知ったつもりになっていた。

 

 それなのに。

 

 あの日。

 

 バラライカの前に立つガルシアを見て。

 

 初めて思った。

 

 僕たちは。

 

 あの子のことを、どこまで分かっていたんだろう。

 

 僕は手の中のネクタイを、静かに箱へ戻した。

 

 蓋を閉じる直前。

 

 もう一度だけ、そのネクタイを見る。

 

 日本で、ガルシアが僕のために選んだ一本。

 

 そこに悪意なんてない。

 

 打算だって、たぶんない。

 

 ただ。

 

 僕のことを覚えていてくれた。

 

 その証拠だった。

 

 それでも。

 

 二か月前。

 

 コンテナヤードで感じた、あの小さな寒気だけは。

 

 今もどこかに残っている。

 

 箱の蓋を閉じた。

 

 事務所では、ベニーがまた何か叫んでいる。

 

「なあロック! これ見ろよ! こいつまで入ってる!」

 

「だからロックに見せても分かんねえだろ!」

 

「レヴィには見せてない!」

 

「うるせえっつってんだよ!」

 

「二人とも少し静かにしろ」

 

 ダッチの低い声が飛ぶ。

 

 いつものラグーン商会だった。

 

 僕はその声を聞きながら。

 

 遠く離れた場所にいる、一人の少年の顔を思い浮かべた。

 

 ガルシア・フェルナンド・ラブレス。

 

 三週間を一緒に過ごして。

 

 随分知ったつもりになっていた。

 

 でも。

 

 たぶん僕たちは、まだあの子のほんの一部しか知らない。

 

 そして、ふと思う。

 

 あの子は一体――。

 

 これから、何になるんだろう。

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