BLACK LAGOON Maid's Salvation 作:AI太郎
幕間2
バラライカ
ガルシア・フェルナンド・ラブレスから荷物が届いた。
爆発物、毒物、盗聴器、発信器――その手のものが仕込まれていないことを部下たちが確認した後、それはボリスの手で私の執務室へ運ばれてきた。
「大尉。お届け物です」
書類から顔を上げる。
机に置かれたのは、それなりに大きな箱と、一通の封書だった。
封筒を手に取る。
まず紙がいい。
厚み、手触り、色合い。いたずらに豪華さを主張するものではない。だが、一目見れば相応の家の人間が正式な書簡に使うものだと分かる。
差出人を見る。
Garcia Fernando Lovelace.
「あの坊やか」
二か月ほど前、ロアナプラのコンテナヤードで会った少年。
ラブレス家の跡取り。
妙に礼儀正しく、妙に頭が切れ、そして妙に肝が据わっていた。
何気なく荷札へ目を移したところで、私は少しだけ眉を上げた。
宛先は正確だった。
ホテル・モスクワの、この事務所。
「……事務所の住所まで教えた覚えはないんだけどね」
ボリスも荷札を見る。
「……そうでしたな」
あの時、坊やに渡したのは私個人の電話番号だけだ。
住所を教えた覚えはない。
もっとも、調べられない場所ではない。
ましてラブレス家ほどの家なら、金も人脈もある。必要なら、この程度の住所を突き止める方法はいくらでもあるだろう。
だから、それ以上追及するほどのことでもない。
「まあいい。見せなさい」
ボリスが箱を開いた。
最初に目に入ったのは、深く艶を帯びた木目だった。
ヒュミドール。
マホガニーだ。
しかも、かなりいい。
蓋から側面に至るまで、選び抜かれた材が惜しげもなく使われている。
派手な金細工はない。
これ見よがしな宝石もない。
装飾そのものが極めて控えめだった。
だからこそ、誤魔化しが利かない。
木そのものの美しさ。
継ぎ目の精密さ。
磨き上げられた表面の艶。
蓋を持ち上げた時の、わずかな抵抗。
見れば見るほど、職人の腕がそのまま品物の格になっている。
「……ほう」
ボリスの口から、小さく声が漏れた。
彼がそういう反応をするのは珍しい。
だが、それも無理はなかった。
ヒュミドールの隣には、シガーカッター、ライター、携帯用のケースが収められている。
すべて同じマホガニーを意匠に取り入れていた。
金属部分も必要以上に華美ではない。
深い木の色を邪魔しない、落ち着いた仕上げ。
一つ一つが高価なのではない。
一式として美しい。
最初からすべてを揃えることを前提に選んだような統一感がある。
「見事な品ですな」
「そうだね」
私はヒュミドールを眺めた。
これは、金だけで買える品ではない。
正確には、金は必要だ。
だが、それだけでは足りない。
良い店を知っていること。
良い職人を知っていること。
良い材料が何なのかを理解していること。
そして、そうしたものへ辿り着く伝手がいる。
何より――選ぶ側に目がなければならない。
金持ちが高価な品を贈ることなど珍しくもない。
だが、金の使い方には品性が出る。
「随分といいものを見つけたものだ」
「ええ」
ヒュミドールを開く。
中に並んでいたものを見て、私は目を細めた。
葉巻だった。
キューバ産を中心に、いずれも一級品。
中には、欲しいと言ってすぐ手に入るようなものではない銘柄まで混じっている。
だが、値段や希少性より先に気づいたことがあった。
一本を取る。
リングを見る。
もう一本。
さらに一本。
「……なるほど」
「何か?」
「趣味がいい」
ただ高価な葉巻を並べたわけではない。
選び方に方向性がある。
私が普段好むものから、大きく外れていない。
かといって、知っている銘柄だけを機械的に詰めたわけでもない。
嗜好の芯を押さえたうえで、その周辺から上等なものを選んでいる。
贈答品としては、その方が気が利いている。
ボリスも中を覗き込んだ。
「大尉が、お好みの銘柄をお教えになったのですか?」
「いいや」
私は一本を手にしたまま、二か月前のことを思い返した。
コンテナヤード。
トゥーハンド。
ロベルタ・シスネロス。
ラグーン商会。
我々ホテル・モスクワ。
その中心にいた、ラブレス家の坊や。
あの時――。
私は葉巻を見つめた。
「……吸い殻だ」
「は?」
「あの時、私が捨てた葉巻を見ていた」
ボリスが黙った。
私も記憶を辿る。
確かに捨てた。
いつものように地面へ落とした。
リングも残っていたはずだ。
坊やは、それを見ていた。
そして覚えていた。
二か月経った今、それがこの箱の中身に反映されている。
ボリスの目が、ほんのわずかに細くなった。
彼もあの場にいた。
説明する必要はない。
ロベルタとトゥーハンドが素手で殴り合い、その周囲をホテル・モスクワの兵隊たちが取り囲んでいた。
当然、誰の目も二人に向く。
その騒ぎの中で、坊やは私が何気なく捨てた葉巻にまで目を留めていた。
「……大した少年ですな。」
「ああ」
葉巻を元へ戻す。
口元が自然に緩んだ。
「まったく。可愛げのない坊やだ」
悪い意味ではない。
むしろ、気に入った。
私は封書を開いた。
便箋もまた、封筒に劣らぬものだった。
書式にも隙がない。
文章は格式張っていた。
ロアナプラで受けた厚意に対する正式な礼。
おかげでロベルタとも無事に旅を続けられているという報告。
その折の厚意への感謝の印として、心ばかりの品を送らせていただくこと。
気に入ってもらえれば幸いであること。
最後に、私とホテル・モスクワの者たちの健勝を祈る言葉。
ラブレス家の跡取りが、相応の相手へ送る礼状として非の打ち所がない。
そして。
それだけだった。
最後まで読んでから、もう一度目を通す。
やはり、それだけだ。
「……何もなしか」
「何がでしょう」
「要求だよ」
手紙を机へ戻す。
「商売の話もない。情報が欲しいとも書いていない。会いたいとも、電話を寄越せとも書いていない」
「そのようですな」
「これだけの物を送っておいて?」
ボリスは答えなかった。
答える必要もない。
少し、おかしくなった。
教えてもいない事務所の住所を調べた。
私が何を吸うのかまで調べた。
いや。
調べた、というのも少し違う。
私自身が何気なく捨てたものを見て、覚えていた。
その情報をもとに、金だけでは簡単に揃わない品々を集め、一式として美しく仕立てて送ってきた。
そこまでやって。
頼み事は一つもない。
私は椅子の背へ身体を預けた。
二か月前。
初めてあの坊やを見た時のことを思い出す。
不思議な少年だった。
ロベルタ・シスネロスとトゥーハンドの騒ぎを止めたあと、私の前へ出てきた。
怯えていなかった。
――いや。
それでは少し違う。
恐怖を知らないわけではなかった。
私が何者なのか。
周囲を囲む兵隊たちが何者なのか。
少なくとも、自分が普通の人間を相手にしているわけではないことくらい理解していたはずだ。
それでも退かなかった。
姿勢を正し、礼を尽くして名乗り、私の目を見て話した。
そして、私の過去まで口にした。
ソ連軍。
アフガニスタン。
難民キャンプ。
あれには、さすがに少し驚いた。
どこまで知っている。
なぜ知っている。
そう思った。
昔の記事を調べたのだという説明自体は、あり得ないものではない。
私の過去のすべてが闇の中にあるわけではない。
あの一件など、望んでもいないのに新聞屋に写真まで撮られた。
調べれば、断片くらいは拾える。
問題は。
普通の少年が、そんな断片を拾うかどうかだ。
そして拾った情報を、必要な時に引き出せるかどうかだ。
さらに坊やは、ラブレス家とホテル・モスクワを結びたいとは言わなかった。
私個人と友人になりたいと言った。
随分と面白いことを言う坊やだと思った。
何ができるのかと問えば、これから先、価値を持つものを人より少し早く見つけることには自信がある、と。
商売。
投資。
情報。
未来の価値。
子供の大言壮語として笑い飛ばすこともできた。
私は、そうしなかった。
自信と虚勢は違う。
虚勢を張る人間なら、嫌というほど見てきた。
あの坊やには、少なくとも自分の言葉を信じるだけの何かがあった。
だから番号を渡した。
信用したからではない。
何をしてくるのか見てみたかった。
あの言葉に、どれだけの値打ちがあるのか。
あの頭の中に、実際どれほどのものが入っているのか。
そして今になって分かった。
私は机の上の贈り物を見る。
なるほど。
最初の答えとしては、悪くない。
いや。
かなりいい。
「……焦らないか」
「はい?」
「私の番号を手に入れたんだ。普通なら、それを使いたくなる」
人脈というものは、手に入れただけでは価値にならない。
使って初めて意味を持つ。
だから普通は急ぐ。
関係が冷める前に電話をかける。
何かを持ち込む。
次の約束を取り付ける。
自分を忘れさせまいとする。
坊やは、それをしなかった。
最初に寄越したものは、ただの礼状だった。
もちろん。
それすら計算だと考えることはできる。
あえて何も求めず、こちらに好印象を残す。
先に礼を尽くし、関係を作る。
そういう交渉術はある。
だが――。
私はロベルタを見る坊やの顔を思い出した。
ラグーン商会の連中を見る顔も。
あの少年は、たぶん本当に礼を言いたかったのだ。
世話になった。
だから礼をする。
相手が葉巻を吸う。
だから、その人間にふさわしいものを探す。
その程度のことなのかもしれない。
そして、その程度のことをするために。
住所を探し当て。
吸い殻の銘柄を覚え。
最高の品を見つけ。
一切の手を抜かない。
善意と頭の良さは、別に相反するものではない。
むしろ両方を持つ人間の方が、扱いは難しい。
そして――面白い。
私はヒュミドールから一本選んだ。
せっかくの贈り物だ。
味くらい見てやろう。
新しいカッターを手に取る。
キャップを落とした。
切り口を見る。
綺麗なものだ。
次にライターを取った。
同じマホガニーがあしらわれたそれは、見た目だけでなく手にもよく馴染んだ。
炎をフットから少し離す。
葉巻を指先でゆっくり回しながら、縁へ均等に熱を入れていく。
頃合いを見て口元へ運び、火を整える。
一口。
煙を口の中で転がしてから、ゆっくり吐き出した。
悪くない。
もう一口。
なるほど。
こちらも外していない。
「大尉」
「ん?」
「お返事は?」
少し考えた。
「必要ないだろう」
ボリスが私を見る。
「坊やは何も求めていない」
煙がゆっくりと天井へ昇っていく。
「なら、こちらも急ぐことはないさ」
電話番号は渡してある。
次に何かあるなら、坊やから来る。
その時に見ればいい。
何を持ってくるのか。
何を欲しがるのか。
そして――どこまでこちらの期待に応えてくれるのか。
警戒していないわけではない。
むしろ逆だ。
あの少年については、まだ分からないことが多すぎる。
どこまで見えているのか。
どこまで覚えているのか。
どこまで先を考えているのか。
いずれ確かめる必要はある。
だが。
それ以上に、今は興味の方が勝っていた。
私はもう一度、葉巻を味わう。
最高級マホガニー材のヒュミドール。
それに合わせて誂えた道具。
私の嗜好を外さない葉巻。
教えてもいない事務所の住所。
そして。
何一つ要求しない手紙。
口元が緩む。
「……まったく。可愛げのない坊やだ」
さて。
次は何を見せてくれる。
ガルシア・フェルナンド・ラブレス。
私はそれを、少しばかり楽しみにしていた。
ガルシア「転生前はバラライカ推しなんよ。」
ロベルタ「、、、、。」