BLACK LAGOON Maid's Salvation 作:AI太郎
寄り道
ホテル・モスクワが用意した車は、ロアナプラを離れて空港へ向かっていた。
後部座席には、俺とロベルタ。
ようやく迎えに来てくれたロベルタが隣にいる。
それはいい。
非常にいい。
ただ。
「ロベルタ」
「はい、坊ちゃま」
「痛くない?」
「問題ございません」
頬は腫れているし、唇も切れている。
よく言う。
「空港着いたら診てもらおう」
「坊ちゃまこそ、一度お身体を診ていただくべきでございます」
「じゃあ一緒に」
「私は――」
「一緒に」
「……かしこまりました」
よし。
窓の外を見る。
ロアナプラの街並みは、もうほとんど見えなくなっていた。
「父上、心配してるだろうな」
「……はい」
三週間だ。
まずは声を聞かせないと。
「空港着いたら電話する」
「はい。それがよろしいかと」
あとは帰るだけ。
――そのつもりだった。
⸻
空港では、ホテル・モスクワが手配していた医師に二人とも診てもらった。
俺は問題なし。
ロベルタは全身打撲。
それでも本人は、
「帰国には何ら支障ございません」
と言い張った。
強い。
診察を終えたところで、ロベルタが自分の荷物から書類を取り出した。
その中に見覚えのあるものを見つける。
「……それ、僕のパスポート?」
「はい」
「持ってきてたの?」
「もちろんでございます」
パスポートだけじゃない。
身分証に現金、カード。最低限の着替えまである。
「用意よすぎない?」
「坊ちゃまをお連れして帰るために参りましたので」
「……なるほど」
ロベルタにとっては、それ以外の結末が最初から存在していなかったらしい。
頼もしい。
というか、ちょっと怖い。
ともかく。
パスポートもある。
カードもある。
必要なものは揃っている。
俺は電話を借りた。
⸻
数回の呼び出し音のあと、父上が出た。
『はい。ラブレスです』
「父上」
沈黙。
「……父上?」
『ガルシア?』
「はい。無事です」
先に言った。
「怪我もありません。今、タイの空港にいます。ロベルタも一緒です」
電話の向こうから、長く息を吐く音がした。
『……そうか』
「はい」
『本当に、無事なんだな』
「はい」
『……良かった』
それだけで。
十分だった。
「帰ったら、ちゃんとただいまを言います」
『ああ。待っている』
ロベルタにも代わった。
父上は彼女の無事も確認して、ガルシアを見つけてくれたことに礼を言った。
ロベルタは何度も頭を下げていた。
電話なのに。
そして再び、俺の番。
『帰りの便が決まったら知らせなさい』
「はい。あと父上」
『何だ』
「日本に三泊くらいして帰ってもいいですか?」
『駄目だ』
早い。
「まだ何も言ってません」
『三週間行方不明だった息子に、これ以上寄り道してほしい父親がいると思うか?』
「いませんね」
『なら帰ってきなさい』
「でも、どのみち日本で乗り継げます」
『乗り継いで帰ってこい』
強い。
仕方ない。
ちゃんとやろう。
「日本は経済的にも一度見ておく価値があります。資料だけじゃなく、実際の市場や流通、街の様子を見たい。今後の投資にも役立ちます。滞在は数日。ロベルタ同行。日本語も日常会話程度ならできます。費用も自分で持ちます」
一気に言った。
沈黙。
『……随分用意していたな』
「父上に鍛えられましたから」
『そういうところだけは覚える』
「ありがとうございます」
『褒めていない』
少しだけ。
いつもの父上だった。
『だが』
声が柔らかくなる。
『私は早くお前の顔が見たい』
「……僕もです」
これは本当だ。
「だから、数日だけ。終わったらまっすぐ帰ります」
『…………』
少し待つ。
『分かった』
「本当ですか?」
『ロベルタが許せばな』
「…………」
横を見る。
ロベルタと目が合った。
あ。
これは。
『どうした?』
「……父上」
『何だ』
「たぶん、父上より難しいです」
電話の向こうで、父上が少し笑った。
『頑張りなさい』
切られた。
助けてくれないらしい。
⸻
「というわけで」
「帰りましょう」
早い。
「まだ何も言ってないよ」
「存じております」
「じゃあ聞いてよ」
「旦那様がお待ちでございます」
「うん」
「ファビオラも、屋敷の者たちも」
「うん」
「ですので、帰りましょう」
強い。
経済の話をしても無駄だな、これは。
俺はロベルタの顔を見た。
腫れた頬。
切れた唇。
「……ロベルタ」
「はい」
「その顔で父上のところに帰るの?」
「はい?」
「いやあ、父上どう思うかなって」
ロベルタの動きが止まった。
「一週間くらい前にロベルタを送り出してさ」
「…………」
「やっと僕を見つけて帰ってきたと思ったら、こんな傷だらけで」
「坊ちゃま」
「父上、気にするだろうなあ」
「…………」
「自分が行かせたせいだって」
「坊ちゃま」
「気に病むだろうなあ」
「坊ちゃま」
「申し訳ないことしたって――」
「坊ちゃま」
さすがに止められた。
ロベルタが眼鏡の奥から俺を見る。
「そのような言い方は、卑怯でございます」
「間違ってる?」
「…………」
黙った。
効いてる。
「三泊くらいしてれば、顔の腫れも少しは引くよ」
「しかし――」
「父上にも元気な顔見せた方がいいじゃん」
「…………」
もう一押しか。
「それに」
「まだございますか?」
「うん」
これは。
別に嘘でも、方便でもない。
「ロベルタと旅行したい」
「…………」
止まった。
分かりやすい。
「二人で旅行したことないだろ?」
「それは……」
「せっかくだし」
ロベルタが目を逸らした。
「駄目?」
「…………」
「ロベルタ」
「……何日でございますか」
よし。
「四泊五日」
「三泊四日でございます」
「分かった」
「…………」
今度はロベルタが驚いた。
「何?」
「いえ。もう少し粘られるものかと」
「三泊四日あれば十分」
「左様でございますか」
「うん」
ロベルタは少し考えてから、観念したように息を吐いた。
「では、三泊四日。その後は寄り道せず、ベネズエラへお戻りいただきます」
「約束する」
「旦那様へのご連絡も毎日」
「分かった」
「そして」
ロベルタの声が少しだけ変わった。
「今度は、私のそばを離れないでくださいませ」
俺は一瞬黙った。
冗談で返すところじゃない。
「うん」
「…………」
「ずっと一緒にいるよ」
ようやく。
ロベルタが笑った。
「では、日本へ参りましょう」
決まった。
日本。
俺が知っている日本より、ずっと昔の日本。
父上に言ったことは全部本当だ。
経済も見たい。
市場も見たい。
この時代の日本がどうなっているのかも、かなり興味がある。
だが。
そんなことより。
十四年だ。
十四年間。
待った。
日本に着いたら。
まず寿司を食おう。