BLACK LAGOON Maid's Salvation 作:AI太郎
「企業戦士の朝食」
日本旅行、二日目。
昨日は寿司にラーメンと、実に充実した一日だった。
最後に胃袋が降伏したことを除けば、だが。
しかし、人間というのは素晴らしい。一晩寝れば腹が減る。昨日の敗北は昨日のもの。今日の俺は、朝から絶好調である。
「さあ、ロベルタ! 出発だ!」
「はい、若様」
身支度を済ませ、俺たちは意気揚々とホテルを出た。
ところが、エントランスを抜けたところでロベルタが首を傾げた。
「若様。朝食はホテルでお召し上がりにならないのですか?」
「何を言ってるんだ、ロベルタ」
俺は振り返り、やれやれと肩をすくめた。
「せっかく日本まで来て、ホテルで朝食を食べるなんて。そんなの素人のすることだよ」
「……旅行に、素人と玄人があるのでございますか?」
「もちろん。ホテルの朝食が悪いわけじゃない。でも、三泊四日しかないんだ。一食だって無駄にはできない」
「ですが、こちらのホテルでも日本料理をいただけると伺っております」
「甘いな、ロベルタ。日本料理を食べることと、日本で食べることは違うんだよ」
「……なるほど?」
分かっていない顔だ。まあいい。実物を見れば分かる。
「心配しなくても、朝ご飯はもう決めてある。さあ、行こうじゃないか!」
俺は胸を張り、朝の東京へ繰り出した。
***
そして、たどり着いた先は。
オレンジ色の看板を掲げる、全国チェーンの牛丼屋だった。
「……若様?」
「何?」
「こちらが、その……朝食をいただくお店でございますか?」
「そうだよ!」
ロベルタは看板と俺の顔を交互に見た。
昨日の寿司屋とは違い、店先には凝った装飾もなければ、職人の技を誇る暖簾もない。ガラス越しに見えるのは、カウンターに並んで食事をする男たちの背中だ。
「いいかい、ロベルタ。日本の企業戦士たちには、ある一つの共通する言葉があるんだ」
「企業戦士……でございますか?」
「そう。日本経済を支える戦士たちさ。その合言葉が――」
俺は人差し指を立てた。
「『二十四時間、戦えますか』」
「二十四時間でございますか?」
ロベルタが真面目な顔になる。
「それでしたら、私は2週間ほど不眠での作戦行動を遂行できますが」
「いやいや、ロベルタみたいな一流の兵士と普通の会社員を一緒にしちゃいけないよ」
「……そういうものでございましょうか」
「そういうものなの!」
まったく、基準がおかしい。2週間寝ずに働ける人間を標準にされたら、日本のサラリーマンが気の毒すぎる。
「とにかく! 朝から晩まで働く彼らを支えているのが、この牛丼なんだ。早い、安い、うまい。忙しい人間に必要なものが全部揃ってる」
「なるほど」
「言ってみれば、日本の戦闘糧食だね!」
自分で言っておいて、さすがに過言だと思った。
だが、ロベルタは真剣に頷いた。
「それほど重要なお料理でしたら、ぜひいただいてみたいものです」
「よし。じゃあ突撃だ!」
「はい、若様」
……突撃と言っても、普通に自動ドアをくぐるだけだが。
***
「いらっしゃいませー!」
店内には朝食をとる客が何人もいた。新聞を広げる男、腕時計を気にしながら箸を動かす男、黙々と丼をかき込む男。皆、食べ終わると長居せずに出ていく。
俺たちも空いた席に腰を下ろした。
「若様、注文はお任せしてもよろしいでしょうか」
「もちろん!」
俺は店員に日本語で声をかける。
「牛丼の並盛り二つ。生卵とお新香も二つずつお願いします!」
「はい、かしこまりました!」
隣のロベルタに向き直り、声を潜めて告げた。
「牛丼、生卵、お新香。これが僕の考える黄金のトライアングルだよ」
「黄金の……三角形?」
「甘辛い牛肉に卵のまろやかさ。そこへお新香の歯応えと酸味が入る。これ以上ない組み合わせさ」
「それは楽しみでございます」
「しかも、あっという間に出てくる。企業戦士の貴重な時間を一秒たりとも無駄にしないんだ」
そう言って周りを見渡したとき、ふと一人のサラリーマンが目に入った。
くたびれたスーツ。目の下のクマ。丼に向かう背中には、どことなく哀愁が漂っている。
……そうだ。ここは一つ、彼らの偉大さを教えておこう。
「ロベルタ。彼らをよく見なさい」
「……はい?」
俺は目立たないよう、視線だけで周囲を示した。
「少し汚れた革靴。かつてはパリッとしていたであろう、今ではくたびれたスーツ。日々のストレスで後退した頭髪。目の下には深いクマ……」
「……皆様、ずいぶんお疲れのご様子ですね」
「そう。だが、よく見れば分かるだろう? 彼らは戦士の顔をしている」
ロベルタが改めて客たちを見渡した。
「……確かに、休息が必要な方もいらっしゃるようですが」
「でもね、彼らは自分のためだけに戦っているわけじゃないんだ」
俺は少し声を落とした。
「家で待つ奥さん。大学進学を控えた息子や娘。そして、住宅ローン」
「住宅ローン……」
「守るものがあるから、毎朝満員電車に乗って、上司に頭を下げて、働く。自分の時間を削ってでもね」
ロベルタの眼差しが変わった。
「くたびれた姿は、少しみっともなく見えるかもしれない。でも、あのすり減った革靴も、スーツのしわも、彼らにとっては戦いの証しなんだよ」
俺は大きく頷いた。
「そう。勲章なんだ」
「……守るべき方々のために、身を削って戦う」
ロベルタは静かに呟いた。
「戦う場所は違っても、その覚悟は同じなのですね」
「その通り!」
思いのほか、いい話になった。
ところがロベルタは、ふと眉を寄せた。
「若様。その住宅ローンというものは、それほど過酷なのでございましょうか」
「場合によっては三十年以上続く戦いになるね」
「三十年……!」
「しかも、途中で撤退することもできない」
ロベルタの顔が引き締まった。
「……長期にわたる、退路のない作戦でございますね」
「そして恐ろしいことに、三十年の戦いを終えても、まだ終わりじゃないんだ」
「まだ、何か?」
俺は重々しく告げた。
「屋根、外壁、水回り。長年の戦いで傷ついた我が家を修復する――リフォームという名の継戦行動が待っている」
「……なんと」
ロベルタは息を呑み、目の前のサラリーマンを見つめた。
「三十年戦い抜いた末に、なお次の作戦が……」
「そういうこと」
「……皆様のご武運を、お祈りいたします」
その声は、驚くほど真剣だった。
……しまった。牛丼を食べに来ただけなのに、話がずいぶん壮大になってしまった。
「お待たせしましたー! 牛丼並盛り二つ、卵とお新香です!」
ちょうどいいところに救援物資が到着した。
「さあ、ロベルタ。戦闘糧食のお出ましだ!」
「はい、若様!」
いや、そんなに気合を入れなくてもいいんだけど。
***
丼から立ち上る湯気と、醤油と牛肉の甘い香り。
ああ。これだ。
高級な寿司もいい。手の込んだ料理もいい。でも、こういう味が無性に恋しくなることだってある。
俺は牛肉とご飯を一緒につかみ、勢いよく口へ運んだ。
「んんっ! うまい!」
柔らかな牛肉、甘みのある玉ねぎ、つゆの染みた白米。
「うまっ! ああ、これこれ!」
気づけば二口、三口と箸が進んでいた。
「若様、本当に美味しそうに召し上がりますね」
「だってうまいんだもん! ロベルタも早く食べて!」
「はい。いただきます」
ロベルタは牛肉とご飯を上品に口へ運んだ。
「……まあ」
「どう?」
「とても美味しゅうございます。お肉の旨みと玉ねぎの甘みが、ご飯によく合いますね」
「でしょ!」
俺は満足げに頷いた。
だが、まだ完成ではない。
「さて。ここからが本番だ」
俺は生卵の小鉢を手に取った。卵を割り、牛丼の真ん中へつるりと落とす。
「……若様!?」
ロベルタの手が止まった。
「そ、その卵は……」
「ん? 生卵だけど」
「加熱なさらないのですか?」
「しないよ」
「……そのまま、召し上がるのでございますか?」
「うん。日本では珍しくない食べ方なんだ。もちろん、生で食べることを前提に扱われた卵だけどね」
俺は黄身を箸で崩し、牛肉に絡めた。
「こうすると、タレの甘辛さが卵でまろやかになるんだよ」
そのまま一口。
「……ああっ、うまい!」
思わず声が漏れた。
「これだよ、これ! 最高!」
ロベルタは俺の丼と、自分の卵を交互に見た。
「無理しなくていいからね。文化の違いもあるし」
「……いえ」
彼女は少し考え、決意したように卵を手に取った。
「若様がそれほど美味しそうに召し上がるのでしたら、私も試してみとうございます」
「じゃあ、まず黄身を崩してみて」
「はい」
慎重に卵を割り入れ、牛肉に絡める。まるで初めて扱う道具を確かめるような、実に丁寧な手つきだった。
そして一口。
「…………」
「どう?」
ロベルタはゆっくり咀嚼し、飲み込んだ。
「……美味しい」
「でしょ!」
「卵を加えるだけで、こんなにも味わいが変わるのですね」
「そうなんだよ。で、途中でお新香を食べると――」
俺は小皿から一切れつまんだ。
「ほら、口の中がさっぱりする。そしたらまた牛丼がうまい!」
「なるほど……」
ロベルタもお新香を一口。続けて牛丼を食べた。
「……確かに」
もう一口。
「……これは」
さらに一口。
「…………」
あれ?
いつもなら食事中でも俺の様子を気にかけるロベルタが、今日は妙に静かだ。
「……ロベルタ?」
「はい、若様」
返事はする。だが箸は止まらない。
「気に入った?」
「はい。大変美味しゅうございます」
「そっか。よかった!」
俺も牛丼に戻った。
いやあ、幸せだ。これぞ日本の朝食。ホテルを飛び出してきた甲斐がある。
……と、しみじみ噛み締めていた、そのとき。
「若様」
「ん?」
「もう一杯、いただいてもよろしいでしょうか?」
「……え?」
隣を見る。
ロベルタの丼は、すでに空だった。
俺の丼には、まだ半分近く残っている。
「……おかわり?」
「はい。できましたら、卵とお新香も」
「ははっ! そんなに気に入ったんだ!」
「……少々、お恥ずかしいのですが」
「何が? 嬉しいよ!」
俺は店員を呼び、日本語で追加を注文した。
「牛丼の並盛り、もう一つ! 卵とお新香もお願いします!」
「はい、かしこまりました!」
運ばれてきた二杯目を前に、ロベルタは小さく微笑んだ。
「ありがとうございます、若様」
「どういたしまして」
そして彼女は、先ほどより迷いのない手つきで卵を割った。
……完全に覚えたな。
二杯目も、あっという間だった。
「ごちそうさまでございました」
「……ロベルタ」
「はい?」
「お腹、苦しくない?」
「いいえ。特には」
「……まだ食べられる?」
「はい。少々でしたら」
出た。
昨日も聞いたぞ、その『少々』。
「君の胃袋、どうなってるの?」
「……? 特に変わったところはございませんが」
そう言って、ロベルタは不思議そうに首を傾げた。
本人に自覚がないのが、いちばん恐ろしい。
やがて俺も丼を空にし、満足げに箸を置いた。するとロベルタが、何やら名残惜しそうに店内を見回している。
「どうしたの?」
「若様。こちらのお料理は、持ち帰ることもできるのでしょうか?」
「できるよ」
「そうでございますか」
ぱっと、その顔が明るくなった。
「でしたら、帰国する前にもう一度いただきとうございます」
「……また?」
「はい。ぜひ」
……なるほど。
日本の企業戦士を支える戦闘糧食は、遠く南米からやってきた一流の兵士の心まで射止めたらしい。
いや、気に入ってくれたのは嬉しい。
嬉しいんだけど。
「……ロベルタ」
「はい、若様」
「明日の朝ご飯も、ここにする?」
「よろしいのですか?」
即答だった。
……しまった。
軽い気持ちで聞くんじゃなかった。
俺の三泊四日食い倒れ計画に、思わぬイレギュラーが、、。
その名も、牛丼。
そして、その熱烈な支持者は、今、俺の隣でたいそう幸せそうに微笑んでいる。
ガルシア「牛丼の大手チェーン店は少なくとも3社以上ある」
ロベルタへの「!!」