BLACK LAGOON Maid's Salvation 作:AI太郎
届かない言葉
父さんとの話し合いは、結局、平行線のままだった。
いや、話し合いと呼べるだけ、まだましだったのかもしれない。
三日前、父さんが今後もMVRへの支援を続けると知ってから、俺たちの間には妙な距離ができていた。
食事は一緒に取る。仕事の手伝いもする。必要な会話だって交わす。
けれど、肝心なことには誰も触れない。
父さんは俺を気遣ってくれているし、俺だって父さんを嫌いになったわけじゃない。
むしろ、その逆だ。
大切だからこそ、諦められなかった。
だから俺は、別の方法を探すことにした。
自室の扉に鍵をかけ、机の上にノートを広げる。
電話をかける相手は、もう決まっていた。
『……もしもし?』
「やあ、ベニー。今、時間ある?」
『ガルシア君? もちろん構わないけど……また何かあったのかい?』
「ちょっと教えてほしいことがあって」
『君がそう言うときって、だいたい面倒な話なんだよね』
「失礼だなあ」
受話器の向こうで笑う声がした。
ロアナプラで出会った、ラグーン商会のベニー。
コンピューターに関しては、俺が知る限りでも相当に腕の立つ男だ。
以前から何度か技術を教わっていたし、帰国してからも、ときどき電話で相談に乗ってもらっている。
もちろん、父さんには内緒だ。
かつて俺を誘拐した連中の一員と、今でも親しく連絡を取り合っている。
そんな話をしたら、父さんがどんな顔をするか。
……想像したくもない。
「ベニー。政治関係の情報って、どうやって調べるのがいいと思う?」
『……政治?』
「うん。ニュースに載ってるような話だけじゃなくて、もう少し詳しい事情を知りたいんだ」
『ずいぶん漠然としてるね。具体的には?』
「ある政治団体に、どういう人たちが反対しているのか。国内だけじゃなく、国外も含めて」
少しの沈黙。
『ガルシア君。ひとつ聞いていいかな』
「何?」
『君、何か厄介なことに首を突っ込もうとしてない?』
「……もう突っ込んでるかもしれない」
『ああ、やっぱり』
ベニーが深いため息をついた。
『いいかい。こういう話は、情報を集めることよりも、その情報をどう評価するかの方が難しいんだ』
「評価?」
『誰が、いつ、何のために出した情報なのか。事実なのか、推測なのか、誰かに都合のいい主張なのか。そこを区別しないと、いくら資料を集めても意味がない』
俺はノートに書き留めた。
『まずは公開されている報道や公的資料を調べること。同じ出来事でも、立場の違う媒体を読み比べる。匿名の噂話なんかは、裏付けが取れない限り信用しない』
「なるほど」
『それと、知らない相手に自分のことを話さない。出所のわからないファイルも開かない。君が何を調べているのか、わざわざ他人に知らせる必要はないからね』
「わかった」
『……本当に?』
「信用ないなあ」
『あるから心配してるんだよ』
その言葉に、少しだけ返事が遅れた。
『ガルシア君。僕が教えられることは教える。でも、危険だと思ったらそこでやめるんだ。約束できる?』
「……できるだけ」
『そこは即答してほしかったなあ』
ベニーは呆れたように笑った。
申し訳ないとは思う。
けれど、何もしないという選択肢だけは、最初からなかった。
それから数日間、俺は空いた時間のほとんどを調査に費やした。
新聞記事、政府の発表、海外の報道、研究機関の資料。
スペイン語と英語を行き来しながら、気になった記述をノートにまとめていく。
わからないことがあればベニーに電話した。
資料の信頼性をどう判断するか。古い情報をどう扱うか。技術的に理解できない部分はどうすればいいか。
何度も質問する俺に、ベニーは根気よく付き合ってくれた。
そして、少しずつ見えてきたものがあった。
MVRの掲げる改革を支持する人々がいる一方で、その政治的方向性を警戒する人々もいる。
国内の既得権益層だけではない。
米国の政策関係者や論者の中にも、ベネズエラの政治的な変化を懸念する声があった。
もちろん、それだけで米国が何か具体的な行動を起こすと証明できるわけじゃない。
けれど、俺には無視できなかった。
父さんが命を落とす未来。
あれが、頭から離れない。
いつ、どこで、何が起きるのか。
肝心なところは、相変わらず思い出せなかった。
だからこそ、少しでも危険の兆候を見つけたかった。
そして、集めた資料を父さんに見せることにした。
*
「……なるほど」
執務机の向こうで、父さんが資料をめくった。
午後の仕事が一段落したところを見計らって、俺は調査結果を持ち込んでいた。
「よく調べたね、ガルシア」
「ありがとう。でも、そこじゃないんだ」
「わかっているよ」
父さんは資料に目を戻した。
「国内の対立だけでなく、国外の反応にも注意を払うべきだ。そう言いたいんだね」
「うん。特にアメリカだよ。MVRの政策を警戒している人たちは、確かにいる」
「それ自体は、私も承知している」
「だったら――」
「ただし、ガルシア」
父さんは一枚の資料を指で押さえた。
「ここに書かれていることは、確認された事実なのかい?」
「その部分は、まだ断定できない。複数の情報を比較したけど、裏付けが弱いものもある」
「そうか」
父さんは頷いた。
最初は、悪くない感触だった。
少なくとも、頭ごなしに否定されてはいない。
「でも、父さん。重要なのは、こういう見方が存在するってことなんだ。父さんが思っている以上に、政治的な対立は広がっているかもしれない」
「その可能性は考えておくべきだろうね」
「だったら、しばらくMVRとの距離を置いてほしい」
父さんは答えなかった。
「支援を全部やめろとは言わない。せめて、表立った活動だけでも控えてくれないかな」
「……ガルシア」
聞き慣れた、困ったような声だった。
それだけで、返事がわかってしまった。
「お前が私を心配してくれていることは、十分に理解している。だが――」
「父さん」
思わず遮った。
「もう一度、ちゃんと考えてほしいんだ」
父さんはしばらく俺を見つめていた。
やがて、手元の資料に視線を落とす。
「……ところで、ガルシア」
「何?」
「これらの情報は、どこで手に入れたんだい?」
「インターネットだよ」
「それはわかる。新聞社のサイトもあるようだね。だが、こちらは少し違うように見える」
父さんが別の資料を持ち上げた。
「誰が公開したものなんだろう?」
「……それは、はっきりしない。でも、だからこそほかの資料と比較して――」
「なるほど。では、どうやって見つけたんだい?」
俺は言葉に詰まった。
別に、やましいことをしているつもりはない。
ベニーからも、危険な場所には近づかないよう何度も言われていた。
それでも、説明するとなると難しかった。
「いろいろ調べてたら、見つかったんだ」
「……そうか」
父さんの目が、少しだけ細くなった。
「誰かに教わったのかい?」
「……まあ、少し詳しい人に」
「その人は?」
「父さんの知らない人だよ」
「名前を聞いてもいいかな」
俺は黙った。
ベニーの名前を出すわけにはいかない。
「……その人に迷惑をかけたくないんだ」
父さんは資料を机に置いた。
「ガルシア。私は、お前が新しいことを学ぶのを喜ばしく思っている。だが、今の話は少し心配だ」
「心配?」
「ああ。お前が誰から何を教わり、どんな場所で情報を集めているのか、私にはよくわからない」
「危険なことはしてないよ」
「私はそれを、どうやって確かめればいい?」
「僕がちゃんと判断してる」
「お前を信用していないわけではないんだ」
父さんは一度、言葉を切った。
「ただ、私にはその技術がわからない。お前が何に近づいているのかさえ、判断できないんだよ」
父さんの声には、怒りよりも戸惑いがあった。
俺も、できるだけ落ち着いて答えようとした。
「だから、詳しい人に相談してるんだ。自分だけで勝手に判断してるわけじゃない」
「だが、その人物が誰なのかは教えられないんだね」
「……うん」
「それでは、安心できないよ」
父さんが息をついた。
「ガルシア。こうした調査は、ひとまずやめなさい」
思わず顔を上げた。
「……どうして?」
「危険がないと確認できないからだ」
「そんなこと言ったら、何も調べられないじゃないか」
「そういう意味ではない。信頼できる情報源を使い、必要なら専門家に相談する方法もあるだろう」
「僕だってそうしてるよ!」
声が少し大きくなった。
父さんの眉が動いた。
「だったら、その相手を教えてくれないか」
「……それは」
「ガルシア。私にも、お前を守る責任があるんだ」
その言葉が、胸に引っかかった。
「……父さんは、僕を守りたいんだよね」
「もちろんだ」
「じゃあ、どうして僕の心配は聞いてくれないの?」
父さんが口を閉じた。
「僕はずっと、父さんが危ないって言ってる。だから調べてるんだ。それなのに父さんは、僕にやめろって言うばかりで……」
「お前の心配は理解している。だが、私の政治活動と、お前が身元もわからない相手から技術を学ぶことは別の問題だ」
「別じゃないよ!」
もう、声を抑えられなかった。
「父さんが危険なことを続けるから、僕だって調べてるんじゃないか!」
「ガルシア、落ち着きなさい」
「落ち着いてるよ!」
嘘だった。
まったく落ち着いてなんかいなかった。
「父さんは僕が危ないことをするのは嫌なんでしょ? だったら、僕が父さんを心配する気持ちだってわかるはずじゃないか!」
「わかっている。だからこそ、私は――」
「だったらやめてよ!」
執務室に声が響いた。
父さんが驚いたように俺を見た。
「……お願いだから、心配させないでよ。」
自分の声が震えているのがわかった。
「土地もある。仕事だって、お金なんかこれからいくらでも増やせる。僕も手伝う。だから、危ないことをしなくても――」
「ガルシア」
父さんの声は静かだった。
「お前の気持ちはありがたい。だが、私たちが豊かに暮らせれば、それでいいという問題ではないんだ」
まただ。
また、その話になる。
「この国には、今日を生きることさえ難しい人々がいる。私たちには、そうした人々のためにできることがある」
「……それは、父さんが命を懸けてまでやることなの?」
「私は、命を捨てるつもりで活動しているわけではないよ」
「でも、危険はあるんでしょ!」
「もちろん、危険を軽視してはいない。必要な対策も取っている」
「そんなの、絶対に安全だって保証にはならないじゃないか!」
「絶対の安全など、どこにもないんだよ」
その言葉に、頭の中が真っ白になった。
絶対の安全がない。
そんなこと、わかっている。
嫌というほど、わかっている。
だから必死になっているんじゃないか。
「……父さんは、いつもそうだ」
「ガルシア?」
「国のため、国民のためって……」
胸の奥に溜まっていたものが、次々に溢れ出した。
「父さんが何を大切にしてるのかは、わかってるよ。でも、僕たちはどうなるの?」
「お前たちのことも、もちろん大切に思っている」
「だったら、どうして!」
机に手をついた。
「僕も、ロベルタも、ファビオラも、屋敷のみんなも! 父さんに何かあったら、どうなると思ってるの!?」
「ガルシア。家族を大切にすることと、苦しんでいる人々を助けることは、決して相反するものでは――」
「相反してるじゃないか!」
父さんの言葉を遮った。
「現に、父さんが政治に関わるせいで、僕たちまで危険になるんだろ!?」
「……ガルシア」
「僕は嫌だよ。そんなの」
もう、言葉を選ぶ余裕なんてなかった。
「父さんが無事で、ロベルタもファビオラも、屋敷のみんなも無事なら……」
一度、息を吸った。
「この国の人たちがどうなろうと、僕には関係ないよ!」
父さんの表情が変わった。
「……今、何と言った?」
「聞こえたでしょ」
「ガルシア。今の言葉は取り消しなさい」
「嫌だ」
「取り消しなさい」
「だって本当のことだもの!」
自分でも、ひどいことを言っている自覚はあった。
けれど、止まらなかった。
「僕は知らない人たちのために父さんを失いたくない! 父さんが死んでまで救わなきゃいけない人たちなんて、僕にはいない!」
乾いた音がした。
顔が横を向いた。
頬に熱が走る。
何が起きたのか理解するまで、ほんの数秒かかった。
ゆっくりと顔を戻すと、父さんが呆然と立ち尽くしていた。
その右手が、力なく下がっていく。
「……ガルシア」
父さんは自分の手を見つめ、それから俺に視線を戻した。
「すまない。私は――」
「……ごめんなさい」
父さんの言葉を遮った。
「僕、少し調子に乗ってたみたいだ」
「ガルシア、違う。今のは――」
「まだ十五歳で、社会のことなんてろくに知らないくせに……父さんの仕事を少し手伝ったくらいで、何でもわかったような気になってた」
口にしてみると、ひどく滑稽な話だった。
投資で少しばかり金を稼いだから何だというのだ。
父さんが長年向き合ってきた問題を、俺はいったいどれだけ理解している?
「……偉そうなことばっかり言って、ごめんなさい」
「そんなことはない。お前の意見には、私も考えさせられることが――」
「父さんは優しいから、いつも僕の話をちゃんと聞いてくれるんだよね」
自嘲するように笑った。
「それを勘違いしてたんだと思う」
「ガルシア……」
「今までずっと、僕の話を聞いてくれてたのにね。父さんが何を大切にしてるかだって、ちゃんと知ってたのに」
父さんが一歩近づいた。
「……僕って、本当に最低な息子だね」
「そんなことはない!」
父さんの声が強くなった。
けれど、その言葉さえ素直に受け取れなかった。
「父さんは、僕が思ってたよりずっと立派な人なんだよ。僕と違って、知らない人のことまで真剣に考えられるんだから」
「ガルシア……」
「なのに僕は、自分の大切な人さえ無事なら、ほかの人なんてどうでもいいって……」
喉が詰まった。
「……そんな息子じゃ、父さんもがっかりするよね」
「違う! 私はお前に失望など――」
「……ごめんなさい、父さん」
それ以上、聞いていられなかった。
父さんの顔を見ないまま、扉へ向かう。
「ガルシア、待ってくれ!」
呼び止める声が聞こえた。
それでも、振り返れなかった。
俺は逃げるように執務室を飛び出した。
最近は感想をいただく機会が多くなり、展開を予想してくれる方もいらっしゃいます。
それが当たってたり、外れたりしてるのを見るのが楽しいです。