BLACK LAGOON Maid's Salvation   作:AI太郎

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第二十一話

愛故のジレンマ

 

執務室の扉が、乱暴に開かれた。

 

 廊下に飛び出したガルシアは、向こうから歩いてきたロベルタと危うくぶつかりそうになった。

 

「若様?」

 

 ロベルタは反射的に足を止めた。

 

 ガルシアも立ち止まったが、顔を上げようとはしなかった。

 

「若様、いったい何が――」

 

 言いかけて、息を呑んだ。

 

 俯いたガルシアの頬が、赤く腫れていた。

 

「……そのお顔は?」

 

「ごめん、ロベルタ」

 

 ガルシアは視線を合わせないまま、かすれた声で答えた。

 

「今は、一人にして」

 

「ですが――」

 

「お願い」

 

 その一言に、ロベルタは口を閉ざした。

 

 ガルシアは小さく頭を下げると、彼女の脇をすり抜けていった。

 

 足早に遠ざかっていく背中を、ロベルタはただ見送ることしかできなかった。

 

 いつもなら、どんなに些細なことでも笑って話してくださる若様が。

 

 あんな顔をなさるなんて。

 

 ロベルタは執務室へ目を向けた。

 

 先ほどまで、扉の向こうからは激しい言い争いが聞こえていた。

 

 旦那様と若様が声を荒らげるなど、これまでほとんどなかったことだ。

 

 胸騒ぎを覚えながら、扉を叩く。

 

「旦那様。ロベルタでございます」

 

 しばらく返事はなかった。

 

 やがて、奥から低い声が聞こえた。

 

「……入りなさい」

 

「失礼いたします」

 

 執務室に足を踏み入れたロベルタは、思わず立ち止まった。

 

 ディエゴは執務机ではなく、部屋の中央に置かれた応接用のソファに腰掛けていた。

 

 向かい合う二脚のソファ。その間には、低いテーブルがある。

 

 ディエゴは肘を膝につき、組んだ両手に額を押し当てるようにして俯いていた。

 

 その姿は、いつもの毅然とした当主のものではなかった。

 

「……旦那様」

 

「ロベルタ」

 

 ディエゴは顔を上げなかった。

 

「私は……取り返しのつかないことをしてしまった」

 

 ロベルタの胸に、不吉な予感が走った。

 

「ガルシアを、叩いた」

 

 短い言葉だった。

 

 けれど、それだけで十分だった。

 

 廊下で見た、若様の赤い頬。

 

 俯いたままの横顔。

 

 あの「一人にして」という声。

 

 すべてが、ひとつにつながった。

 

「……旦那様が、若様を?」

 

「ああ」

 

 ディエゴはゆっくりと頷いた。

 

「生まれて初めて、あの子に手を上げた」

 

 その声には、怒りの名残など微塵もなかった。

 

 ただ、深い後悔だけがあった。

 

 ロベルタは静かにソファの傍らへ歩み寄った。

 

「……何があったのでございますか?」

 

 ディエゴはしばらく黙っていた。

 

 何から話せばよいのか、わからない様子だった。

 

「ガルシアが、私の政治活動について調べていたんだ」

 

 やがて、ぽつりと口を開いた。

 

「この国の政治情勢や、私が関わっている運動に対する反発についてね。ずいぶん詳しく調べていた」

 

「若様が……」

 

「あの子は、私が命を狙われるかもしれないと心配していた。だから、政治活動から手を引いてほしいと」

 

 ディエゴは小さく息を吐いた。

 

「私は、そうするつもりはないと答えた」

 

 ロベルタは何も言わなかった。

 

 旦那様がどのようなお考えで政治に関わっておられるか、彼女もよく知っていた。

 

 苦しい暮らしを強いられる人々を、見て見ぬふりはできない。

 

 それは旦那様の信念だった。

 

 そして、若様が旦那様をどれほど大切に思っておられるかも、ロベルタは知っている。

 

「……ガルシアは、納得しなかった」

 

 ディエゴは続けた。

 

「私も、あの子の心配を理解しているつもりだった。だが、話しているうちに……互いに、感情的になってしまった」

 

 彼は膝の上で、両手を固く握りしめた。

 

「ガルシアは言ったんだ。私が命を懸けてまで守ろうとしている人々の中に、自分たち家族より大切な人がいるのか、とね」

 

 ロベルタは目を伏せた。

 

 若様らしい言葉だと思った。

 

 若様にとって、旦那様は何ものにも代えがたい存在だ。

 

 それはロベルタも同じだった。

 

 だが、旦那様にとって、苦しむ人々を救いたいという思いもまた、決して偽りではない。

 

 どちらかが間違っていると、簡単に言えることではなかった。

 

「……私は、腹を立てた」

 

 ディエゴの声が、かすかに震えた。

 

「自分が信じてきたものを、あの子に否定されたような気がしてね」

 

 彼は右手を見つめた。

 

「気がついたときには……もう、叩いていた」

 

 沈黙が落ちた。

 

 ディエゴはその手を握りしめた。

 

「ガルシアは、驚いた顔をしていたよ」

 

 その言葉は、ほとんど独り言だった。

 

「私も驚いた。自分が、あんなことをするとは思わなかった」

 

「旦那様……」

 

「そして、あの子は謝った」

 

 ディエゴは苦しげに顔を歪めた。

 

「自分は最低な息子だと、そう言ったんだ」

 

 ロベルタは思わず顔を上げた。

 

「……若様が、そのようなことを?」

 

「ああ」

 

 ディエゴは力なく頷いた。

 

「私は、そんなことを思ったことなど一度もない」

 

 言葉を絞り出すように続ける。

 

「ガルシアは、私の誇りだ。あの子がどれほど努力してきたか、どれほど私を助けてくれたか……私は知っているつもりだった」

 

 彼は目を閉じた。

 

「それなのに、あの子は……私に失望されたと思ってしまった」

 

 ロベルタは胸が痛んだ。

 

 若様がご自身を責めておられることは、想像に難くなかった。

 

 そして、目の前の旦那様もまた、ご自身を責めておられる。

 

「旦那様」

 

 ロベルタは静かに声をかけた。

 

「若様は、旦那様を深く愛しておられます」

 

「……わかっている」

 

「だからこそ、旦那様の身に危険が及ぶことを、何より恐れておられるのでしょう」

 

 ディエゴは頷いた。

 

「私も、あの子を失いたくない」

 

 そして、ゆっくりと顔を上げた。

 

「ロベルタ。私は、お前たちのことも大切に思っている」

 

「……はい」

 

「だが、それでも、私には捨てられない信念がある」

 

 その目には、後悔とともに、消えることのない決意が宿っていた。

 

 ロベルタは静かに頭を下げた。

 

 旦那様は、これからも政治活動を続けられるのだろう。

 

 そして若様も、簡単には心配を捨てられないだろう。

 

 そのことが、彼女にはわかっていた。

 

「……ロベルタ」

 

「はい」

 

「ガルシアの様子を見てきてくれないか」

 

「かしこまりました」

 

「それから……伝えてほしい」

 

 ディエゴは一度言葉を切った。

 

「私は、あの子に失望などしていないと」

 

 ロベルタは少しだけ考え、それから口を開いた。

 

「旦那様」

 

「……何だね?」

 

「そのお言葉は、どうか旦那様ご自身からお伝えくださいませ」

 

 ディエゴは驚いたように彼女を見た。

 

「若様は、旦那様のお言葉を待っておられると思います」

 

 しばらくの沈黙のあと、ディエゴはゆっくりと頷いた。

 

「……そうだな」

 

 その声には、先ほどよりもわずかに力が戻っていた。

 

「ありがとう、ロベルタ」

 

「もったいないお言葉でございます」

 

 ロベルタは深く一礼し、執務室をあとにした。

 

 ◇

 

「クソッ……クソッ! やらかした……!」

 

 自室に戻るなり、俺はベッドに倒れ込んだ。

 

 最悪だ。

 

 何をやってるんだ、俺は。

 

 天井を睨みつけながら、両手で顔を覆った。

 

 父さんを守るために動いていたはずなのに。

 

 少しでも危険を遠ざけたくて、必死に情報を集めたはずなのに。

 

 結果がこれだ。

 

 父さんを怒らせて、傷つけて、おまけに俺が何かを調べていることまで知られてしまった。

 

 これじゃ、本末転倒じゃないか。

 

「……馬鹿か、俺は」

 

 あの場面を思い返す。

 

 父さんの表情。

 

 自分の口から飛び出した言葉。

 

 そして、頬を打たれた瞬間。

 

 正直、驚いた。

 

 父さんが俺に手を上げるなんて、考えたこともなかった。

 

 でも、それ以上に堪えたのは、そのあとだった。

 

 父さんの顔に浮かんだ、あの表情。

 

 俺は、あんな顔をさせたかったわけじゃない。

 

 ただ、死んでほしくなかっただけなのに。

 

「……はあ」

 

 深く息を吐く。

 

 駄目だ。

 

 感情的になったところで、何も解決しない。

 

 むしろ、今日みたいに全部台無しにしてしまう。

 

 俺はベッドの上で身体を起こした。

 

 考えろ。

 

 今、何をすべきなのか。

 

 まず、はっきりしたことが一つある。

 

 父さんは政治活動をやめない。

 

 何を言っても、きっと変わらない。

 

 それはもう、嫌というほどわかった。

 

 父さんは、そういう人だ。

 

 苦しんでいる人を見捨てられない。

 

 自分が危険な目に遭うかもしれないとわかっていても、それでも手を差し伸べようとする。

 

 そんな父さんだから、俺は尊敬している。

 

 ……厄介なことに。

 

「ほんと、頑固なんだから……」

 

 思わず苦笑が漏れた。

 

 いや、人のことは言えないか。

 

 俺だって、父さんを守ることだけは譲るつもりがない。

 

 結局、似た者親子なのかもしれない。

 

 だったら。

 

 もう、父さんを変えようとするのはやめよう。

 

 政治活動を続けたいなら、続ければいい。

 

 俺はもう反対しない。

 

 明日にでも謝ろう。

 

 あんな言い方をしたことも、父さんを傷つけたことも。

 

 きっと、父さんは許してくれる。

 

 いつものように、困った顔で笑ってくれるだろう。

 

 ……でも。

 

 それとこれとは、別の話だ。

 

 俺が父さんの政治活動に口を出さないことと、父さんの命を守ることは、何も矛盾しない。

 

 むしろ、これからはやり方を変える必要がある。

 

 父さんに相談すれば、止められる。

 

 ロベルタに相談したって、きっと父さんに話が伝わる。

 

 ファビオラも同じだ。

 

 みんな、俺のことを心配してくれる。

 

 それはわかっている。

 

 だからこそ、駄目なんだ。

 

「……誰にも知られちゃ駄目だ」

 

 声に出してみると、その言葉は思った以上に重く感じられた。

 

 父さんにも。

 

 ロベルタにも。

 

 ファビオラにも。

 

 屋敷の誰にも。

 

 俺が何を調べ、誰と会い、何をしようとしているのか。

 

 知られるわけにはいかない。

 

 危険なことに巻き込むわけにはいかないからだ。

 

 俺にとって、みんな家族なんだから。

 

 守りたい人たちを、自分から危険に晒してどうする。

 

 だったら、俺一人でやればいい。

 

 情報が足りないなら、もっと集める。

 

 人脈が必要なら、作ればいい。

 

 金が足りないなら、増やせばいい。

 

 五百万ドル。

 

 今の俺が動かせる資産だ。

 

 十五歳の子供が持つには、馬鹿げた金額だと思う。

 

 でも、父さんの命を守るために、いったいいくら必要になる?

 

 警備を強化するだけで済むのか。

 

 危険な情報を事前に掴む必要があるのか。

 

 あるいは、もっと別の方法が必要になるのか。

 

 わからない。

 

 わからないからこそ、準備しておかなければならない。

 

 選択肢は、多い方がいい。

 

 どんな事態になっても、打てる手が残っているように。

 

 そのためには、今までよりも大胆に動く必要がある。

 

 場合によっては、表立って付き合えないような連中と関わることになるかもしれない。

 

 ……怖くないと言えば、嘘になる。

 

 俺は、まだ十五歳だ。

 

 銃を持った人間を相手に、平然と渡り合えるような人間じゃない。

 

 それでも。

 

 何もしないまま、父さんが死ぬ日を待つなんて、絶対に嫌だ。

 

 俺は、あの未来を知っている。

 

 知ってしまっている。

 

 だから、知らなかったことにはできない。

 

「……絶対に、守る」

 

 誰に聞かせるでもなく、呟いた。

 

 父さんを。

 

 ロベルタを。

 

 ファビオラを。

 

 この家を。

 

 俺の大切なものを、全部。

 

 そのためなら、俺は――

 

 コン、コン。

 

 不意に、扉を叩く音がした。

 

 ◇

 

 執務室を出た私は、若様のお部屋へと向かっていた。

 

 廊下に響く自分の足音が、妙にはっきりと聞こえる。

 

 先ほどの旦那様のお姿が、頭から離れなかった。

 

 あれほど深く項垂れた旦那様を、私は見たことがない。

 

 旦那様は、決して感情のないお方ではない。

 

 むしろ、誰よりも情に厚い。

 

 だからこそ、若様に手を上げてしまったことを、あれほど悔いておられるのだろう。

 

 そして若様もまた、旦那様を傷つけてしまったことを悔いておられるに違いない。

 

 廊下ですれ違ったときの、あの表情。

 

 思い出すだけで、胸が痛んだ。

 

 若様は、いつも周囲の者を気遣ってくださる。

 

 私にも、ファビオラにも、ほかの使用人たちにも。

 

 私たちを、家族として大切にしてくださる。

 

 そんな若様が、あれほど取り乱されるほど、旦那様のことを案じておられた。

 

 その思いを、私は決して軽く扱いたくなかった。

 

 やがて、若様のお部屋の前に着いた。

 

 扉の前で、一度足を止める。

 

 今は、そっとしておいた方がよいのかもしれない。

 

 だが、あのままお一人にしておくこともできなかった。

 

 私は静かに扉を叩いた。

 

「若様。ロベルタでございます」

 

 少しの間があった。

 

 やがて、聞き慣れた声が返ってきた。

 

「うん、入っていいよ」

 

「失礼いたします」

 

 扉を開けると、若様はベッドの端に腰掛けておられた。

 

 先ほどとは違い、随分と落ち着いたご様子だった。

 

 私に気づくと、いつものように笑みを浮かべられた。

 

「どうしたの、ロベルタ?」

 

「若様のご様子が気になりまして……」

 

「ああ、さっきのこと?」

 

 若様は困ったように笑い、後頭部を掻かれた。

 

「いやあ、参った参った。十五歳って、やっぱり反抗期なんだねえ。父さん相手にあんな大喧嘩するとは思わなかったよ」

 

 あまりにも普段どおりの口調だった。

 

 私は、一瞬返す言葉を失った。

 

「しかも父さん、なかなかやるね。いやあ、見事な一発だったよ。ちょっとびっくりしちゃった」

 

 そう言って、若様は赤くなった頬を指さされた。

 

 まるで、ちょっとした失敗談を披露しているかのようだった。

 

 だが、私には笑えなかった。

 

「……お痛みはございませんか?」

 

「大丈夫、大丈夫。ちょっとヒリヒリするくらい」

 

 若様は軽く手を振られた。

 

「それより、父さんには悪いことしちゃったな。あそこまで怒らせるつもりじゃなかったんだけど」

 

 その声が、少しだけ静かになった。

 

 私は若様のお顔を見つめた。

 

 赤くなった頬。

 

 けれど、そこに浮かんでいるのは怒りではなかった。

 

「若様……旦那様も、大変後悔しておいでです」

 

「……そっか」

 

 若様は一瞬、目を伏せられた。

 

「父さん、優しいからなあ。きっと僕以上に気にしてるんだろうね」

 

 その言葉に、私は小さく頷いた。

 

「旦那様は、若様に失望などしていないと、強くおっしゃっておられました」

 

「……うん」

 

 若様は少しだけ黙っておられた。

 

 それから、顔を上げられた。

 

「ありがとう、ロベルタ」

 

 その笑顔に、私は少しだけ安堵した。

 

「まあ、僕もいい加減、子供みたいに意地張るのはやめないとね。……いや、十五歳だから子供なんだけどさ」

 

 思わず、小さく笑みがこぼれた。

 

「ふふ……そうでございますね」

 

「そこは否定してほしかったなあ」

 

 若様も笑われた。

 

 いつもの、穏やかなやり取りだった。

 

 そのことが、今は何よりありがたかった。

 

「明日にでも、父さんに謝るよ」

 

「……はい」

 

「政治のことも、もう口出ししない。父さんには父さんの信念があるし、それを僕が無理やり変えようとするのは違うと思うから」

 

 私は若様を見つめた。

 

「……本当によろしいのですか?」

 

「うん」

 

 若様は迷いなく頷かれた。

 

「もちろん、心配じゃなくなったわけじゃないよ。でも、僕があれこれ言ったところで、父さんの考えは変わらないからね」

 

 それは、私にも理解できることだった。

 

 旦那様は一度決めたことを簡単に曲げるお方ではない。

 

 若様も、そのことを誰よりよくご存じなのだろう。

 

「僕も、もう少し父さんを信じてみるよ」

 

 若様はそう言って、穏やかに微笑まれた。

 

 私は静かに頭を下げた。

 

「……若様のお気持ち、旦那様もきっとお喜びになると思います」

 

「そうだといいな」

 

 若様は少し照れくさそうに笑われた。

 

 その表情は、いつもの若様そのものだった。

 

 私はもう一度、赤くなった頬へ目を向けた。

 

「若様。お顔を冷やすものをお持ちいたしましょうか」

 

「ええ? 大丈夫だって」

 

「ですが、まだ赤みが残っております」

 

「うーん……じゃあ、お願いしようかな」

 

「かしこまりました」

 

 私が一礼して部屋を出ようとすると、背後から声がかかった。

 

「あ、ロベルタ」

 

「はい?」

 

「……心配かけてごめんね」

 

 振り返ると、若様は少し申し訳なさそうに笑っておられた。

 

「父さんにも、ロベルタにも。ほんと、今日は迷惑かけっぱなしだね」

 

「そのようなことはございません」

 

 私は静かに首を振った。

 

「若様がご無事でいてくだされば、それだけで十分でございます」

 

「……そっか」

 

 若様は一瞬、何かを考えるように目を伏せられた。

 

 そして、顔を上げて微笑まれた。

 

「ありがとう、ロベルタ」

 

「……はい」

 

 私は深く一礼し、部屋をあとにした。

 

 扉を閉めると、思わず小さく息を吐いた。

 

 先ほどまでの若様のご様子を思い返す。

 

 いつものように笑い、冗談を口にし、旦那様に謝るとおっしゃっていた。

 

 あれほどのことがあったというのに、もうご自身の気持ちを整理しようとしておられる。

 

 やはり、若様はお優しい。

 

 私はそう思った。

 

 けれど、一つだけ気になることがあった。

 

 旦那様の政治活動を、あれほど心配しておられた若様が、あまりにもあっさりと反対をやめるとおっしゃったことだ。

 

 もちろん、今回の出来事でお考えが変わったとしても、不思議ではない。

 

 若様は賢明なお方だ。

 

 きっと、ご自身で考え抜かれた末の結論なのだろう。

 

 そう考え、私は歩き出した。

 

 明日、お二人が仲直りされれば、きっと元の穏やかな日々が戻ってくる。

 

 そう信じたかった。

 

 けれど、廊下を進む私の耳には、若様の最後の言葉が、いつまでも残っていた。

 

『僕も、もう少し父さんを信じてみるよ』

 

 あのときの笑顔は、確かにいつもの若様のものだった。

 

 それなのに、なぜだろう。

 

 私はもう一度だけ、閉じられた扉を振り返った。

 

------ー------------------

おまけ:ガルシアが父親の身を一切心配しなくていい世界線

 

ガルシア「父さん! 危ない真似はやめてよ! 命を狙われるかもしれっっ……!」

 

勇次郎「エフッ」「エフッ」「エフッ」

 

ガルシア「ッッ…!!」

 

 

 

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