BLACK LAGOON Maid's Salvation   作:AI太郎

32 / 33
第二十四話

第二十四話 金で買えないもの

 

 それからガルシアは、何度か社交の席に顔を出した。

 実業家の邸宅で催される晩餐会。商工会の懇親会。地方の名士たちが集まる昼食会。

 最初こそ「ディエゴ・ラブレスの息子」として紹介されるばかりだったが、回数を重ねるうちに、向こうから声をかけられることも増えていった。

 十五歳という年齢に似合わぬ落ち着きと、礼儀正しい振る舞い。

 それだけでも、年配の実業家たちには好印象だった。

 だが、彼らがガルシアを歓迎する理由は、それだけではなかった。

「君は、お父上とは少し考え方が違うようだね」

 ある晩餐会のあと、年配の銀行家がそう口にした。

「そうでしょうか」

「少なくとも、資本を持つ者の役割を理解している」

 ガルシアは少し考え、答えた。

「僕は、社会を豊かにするためにも、まず企業が力をつける必要があると思っています」

「ほう」

「事業が成長すれば、雇用を増やすこともできます。教育や医療への支援だって、十分な資金があれば継続できますから」

「そのとおりだ」

 銀行家は満足そうに頷いた。

「我々が利益を上げることを、まるで悪事のように言う者もいる。しかし、利益がなければ事業は続かん。事業がなくなれば、働く場所もなくなる」

「ええ。だから僕は、利益を上げること自体は悪いことだと思いません」

「ディエゴ殿にも聞かせたいものだな」

 男は笑った。

 ガルシアも微笑みを返した。

「父も、貧しい人たちの生活を良くしたいと考えているだけなんです。僕とは方法が違うのかもしれませんが」

「それはわかっているとも。あの方の善意を疑う者は、ここにはそう多くないだろう」

 銀行家はグラスを置いた。

「ただ、善意だけでは国は動かん。君には、そのあたりを理解していてほしいものだ」

「はい。勉強させていただきます」

 男は上機嫌でガルシアの肩を叩いた。

「ラブレス家の将来も、そう心配したものではなさそうだ」

 その言葉に込められた期待を、ガルシアは理解していた。

 ディエゴ・ラブレス。

 由緒ある地主の家に生まれながら、貧しい人々の側に立ち、改革派の政治運動を支援する男。

 彼らにとって、ディエゴは理解しがたい人物だった。

 同じ階級に属しながら、その階級の利益を脅かしかねない政治運動に肩入れしている。

 しかし、その息子は違う。

 少なくとも、彼らにはそう見えていた。

 ガルシアは資本の蓄積を肯定し、企業の成長を重視する。

 経済的な力を持つ者が、その力によって社会を支えるべきだとも考えている。

 富裕層にとって、それは十分に受け入れられる考え方だった。

 そして何より、ガルシアは次代のラブレス家当主である。

 いずれ彼が家督を継げば、ラブレス家も再び自分たちと歩調を合わせるかもしれない。

 そんな期待が、少しずつ広がっていた。

 もっとも、ガルシア自身は父親の理念を否定したつもりなどなかった。

 社会を良くしたいという目的は同じだ。

 ただ、そのためには経済的な基盤が必要だと考えているだけである。

 だが、彼らの期待をわざわざ否定する必要もなかった。

 父親と富裕層の間に立ち、双方の関係を維持できるなら、それはラブレス家にとっても利益になる。

 実際、ガルシアを通じてディエゴに意見を伝えようとする者も現れた。

 政治的な対立がなくなったわけではない。

 それでも、ラブレス家との関係を完全に断とうとする者は少なかった。

 やがて、ガルシア個人に宛てた招待状が届くようになった。

 以前の会合で知り合った実業家から別の集まりに誘われ、銀行家からは知人を紹介される。

 農園主からは、近くに来た際にはぜひ立ち寄ってほしいという便りも届いた。

 そしてガルシアもまた、知り合った人々に手紙を書くようになっていた。

     *

「……これで三通目か」

 机の上には、書き終えた便箋が並んでいた。

 一通目は、農園を見学させてくれたモラレスへの礼状。

 二通目は、先日の晩餐会で世話になったベラスケスへの手紙。

 三通目は、商工会の席で知り合った銀行家に宛てたものだった。

 いずれも、先日の礼と近況を伝える、ごくありふれた内容である。

 しかし、こうした付き合いを疎かにするつもりはなかった。

 一度顔を合わせただけでは、信頼関係ができたとは言えない。

 手紙を交わし、再び会い、少しずつ関係を深める。

 時間のかかる仕事だった。

 ガルシアは封筒に宛名を書き、三通を揃えた。

 ふと、机の端に置かれたノートが目に入る。

 これまでに知り合った人物の名前が、何ページにもわたって記されていた。

 企業経営者、地主、銀行家、弁護士、政治関係者。

 それぞれの交友関係や政治的な立場についても、わかる範囲で書き加えてある。

 最初は数えるほどしかなかった名前が、今では随分と増えた。

 それなのに。

「……何やってるんだろうな、俺」

 思わず、独り言が漏れた。

 人脈は増えた。

 ラブレス家の仕事にも、以前より深く関わるようになった。

 父親から任される仕事も増えた。

 何もしていないわけではない。

 むしろ、毎日のように何かをしている。

 それでも、父親の暗殺については、何一つわかっていなかった。

 いつ。

 どこで。

 誰が。

 何のために。

 ノートには、そのどれについても答えがなかった。

 ガルシアは椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。

 会合では、父親の政治活動を批判する声を何度も耳にした。

 地主たちは土地の再分配を恐れ、経営者たちは労働運動の高まりを警戒している。

 中には、改革派の政治家を公然と罵る者もいた。

 だが、それだけだ。

 酒の席で悪態をつく人間と、実際に爆弾を仕掛ける人間。

 その間には、途方もない隔たりがある。

 誰かが過激な言葉を口にするたびに耳を澄ませたが、結局はありふれた政治談義に終わった。

 逆に、穏やかに笑っている人間が何も知らないとも限らない。

 疑い始めれば、誰も彼も怪しく見えてしまう。

 しかし、疑うだけでは何もわからない。

(……そもそも、俺が探している情報なんて、こんな場所にあるのか?)

 考えないようにしていた疑問だった。

 自分が会っているのは、あくまで表社会の人間たちだ。

 政治的な対立や利害関係は知ることができても、秘密裏に進められる暗殺計画の情報まで手に入るとは限らない。

 むしろ、知らなくて当然なのかもしれない。

 それでも、ほかに何ができる。

 誰に聞けばいい。

 どこへ行けばいい。

 ガルシアは机に視線を戻した。

 丁寧に書き上げた三通の手紙が、静かに並んでいる。

 今日もまた、将来のための種を蒔いた。

 いつ芽が出るのかはわからない。

 そもそも、芽が出たところで、父親を救う手がかりになる保証もない。

 そして何より。

 その日まで、父親が生きている保証がなかった。

     *

 机の引き出しを開け、ガルシアは別の書類を取り出した。

 銀行から届いた取引報告書だった。

 ラブレス家の資産とは完全に切り離した、自分だけの口座。

 父親も、ロベルタも、ファビオラも、その存在を知らない。

 元手は五百万ドル。

 以前、前世の知識を利用して築いた個人資産である。

 その資金を、ガルシアは密かに運用していた。

 きっかけは、ある記憶だった。

 一九九五年。

 日本の関西地方で、大きな災害が発生した年。

 そして、歴史的な円高が進んだ年でもある。

 もちろん、災害が円高の唯一の原因だったわけではない。

 当時の国際経済には、さまざまな要因が絡み合っていた。

 ただ、ガルシアの記憶には、その年の為替相場について、もう一つ重要なことが残っていた。

 円高は、いつまでも続かなかった。

 春に歴史的な高値をつけた円は、その後、ドルに対して大きく値を下げていく。

 正確な日付や為替レートまでは覚えていなかった。

 だからこそ、ガルシアは新聞の経済欄を読み、金融機関から相場の情報を集め、慎重に取引を進めていた。

 円高が進む局面では円を買い、相場が転換したと判断してからは、反対にドルを買う。

 自己資金だけでなく、証拠金を利用した取引も組み合わせた。

 当然、危険はあった。

 未来の大まかな流れを知っているからといって、日々の値動きまでわかるわけではない。

 思惑と反対に相場が動けば、損失は膨らむ。

 それでも、ガルシアには一つだけ、ほかの投資家にはない材料があった。

 この年、円相場が大きく反転するという記憶。

 その記憶を頼りに、取引を重ねた。

 そして現在。

 報告書に記された資産評価額は、当初の約六倍に達していた。

 五百万ドルから、およそ三千万ドル相当。

 ガルシアはその数字を見つめた。

「……増えたな」

 感想は、それだけだった。

 普通なら、飛び上がって喜んでもおかしくない金額である。

 十五歳の少年が、個人でこれほどの資産を持っている。

 それも、家族の誰にも知られることなく。

 だが、ガルシアには達成感らしいものがなかった。

 三千万ドル。

 大金だ。

 土地も買える。

 事業にも投資できる。

 人を雇うこともできる。

 場合によっては、有力者との交渉材料にもなるだろう。

 しかし。

(……それで、どうする?)

 ガルシアは報告書を机に置いた。

 父親を殺そうとしている人間が誰なのか。

 それがわからなければ、金の使いようがない。

 護衛を増やすことはできる。

 警備を強化することもできる。

 だが、父親は政治活動をやめない。

 人々の前に立ち、集会に出席し、各地を訪ね歩く。

 そのすべてを守りきれるのか。

 まして、爆弾が仕掛けられる場所すらわからないのだ。

 金を払えば、誰かが教えてくれるのだろうか。

 いくら払えばいい。

 誰に払えばいい。

 そもそも、その情報を持っている人間はどこにいる。

 ガルシアは額に手を当てた。

 金がないから動けないのだと思っていた。

 金さえあれば、できることが増えると思っていた。

 実際、その考えは間違っていない。

 以前なら手の届かなかったことが、今ならできる。

 だが、できることが増えたからといって、何をすればいいのかまでわかるわけではなかった。

 社交界では、人脈が増えていく。

 金融市場では、資産が増えていく。

 ラブレス家の仕事でも、少しずつ成果を上げている。

 傍から見れば、すべてが順調だった。

 けれど。

 父親を救うという、たった一つの目的だけが、まるで前に進んでいない。

「……くそっ」

 小さく吐き捨てた。

 そのとき、廊下から足音が聞こえた。

「若様」

 ロベルタの声だった。

「旦那様がお呼びです。少しお時間をいただけますでしょうか」

 ガルシアは慌てて報告書を引き出しに戻した。

「うん。すぐ行くよ」

「かしこまりました」

 足音が遠ざかっていく。

 ガルシアは引き出しを閉め、鍵をかけた。

 そして、扉の前で一度だけ表情を整えた。

 父親の前では、いつもの自分でいなければならない。

 余計な心配をかけたくない。

 何より、あの夜のように、父親と争いたくなかった。

 ガルシアは扉を開けた。

     *

「ガルシア、ちょうどよかった」

 書斎に入ると、ディエゴは机から顔を上げた。

「最近、随分と忙しくしているようだな」

「父さんほどじゃないよ」

「ははは。そうかもしれん」

 ディエゴは楽しそうに笑った。

「サルセドから聞いたぞ。ベラスケス殿とも、うまく付き合っているそうじゃないか」

「うん。いろいろ教えてもらってる」

「モラレス殿の農園にも行ったそうだな」

「うん。勉強になったよ」

「そうか、そうか」

 ディエゴは満足そうに頷いた。

「お前がそこまで家のことを考えてくれるとはな。父親として嬉しいよ」

 ガルシアは少し照れたように笑った。

「まだまだ勉強中だけどね」

「それでいい。焦る必要はない」

 その言葉に、胸が小さく痛んだ。

 焦る必要はない。

 父親にとっては、ごく自然な励ましだったのだろう。

 十五歳の息子が、家の仕事を学び始めたばかりなのだから。

 だが、ガルシアには違った。

 焦らずにいられるはずがなかった。

 父親がいつ死ぬのか、自分にはわからないのだから。

「ところで、今度また政治関係の集まりに出席することになってな」

 ディエゴは机の書類を手に取った。

 ガルシアの背筋が、わずかに強張った。

「……そうなんだ」

「ああ。しばらく家を空けることになる。その間の仕事について、少し相談しておきたい」

「うん。わかった」

 ガルシアは椅子に腰を下ろした。

 父親はいつもどおりだった。

 書類を広げ、仕事の説明を始める。

 何も知らない。

 自分がどれほど危険な未来へ近づいているのか。

 そのことを、少しも知らない。

 ガルシアは父親の話に耳を傾けながら、机の上の書類を見つめた。

 社交界で築いた人脈。

 三千万ドルの資産。

 そのすべてを差し出しても構わない。

 父親が生きてくれるのなら。

 だが、どれほど金を積んでも、失われた命を買い戻すことはできない。

 ガルシアは膝の上で、そっと拳を握った。

 父親の声が、静かな書斎に響いていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。