BLACK LAGOON Maid's Salvation 作:AI太郎
第三十五話 災厄の再来
ロアナプラでは、毎日のように誰かが死ぬ。
酒場での口論、麻薬の取引、組織同士の小競り合い。銃声が聞こえたところで、わざわざ窓から顔を出す人間などいない。
だが、この街の住人にも、聞いただけで顔色を変える名前がいくつかある。
その一つが、ロベルタだった。
かつて、一人の少年を取り戻すためにロアナプラへ乗り込み、街の裏社会を相手に大立ち回りを演じたメイド。
その女が、再び現れたという。
噂は、港の荷役人夫から船乗りへ、船乗りから酒場へと広がっていた。
そして今、その話は、当時の騒動を間近で見ていた四人の耳にも届こうとしていた。
◇
イエローフラッグ。
昼間から酒をあおる船乗り。女を連れた傭兵。カードの勝ち負けで怒鳴り合う男たち。
いつもどおりの喧騒の中、ラグーン商会の四人はカウンターに並んでいた。
「……そういや、お前ら」
ダッチがウイスキーのグラスを置いた。
「最近、妙な噂を聞いたか?」
「あん?」
レヴィが煙草をくわえたまま振り向く。
「またどっかの馬鹿が殺されたって話か?」
「いや。どうも、この街でメイド姿の女が目撃されたらしい」
レヴィの手が止まった。
ロックはグラスを口元に運びかけた姿勢で固まり、ベニーはダッチの顔を凝視した。
「…………は?」
最初に声を発したのはレヴィだった。
「おい、ダッチ。今、何つった?」
「メイド姿の女だ」
「……冗談だろ?」
「だったらいいんだがな」
レヴィはゆっくりと煙草を灰皿に押しつけた。
「おいおいおい……待てよ。メイドって、まさか、あのメイドじゃねえだろうな?」
「まだ本人と決まったわけじゃねえ」
「この街にメイド服着て歩いてる女が、そう何人もいてたまるかよ!」
ベニーが思わず声を荒らげた。
「勘弁してくれよ! あの人が来たとき、何が起こったか忘れたわけじゃないだろ!?」
「……ロベルタさん」
ロックが呟いた。
黒髪のメイド。
礼儀正しい言葉遣い。
そして、あの穏やかな容貌からは想像もつかない、常軌を逸した戦闘能力。
ラグーン商会の四人は知っていた。
彼女が本気になれば、街の裏社会でさえ容易には止められないことを。
「……何しに戻ってきたんだ?」
ロックの問いに、誰も答えなかった。
ダッチが低い声で続ける。
「厄介なのはそれだけじゃねえ。コロンビアの連中が、そのメイドを探してるって話だ」
「……クソッ」
レヴィが額を押さえた。
「おい、ダッチ。こいつは笑えねえぞ」
「ああ」
「この街にはホテル・モスクワも三合会もいるんだ。あの女がまた暴れ出したら、今度こそ本当に戦争になる」
「……なあ」
ベニーが恐る恐る口を挟んだ。
「今からでも、しばらく街を離れた方がよくないか?」
誰も笑わなかった。
カウンターの向こうで、バオは黙ってグラスを磨いていた。
「おい、バオ」
レヴィが声をかける。
「あんたも何か聞いてねえのか?」
「……いや」
短い返事だった。
いつもなら悪態の一つでも飛んでくるところだが、今日はそれもない。
「……何だよ。あんたまで辛気臭え顔しやがって」
「うるせえ。飲むなら飲め」
バオはグラスを棚に戻した。
その表情は、いつになく険しかった。
◇
そのとき、二階から複数の足音が響いてきた。
階段を降りてきたのは、柄の悪い男たちだった。
開襟シャツの下に拳銃を隠した者。金の鎖を首から下げた者。腰にナイフを差した者。
五人、六人と続き、最後に大柄な男が姿を現す。
二階の娼婦たちから、何かを聞き出していたらしい。
「よう、グスターボ」
レヴィが声をかけた。
男が振り向く。
「おう、ラグーン商会じゃねえか。何だよ、今日は全員お揃いか?」
「まあな。ところでよ、セニョール・アブレーゴは?」
「ボスなら事務所だよ。何か用か?」
「いや、別に。ちょっと顔を見ねえと思ってな」
レヴィは男の背後にいる連中へ視線を移した。
「それより、お前ら。ずいぶん大人数で女遊びか?」
「仕事だよ、仕事」
「へえ。娼婦相手にか?」
グスターボが肩をすくめる。
「ちょいと人を探しててな」
「……メイドか?」
男の眉が動いた。
「何だ。お前らも聞いてんのか?」
「ああ。で、お前らは何を企んでやがる?」
「企むも何もねえよ」
グスターボはうんざりした様子で首を振った。
「そのメイドをぶっ殺すために、本部から直々に兵隊が送られてくるって話だ。こっちはまだ受け入れ態勢も整ってねえってのによ」
忌々しげに舌打ちする。
「迷惑な話だぜ」
「……へえ」
レヴィの目が細くなった。
「そりゃまた、大掛かりじゃねえか」
「俺に言わせりゃ、たかが女一人に大騒ぎしすぎなんだよ」
グスターボは煙草を取り出した。
「ところでよ、レヴィ」
「あん?」
「俺は前の騒ぎのとき、その女を直接見ちゃいねえんだ。お前らは知ってるんだろ?」
「ああ。嫌ってほどな」
「だったら、容姿でも特徴でもいい。何か知ってることがあったら教えてくれねえか?」
レヴィは口元を歪めた。
「特徴ねえ……」
そのときだった。
カラン。
入口のベルが鳴った。
店内に、二人の女性が入ってきた。
一人は、長い黒髪を持つ女性。
もう一人は、小柄な少女。
どちらも旅装に身を包み、それぞれ旅行用のトランクケースを手にしていた。
黒髪の女性が店内を見渡す。
そして、カウンターに座る四人を見つけると、静かに頭を下げた。
「お久しぶりでございます、皆様」
「…………」
レヴィが固まった。
ロックが立ち上がる。
「……ロベルタさん?」
「はい。ご無沙汰しております、ロック様」
その隣で、小柄な少女も丁寧に一礼した。
「ラグーン商会事務所に伺いましたが、ご不在でしたので、婦長様がご存じのこちらの店舗に寄らせていただきました」
ファビオラは四人を見渡した。
「ラグーン商会の皆様。あなた方に仕事の依頼がございます」
沈黙。
レヴィは目の前の二人を見た。
それから、ゆっくりとグスターボへ顔を向けた。
「……ハッ」
乾いた笑いが漏れた。
「こいつは傑作だぜ」
「あん? どうした、レヴィ」
「おい、グスターボ」
「何だよ?」
「よかったじゃねえか」
レヴィは入口へ顎をしゃくった。
「探し物が向こうから来やがったぞ」
「……は?」
「紹介してやるよ。そっちの黒髪の女が、お前らの探してるメイドだ」
グスターボの顔から表情が消えた。
ゆっくりと、ロベルタへ振り返る。
「…………お前が?」
ロベルタは男を見つめた。
「……何か、ご用でしょうか?」
あまりにも穏やかな声だった。
グスターボは一瞬、レヴィの冗談ではないかと疑った。
だが、彼女の目を見た途端、その考えは消えた。
「……おい、お前ら」
顎をしゃくる。
部下たちが一斉に動いた。
拳銃が抜かれる。
銃口が、ロベルタとファビオラを取り囲んだ。
「婦長様……!」
「大丈夫ですよ、ファビオラ」
ロベルタは少しも動じなかった。
「おい、グスターボ」
レヴィが低い声で言う。
「悪いことは言わねえ。やめとけ」
「黙ってろ、レヴィ。こいつは俺たちの仕事だ」
グスターボは拳銃を構えたまま、ロベルタに向き直った。
「悪く思うなよ、お嬢さん。本部からあんたを殺せって命令が出てるんでな」
「……そうですか」
ロベルタは小さく頷いた。
「では、私たちを通していただくことはできないのですね?」
「状況がわかってねえのか? お前はもう――」
「承知いたしました」
ロベルタは静かにトランクケースを持ち上げた。
その手元を見て、レヴィの顔色が変わった。
「……おい」
小さな金属音。
「ダッチ!」
ロベルタが微笑んだ。
「それでは、失礼いたします」
「伏せろッ!!」
ダッチの怒号。
レヴィがカウンターを飛び越える。
ロックとベニーもその後に続き、バオも咄嗟に身を沈めた。
五人がカウンターの裏へ転がり込んだ、その直後。
轟音が炸裂した。
ロベルタのトランクケースから吐き出された弾丸が、グスターボの部下たちを横薙ぎにした。
テーブルが砕け、酒瓶が破裂する。
「うわあああッ!」
「銃だ! 逃げろォッ!」
客たちが悲鳴を上げ、一斉に出口へ殺到した。
二階からも女たちの悲鳴が聞こえる。
「何なのよ、今の音!」
「早く! 早く逃げて!」
娼婦たちが階段を駆け下り、半裸の男たちを押しのけながら裏口へ走っていく。
椅子が倒れ、グラスが割れ、店内はたちまち大混乱に陥った。
その騒ぎの中心で、ロベルタだけが冷静に銃口を動かしていた。
「……クソッ!」
カウンターの陰で、レヴィが歯を食いしばる。
「だから言ったんだよ! あの女に銃を向けるなって!」
「おい、レヴィ!」
バオが怒鳴る。
「てめえ、何であいつらを止めなかった!」
「止めただろうが! あの馬鹿どもが聞かなかったんだよ!」
「だったら店の外でやらせろォッ!」
「知るかよ、そんなもん!」
その間にも、銃声と悲鳴が店内を満たしていた。
バオはカウンターの陰から、床に散らばった酒瓶の破片を見つめた。
「……畜生。今度こそ店が潰れちまう……」
「まだ建ってるだけマシだろ」
レヴィが吐き捨てた。
やがて、銃声が途絶えた。
ロベルタはトランクケースを閉じ、何事もなかったように一礼する。
「……さて。改めまして――」
その言葉は、外から響いてきたエンジン音に遮られた。
◇
店の外に、複数の車両が停車した。
武装した男たちが次々と降りてくる。
その後方には、荷台に機関銃を据えつけた車両が二台。
「グスターボ! 無事か!」
外から怒鳴り声が響いた。
グスターボがテーブルの陰から顔を出した。
「お、お前ら! こっちだ! あの女を殺せ!」
その声に応えるように、車載機関銃が火を噴いた。
轟音。
店の窓が一斉に砕け散る。
弾丸が壁を削り、家具を粉砕し、店内に木片とガラス片を降らせた。
「……クソッ!」
カウンターの陰で、レヴィが歯を食いしばる。
「おい、グスターボ! てめえ、いい加減にしろよ!」
だが、その声は銃声に呑み込まれた。
ロベルタが動いた。
入口脇の柱から飛び出し、銃撃の途切れた一瞬に店の外へ駆け出す。
敵の銃口が彼女を追う。
しかし、照準が定まるより早く、ロベルタのトランクケースが火を噴いた。
短い連射。
入口に近づいていた男たちが、次々と倒れる。
ロベルタは足を止めない。
横転したテーブルを蹴り越え、店先の車両の陰へ滑り込む。
そこから身を翻し、次の敵へ銃口を向けた。
銃声。
悲鳴。
男たちが次々と地面へ崩れ落ちていく。
「ファビオラ!」
「はい、婦長様!」
「外の車両をお願いします」
「承知いたしました!」
ファビオラはトランクケースを開いた。
中から取り出したのは、グレネードランチャーだった。
「……おい」
レヴィの顔が引きつった。
「お前、まさか……」
ドンッ!
榴弾が飛び出した。
次の瞬間、店の外で爆発が起こった。
機関銃を据えつけた車両が炎に包まれ、横転する。
「命中です!」
「よくできました、ファビオラ」
「ありがとうございます、婦長様!」
「呑気にくっちゃべってんじゃねえよォッ!!」
レヴィの怒号が響いた。
だが、ファビオラはすでに次の標的を見つけていた。
通りの向こうで、もう一台の機銃搭載車が銃口を旋回させている。
「……あちらもですね」
ドンッ!
二発目。
榴弾が車両の側面で炸裂した。
車体が跳ね上がり、機銃ごと横倒しになる。
炎が噴き上がった。
「クソッ! あのガキを撃て!」
マフィアの男たちがファビオラへ銃を向けた。
だが、その背後へロベルタが回り込んでいた。
トランクケースから短い連射が放たれる。
男たちは振り返る間もなく倒れていく。
「……化け物かよ!」
生き残った男が悲鳴を上げた。
ロベルタは答えない。
そのまま足を止めず、次の敵へ向かう。
ファビオラは店の入口から身を乗り出した。
通りの向こうで、最後の車両が機関銃を構えている。
「……あれもですね!」
ランチャーを肩に担ぎ直す。
狙いを定める。
ドンッ!
榴弾が発射された。
だが、狙いはわずかに逸れた。
榴弾は入口脇の鉄柱にぶつかり、店内へ跳ね返った。
「……あっ」
ファビオラの小さな声。
次の瞬間。
ドゴォォンッ!!
店の中央で爆発が起こった。
二階を支えていた太い柱が砕け、天井が大きく沈み込む。
カウンターの裏で、ダッチがゆっくりと顔を上げた。
「…………おい」
「何だよ、ダッチ」
「……今の、見たか?」
「……見たくなかったぜ」
レヴィが呻いた。
頭上で、木材の裂ける音が響く。
「……全員、逃げろ」
ダッチが立ち上がった。
「今すぐだッ!!」
五人が一斉にカウンターの陰から飛び出した。
「おい、待て! 俺の店が!」
「店なんかどうでもいいだろ!」
「どうでもよくねえんだよ! 俺の城だぞ!」
レヴィがバオの襟首を掴んだ。
「だったら一緒に潰れてろ!」
「ふざけんな! 離せ!」
「どっちだよ!」
そんなやり取りをしながら、五人は転がるように店の外へ飛び出した。
直後。
ミシリ。
建物全体が、嫌な音を立てた。
バキバキバキッ!
二階の床が抜け、屋根が傾く。
そして――
ドォォォォンッ!!
イエローフラッグが、盛大な土煙を上げて崩れ落ちた。
◇
土煙が、通り一帯を覆っていた。
炎上する車両。
砕け散った家具。
散乱する酒瓶。
かつてイエローフラッグだった場所には、巨大な瓦礫の山が残されていた。
「……ゲホッ、ゲホッ!」
レヴィが埃を払いながら立ち上がった。
「……畜生……」
その隣で、ベニーが震える声を漏らす。
「……生きてる……?」
「見りゃわかんだろ」
ダッチは煙草を取り出そうとして、箱が潰れていることに気づいた。
「……やれやれ」
ロックは呆然と瓦礫を見つめていた。
「……本当に、壊れちゃった……」
そのときだった。
土煙の向こうで、小さな影が動いた。
瓦礫の頂上。
崩れた屋根材を踏みしめ、ファビオラが立っていた。
肩にはグレネードランチャー。
背後には炎上する車両。
足元には、倒れ伏したコロンビアマフィアの男たち。
少女は通りを見渡した。
そして、まだ武器を手にしている男たちへ向けて、声を張り上げた。
「……まだやるっていうんなら、相手になりますよ!」
返事はなかった。
男たちは互いの顔を見合わせ、武器を捨てて逃げ出した。
その中に、グスターボの姿もあった。
「……ば、化け物どもがァッ!」
男は転びそうになりながら、通りの向こうへ走り去っていく。
ロベルタはその背中を静かに見送った。
「……行ってしまわれましたね」
「はい、婦長様!」
ファビオラが元気よく返事をする。
ロベルタは小さく頷くと、ラグーン商会の四人へ向き直った。
「さて、皆様」
丁寧に一礼する。
「先ほどはお話の途中で失礼いたしました」
「…………」
「改めまして、あなた方にお仕事の依頼がございます」
沈黙。
レヴィは崩れ落ちた店を見た。
燃え盛る車両を見た。
そして、何事もなかったように佇む二人のメイドを見た。
「……てめえら」
こめかみに青筋が浮かぶ。
「仕事の話をする前に、ほかに言うことがあるんじゃねえのか?」
ロベルタが不思議そうに首を傾げた。
「……と、おっしゃいますと?」
その瞬間。
瓦礫の向こうから、怒号が響いた。
「俺の店を返せェェェェッ!!」
バオだった。
ロアナプラの空に、店主の悲痛な叫びが響き渡る。
ロベルタは振り返り、少し困ったように眉を下げた。
「……これは、大変失礼いたしました」
ファビオラも慌てて頭を下げる。
「申し訳ございません!」
「謝って済むかァァァッ!!」
その声を聞きながら、レヴィは天を仰いだ。
「……クソッタレ」
そして、心底うんざりした声で呟いた。
「やっぱり、この街にメイドなんざ来るもんじゃねえ……」
――ロアナプラに、再び災厄が訪れた。
そして、それはまだ、ほんの始まりに過ぎたかった。
いつもご覧いただきありがとうございます。
箸休めにギャグ回の読み切りで「青春!ロアナプラ高校!」みたいなものを書いてみようかなと思ったのですが、需要ありますかね?