BLACK LAGOON Maid's Salvation   作:AI太郎

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第9話

第九話 ピザと拳銃

 

ラグーン号の船室は、思っていた以上に狭かった。

 

簡素な寝台に、小さな机。壁には剥き出しの配管が走り、薄い鉄板越しにエンジンの振動が絶えず伝わってくる。

 

お世辞にも快適とは言えない。

 

二週間を過ごした貨物船も大概だったが、こちらはまた別種の無骨さがあった。

 

けれど。

 

俺はさっきから、どうにも落ち着かなかった。

 

理由は船の揺れではない。

 

むしろ二週間も海の上にいれば、それくらいには慣れる。

 

問題は――。

 

(ほんまにラグーン号や……)

 

さっき港で見た時にも分かっていた。

 

見間違えるはずがない。

 

それでも、実際にその船へ乗せられてしまうと話は違う。

 

港に着いてからの流れは、驚くほど事務的だった。

 

俺を連れてきた男たちと、待っていた連中が短く話をした。

 

書類と金。

 

いくつかの確認。

 

そして俺の身柄が引き渡された。

 

二週間一緒にいた頬に傷のある男とは、最後に一度だけ目が合った。

 

何か言おうかとも思った。

 

でも。

 

結局、互いに何も言わなかった。

 

男は仲間と去り。

 

俺は残った。

 

そこで待っていたのが、ラグーン商会だった。

 

ダッチ。

 

ベニー。

 

ロック。

 

知っている顔が三つ並んでいた。

 

もちろん。

 

俺だけが一方的に知っている。

 

だから初対面の顔をして、名前を聞いた。

 

それから船へ連れてこられ。

 

今に至る。

 

つまり。

 

俺は今、本当にラグーン号の中にいる。

 

操舵室にはダッチがいる。

 

どこかでベニーが機械を弄っている。

 

ロックもこの船にいる。

 

そして、あと一人。

 

まだまともに顔を合わせていない。

 

考えたところで。

 

廊下から足音が聞こえてきた。

 

こっちへ近づいてくる。

 

止まった。

 

次の瞬間。

 

扉が勢いよく開いた。

 

ノックはない。

 

まあ。

 

するわけないか。

 

女が入ってきた。

 

長い黒髪。

 

タンクトップ。

 

短いデニム。

 

腰に二挺の拳銃。

 

口には煙草。

 

そして。

 

初対面の人間へ向けるには、あまりにも愛想のない目。

 

一瞬だけ。

 

本当に一瞬だけ。

 

言葉が出なかった。

 

レヴィ。

 

知っている。

 

何度も見た。

 

何度も聞いた。

 

前世では、画面の向こうにいた人だ。

 

それが今。

 

俺の目の前に立っている。

 

(……ほんまにレヴィや)

 

感動している場合ではない。

 

顔に出すな。

 

絶対に出すな。

 

初対面の相手を見て感動する人間は、普通に怖い。

 

レヴィは俺を一瞥した。

 

何の感慨もなさそうだった。

 

当然だ。

 

向こうからすれば、俺はただの仕事だ。

 

金になる荷物。

 

少し扱いに気を遣う人質。

 

その程度だろう。

 

持っていた箱を、俺の隣へ放る。

 

「食え」

 

「……ありがとう」

 

レヴィの眉が僅かに動いた。

 

「何だ?」

 

「いや。食事持ってきてくれたから」

 

「礼なんざいらねぇよ」

 

そう言って壁にもたれる。

 

俺は箱へ視線を落とした。

 

漂ってくる匂いには覚えがある。

 

まさか。

 

蓋を開ける。

 

「…………」

 

ピザだった。

 

思わず笑いそうになった。

 

「何だよ」

 

顔を上げる。

 

レヴィがこっちを見ている。

 

「何が?」

 

「今、笑っただろ」

 

「笑ってないよ」

 

「笑った」

 

鋭い。

 

「……ちょっとだけ」

 

「何がおかしい」

 

説明できるわけがない。

 

俺はもう一度ピザを見る。

 

この場面を知っている。

 

原作のガルシアにも、レヴィはピザを持ってきた。

 

ただし。

 

その後は、こんな穏やかなものではなかった。

 

ガルシアは反発し。

 

レヴィは苛立つ。

 

最初の出会いから険悪だった。

 

その場面を覚えている俺からすれば。

 

本当にピザが出てきたこと自体が、少しおかしかった。

 

もちろん。

 

そんなことは言えない。

 

「ピザ好きなんだ」

 

結局、それだけ答えた。

 

「……は?」

 

「だから、ちょっと嬉しくて」

 

数秒。

 

レヴィが俺を見る。

 

それから。

 

「ガキかよ」

 

「ガキだよ」

 

「…………」

 

「何?」

 

「いや」

 

煙草を咥え直す。

 

「そうだったな」

 

何だその反応。

 

俺はピザを一枚取った。

 

まだ温かい。

 

チーズが伸びる。

 

一口齧る。

 

「美味しい」

 

「そりゃ良かったな」

 

興味なさそうな返事。

 

でも。

 

帰る気配がない。

 

見張りなのかもしれない。

 

俺が逃げないように。

 

もっとも、船の上からどこへ逃げるのかという話だが。

 

二口目を食べる。

 

そのまま。

 

何となくレヴィを見る。

 

壁にもたれ。

 

煙草を吸っている。

 

「食べる?」

 

「……あ?」

 

「ピザ」

 

「見りゃ分かる」

 

「一緒に食べない?」

 

レヴィが止まった。

 

煙草を持ったまま。

 

じっと俺を見る。

 

さっきまでとは違う。

 

本気で意味が分からないらしい。

 

「お前」

 

「うん?」

 

「状況分かってんのか?」

 

「分かってるつもりだけど」

 

「お前は人質だ」

 

「うん」

 

「で、あたしらはお前を運ぶ側だ」

 

「うん」

 

「その相手と仲良く飯食おうってのか?」

 

仲良く。

 

そこまでは言っていない。

 

「いっぱいあるから」

 

「…………」

 

「一人じゃ多いし」

 

レヴィがしばらく黙った。

 

俺もピザを持ったまま待つ。

 

やがて。

 

「はっ」

 

レヴィが乾いた笑いを漏らした。

 

「金持ちの坊ちゃんってのは、誘拐されても優雅なもんだな」

 

「別に優雅じゃないよ」

 

「海賊相手に食事のお誘いだぜ?」

 

「海賊なんだ」

 

「そこに食いつくのかよ」

 

知ってるけど。

 

レヴィが煙草を灰皿へ押しつけた。

 

それから。

 

当然のように箱へ手を伸ばす。

 

一枚取る。

 

「食べるんだ」

 

「うるせぇ」

 

一口。

 

「人がせっかく誘ってやったのに」

 

「あ?」

 

「何でもない」

 

怖い。

 

やっぱり実物は怖い。

 

⸻

 

しばらく二人でピザを食べた。

 

会話はない。

 

船が波を越える。

 

エンジンが唸る。

 

レヴィは壁にもたれたまま食べ、俺は寝台に座って食べる。

 

奇妙な時間だった。

 

でも。

 

嫌ではない。

 

原作とは違う。

 

たったそれだけのことが。

 

妙に気になった。

 

俺がピザを喜んだ。

 

レヴィに一緒に食べようと言った。

 

それだけで、俺が知っている展開から少し外れた。

 

当たり前だ。

 

俺は原作のガルシアとは違う。

 

同じ場所に来たからといって。

 

同じ言葉を言う必要も。

 

同じ関係になる必要もない。

 

その程度のことなのに。

 

なぜか少し安心した。

 

「おい」

 

「ん?」

 

「さっきから何考えてやがる」

 

「そんな顔してた?」

 

「してる」

 

レヴィがピザを齧る。

 

「気味悪ぃくらい落ち着いてんな、お前」

 

「そうかな」

 

「そうだよ」

 

じろりと見られる。

 

「怖くねぇのか?」

 

答える前に。

 

俺は少し考えた。

 

「怖いよ」

 

レヴィの眉が僅かに上がった。

 

「へえ」

 

「誘拐された時は普通に怖かったし。今も家に帰りたい」

 

「だったら、もうちょいそれらしい顔しろよ」

 

「それらしい顔って?」

 

「泣くとか喚くとか」

 

「泣いたら帰してくれる?」

 

「帰さねぇな」

 

「じゃあ意味ないだろ」

 

レヴィが黙った。

 

「騒いだら?」

 

「うるせぇから殴る」

 

「ほら」

 

「…………」

 

「余計に意味ない」

 

レヴィが鼻で笑った。

 

「随分と物分かりのいい坊ちゃんだな」

 

「二週間も誘拐されてれば、多少はね」

 

「二週間?」

 

「ここに来るまで船に乗ってたから」

 

「ああ」

 

レヴィはそれ以上聞かなかった。

 

俺も話さなかった。

 

「それに」

 

「何だ?」

 

「怖いのと、ずっと怖がってるのは別だと思う」

 

レヴィの目が少し細くなった。

 

「何だそりゃ」

 

「怖いものは怖い。でも、ずっと震えてても仕方ないってだけ」

 

「……年寄りみてぇなガキだな」

 

「似たようなこと、よく言われる」

 

「だろうな」

 

また即答された。

 

そんなにか。

 

⸻

 

レヴィが三枚目へ手を伸ばした時。

 

腰のホルスターが目に入った。

 

さっきから気にはなっていた。

 

二挺。

 

銀色の拳銃。

 

Sword Cutlass。

 

実物だ。

 

画面越しでは何度も見た。

 

でも。

 

当然。

 

本物をこんな近くで見るのは初めてだった。

 

視線が止まる。

 

「…………」

 

「おい」

 

顔を上げる。

 

レヴィがこちらを見ていた。

 

「何見てんだ?」

 

「拳銃」

 

「見りゃ分かる」

 

「さっきのお返し?」

 

「あ?」

 

「何でもない」

 

余計なことを言うな、俺。

 

レヴィが俺の視線を追い、自分の腰を見る。

 

「銃が珍しいのか?」

 

「こんな近くで見るのは初めて」

 

「金持ちの家にゃねぇのかよ」

 

「警備の人は持ってるけど、触ったことはないよ」

 

これは本当だ。

 

父上が認めるわけがない。

 

ロベルタなら。

 

もっと認めない。

 

想像するまでもない。

 

レヴィの手がグリップへ伸びる。

 

思わず身体が強張った。

 

ほんの少し。

 

でも。

 

レヴィは見逃さなかった。

 

口元が歪む。

 

「何だよ」

 

「何?」

 

「ちゃんとビビるじゃねぇか」

 

「そりゃそうだろ」

 

「さっきまで平然としてたくせによ」

 

「それとこれは別だよ」

 

拳銃だ。

 

しかも。

 

握っているのがレヴィだ。

 

怖くない方がおかしい。

 

レヴィがホルスターから一挺抜いた。

 

金属が擦れる音。

 

それだけで空気が変わる。

 

俺の視線が銃へ吸い寄せられた。

 

実物は。

 

思っていた以上に大きかった。

 

長い銃身。

 

銀色のスライド。

 

使い込まれた傷。

 

綺麗なだけの道具じゃない。

 

これで実際に人を撃ってきた。

 

そう考えると。

 

さっきまでの興奮が少し引いた。

 

レヴィは俺の反応を見ていた。

 

「触ってみてぇか?」

 

一瞬。

 

心が動いた。

 

正直に言えば。

 

興味はある。

 

ものすごくある。

 

でも。

 

「……今はいい」

 

「は?」

 

予想外だったらしい。

 

「何だよ。ガキはこういうの好きなんじゃねぇのか?」

 

「好きっていうか、興味はあるけど」

 

銃を見る。

 

「怖いし」

 

「さっきも聞いた」

 

「それに」

 

少し考えて。

 

「人を撃つためのものなんだろ」

 

レヴィの表情が止まった。

 

ほんの一瞬。

 

何かを測るように俺を見る。

 

「……そりゃそうだ」

 

「だから、軽い気持ちで触るのは違うかなって」

 

自分でも上手く説明できない。

 

銃が嫌いなわけではない。

 

むしろ興味はある。

 

いつか扱えるようになった方がいいとも思う。

 

ここがどういう世界なのか知っているから。

 

でも。

 

今。

 

面白そうだから触らせてもらう。

 

それは何か違う気がした。

 

レヴィはしばらく俺を見ていた。

 

やがて。

 

「変なガキ」

 

拳銃をホルスターへ戻した。

 

「それもよく言われる」

 

「だろうな」

 

「今日だけで二回目だよ」

 

「足りねぇくらいだ」

 

酷い。

 

⸻

 

気づけば、箱の中には一枚しか残っていなかった。

 

食べた枚数を考える。

 

俺が二枚。

 

残りは――。

 

「レヴィ、食べすぎじゃない?」

 

「あ?」

 

「いや」

 

やめよう。

 

命は大切だ。

 

最後の一枚へ手を伸ばす。

 

同時に。

 

別の手が伸びてきた。

 

止まる。

 

レヴィを見る。

 

レヴィも俺を見る。

 

「…………」

 

「…………」

 

嫌な予感がする。

 

「これ俺の食事なんだけど」

 

「だから?」

 

「いや、だから……」

 

次の瞬間。

 

最後の一枚が消えた。

 

「ちょっ!」

 

レヴィが奪い取っていた。

 

「遅ぇよ」

 

「いやいやいや!」

 

「何だよ」

 

「俺のだろ、それ!」

 

「名前書いてあったか?」

 

「箱ごと俺に渡しただろ!」

 

「細けぇな、坊ちゃん」

 

勝ち誇った顔で齧る。

 

大人げない。

 

本当に大人げない。

 

「返せよ」

 

「もう食った」

 

「まだ一口だろ!」

 

「じゃあ食うか?」

 

差し出された。

 

齧った部分をこっちへ向けて。

 

「いらないよ!」

 

「なら文句言うな」

 

「そういう問題じゃないだろ!」

 

レヴィが笑った。

 

はっきりと。

 

楽しそうに。

 

腹が立つ。

 

でも。

 

俺も少し笑ってしまった。

 

「何笑ってんだ」

 

「そっちが笑ったからだろ」

 

「知らねぇよ」

 

「理不尽すぎる」

 

「覚えとけ、坊ちゃん」

 

残ったピザを口へ押し込みながら。

 

レヴィが言った。

 

「この街じゃ、ぼさっとしてる奴から持ってかれんだよ」

 

「ピザ一枚でロアナプラを語るなよ」

 

一瞬。

 

レヴィが黙った。

 

そして。

 

声を上げて笑った。

 

俺もつられて笑う。

 

狭い船室に。

 

エンジン音とは別の音が響いた。

 

原作で知っていた出会いとは。

 

もう、随分違っていた。

 

未来は。

 

変えようとしても、思い通りにはならない。

 

それは嫌というほど思い知らされた。

 

でも。

 

目の前の一言くらいなら。

 

一枚のピザを誰かと食べるくらいなら。

 

俺自身で選べる。

 

それで何が変わるのかは。

 

まだ分からない。

 

分からないまま。

 

俺は、空になったピザの箱を閉じた。

 

 

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