降谷零の人生は後悔の連続だった。
恵まれない幼少期、荒れた学生生活、失うばかりだった警察官としての日々。
そういう意味では警察学校で過ごしたひとときは、何にも代え難いものだった。
暗い部屋で、降谷はノートPCの前に座っていた。
2つのスーツケースには山ほどの爆弾の材料が詰まっている。
税関を通過する術も準備は整っている。
相手は軍事施設であり、最高難易度のセキュリティを誇る。
だがこちらもバーボンとして少なくない経験を積んでいる。
自爆テロなんてくだらない真似はしない。
継続的に、断続的に被害を与えて規模を縮小させていくのだ。
「は、ははは」
ひび割れた笑い声が勝手に口から漏れた。
弔い合戦などくだらないものとばかり思っていたが、なるほど。
人の心を慰撫するには実にちょうどいい代物だ。
その時。
がちゃりと、インターホンも鳴らさずに侵入する何者かの音が響いた。
玄関の鍵はかけたはずだが、このアパートのセキュリティはさほど高くない。
そろりと手が拳銃に伸びる。
この部屋を見られたからには死んでもらうしかない。
「オリジナル」
暗闇で、廊下から声が聞こえた。
小さな影が扉の向こうに映り込んでいる。
心臓が止まりそうになった。
そしてすぐに思い浮かんだのは、あの小学生探偵のことだった。
確かベルモットさながらの便利すぎる変声機を持っているのだったか。
背格好もこのくらいだ。
「コナン君かい?勝手に入ったらダメじゃないか」
「オリジナル、扉を開けても?」
「いいけど、他言無用だよ。守れないなら…分かっているね?」
始末もやむなし、という意図を込めて声を低くする。
彼ならどうせ止めても入ってくる。
でも、あんなにも阿笠空のことを思っていた彼なら、きっとわかってくれるはずだ。
わかってくれないのであれば死んでくれ。
降谷の剣呑な空気に、それでもあっけなく扉は開かれる。
その小さな姿が、カーテンの隙間から差し込む光に照らし出された。
「─────、………困ったな」
降谷は、しばし言葉を失った。
小さな背格好に、己そっくりの浅黒い肌と金の髪。
理知的なスカイブルーの瞳。
ありえざる姿に、降谷はため息をついた。
心が死んでいて、凪いでいて、それでも無理に死体を動かしたから疲労がひどい。
「幻覚は困る。薬をもらうのも楽じゃないのに、折角の復讐が余計に果たしづらくなる」
「幻覚ではありませんよ」
「幻覚だろう。彼は死んだ。幻聴でもう十分なのに、放っておいたらこれか。やはり医者にかかっておくべきだった」
降谷は吐き捨てた。
もうずっと、体調は悪化の一途を辿っている。
薬を流し込んでようやく眠り、情緒は乱れ幻聴に苛まれる。
バーボンとしての皮を取り繕うことすら限界ギリギリだった。
だってもう、生きる意味すらなくなってしまった。
一つ一つ丁寧に、降谷の存在意義は剥ぎ取られていった。
もう全てを捨ててもいいと思った時、彼が降谷を抱きしめてくれた。
彼が日本を守る姿が美しいというから、惰性のままその通りにしていたのに。
もう、何もする気なんておきやしない。
ゆったりと近づいてきた小さな身体が降谷の胸に飛び込んだ。
そのまま背中に手を伸ばして、柔らかな体温と人肌のしなやかさが肌に伝わってくる。
心が悲鳴をあげて軋んだ。
あまりに鮮烈な感覚に、希望に、叫び出してしまいそうで耐えられない。
やめてくれ、これ以上希望を与えないでくれ。
もう苦しいんだ。
「……なら夢か。随分都合のいい夢だな。自己嫌悪で死にたくなる」
「あなたのそんな姿は新鮮です。僕の前では柔らかい口調を崩しませんでしたから」
「はは、独り言を取り繕ってなんになるんだ?いつだって僕は間に合わない。大切な時を逃して大切な人の手を掴めない。いつもいつも、……いつもだ!」
最後は叩きつけるような口調になった。
口に出して、己がもう限界を通り越していることに気がついた。
もうなんでもいいか。
疲れた。全部疲れた。
彼の小さな体を抱きすくめて、甘やかにささやく。
「ねえ、君が本物だというのなら、僕を噛んでよ」
「!!!」
「もう疲れた。もう嫌だ。何も考えたくない。君の操作するお人形になりたい。君の事だけを考える人形になりたい」
心の底からの願いだった。
小さな体を胸に感じて、その首筋に顔を埋める。
生の香りがして、降谷はうっとりと微笑んだ。
「夢でいいから、ひとときの安らぎが欲しいんだ」
「それなら、その願いを叶えましょう」
彼が口を開く。
小さな牙が生えたまろやかな口が、かぷりと小さく降谷の首へと噛みついた。
一瞬鮮烈な痛みが走る。
それをそのまま享受して、ぼんやりとその感覚を享受した。
しばらく抱きしめたまま。
一瞬、ふと目の覚めるような感覚に見舞われた。
「っ、!?!?」
「効いてきましたね」
「な、にを……」
慌てて彼から距離を取る。
自分は一体何をしていた?
いくら捨て鉢になっていたからってこの子に幼生の注入を依頼するなど、あまりにも馬鹿げている。
こんな明瞭な状況でなぜ夢と誤認した?
愕然と俯くと、部屋の中に転がる爆発物の山が目に入った。
いや違う、その前に米国へのテロ攻撃だ。
そんなことを元公安警察の自分が行えば日本の立場が無くなる。
なぜそんなことも思いつかなかった?
そもそもここのところの自分の行動はあまりに異常過ぎる……。
そこまで考えて、降谷は思考が回ってきたのを感じた。
効いてきた?どういう意味だ?
「僕の連れて行かれた研究所で、幼生が脳に与える影響の調査がありました。うつ状態のマウスに幼生を投与すると、明らかに状態が改善する効果が確認されています」
「…………それ、は」
「幼生は脳との共生をもってあらゆる活動を行っています。幼生は己のため、脳を正常な状態に回復しようとしているんです」
まさか、そんなまさか。
息が乱れる。脳が混乱して、それでも現実を正しく認識している。
降谷は喘ぐように口を開いた。
「なんで、生きてるんだ…?」
「生きてません。三代目です。でも依然として変わらず僕でもある。僕は、組織の願いである永遠をその身を持って体現するものなれば」
変わりない、あの時のままの笑顔で幼い彼は降谷を再び抱きしめた。
降谷は泣き笑いで、涙を堪えて言葉を落とす。
「───……酷いな。現実逃避も、君は許してくれないのか」
「逃避でテロリストになってもらっては困ります。それにしても、優秀過ぎるのも考えものですね」
「…どういう意味かな」
降谷が脱力しながら、されるがまま彼の手を享受する。
あらゆる疑問を聞く気になれない。
不条理を信じたい気持ちが疑念を押し込めて、信仰じみた気持ちが思考を放棄させる。
「普通人は失敗するものでしょう。その責任全部を負っていたら潰れてしまいます。普通は気にせず悔やまず進むんですよ」
「自分の失敗で、親友が死んでもそう言えるのか?」
「不運な事故でしょう。あなたのせいじゃない」
「それを見当違いな憎悪で他人の命を危険に晒そうとした」
「ただの勘違いでしょう。あなたのせいじゃない」
子供は不思議そうに首を傾げた。
「前々から、なぜ時の運が受け入れられないんです?こんなにも明瞭なのに」
そのスカイブルーの瞳が、降谷の本心をあらわにする。
「だって、そんなの酷いじゃないか。誰も悪くないなら、なんで僕は大事な人ばかり失うんだ」
そう。だってそうじゃないか。
なんで僕だけ。なんで。なんでこんな辛い思いをしなければならないんだ。
なんで。
阿笠空が降谷の額に額を当てて、優しく優しく言葉を落とす。
「これぞ『カミ』の思し召し。『カミ』はドラマチックで酷いことを好むので、あなたは愛されているということだ」
「なんだよ、それ」
くしゃくしゃな笑顔で、降谷はクスクスと笑った。
それはある種天啓にも近かった。
仕方ないんだと、そう思える何か触れてはならぬ真理のようなもの。
どこか、天から降りてきた上位階梯のなにかのように、神聖な光を伴っているような。
カーテンの隙間から差し込む光が、彼の半身に光をもたらす。
「そんなに、僕が僕のままでいて欲しかったのか」
「僕は、よく見知った貴方が好きなので。現実に打ちのめされながら、それでも諦めぬ貴方よ。志のみを支えに嵐の堰に立つ貴方よ」
悍ましいほどに美しく微笑む彼の姿。
降谷は何かに魅入られたような、背筋の粟立つ感覚に身破れた。
コレは本当にこの世の生き物なのだろうか。
あるいは本当にカミに連なる、地上に落ちた何者か───。
その空気を、ころっと突然取り落として、彼は無邪気に笑った。
「という以前までの感想はともかく、今は普通にオリジナルがいくとこまで行っててガチ心配なので矯正ギプスをつけました。返品不可です。あしからず」
「も、もう大丈夫だよ?治ったし」
「寄生虫の力で正気になってるだけの狂人はあったかくして寝ててください。今幼生抜いたらアバババですからね!」
「あばばばって何…?」
プンスカと彼は腰に手を当てて怒ったポーズをした。
彼の体温がもう一度、遅れて肌の感触と共に伝わってくる。
本当に彼が戻ってきた。
自分は取り戻した。
失わなかった。
涙が奥から込み上げて、いよいよ我慢できなさそうだ。
降谷は隠すようにそっぽを向いて、ぐすっと鼻をすすったのだった。
・降谷零(正気の姿)
虫ギプスでようやくまともな形になった。
この爆弾の山どうしよう…。
・転生者
カミなるもの。
貴方の苦闘が好きでした。
い、今は普通に心配してます!!!