その日、夜遅くにコナン君が警戒心全盛りで阿笠邸に侵入してきた。
静かに玄関扉を開けてステルスモード。
私の耳には露骨なぐらいの騒音として聞こえるが、まあ素人としては十分な身のこなしだろう。
明らかに夜遅いから蘭ちゃんに怒られるだろうに、一体何があったんだ?
何か事件で遅くなったにしても、阿笠邸に来る理由が無いが。
コナン君物陰に身を潜めたまま部屋の様子を見て、ギリ、と歯軋りした。
その背後から、私は優しく声をかけた。
「どうかいたしましたか」
「っ、空、お前無事…………、っ」
一瞬コナン君が安堵の様子を見せるも、
ハッと何かに気付いたように私から距離を取った。
まるで凶悪犯を相手にするようなそぶりで逃走経路を確認する。
おいおいどういうことだ本当に。
今日は灰原さんの初登校だぞ。
帰りが遅くて心配していたあたりだというのに……ああなるほど。
私はようやく得心がいった。
また灰原さんが露悪的な口ぶりで自分の身の上をコナン君に打ち明けでもしたのだろう。
灰原さんの悪い癖だ。
過度に自分を悪く見せようとする。
それで、「組織の女にクローンが操られてるかも」みたいな憶測が成立してコナン君が警戒してるというわけだ。
まあ、単なる想像に過ぎない。
何やら焦っている様子なので、私は安心させようとひとまず笑いかけることにした。
「僕がどうか、しましたか?」
「お前………!」
待ってどうして誤解が進行するの!!!
こういう時のためにあまり見せない迫真の笑顔を見せたじゃんけ!
すっかり重心を低く落としたコナン君の背後から、ようやく救世主が現れた。
トイレに篭っていた阿笠博士だ。
午前中にアイスを爆食いして腹を壊していたのだが、ようやく復活したらしい。
私の手作りアイスが悪かったのだろうか。
阿笠博士が首を傾げてふうむと訝しむ仕草を見せた。
「おお新一、どうかしたかの?」
「………へ?」
この辺りで灰原さんも帰還したらしい。
「ただいま」と実にクールに、かつ小さな声でそっけなく言う。
私たちは二人で「お帰りなさい」と彼女を迎え入れた。
やっとただいまって言うようになってくれたからな。
嬉しい限りだ。
完全に混乱しているらしいコナン君に対して、私はフォローしようと試みた。
灰原さんの悪癖にも困ったものだ。
「彼女が何を言ったのかはわかりませんが、彼女は現在組織から抜けています。僕たちとは目的を同じくする同士になりうるでしょう」
「ま、待てよ。ならなんであいつは阿笠博士の家に…」
「僕と博士が倒れていた彼女を保護しました」
降りしきる雨の中、ブカブカの白衣を羽織って倒れ伏す彼女を保護したのだ。
あれで補導されなかったのは幸運だったことだろう。
私は研究施設に大小さまざまの子供服があったから助かったが。
培養完了まで服を着る機会なんてないはずなのにと訝しんでいたが。
研究員の趣味なのか、洋服ダンスの横に「これ以上の実験体用衣服の購入には所属長の許可を得ること!」とデカい赤字の貼り紙があった。
くちゃくちゃの実験体で着せ替え人形を楽しむ不届者がいたらしい。
灰原さんが、視線を合わせないまま帰りがけに買ったらしき雑誌をパラパラしながら応えた。
「毒を呷って組織を抜けて身一つで雨の中倒れていたのを助けてくれたのよ。工藤新一の幼児化は想定していたし、もしかしたらと思ったの」
皮肉げな口調は、どこか己をせせら笑うような陰鬱さを含んでいる。
コナン君がひゅっと息を呑んだ。
「なんで、俺の正体を……」
「殺した相手の死亡確認リストぐらい組織にだってあるわよ。貴方だけずっと不明だったもの。ほっといたら貴重な検体が殺されるから、死亡に書き換えておいたわ」
なんとも憎まれ口を叩くものだ。
本当は、これ以上誰かが殺されないようにと言う小さな反抗だったのだろう。
クスクスと笑って灰原さんが言葉を続ける。
「それに幸運なのは第七生物科学研究所の被験体が手元に得られたことね。私もそっちの開発には関わっていたし、興味深かったわ」
「っ、テメェ………」
「でもどうして貴方は研究所を潰すことができたの?コマンドの強制力は十分だったはずだけど」
わざとらしい質問は灰原さんに煽る意思があるのをありありと感じさせる。
己を責めて欲しいのはわかるが、これ以上コナン君を怒らせないで欲しいところだ。
ともかく質問には答えるとするか。
「コマンドをシャットアウトする術を得ていたので。肉体的悦楽を押し除けて事前の意思通りに行動する、とでも言いましょうか」
「言うが易しね。そんなのできるはずないわ……でも現実に、あの晩研究所にいた職員は一人残さず殺されている」
その辺で我慢の限界が来たらしい。
コナン君が絶叫した。
「お前、自分が何したか分かってんのか!?」
「アポトキシン4869という不可思議な毒薬を作成して、数多くのクローン体を用いた生物兵器実験に関わった。その挙げ句に組織から抜けて、着の身着のままここに来た」
陰鬱に笑う灰原さんが、己の罪を数え上げるように肩をすくめた。
「もし私の正体が組織にバレたら、貴方も阿笠博士も危険に晒す。貴方にとって、これ以上ない厄介者ってわけよ」
阿笠博士がしょぼしょぼのしょぼで小さくなっているのが哀れで仕方がない。
もうそろそろみんな博士を大切にしようぜ。
激昂していても思う壺なので、私は冷静にコナン君に声をかけた。
「落ち着いてください。彼女をここに置くのはメリットゆえです」
「っ、何がどうメリットになるってんだ!こいつは、あんな実験に加担して!」
「アポトキシンの解毒薬の開発を任せられるのが一つ」
息を呑んで、一瞬コナン君は沈黙した。
「……っ、信じられる要素がない」
「加えて僕の身体の今後の維持に、専門知識を持つ研究者は重要ですから」
「…………………くそ」
やりきれない顔で、コナン君が憤りを吐息に込めるように吐き捨てた。
原作よりなんか灰原さんの好感度随分低くないか?
ここから関係修復する道筋が見えないんじゃけど。
「お前が何をされるか、わかんねーんだぞ」
「今組織に追われる状況下でその危険性は薄い。貴方とて分かっているでしょう」
いや。
コナン君がいつになく感情的なのは、もしかしたら私を慮ってのことだったのかもしれない。
私は大丈夫だし灰原さんは無害なんだが、なんともまぁままならないものだ。
灰原さんが目を細めて小馬鹿にするような笑みを見せた。
この人もこれだよまったく。
「心配しないでちょうだい。第七の奴らと違って自制心ぐらいはあるから。それに、個人的に組織に恨みもあるし」
「恨み?」
「姉が殺されたのよ。組織の奴らに。私の未完成の薬を毒薬に使うし、ほとほと愛想が尽きたわ」
姉が殺されたと言う言葉に、一瞬鋭い憎しみが籠るが。
またすぐに憎まれ口に戻ってしまった。
見ろよ阿笠博士のゾンビみたいな顔を。
お前ら可哀想だと思わないのかよ。
「でも、解毒剤は正直難しいわ。データがないことには………いや、数年前……」
考え込む灰原さんが思い当たったのは、数年前の些細な事件であった。
どうやら薬のデータの入ったフロッピーを紛失したことがあったらしく。
それが南洋大学の教授に誤送付されているかもとのことらしい。
南洋大学教授の広田雅美という言葉にコナン君は少しだけ微妙な顔をした。
そういえば宮野明美の偽名はここからとったのだったか。
そうして、私たちはギスギスした空気のまま広田雅美教授のもとに向かうことになったのであった。
可哀想だから、帰宅後寝る前に阿笠博士を労る温かいスープでも作るとしよう。
・実験体の着替え
実験体への愛ゆえでなく、それがオモチャでしかなかったことの証左。
今は燃えてなくなってしまっている。
・コナン君
あの超外道実験の関係者だって分かって当たりが強い。
自分が毒を飲まされたのは自業自得だが…あんなのは…。
灰原さんの露悪的な様子にやや気づいた。
責められたがっている?