全員が全員、努力を尽くしている。
私は汗をポタポタと垂らしながら、それを備え付けのタオルでよく拭った。
垂れた汗で魔法陣に乱れが出ては困るからだ。
ただ必死に魔力を回す。
いや、魔力なんてものを実際に感じる高尚な作業ではない。
ただ魔女に教えてもらった通りに魔法陣の中で祈りを捧げる。
それだけの神頼み的作業だった。
場所は私と降谷さんの客室だ。
園子ちゃんが用意してくれたそこは広く、3部屋で構成される最高級の部屋だ。
まあそもそも、この船はスモールラグジュアリーとも呼ばれる最高級豪華客船。
乗員乗客400人というコンパクトサイズながら、そこには超一流の贅を極めた空間である。
客とスタッフの比率もほぼ一対一で、専属バトラーサービスがつく部屋もある。
元総理夫妻が乗っているそうだから、その手の警護もサービスとしてあるだろう。
そこが今、静かに地獄と化そうとしている。
灰原さんがそっと私に水を差し出したので、私は首を振った。
「灰原さん、貴方はコナン君の方に応援に向かってください」
「だめよ、空君が倒れたら話にならないもの。分かってる?あなたがこの運命の選択肢を握ってることを」
その言葉に私は静かに瞳を伏せた。
今、それぞれが全力を尽くしている最中だった。
降谷さんには残ったウェルカムドリンクをまとめて保管してもらっている。
食器を洗うのも一旦ストップ。
幸いまだ洗い物もなく排水はされていなかったのでギリギリセーフと言えるだろう。
通常、この手の汚水は油水分離器を使ってそのまま海洋へ放出してしまうからな。
そうなってしまえばもうおしまいだ。
降谷さんの細やかな指示と行動が光った形と言えるだろう。
私は弟君の暗号解読と並行してひたすら成長魔法連打。
暗号が解き終わったとして、1時間のタイムリミットを超えてしまえば定着した幼生ごと宿主は死ぬのみ。
降谷さんもコナン君も灰原さんもみんなみんな、等しく死ぬのだ。
それを回避するには、脳から幼生を引きはがすしかない。
私が成長できるかどうか、それのみに乗客全員の命がかかっている。
コナン君は今降谷さんと組んで犯人の女を追っている。
まだ追加の幼生を隠し持っているかもしれないし、何を企んでいるかわからないからだ。
阿笠博士は大人の役で、子供ゆえに行動の制約が多いコナン君の補佐となる。
灰原さんは私のお目付役、ということらしい。
心配そうに私を見て、灰原さんは私の汗をタオルで拭ってくれた。
「それ、疲れるの?」
魔法陣が強い光を帯びては途切れるを繰り返す。
未だ成功の目処はつかない。
「疲れます。一回で、100メートル走を全力疾走したぐらいでしょうか」
「でしょうね。ただ光るための運動量を換算するだけでも結構なものだわ」
降谷さんたちがどんなに頑張ったとて、私の出す結果という大勢は覆せない。
私が幼生を追い出せねば、あとは全員死んで化け物を生み出すだけ。
全ての命が私の両腕にかかっている。
今、目の前の灰原さんの命ですら。
時計を見ると、あれから1時間半が経過していた。
ぶっ通しで魔術を発動し続けていたから時間感覚が曖昧だ。
じわり、と恐怖が体を支配する。
このまま成功しなかったら。みんなみんな私のせいで死んでしまって、誰も彼も殺すしかなくなってしまったら。
化け物の孵化を防ぐため、殺してくれと言われたら。
私はどうすればいいのだろうか。
ぐ、と拳を握り込む。
考えてはダメだ。足が止まる。今足を止めたら誰の得にもならない。
再び魔術を発動しようとしたあたりで、コナン君から電話があった。
飛びつくように通話ボタンを押す。
「そっちはどうです!?」
『女は確保した!解毒剤とやらを渡されていたが、一人分だ』
「正直怪しいですね。そんな都合のいいものがあるとは思えない。幼生の発育促進剤ならまだしも」
『ああ。それは安室さんも同じ意見だ。ひとまず確保したから……待て!生まれる!安室さん離れて!!!』
何か争うような音。ゴッ、とスマホを取り落とす音。
それからブツっと通話が途切れ、何も聞こえなくなった。
心臓が締め付けられる。
息が浅くなる。怖い。
灰原さんが隣に来て、そっと問いかけてきた。
「心配?」
「はい。胸が、苦しいです。まるで万力に挟まれてるみたいに、こんな、こんなの」
「彼のこと、降谷零という男のことを、それほどまでに愛してる?」
ひゅっと、喉がなった。
愛。愛と言ったか。
それは何だ。愛してるはずだ。家族として、きっと、たぶん、でも愛とは何だ。
わからない。
喉がカラカラに乾く。
「は、い」
言葉は片言だった。
「父だと思って、でも、今、危なくて、僕のせいで」
「あなたのせいじゃないわ」
「は、早く成長してオリジナルを助けないと、は、はやく、オリジナルを」
ぐるぐると思考が空回りしている。
灰原さんが私の頬を優しく撫でた。
親愛のこもった、あふれんばかりの愛を感じる動きだった。
「息を吸って、吐いて」
「………、」
「落ち着いて前を見て、焦っては見えるものも見えなくなるの。思いに振り回されるのではなく、思いを乗りこなして力に変えるのよ」
私を抱きしめて、胸に鼓動を感じる。
とくん、とくんと優しい鼓動が私を癒す。
「灰原、さん」
「私も、たったこれだけのことに気づくのに時間がかかったわ。たくさんの失敗もした」
「……」
「あなたにはそんな思いをしてほしくない。私のような、失敗だらけの女の後を追ってほしくないの」
瞳が合う。
ぱちりと。ああ、これだけの愛を私は受けているんだと理解する。
私は理解されていて、優しい思いやりが満ちていた。
ただ私が勝手にそれを受け取り拒否していただけで、こんなにも皆温かかったのだと今更ながらに思い知る。
「母君、あなたはいつだって凄い」
「なによ、今更気づいたの?」
冗談めかした声は軽やかで、思わずフッと笑みが浮かぶ。
もう震えは止まっていた。
もう一度、魔法陣の上に立つ。
今度は心を統一して。魔女も、乱れた心に術理は応えないと言っていたではないか。
二発目。
失敗。
三発目。
失敗。
四発目。
失敗。
魔法というのは難しい。
理が科学のそれとはまるで異なるからだ。
理論的に見えて情緒的。絵を描くように術式を紡ぐのは、どこか芸術家にも似ているだろう。
体にも負荷がかかっていて、関節が熱を持って燃えてしまいそうだ。
疲労と痛みが容赦なく体力を削ってもうこれ以上は意識が落ちてしまいそう。
でも、そのぎりぎりを見極めて魔法を発動する。
コナン君と降谷さんなら、きっと大丈夫。
私は私の最善を尽くせ。
光が立ち上がる。
呪文はない。ただ魔法陣の中央に座って魔法を発動させるだけのことが、こんなにも難しい。
光がフッと消える。
また失敗─────いや。
ぴょこ、と私の背中に小さな小さな翼が生えた。
それは私の正装を押し上げ、窮屈そうに蠢いている。
タイトすぎて痛いぐらいだ。
瞬間、弟が叫んだ。
『暗号解読成功!繋がりました!回線を使って脳からの退避と自死命令を送ります!』
『ッ頼みました!思いっきりぶちかましてください!!』
『言われずとも!!!』
上着とシャツを脱ぎ捨て、天使の戯画の如き小さな羽を目一杯広げる。
灰原さんが目を見開いた。
「命令する。命令する。我が子よ、脳より退避し自死しろ。繰り返す。脳より退避し自死しろ。例外はない。死ね、死ね、女王の名の下に」
そこまで言ったところで、魔力不足でバタンキュー。
魔力と生命力は別物だからね。
能力で無限の生命力があっても疲れるものは疲れるのです。
べしょっと倒れ伏せば、灰原さんが慌てて駆け寄ってきて抱き起こしてくれる。
私はギリギリの意識でピースサインをして、自身の勝利を誇示した。
全部灰原さんのおかげだ。
ああ、ああ。私の母上。
感謝を。
・フラグ状況
→〈Easy〉降谷零が電話をする Clear!
→〈Very Hard〉阿笠空が真に愛を知る Clear!
→〈Extreme〉幼生を拡散させない -
→〈Normal〉悪霊xxxxxを除霊する Clear!
弟君「祝!!!兄君愛を知る!!!!!」
手足君「せっかく生まれたのにグエー」(死)