黒い暴走バイク、すなわちルシファーの運転手が高らかにバイクを唸らせる。
それは萩原千速の先輩に当たる、元白バイ隊員の浅葱一華だ。
バイクに呪われた女が、ガードレールに車体をこすりながら運命の決戦を駆け抜けていく。
絡み合うように走るは萩原千速。
エンジェルに跨った彼女はまるで白い一筋の流れ星にも似ていた。
そんな萩原千速の走る姿を遠いビルの上から、双眼鏡で確認している今現在。
降谷さんはバーボン服のままふぅと小さくため息をついた。
「爆弾に多少の細工はできたから、あとはコナン君に頑張ってもらうとしようか」
「ですね。ローハンの方も公安に張らせましたし。それよりどうします。幼生」
「困ったね」
子供達を狙うローハンに関しては、風見さんに指令を送って捕まえてもらう手筈になっている。
可哀想な風見さんは今日も出ずっぱりだろう。
突如神奈川県警の仕事を邪魔する人間として横溝警部に胡乱な顔をされるだろうが、こればっかりは仕方ない。
だが問題は幼生の方である。
ことがアメリカともなれば、拠点も遠くどこまで実験が進んでいるかも定かではない。
まったく面倒極まりないと言えるだろう。
降谷さんがむすっとして肩を落とした。
「アメリカかぁ。ほっといたら滅びたりしないかな」
「僕の記憶では、僕を攫って研究した挙句ミスってパンデミックしてしぶとく生き残った上に全世界に幼生を輸出しましたよ」
「なんだそれ。潔く単独で滅びて欲しい。これだから赤井のいるような国はダメなんだ」
弟君の言葉に降谷さんは激しく憤った。
と言うか今の話題に赤井さん関係なかったろ。
幼生を呪殺するのはあまりに代償が大きすぎるらしく、魔女には止められたし。
うーん。
………なんかそれを解決する何かを受け取った気がするが、気のせいだろう。
最近変なイカの夢ばかり見るんだよな。気をしっかり持たねば。
降谷さんが確認するように小さく問いかけてきた。
「今の命令範囲はどれくらいなんだい?」
「東京ドーム4個分ぐらいです」
「突然凄くTV向けな表現だね。半径250メートルってとこか。暗号解読速度は?」
「前より少し早めかも、ぐらいです。───ラップタイム20分減が目標ですね───流石弟すごいぞ弟───えへん。もっと褒めてください」
弟君が胸を張ったので、降谷さんは満面の笑顔で私たちの頭をわしゃわしゃした。
ますます弟君が鼻高々になる。
私も「弟の時代がやってきた!!!」と場を盛り上げるなどした。
その時である。
「すみません」と背後から声がかかり、素早く降谷さんが拳銃を出せる体勢を整えた。
振り返った先にいたのは龍里希莉子であった。
上品な黒の装いに、泣きぼくろが色っぽい。
たしか工業デザイナーとしてアメリカで働いていると言っていたか。
「私はビーシスに勤める龍里。あなた方が新型兵器について調べていると知って声をかけさせてもらったわ」
「………へえ。お一人で口封じとは、随分と気合が入ってらっしゃるんですね。ここでは狙撃も難しいようですが、お付きの狙撃手は別行動ですか?」
「ジョンは大前の暗殺に行ってもらっているわ。ここに来たのは私だけよ」
大前とは、ルシファーの開発者で、運転アシスト技術を軍事転用しようと狙うライバル会社の人間だ。
その自動運転技術知識は確かなもので、無人での完全な制御を可能としている。
その暗殺というと、よほどビージスはライバル会社の自動運転技術を良く思っていないらしい。
降谷さんが見下すような笑みで口を開いた。
「それで、僕らに丸腰でなんの用なんです?」
「ビーシスを止めて欲しいのよ。私があんなに危険性を指摘したのに、結局実行に移したあの愚かしい実験を」
「どう言う意味ですか」
憂いを帯びた瞳で龍里は俯いた。
そこには軍事会社に相応しくない、正しい倫理観が宿っている。
「あなたも知っての通り、ビーシスはあなたの組織から生物兵器を買い取った。それを独自に調整して出来たのが、『ブレインハッカー』と呼ばれる新型兵器よ」
ブレインハッカーは人の脳と一体化して、人を殺傷せず支配下に置く。
一生、その子供に至るまで完璧に。
命令はドローンから発信される電波に従って放たれ、夥しい数の感染者をただの人形に仕立て上げる。
完璧で安全な「統治機構」。
反抗的な紛争地を統治する手段として売り出す予定のそれ。
「それがもうすぐ、この神奈川に大規模散布されるわ」
「は…………」
一瞬、降谷さんが絶句した。
何を散布すると言った?
幼生を、この人工密集地帯にか!?
「本命はここにいる例のルシファー開発者たる大前。有益な人間を取り込めて、秘密裏に実験もできると考えているようね」
「何を馬鹿な、こんな都市部に幼生を散布するだと!?すぐに制御など効かないパンデミックに陥るぞ!」
「実験では命を脅かすものではなく、かつすぐにドローンで駆虫可能だから、秘密裏な実験には最適だと言われていたわ」
なんて楽観的。
人間が死ぬはずがないし、バレるはずがないとすら思っている。
なるほど、と私は同時に納得した。
幼生を幼生のまま留め置いて、成虫にならないように調整するのだ。
私も休眠という形でそれを成したりしているし。
また、私の体内に潜む免疫型も同じように永劫幼生のままの生態の寄生虫だ。
成虫とならないなら、幼生の危険度は大幅に下がる。
各臓器に悪影響を与えたりしないし、脳と一体化して宿主に有益でありさえするだろう。
だが、それでも散布は容認できない。
人を操り人形にするだけではなく、突然変異による悍ましい死や、感染爆発の恐れがあるからだ。
降谷さんがやや焦りを滲ませながら歯噛みした。
「それで、ドローン基地はどこです?」
「このメモの住所にあるコンテナよ。闇夜に紛れて」
「わかりました。これは貸しにしておきます。幼生が撒かれる前にずらかることも出来ましたが、こちらとしても不都合が大きいので」
「助かるわ。大前はその前にこちらで始末しておく。それと気をつけて、貴方を……、」
タン、と軽い音がかすかに耳を穿ったような。
不意に、龍里が側頭部から血を噴き出して倒れ込んだ。
狙撃だ。
次弾が装填される前に、降谷さんが素早く下階へ向かう階段に身を隠した。
私も同様に物陰に身を隠す。
角度からして、ここよりやや高いビル、南南東から。
インカムで降谷さんが指示を出す。
「───風見、狙撃があった。始末を頼む。極秘だ」
「どうします?」
「ひとまずドローン基地へ向かう。向こうも警戒しているだろうから、そこまで距離を詰めなくてもいいがな」
降谷さんは首を振って頭を抱えた。
「あの研究員はなぜ碌でもないことしかしないんだ?本当に勾留中の急病ということで始末してやろうかな」
「警察に非難が集まりますよ。それはともかく、ここからは別行動ですね。ルシファーをコナン君が止めてくれて助かりました」
降谷さんが「あれはあれで爆弾満載だからな。僕らの立場では全部は解除できなかった」と壁に背中を預けて言う。
それから目を細め、冷徹な光を灯す瞳で私に命じた。
「君には幼生に自死命令を下してもらう」
「わかりました。オリジナルは?」
「僕は今の隙を狙ってビーシス日本支社に侵入する。本国で培養しているであろう幼生についてできるだけ把握するつもりだ」
「わかりました。ご武運を」
未だ、ルシファーは萩原千速とデッドヒートを繰り広げている。
そこには爆弾が収まったまま、走り続けるのだ。
・研究者
「は???我らの最高傑作が陵辱されてるんだけど何????」
「もう殺すしかなくなっちゃったよ…」
「動悸すらしてきた」
・イカ
迷惑だとはわかってるけど帰るのが名残惜しくてその辺をぶらついてる。