降谷零は、大きな屋敷を前に嘆息した。
何とか気だるい動きでチャイムを押すと、のっしのっしとふくよかな体型の老人が現れた。
彼がこの屋敷の主人、阿笠博士のようだ。
彼は降谷の顔を見たとたん、とてつもなく驚いた顔をした。
やはりここで間違いないらしい。
安室のガワを丁寧に被り、降谷はにこやかな笑顔を見せた。
「すみません、ここに僕そっくりの子が預けられていると聞いていて。もしかしたら、その、血縁関係などがあったらと思い、訪ねさせていただきました」
「そ、そうか。空君のことなら…少し待ってくれんかの。今部屋を片付けるから」
真摯に、心象を損ねないように頭を下げる。
どうやらこの老人は富豪の親戚を持つ自由人のようだ。
近所の子供達を連れてキャンプに行ったり、親戚の子を預かったりと社交的な人として近所で有名だ。
おかしな発明品も売っているようで、それで多少の商売もしているらしい。
とはいえ、うまく行っている様子は見られないが。
総合的に見て「無害な」人間であることは間違い無いだろう。
老人があわあわと屋敷に戻っていくのを見ながら、降谷は考えを巡らせた。
この老人が子供を預かった経緯はわかっていない。
だが子供のあの容姿で降谷と全くの無関係であるとは考えづらいことも確かだ。
しばらくして、中に通された。
居間は広く、あの子供が何不自由なく暮らしていけていることを知って少しだけ安心する。
応接室に入ると、見覚えのある少年がそこで待っていた。
たしか、松田の一件で爆弾と共に閉じ込められた片割れの子だ。
今は名探偵毛利小五郎の家に預けられているんだったか。
風見の軽い調査によるものだが、知っていて損はないだろうと頭には叩き込んである。
調査によればもう一人この屋敷には子供がいるはずだが、ここにはいないようだ。
少年を前に、何も知らないという体で降谷は首を傾げた。
「君は……?」
「僕は江戸川コナン。空君の友達だよ。空君のことを調べてたはずの貴方が知らないはずないよね」
「ええっと、なんのことかな。僕は、」
「空君のことを、どうするつもり?」
阿笠さんが困った様子でわたわたオロオロしている。
かなり賢いということで捜査一課では有名な子供だったはずだ。
どうも降谷のことを警戒しているらしい。
降谷はできるだけ朗らかに見えるように笑って、無害そうに小首を傾げてみせた。
「もし血縁が確かであれば引き取ろうと思っているよ。君にはまだ分からないかもしれないけど、僕も責任は取らなきゃならないしね」
「……取れるの?責任。悪いお仕事をしながら子育ては難しいんじゃない?」
言葉は刃物のような鋭さを帯びている。
降谷は頬をかいていかにも困惑したような顔をしてみせた。
「困ったなぁ。何か誤解があるかもしれないけれど、僕は探偵をしていて…」
「ベルモットから概要は聞いてるから隠さなくていいよ。バーボン、だよね。コードネーム」
「…………」
降谷は思わず内心舌打ちした。
あの女は余計なことしか喋らない。
面白半分に父親のことを吹き込んだんだろうが。
組織のことを知られたならば最悪始末の命令が下る。
始末したと見せかけて彼らを逃すのも楽ではないと言うのに。
意図して昏い笑みを浮かべ、降谷はせせら笑った。
「正直な子は嫌いじゃないけれど、時と場合を選ばないと長生きできないよ?」
「それで、空をどうする気なのか教えて」
「……結論を急くなぁ」
結構睨みを効かせたつもりだったが。
子供だからなのか、全く意に介すことなく流されてしまった。
もっと危機感を持ってもらいたかったのだが、どうもうまくいかないらしい。
老人の方も、なぜかこの子に任せたままことの次第を見守っているだけだ。
やりづらさに歯噛みする。
バーボンとしての姿勢を崩さぬよう、降谷は慎重に言葉を選んだ。
「まあ、『確保』はしておきたいと思っているよ。変に利用されても面倒だし」
「それは人質としてとか?」
「足の引っ張り合いはこの業界じゃ日常茶飯事だからね。取り合うつもりもないけど、勘違いした輩が大きな顔をし出すと面倒なんだ」
肩をすくめて、つくづくやってられないという様子に見えるように口角を上げる。
正直、こちらの身分が知られた段階で保護は失敗だ。
ならばせめて、自分がどれほどの危険の中にあるのか自覚させる必要があるだろう。
少年はしばらく黙って、こちらに強烈な敵意すら滲む眼差しを向けた。
友のために憤っているのだろう。
良い子だ。
だが、それをふっと抑えて、くるりとそのまま背を向ける。
「貴方は一つ誤解をしてるよ」
「…どういうことかな?」
「こっちへ来て。空君のところに案内するから」
思わず彼を追って立ち上がる。
困惑しつつ、彼は止まる様子を見せないためそのままついていくしかない。
誘い込んでこちらに危害を加えるつもりにしては、どこか無防備だ。
「こ、これ!何をするつもりじゃ!?」と老人がバタバタと後ろからついてくる。
彼はこの家の地下室に案内しようとしているらしい。
ゆったりとした足取りで薄暗い階段の電気をつけた。
「まず、情報に秀でた貴方なら、第七生物科学研究所が炎上した件は知ってるよね」
「…内部に何者かが侵入して、壊滅させられた件だね。研究所自体はジンの指示で爆破されたって聞いてるけど。どうしてそんなこと君が知っているのかな?」
「空君に聞いたから。彼が、あの研究所を潰した張本人だから」
「……………は?」
言っている意味が理解できず、降谷はしばし呆然として固まった。
それはどういう───。
「あそこでは非道な生物兵器の実験が行われてた。人間のクローン体をベースに、数々の生物の要素を無秩序に組み込んだ怪物の作成だ。そのためにはもちろん、ベースとなる人間も優秀でなくてはならない」
「…………」
階段を一段一段、下っていく。
声が廊下に反響して、どこか薄暗い響きを伴って聞こえてくる。
幼い声が、淡々と絵空事を描いてゆく。
「偶発的に目が覚めたその兵器は、その非道な研究の全てを灰燼の中へと葬って外へ出た。誰でもない、孤独で空ろな、未成熟の現れである子供の姿で。安全を求めて。生きる意味を求めて。……貴方を、求めて」
「そんな、馬鹿なことが」
「貴方も一応は被害者だ。だから教える。勝手にクローンを作られた被害者に、正しい情報を伝えるべきだから」
押し殺した声で、震える手で。
一つ無機質な扉を、子供は開け放った。
「彼が、空君だよ」
「───、─────」
そこには、透明な繭があった。
上半身は裸だ。
下半身は柔らかな寝巻きのようなものを着用している。
成人男性をすっぽり覆えるほどのサイズの繭の中で、ふわふわと光を反射しながら子供は眠っているようだった。
羊水のような不思議な生命の息吹を感じさせる、その不思議な中で。
ふらりと足場が揺らぐ。
自分そっくりの姿は間違いなく、阿笠空の物であった。
「掘り込まれた貴方への思慕を、僕たちは知っている。彼は間違いなく貴方のことを慕っていた。親だと思ってた。それは、貴方も知ってると思う」
彼と初めて会ったのはスーパーだった。
不意な曲がり角での出会いだった。
ぶつかりはしなかったが。
あの子供の、花の綻ぶような本当に嬉しそうな笑みが今更ながらに思い出される。
慕っているって、初めて会ったばかりの男をどうして慕えるって言うんだ。
そのように作られたから?
そんな現実味のない話があるか?
だが優秀な頭脳が、一定程度の合理性をもって納得しようとしている。
馬鹿な、ありえるはずがない。
「空君は貴方に話したいことがあったと言っていた。クローン体の制作過程のせいか、空君には欠けた櫛のようではあっても貴方の記憶があったみたいだから」
「ッ、彼は、それについて詳しく何か言ってなかったのか」
「たわいもないことだけ。貴方は車の運転がとても上手いとか、潜入の技術に優れるとか、料理の腕は貴方の、引いては貴方の親友譲りだとか。貴方の幼少の、ほんのわずかな記憶とか」
メモ帳に電話番号を書いて降谷に渡したあの情景が、鮮明に脳裏にフラッシュバックした。
「貴方にお話ししておかなければならない事があります」と、そう言っていたはずだ。
「話したいこと」ではない。
彼の瞳は己をかけらも警戒してはいなかった。
彼は、降谷が潜入捜査官であることを知っていたのだろうか。
その上で「記憶を復元する術を組織が悪用する恐れ」について話そうとしていたのか。
馬鹿馬鹿しい。そんなことあるわけない。
急ぎではないと言った理由は。
この子が研究所を、データ一つ残さず潰してみせたから。
現場は執拗に破壊されていたし、データは一つ残らず消去され、研究員は全員息の根を止められていた。
ただ研究所を破壊するだけにしてはあまりにも念入りな力の入れようだった。
そうだ。
だってそうしないと降谷の命とて危ない。
人のクローンから記憶を抽出する術が確立されてしまったら、もはやあらゆる潜入捜査は意味をなさない。
それだけではない。
記憶のあるクローンを用いて挿げ替えも可能で、あらゆる悪事は次の段階へと進むだろう。
その技術だけは絶対に消さねばならなかった。
ありえない。絵空事だ。
そんなことあってたまるか。
目の前に、繭の中で揺蕩う小さな姿が見える。
喉がカラカラに乾いて、指先が不随意に震える。
「か、れは、今、なぜこんな姿に……?」
「眠ってる。もう目覚める可能性は、ごくごく僅かだ。このまま息を引き取るだろうって、言われてる」
誰か背後に研究者がいるのか。眠るにしてもこの異様な姿はなんだ。
聞きたいことはたくさんある。
なのに、言葉が喉に詰まって出てこない。息が苦しい。地上で溺れているようだ。
「話したいことがあるんです」。
彼の声が脳裏でリフレクションする。
松田たちの仇が爆弾を仕掛けた時。
わざわざあのタイミングで話しかけてきたのは何故だ。
あるのか。記憶が。
どこまであるんだ。
飛び込んで老婆を助けて、代わりにエレベーターに閉じ込められたと聞いている。
老婆はそれをとても恩義に思っていて、感謝の言葉を伝えるために警察に問い合わせをしたのだとか。
爆破わずか1秒前でタイマーは切られていた。
彼らの交わした鼓舞の一部が、通話越しの記録として警察庁のデータに残っている。
もうすぐ死ぬと言うのにそんな形で助かったら悔いになる、だっけか。
なんだ、もうこうなることを自分は知っていたんじゃないか。
今更「阿笠空と話したい」なんてちんたら時間をかけて嫌々足を運んで。
とろくさくて話にならない。
ああ、彼の問いかけになんて答えたんだっけか。
「子供に何ができる」だっけ。
そんな自分はその時何をしていたんだ?
ぐるぐる。ぐるぐるぐる。
うまく思考が働かない。
「バーボン。貴方は空君をどうするつもりなの」
「…………おれ、は」
そこまで生死を共にした仲間にすら、阿笠空は降谷の正体を告げることはなかった。
降谷のために。
もはや、喉はひゅっと枯れた音を奏でるのみで。
愕然と視線が彷徨うばかりの場は、沈黙のみがその存在を主張しているのであった。
・風見
流石にやばすぎたので上司をどつき回して送り込んだ。
すごく嫌そうだったけど子供を放置はマジあり得んので周囲にバレる前に回収してください!!!と送り出した形。
・コナン君
私怨4割、バーボンの出方を見る目的6割。
空の慕っていた人だから、正しい知識は与えるべきだ。
その上で選択によってはその場で制圧する。
きっちり腕時計型麻酔銃は後ろ手に構えてる。