どうやってセーフティハウスに帰ってきたか、降谷はぼんやりとして思い出せなかった。
緩く息を吐いて、車の鍵を机の上に乱暴に置く。
何もない寝るためだけの部屋だ。
一般的なフローリングに机、椅子、ベッドだけあるそこは電気は消えて薄暗い。
外の夕陽だけが差し込んで、室内を不気味に赤く照らしていた。
あの、透明な膜に包まれた彼の姿が脳裏に甦り、降谷は強く目を閉じた。
駐車場に車は無事に停まっているようだ。
どうやら事故らずに帰って来れたようで何よりである。
頭が重く、考えることを放棄させようと降谷にのしかかっている。
ポケットに違和感を覚えて中を探ると、小さなUSBメモリがひとつ出てきた。
そういえば帰り際に江戸川コナンから渡されていたんだったか。
すっかり忘れていた。
なにやら彼の前でみっともなく喚いた気がする。
今はどうでもいい。何も考えたくない。
のっそりした動きでPCの前に座る。
普段ならウイルスチェックなど欠かさずするのに、今は何も考えずにPCへとUSBメモリを突っ込んだ。
フォルダが開き、そこに幾つかのデータを見て取ることができた。
それは淡々とした誰かの研究レポートであった。
いかに非道な実験がされていたか。
どれほどまでの悲劇が生み出されていたか。
組織のPCから抜き出された、吐き気を催すような実験の記録が、そこには克明な記録として残されていた。
その結末として生まれ落ちたクローン体によって、最後には全ては火の中に終わっていったのだと言う。
すでに彼の兄弟たちは火葬されている。
一部記録をICPOと研究機関が拾い上げているようだが、それはあまりうまくいってはいないのだとか。
まあ、ことが公になれば人類史に残る大事件として取り沙汰されるであろう惨事だ。
科学の汚点として永劫語り継がれるであろう非道など、闇に葬られた方が都合がいい。
そんな汚い大人の都合の中にあって、降谷のクローンである彼はどこまでも無垢であった。
データを閲覧すると、妙な箇所が巧妙に暗号化されていた。
何か見えないデータが埋め込まれているようだ。
リンクが埋め込まれているのか。
読み解いて開けば、どうやらそれは動画のようだった。
ファイルをコピーすると一緒にコピーされるよう仕組んであったらしい。
短いそれを開くと、カメラ目線の阿笠空の姿が映し出された。
思わず硬直している間に、動画は滑らかに進んでいく。
『これは単なる保険です。オリジナルが阿笠邸に侵入するなどして真実を知った時のための保険。ですので、既知の情報が含まれていましたらご容赦ください』
「────……」
にっこりと花が舞うように上機嫌に阿笠空が笑っている。
スマホカメラで映しているのだろう。
朝の日差しの差し込む部屋は眩しくて、どこか彼の輪郭が捉えづらい。
『まず、僕はこのデータをご覧になって分かる通り、降谷零のクローンです』
特筆すべきは、貴方の記憶もあると言う点です。
これは非常に由々しき事態です。
具体的には貴方の幼少期、警察学校時代、あとはバーボンとしての活動の一部。
それらが僕の記憶として転写されています。
これは研究所としても想定以上の結果だったと思います。
記憶の転写実験は過去幾度も行われていましたが、どれもクローン体は狂死していますから。
ですが、もしこの技術が実用化されればあまりにも驚異です。
あらゆる秘密は細胞一片からハック可能になり、成り代わりと操作は横行する。
人類社会のためにも、この技術は消さねばならなかった。
……貴方にお願いしたいのは、残党の始末です。
動画と同じ場所にデータがあります。
これは僕が研究所を潰した当日研究所にいなかった職員のリストです。
残ったデータを隠し持っていると拙いですので、捕縛あるいは始末をするべきでしょう。
特に3行目のコマンド・行動原理デザイン主任の男、7行目DNA解析技師の女は早めに押さえておきたいところです。
ICPOも動いているので大っぴらに活動を行うのは難しいでしょう。
恐らくは本件の指揮に推理小説家でICPOにも顔が利く工藤優作氏が関わっています。
彼に繋ぎを取るのが1番楽かと思われます。
……実のところ、私怨も少し。
あんなふうにゴミのように兄弟たちを処分して、恨みがないといえば嘘になります。
オリジナルにそんなことを頼むのは気が引けますが。
最悪、僕は寿命で脱落していますので。
クローンの通常の耐用年数は十年。僕は未成熟なまま培養槽を出たのでその半分。
実に短い残り時間しかありません。
その間に話ができれば良かったのですが、これを見ていると言うことはそれも叶わなかった様子。
…………。
今僕が生きていてもいなくても、僕は敵ではないことをご理解ください。
僕は貴方の力になりたい。
僕にあたたかな心を、正義を、思い出を教えてくださった貴方の力に。
オリジナル。
これがたとえ刻み付けられた思慕であろうと構わない。
僅かでも貴方と会話できて良かった。
どうか、貴方の道行に光がありますように。
幸せそうに、本当に幸せそうに微笑んで。
動画はそこで終わっていた。
「………っ」
立ち上がる気になれなくて、そのまま背もたれに体重を預けて天井を仰ぎ見る。
バイブ音が鳴っている。
机の上で、スマホが着信を知らせているのだ。
風見と表示されているそれを、降谷は気怠い動きで手に取った。
『降谷さん!?保護は完了しましたか!!ベルモットに知られているんでしょう!早くしないと手遅れに』
「もう手遅れだった」
『は?……ふ、降谷さん!?まさかもう組織の手が』
「後でかけ直す」
なんとかそれだけ声を絞り出して、一方的に通話を切る。
今は何もかも億劫で、何もかもどうでも良かった。
あの透明な膜に包まれた阿笠空の姿を思い出す。
あれは、死の眠りなのだと言う。
成長できるはずもないのに、その間に寿命が尽きるのに本能は蛹と化して備えているのだ。
そのまま枯死するであろうもの。
一足早い死の眠りでしかない。
帰りの阿笠邸には、行きでは気づかなかった細やかなものがやけに目に入った。
子供用のおもちゃらしいブロック、手品道具。
棚には写真が飾ってあって、たくさんの子供に混じってキャンプを楽しむ阿笠空の姿が写っていた。
あのスーパーで出会った時。
己の拒絶の言葉にどれほど彼は傷ついただろうか。
これほどの純粋な思慕を背負い切れないからと勝手に突っぱねた降谷を、かけらも恨むことなくこんな動画を残した。
松田達の仇は逮捕されて、彼らの功績によってそれは晴らされた。
自分が、人殺しに手を染めている間に。
「─────……松田、お前ならどうした?」
歪な自嘲のままにぽつりと漏らした言葉は。
あまりにも虚しい、死者へのくだらない問いかけであった。
うおおぉぉぉうなれ魂のパワー!
俺のこの手が真っ赤に燃える!勝利を掴めと轟叫ぶ!!!
ぐぬぬぬぬぬ死んでたまるかァァアアア!
ぜぇ、はぁ…ふんぬ!!!
お、なんか行けそう!
ここをこうして、こうじゃ。
よし!
・分岐
24話「降谷零の苦悩と分岐点」で嫌々電話すると分岐。
真実を知ってクローンとの薄暗い親子ごっこが始まる。
寿命僅かな無垢な子との煌めくような曇りの日々。
クローン主観では推しとのハッピーMAXライフで極楽。
次回から高校編かな。