昼間の高校生活の煌びやかさは語るまでもない。
その夜の、地下の有り様はどうだろう。
研究は順調とは言い難い。
灰原哀は、地下に拵えた実験設備を前に緩く息を吐いた。
鉄製の飼育ゲージに噛み付く、子猫ほどの大きさの怪物が五匹。
薄暗いそこでギィギィと歯軋りのような音を立てて鳴いている。
姿は人の手がたくさん生えたトカゲが近いだろうか。
人の肌色、人の目、人の面影にそれを醜く崩した顔立ち。
だが間違いなくそれは怪物で、誰もが悲鳴を上げるであろう醜悪な形をしていた。
隣のバーボンが搾り出すような呻き声をあげる
「────なんですか、これは」
「私たちは『手足』と呼んでいるわ。ようは働き蟻よ。マウスを使って孵化させたの」
「僕の手足ですね。見た目があまりにもホラー映画の登場キャラクターなのが厄介ですが」
宙が檻の隙間から指を差し込んで、成長した幼生をつついた。
幼生は無防備に数回つつかれ、困ったように「ギ、ギ」と鳴いて縮こまった。
この「手足」と呼ばれるものは、阿笠宙から抽出された幼生をマウスに注射することで生まれたものだ。
成長には約3時間。
それは頭蓋を割り裂いて現れ、宿主の死骸を貪って成長した。
宙から取り出した幼生の注射と、直接阿笠宙が噛むのとではほとんど差異はみられなかった。
唯一、直接噛む場合は初期操作が可能なくらいか。
ベルモットの幼生が孵化しないのは、この初期操作が関係しているようだ。
灰原が檻に手を近づけると、「手足」は激しく威嚇しガチガチと歯を鳴らした。
視線を向ければ、予定通り阿笠宙が実験を開始する。
命令を一言、絶対者として発するのだ。
「『静止しろ』」
宙の命令によって「手足」達の動きがぴたりと止まる。
ラットを噛んで注入したもの、注射器で入れたもの、培養したもの。
それぞれどれもきちんと静止しているようだ。
特に感慨もなく、冷徹な瞳で宙が命令を続ける。
「『敵に備えて警戒態勢に入れ』」
今度はややファジーな命令だ。
あえて宙には具体的なことを考えずに命令を発してもらって、この生き物の知性と判断力を見るのだ。
「手足」は人の手のような足をざわめかせ、ひとまず四方八方に威嚇し始めた。
本来はもっと組織立って多くの機構を持つのがこの生物兵器の特徴だ。
単純に手足に思考させればこの程度になるのは仕方ないだろう。
そこにもう一度灰原が手を近づければ、激しく吠えついていきりたった。
代わりに阿笠宙が手を伸ばすと、しゅんとおとなしくなってぺろぺろ舌を出す。
まるで犬のような反応だ。
見た目は歪な人面トカゲなので一ミリだって可愛い要素はないが。
ぬらついた乱杭歯の間から、唾液がダラダラとこぼれている。
灰原はその様子をバーボンに見せて、今日の本題に入ることにする。
「こうして、幼生達は親を認識できるみたいなの。バーボン、貴方も手を」
「…………」
つまり、クローンの「親」として登録すれば手足を無力化できるか。
バーボンは震える手を檻の近くへと差し出した。
それはバーボンを敵とみなし、食いつこうと激しく唸り昂った。
「次、コマンドを言ってみてちょうだい」
「なにを、言えばいいんだ?」
「『止まれ』ぐらいでいいんじゃないかしら。ともかく、側から見て効果が明確な方が嬉しいわ」
その言葉に、バーボンはゆるゆると動き出した。
まるで拭い去れぬ恐怖と対峙しているかのように動きが鈍い。
「止まれ」と、震える声で一言。
特段、手足達の動きに変化は見受けられなかった。
「だめね。やはり親の登録如何に関わらず、全ての命令は宙君を通さないといけないみたい」
「そのための人間型、と考えた方が自然ですね」
灰原は嘆息した。
厄介な性質だ。もしパンデミックが起きた状態で阿笠宙が死んだ場合、どうなるか全く予想がつかない。
「ともかく大きくなりそうな最後の一匹は始末するわよ。どんどん成長しているし、ここで飼いきれなくなったらまずいわ」
「承知しました」
五匹いるうちの最後の一匹のみ、幼生をそのまま培養して大きくしたものだ。
それだからか、他の個体と違って成長が止まらず次第に大きくなってきている。
力も強く、このままだと檻を破るかもしれない。
宙はなんの感慨もなく言葉を落とした。
「『死ね』」
あっけなく、たったそれだけでころりと倒れ込み、手足の一匹は痙攣して動かなくなった。
灰原はそれを無言で見守り、観測機器が間違いなくそれが死んだことを確認する。
きっと己は地獄に落ちるだろう。
兄弟をその手で殺させた哀れな被験体に、その子供まで殺させているのだから。
バーボンの絶望に満ちた、絶句の顔が少しだけ愉快だ。
お前も同じ穴の狢だろう。
組織幹部のくせに何を狼狽えているのか、共に地獄に落ちるのが嫌なのか。
灰原は陰鬱に嗤って肩をすくめた。
幼生に感染させたマウスにも、同じように女王の命令での死が効いていた。
とはいえ、感染後1時間を超えた段階で母体ごと死ぬが。
これは万一の時に間違いなくパンデミックを止める緊急装置となるだろう。
実験機器の反応を見ながら、灰原は口を開いた。
「やっぱり低電位パルスかしら。でも空気中なのに…それ専用の器官があるのか…」
「僕も、何故幼生との繋がりが感じられるのか、体感としか説明できません」
「要調査、ね。命令に割り込む方法がわかれば1番いいのだけど」
例えば電波なら、街中で女王の命令を模したそれを無作為に照射するとか。
緊急時のそうした対応ができた方が応用が利くだろう。
バーボンが悍ましいものでも見るような顔で、震える息で灰原を見た。
「…………どうして、こんな」
「宙君のためよ」
巌の如き口調で灰原は断言した。
幼生は常に阿笠宙の体内で生産され続けている。
血液、体液、牙の奥の卵巣など。
ふとした事故でパンデミックが起きても何もおかしくないのだ。
その時、阿笠宙が危険として始末されることだけはあってはならない。
もしものことがあった時、広まる前に解決できるように。
阿笠宙が人の手で殺されないように。
灰原はそのためだけに研究を続けていた。
「ねえ、コマンド下にある僕の命令が幼生にどう影響するか調べません?」
「!!」
宙の欲に濡れた顔に、バーボンの顔色が変わった。
この男の取り乱し方はずいぶん酷かったらしいから、哀れと言えば少し哀れか。
それもそうだ。
たったの一言で、悪意ある人間の一言で、阿笠宙は自由意志を奪われこれ以上ない兵器へと貶められるのだから。
その悍ましさは筆舌に尽くし難い。
こうしてコマンドに執着するのも、本能として人に扱われることを望んでいる、そのように作られている証左だろう。
あまりに残酷な生態に、灰原は自然と己が卑屈に俯いてしまうのを感じた。
「そうね、本来コマンドを通して間接的に命令させるのでしょうし、そこは調査しておかないとまずいわね」
「そうでしょうとも。せっかくなのでオリジナル、どうかお願いします」
にこやかに、あまりにも残酷なことを阿笠宙が口にする。
薄暗い照明が彼の顔に影と光をもたらした。
バーボンの声が震えている。
「なん、て、言えばいいんだ?」
「『967-OA2、オーダー、幼生を鳴きやませろ』ぐらいでいいでしょうか」
バーボンの視線があちこちに動く。
動揺しているのだろうか。
なんとか喉の奥から引き摺り出すように、必死で無心になるように虚ろな声が地下のラボに響く。
コマンドが宙の元に届く。
ふわりと自意識を薄くして、無機質な眼で阿笠宙が口を開いた。
「『黙れ』…………うまくいきましたぁ」
一斉にギィギィとうるさかったそれらが鳴き止んで、しおっと小さくなっている。
宙は蕩けた顔でバーボンに擦り寄った。
なんとも、バーボンも絶望したような顔をするものだ。
組織でこんな非道いくらでもやっていただろうに、妙なところでウブなのか。
それとも、自分の似姿が利用されていることにショックを受けているのだろうか。
バーボンが恐怖を塗り込めたような瞳で宙へと問いかける。
「ベルモットにも、これを打ち込んでいると、聞いた」
「はい!僕の事情を黙っていてくれるようにと、休眠状態のそれを。でもぉ、コナン君達が非人道的だからと除去するためにぃ、研究をしてるんれす!」
コマンドが効いているため、宙はニコニコと上機嫌だった。
親の願いとあらばなんだって叶えるだろう。
そのような無垢な喜びと親愛、命令によって毀損された幸せがそこにはある。
がさがさ、がさがさ。
幼生が鉄の檻の中を蠢いている。
化け物だ。もし人に寄生すれば、頭蓋を裂いて現れるジャガーほどのサイズのもの。
人は変形し、無惨に死に絶える。
人類の、敵である。
「僕は………」
バーボンの息が荒い。やはりこの実験に参加させるべきではなかったか。
灰原はもう決心している。
何があっても阿笠宙を守ると。この子を傷つける全てを排除して見せると。
だって彼がこう成り果ててしまったのは灰原のせいだ。
灰原が研究に首を突っ込んだから、あんなふうに協力したから、この子はこう成り果ててしまった。
だからその償いはすべきなのだ。
バーボンがゆるゆると彼を抱きしめた。
愕然とした顔で、一言も発さないまま茫洋と宙を見ている。
何と何を天秤にかけているのかは知らないが、敵に回るというのならば容赦はしない。
灰原はそう固く違って、唸る幼生達をただぼんやりと見つめていたのだった。
・クローン
幼生に思うところは何もない。
口内の細菌培養された気持ち。殺すのはちょっとかわいそうな気がする。
灰原さんがいうならやるけど。
・灰原さん
覚悟ガンギマリの人。
あなたのためならどんな非道にも手を染めましょう。
・バーボン
なんか協力して欲しいって阿笠邸に呼び出されたらえぐいSAN値チェックが直撃した人。
こんなにも危険な生物なら、日本のために処理しなければ。
こんなに優しい子で、おれに原初の誓いを思い出させてくれて、何も悪くなくて、危険だ、公益のためにこの場で始末するべきだ。
ああ。