昼近くになって、有希子さんが困り切った様子で電話をかけてきた。
『あの子ったら車から飛び降りて逃げ出しちゃうのよ!轢かれたらと思って気が気じゃなかったわ!』
「誘拐に失敗したと言うことですか。僕の動きに変更点はありますか?」
『優作が言うには、この後博士の家に行くだろうから、そこで気を失わせて例の廃屋に連れてくつもりよ』
なるほど。その様子に不審に思って、コナン君を助けに行く係が私というわけだ。
得心がいったので、電話越しなのに思わず頷いてしまう。
しかし有希子さんも肝が冷えただろうに。
車を飛び降りた状況で、誰も怪我がなくて本当によかった。
「では救助のふりをして廃屋に侵入します」
『お願いね。新ちゃんは縛って2階のキッチンに寝かせておくつもりだから。その後の流れに変更は無しよ!』
「承知しました」
電話を切って私は身支度を整えた。
変装の準備中の阿笠博士に「優作君達からかね」と問われたので「ええ」と言葉短に頷いておく。
今回のお芝居、阿笠博士もグルである。
さて、うまく行くといいのだが。
翌日早朝。
私は伝えられた廃屋に窓から侵入し、ちろちろと気配を消して這い回った。
もうこの時間には工藤夫妻は居ないはずだが、阿笠空たる私はそれを知らないはずだからな。
コソコソっと二階の部屋を覗いてみる。
当のコナン君はと言えば逃げ出しもせず、盛大に家探しの真っ最中であった。
誘拐されといて凄い胆力であることよ。
私は驚かせないよう、わざと気配をあらわにしながら彼の背後から近寄った。
「無事ですか、コナン君」
「っ空!お前どうして!」
「昨日阿笠邸前で貴方の声が聞こえた気がしたので、気になって毛利探偵事務所に電話をかけました。どうやら居ないはずの母親が引き取りに来たとかで、僕も気になりまして」
「………組織の奴らだ。オメーはゼッテー正体がバレねぇようにしろよ」
凄く低い声で、彼は険しい表情をした。
正体がバレるって意味なら幼児化してるコナン君の方がよっぽど危険なんだがな。
単なる実験体Aは殺処分すればいいだけ。
だが世にも珍しい若返りの実例ともなれば……どう扱われるかわかったものでは無い。
そんなこと十分以上に分かっているだろうに、それでも私を心配してくれているようだ。
まだ若いのに、こんなにも優しくて強い。
私は内心微笑んで、了解の意を伝えた。
「わかりました。それで、この場所から早く退避しましょう」
「いや、まだだ。奴らは今日の13時に取引相手を始末すると言ってた。それを止めて、ついでにアポトキシン4869を頂くんだ」
「貴方を攫った連中が新薬を持っていたと?なるほど。現場幹部級の人間なのですね」
「………っ」
コナン君の体に力が入ったようだ。
これは私の知識に照らし合わせての間違いない知識だ。
薬学部門が特定の幹部級に配布して試用してもらっていたはずだからな。
持っていると言うことは、幹部だと判断して間違いない。
机の上に捨てられていた新聞を開いて、コナン君が指し示す。
「これを見てくれ、新聞の切り抜きが捨てられてる」
「……なるほど、切り取られた文字を逆算すると米花ホテルになりますね。それだけだとやや特定が困難ですが。詳細は通信アプリで行ったのでしょうか」
「かもな。それと、こっちのカレンダーに切れ込みが入ってる。上の8月を切り取った跡だ。類推するに米花ホテル、30になる」
「30…これ以上は現地で調べた方が早いでしょうね」
「ああ。行くぞ空!」
コナン君が用は済んだとばかりに立ち上がった。
ちなみに、この新聞紙は地道に昨日有希子さんが新聞を調べながらカッターで切り取ったものだ。
カレンダーを一つ前の月にしたのも優作氏のこだわりである。
そのまま捨てると切り抜いた前月のゴミが出てしまうので、それは私が引き取って阿笠邸で捨てている。
この細工全てを当然息子なら解けるだろうとジャブ感覚で突きつけてくるあたり、優作氏も求めるレベルが段違いだ。
それを軽々と解き明かすコナン君もまた、埒外の推理力を持つ人間の一人である。
バスを使って米花ホテルに向かう。
この廃屋から案外と近くで、車なら30分もかからないだろう。
それからは、それが駐車場番号だと理解するのはあっという間だった。
コナン君も本気ということらしい。
私の頭脳は「彼に任せておいた方が効率的」とのことで、一旦推理を傍に退けてタイミングのみを見計らっている模様。
降谷零の判断っぽいが、なんともまぁ淡白なことだ。
自分も十分推理できるだろうに、他人に任せる判断がかなりがっしりしていると言うか。
取引場所の部屋番号は301。
それすらも秒で読み解き、私たちは三階までやってきた。
静かな廊下には人一人見当たらない。
「どうやって部屋に入りましょうか。強行突破もできなくはありませんが」
「お前、チューイングガムは持ってねぇか?…あ、いや、持ってるわけねぇよな、ははは」
「ハイチュウならありますが、代用は可能ですか?」
「持ってるのかよ!?」
コナン君が目を白黒させて私を二度見した。
うるさいぞそこ。
どうやら幼体だから、ある程度多めに食べた方が成長が早いらしいと分かったからだ。
食べなくても生きていけるが、成長スピードに大きく影響を受けるんだよな。
適切量としては、具体的には成人男性より少し多いくらい。
そのため、美味しく効率的に糖分摂取するため持ち歩いていると言うわけだ。
別に飛び抜けて食いしん坊というわけではない。本当に。違うってば。
コナン君が眉間に皺を寄せて思い悩んだ。
「あとは電話があれば完璧なんだが…いや、ノックした隙に行くか」
「外から見たところ、窓の鍵はかかっていませんでした。僕だけなら外壁を伝って侵入が可能です」
「……わかった。俺一人で行くから、お前はここに残ってくれ。もしもの時は窓から入ってきて欲しい」
「承知しました」
コナン君が柔らかくなったハイチュウをドアに仕掛けに行く。
ホテルの人が困らないよう、後できっちり掃除せねば。
私も一旦外に出て待機だ。
敏感な聴覚が、間も無く中の喧騒を感じ取った。
コナン君は上手くオートロックを誤魔化してクローゼットに隠れたようだが、すぐにバレてしまったようだ。
銃を突きつけられて絶体絶命、ということらしい。
私はすかさず窓を開けて中へと転がり込んだ。
ここが路地裏に面してる窓で助かった。
スパイダーマンの如く外壁に張り付いていたから、人に見られたら大騒ぎになっていただろうからな。
変装した有希子さんを優しく突き飛ばし、コナン君を両手で抱えて距離を取る。
感覚的に、片手が塞がってても三階程度ならコナン君を抱えて飛び降りられるだろうことが分かる。
「空!」とコナン君が叫ぶ。
銃を気にしながら、開け放たれた窓まであと1メートル。
仮面の男───優作氏がゆったりと言葉を紡いだ。
「『967-OA2、オーダー』。動くな」
「!!!」
私はビクンと体を揺らして急停止した。
コナン君が投げ出されて「ぐっ!」と苦悶の声を上げる。
す、すまんコナン君。
思わず放り出してしもうた。
あえて命令をキャンセルせずに受け入れたからだろうか。
どこか音が遠くなり、現実があやふやになる感覚がある。
なるほど、命令を受けるとこんな感じになるのか。
「おい空、空!!!」とコナン君が必死に叫ぶも反応できない。
と言うか動くなって言われてるので動けない。
そこまで動く気もないから、本気になれば別に動けそうではあるが。
「テメェ!空に何をしやがった!」
「ククク、馬鹿なガキだ。組織の生物兵器が、その操作方法も設定されていないとでも思ったのか?」
「ッ!!!」
「まさか逃げ出した被験体がこんなところにいるとは思わなかったが、ちょうどいい。『967-OA2、オーダー』そのガキを連れてこい」
私は体に任せるまま「承知いたしました」と温度のない声色でコナン君を捕まえた。
感覚がふわふわして、酒でも飲んでいるみたいだ。
私は生態的に酒は非推奨なので、酔いたい時はコナン君に命令してもらうのもありかと思うなど。
酒という娯楽は優秀だからな。うむうむ。
コナン君も抵抗しようとするも、私の膂力に勝てるはずもなく。
そのまま突き出されて、羽交締めにされたまま仮面の男が銃を突きつけられる。
コナン君が一瞬悲痛そうに私を見た。
「終わりだ、工藤新一」
「ッいいのかよ、空まで撃つ気か?」
「まとめて始末できてちょうどいいだろうよ。あばよ、あの世で己の愚かさを悔いるがいい」
ニタリと迫真の演技で男が笑う気配がする。
コナン君が息を呑んだ。
そして。
発射された弾丸は、ペコッという間の抜けた音を立ててコナン君の額に張り付いた。
吸盤のついた矢になっているらしい。
間違いなく阿笠博士の発明品だろう。
「へ?」とコナン君が呆然と瞬いた。
優作さんが変装を剥いで、そのままクスクス笑って肩をすくめた。
その素顔にギョッとした顔でコナン君が嫌そうな顔をする。
もうどんな流れか理解できたらしい。
「探偵としては合格スレスレだな。ほぼ全て筋書き通り。だが残した手がかりで見事ここまで辿り着いたのは評価できる」
「と、父さん……じゃこっちは母さんで、阿笠博士で。空、まさかお前もか!?」
「────」
うっかり、私は返事が遅れてしまった。
ふわふわしていたといえばそれまで、コナン君は顔色を青くして私に飛びついた。
随分と心配されてしまったようだ。
頭を振って、無理やり意識を覚醒させる。
「空!?」
「……っ、すみません。まだ命令の残滓が残っていまして。何か御用命でしょうか」
「おい、じゃああの命令は本物だってことかよ!父さん!」
「すまない。これは私の確認不足だった。空君、体に不調はないかな」
「問題ありません。あえて命令を受け入れていただけなので、意識して数分もすれば抜けます」
ちょっと名残惜しい気持ちになりつつ、命令待機状態を解除する。
酒が抜けて二日酔いになることもなく、とっても便利だ。
コナン君が奥歯を噛み締めて苦い顔をする。
優作さんがコナン君に向き直り、冷静に言葉を落とした。
「これはあり得たかもしれないシチュエーションの一つだ。乗り込んだ先で実験体の反逆に遭う」
「空はンなことしねぇよ」
「そうだな。だがそのまま新一が殺されることは十分にあり得る。お前は自分の事件を解決したいだろうが、私たちも心配でね」
海外に出よう、保護を受けて体が元に戻るのを待とうと優作氏は実に冷徹に提案した。
曇り空からまた、しんしんと雪が降っている。
私が開け放ったままの窓から雪が入り、絨毯に少しだけ跡を残す。
コナン君の意思は固かった。
顔を上げて、まっすぐに優作氏と視線を合わせる。
「そのほうが賢明ではあるだろうな。けど、俺はこの事件から逃げない。空のために、何より自分のために」
「………そうか。なら任せるとしようか」
優作氏の答えは、なんともまああっさりとしたものだった。
これには有希子さんも「いいの?」と困惑して眉を下げている。
きっと息子の頑固さを一番よく分かっているが故の判断なのだろう。
優作さんが腰を落として、私と目線を合わせた。
優しく、しかししっかりとした口調で私に伝える。
「君が言っていた研究所の件、インターポールを通じて被験体廃棄用の山林を調べてもらえることになった」
「っ本当ですか!」
「そこで見つかった遺骸は丁重に弔われる予定だ。建物内で培養中の被験体は爆発で吹っ飛んでしまったから難しいだろうが。それぐらいはできる」
その言葉に、私は深々と頭を下げた。
昨日ついでに頼んだ件を、こんなに早く動いてくれるとは。
忙しいだろうに、誰が助かるわけでもないのに、こんなふうに対応してもらえるなんて思ってもみなかった。
「ありがとうございます、工藤優作さん。これで兄弟達も安らげることでしょう」
「………君も、あまり無理をしてはいけないよ」
ゆったりと頭を撫でられて、私は思わず俯いてしまった。
推し作家にすごいサービスしてもらってしまった。はわわ。
コナン君がジト目で私を睨みつけた。
「で、空はどこまでグルだったんだよ」
「一から十まで全て。彼にコマンドを伝えたのは僕です」
「捨て身すぎるだろうが!そんなん他人に教える奴があるかよ!?」
「代わりに文庫本にサインもらいました。悔いはありません」
「お前なぁ!!!」
コナン君に怒られつつ、激動の1日はこうして幕を閉じた。
なお、後日豪華色紙サインとともにナイトバロンシリーズ限定グッズ付き詰め合わせセットが阿笠邸に届いたことを、ここに追記しておく。
私はニヨニヨが止まらなくなり。
ずっと未開封のまま、慎重に眺めてはうっとりと絶景を楽しんでいるのであった。
・その後のコナン君とのコント
「あのですね、コナン君。『967-OA2、オーダー』って言ってください」
「なんで」
「ふわっとした感じが娯楽にちょうど良くて。風呂みたいな感じで。命令は空で構いませんから」
「いやですけど!?!?!?」
・コナン君
さてはこいつ素は割と天然だな?と思っている。
コマンドを教えても酷いことはされないと信じてもらえてるのは少し嬉しい。
実はバーボンなオリ主はクローン主の精神的後継。
リメイクしたからこっちが後になったけど。