異次元のはじまり①
子供達は現在、新しく建設されたベルツリータワーに遊びに行っている。
今日がオープニングセレモニーの日で、特別に園子ちゃんに招待されたのだ。
コナン君と阿笠博士も子供達の付き添いで参加していて、今阿笠邸にいるのは私と灰原さんだけだ。
灰原さんが優しい眼差しで私から止血帯を外した。
「良かったの、ベルツリータワーに行かなくて」
「たまには灰原さんといたかったんです。最近、研究室に篭りっきりで寂しくて」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。何も出ないわよ?」
そう言いつつ、ふんわりと笑う灰原さんの姿は麗しい。
溢れんばかりの愛情が宿っている。
本当は「異次元の狙撃手」開幕と思わしきところに私も行きたかったんだが、根を詰めっぱなしというのも心配だったからな。
今回はパスして、灰原さんの様子を見るのに専念させてもらったのだ。
灰原さんが「分析するから、少し遊んでなさい」というので、私は灰原さんの裾を引っ張って悲しげな顔を作った。
「分析が終わったら僕と一緒に休憩しましょう?もっと一緒にいたいんです」
「……今日は随分と寂しがりなのね。ふふ、いいわ。一緒にお茶でもしましょうか」
「ありがとうございます!」
灰原さんの目には隈が見えている。
昼寝と称して一緒に寝るのも悪くあるまい。
うら若き乙女をベッドに引き摺り込むのは犯罪だが、この場合は例外ということで。
私は小指を絡めて約束のポーズをしてから、その場を後にした。
子供の約束を灰原さんは無碍にはしまい。
『よくやりました。母君の最近のハードワークは目に余りましたからね。これを機にしっかりやすませないと』
「ですね。どうもきな臭いので焦る気持ちもわかりますが、それで体を崩しては元も子もありませんから」
肉体君とうむうむと頷きあって、私はふらりと外へ出た。
夏の日差しが随分と暑く、みんみんと蝉が鳴いている。
この辺は邸宅が多いから、そこの樹木に蝉が出るのだ。
コンクリートジャングルでどことなく生命の息吹を感じさせる、いい音だ。
いやどうでもいいか暑い。すごく暑い。溶けそう。
ペットボトルを装着したままぽやっと草取りを開始すると、お隣さんがひょいと覗き込んできた。
「こんな昼間に草取りは死にかねませんよ」
「……はい。僕もちょっと失敗したなと思いました」
「夏の暑さで気付けば死んでいた生物兵器か。こう、なんというか、ドラマが無いな」
「歴史に残る笑い話にはなりそうですね」
どうでもいい話をしつつ、手招きされたので内扉を通って工藤邸へ。
一歩入ると涼しい冷房の風が私を出迎えてくれた。
阿笠邸は老人と子供しかいないから冷房が控えめなんだよな。
その点、筋肉量の多い昴さんは体感温度が違うというわけだ。
渡されたコーラのペットボトルを開けようとして、ふと思い出してラベルを見ると「ゼロカフェイン」の文字。
ありがてぇ。ゴッキュゴッキュ。
昴さんが私を雑に撫で、片目をするりと開いた。
「ここだけの話だが、米軍が動き出している」
「……!」
「メイラー大の情報漏洩について、国が立ち入り調査に入った。某国の工作ともなれば、流石の工藤優作も隠しきれなかったらしい」
それとも、内部告発者がいたか。
昴さんが瞳を伏せて静かに言葉を落とした。
メイラー大がどこまで私のことを研究していたかは定かでは無い。
だが危険な生物兵器が研究され、それが人に感染する致死的な寄生虫であることぐらいはわかっているはずだ。
まだ全貌を掴めてはいない、感染性の高い寄生虫が日本に蔓延しているかもしれない。
そのような事実を掴んだなら、自国の利益を守るために米軍が動かないはずもないか。
私は昴さんを見上げて首を傾げた。
「なぜそれを僕に?」
「知らない仲じゃないからな」
「米国のことを考えれば、僕を売り渡すのが最善手だと思いますが」
「俺がFBIになったのは父親の死の真相を確かめるためだし、忠誠心より個人的興味を優先するタイプだぞ、俺は。そうでなくては一匹狼とは言われない」
昴さんは茶目っ気たっぷりにウィンクした。
なるほど、悪いFBIということらしい。
「なにより、君が国家所有になるほうが不味いだろう。嫌な想像しかできない」
「それは…たしかに」
「だから工藤優作氏もギリギリまで伏せていたんだろう。苦渋の決断というやつだ」
となると、優作氏と米国の中には亀裂が入っているはず。
私の獲得工作は荒っぽくなることだろう。
優作氏の発言権が縮小したということは、強硬な意見が噴出していると思われる。
どうせ研究者の間でも「人類のため早く殺すべき」という意見が出ていただろうし。
それを長く抑えていた優作氏に不満を持っていた職員もいるはずだ。
ああ、権力バランスを考えるのは気持ちが萎える。
昴さんが欧米風に肩をすくめた。
「俺たちには撤退命令が出る予定だ。その後、本国で血液検査があるとかなんとか」
「感染調査ですか。記念にひと噛みしておきますか?」
「よせよせ。俺は結局死人だからここに取り残される予定だ。置いていかれてひとりぼっち大学院生をやるんだ。慰めてくれないのか?」
「いま内なるオリジナルが憤慨しました『帰れFBI』っていきり立ってます」
ウケた昴さんが腹を抱えてうずくまっている。
ウケてんじゃねーよと余計荒ぶる内なるあむぴ。
肉体君も思わず舌打ちである。
昴さんが若干まだ笑いながらくつくつと喉を鳴らした。
「まあ、君の好きにやるといい。俺は意外と君の善性を信じているんだ。悪いことにはならんだろうさ」
「驚くほど楽観的ですね…僕はもうブルー極まれりです。もう本当に僕が天に立ってやろうかな」
「ははは、その時は是非幹部に取り立ててくれ。四天王がいい」
「悪の秘密結社じゃないんですけど」
完全に引退したおっちゃんのノリになってしまっている昴さんにため息をつきつつ、私は青い空を見上げた。
赤井さんはこの頃暗い私たちを見かねて、わざと明るく振る舞ってくれていたのだろう。
なんともまあ、ハートフルな人が多いことである。
今回の軍事行動は極秘である。
完全な防護服を用いるため、人目につかないよう深夜に行動を行う予定だ。
事は緊急のため、日本政府に話は通していない。
ゆえに絶対に明るみに出てはいけない作戦行動となる。
航空機の中、再び隊員全員で作戦の確認を行う。
到着後、基地の人間から武器を受け取ってから行動を開始する。
危険だが、これまで潜ってきた修羅場に比べれば大した事はない。
隊員の一人が眉間に皺を寄せて口を開いた。
「…………隊長。日本は無事なんですか?」
「事前に民間人への感染調査も実施している。献血に偽装した無作為調査でも感染者は確認されなかった。ひとまず蔓延はしていないと見ていいだろう」
「そいつは僥倖ですね。あとは化け物を捕獲すれば、少なくとも米国は守られる」
「ああ」
感染すれば、生物は約3時間で脳を割り開かれ、死亡する。
生み出された生物は凶暴で、人間を含めたあらゆる生物を無制限に貪り食う。
こんなものを生かしておけば、人類文明すら脅かしかねない。
必ず捕殺する必要があるのだ。
「今回の標的、確保して持って帰るんですよね?上が生かしておいたりしませんよね…研究の目的とか言って…」
「余計な事は考えるな。俺たちは仕事をこなすだけだ」
隊員の一人がオドオドと心配そうにしている。
それは男とて心配ではあったが、自分たちになんとかできることでもない。
考えないように蓋をするしかなかった。
「対象は人型で言語が通じる。小さな子供の姿をしているのは人を躊躇わせる効果を狙ってかもしれない。注意しろ」
「子供の姿をしてるだけの化け物ですから。本物の子供撃つより万倍マシですよ」
「だな」
計画は今夜1時。
12名の精鋭が、静かにまだ見ぬ脅威に対峙するべく準備を整えていたのだった。
・昴さん
内心かなり悲観的だが、元気付ける目的で明るく振る舞ってる。
この子が明るいと、志保も明るくなるようだし。
・コナン君
その頃全然関係ない狙撃犯(手榴弾付き)と戦っていた。