その子供は神秘の形をしていた。
エレナは純粋にそう思う。
生物兵器として作られたクローン人間なのだと言っていたが、その形は神秘そのものだ。
血液には致死性の高い寄生虫が蠢いていて、それによって免疫機構が担保されている。
美しく整った容姿に、人種をごちゃ混ぜにしたような色合い。
非常に理知的で、無垢で、賢者の叡智と幼子の微笑ましさが同居する。
愛らしいその姿は実のところ、死の遣いであり、触れ合う時は完全防護の服装を義務付けられている。
出血などから万が一にでも院内に感染が広がらないようにするためだ。
無垢で透明な表情のまま、目の前のクローンはそっと口を開いた。
「課題を解き終えました。次はありますか?」
「……いいえ。疲れてないかしら、アンセル。体調に変化があったらすぐに言うのよ」
「ありがとうございます」
表情は変わらない。
穏やかで静謐。それは無垢な天使を連想させる、美しいあり方であった。
こんなに神聖なものを、研究所に閉じ込めておいていいのだろうか。
エレナはそのように思い悩む日が増えた。
休憩室に行くと、先輩が缶コーヒーをあおっていた。
「どうだった、エレナ」
「すごい知能ですよ。一般常識も刻み付けられているのでしょう。学力テストも高水準です」
「本当に前の個体の知識が引き継がれているのか…エピソード記憶がないのは幸いだったな」
「はい。前は邪悪な個体だったと聞きますし」
人種の滅びを願う、生粋の殺人兵器だったと聞いている。
それが人を騙して一般家庭に潜入していたというのだから、早めに確保できて本当に良かった。
だが、そんなものでも教育で穏やかにできた実績ができれば、あの子の処分を望む上の意向も撤回できるはずだ。
そのように、エレナは願っている。
「それよりマルク先輩は免疫寄生虫の研究は進捗どうなんです?」
「あれは調べれば調べるほど奥が深いよ。まさにあれは何百万人という人を救う救世主になりうるかもしれない」
恐れすら含んだ声色は、先輩らしからぬものだった。
医療用途。
当初から言われている内容だが、どうもエレナには拒否反応が先に立つ。
「でも例の寄生虫を体に入れるんでしょう?」
「あれは完璧に既存の免疫と協調し、その機能を拡張する。あの子供のように、免疫機能が完全に失われたとして常人のように活動できるほどの、複雑かつ完璧な機構だ」
「あれを生み出したのが人間だとすれば、神域の天才だよ」と先輩は慄いたように肩を震わせた。
「あの子を処分なんてとんでもない。今我々の手の中に、数多の人を救う文字通りの万能薬が転がり込んできているんだ」
「……でも、一歩間違えばあの化け物ができあがります」
「そうだ。脳を食らいつくし、人を貪る化け物。先週事故で脱走して三人亡くなっていると聞いた」
「私も直接は見ていませんが、人を歪に繋ぎ合わせたような化け物だとか」
エレナは自分で口にして震え上がった。
12時間で8メートルものサイズに膨れ上がった化け物が、檻を破って扉を薙ぎ倒し、警備員一名と研究員を貪り食ったのだ。
二人とも派手に噛み砕かれて原型を留めていなかった。
なんとか他の警備員が拳銃で応戦したが、逃げ遅れた職員の目に血液が入って感染した。
もはや総崩れかという時になって、突然息絶えたが。
拳銃が効いている様子はなかったが、あそこで化け物が死んでいなければもっと多くの被害が出ていたことだろう。
今週からは機動隊が配備されることになった。
「まさに、悪魔と天使ですね。二つの側面が同居した、神の与えたもうた試練」
「ああ。我々は今まさに、試されているのかもしれないな」
短い休憩時間だ。
そのまま、エレナはぼんやりとあの小さな子供のことを考え続けていたのだった。
作戦当日である。
拘束具をこっそり解除。その余りの器具で、扉をちょちょいのちょい。
ルパンの3分クッキングの成果だ。
だが私の手持ちでは、警報を切るまではいかなかった。
逃走のお時間がやってくる。
警報がビープ音を立てて院内中に響き渡り、にわかに研究者達が慌て逃げ惑い出した。
先週の手足脱走で凄惨に死んだ人間が出たのが大きいのだろう。
大パニックだ。
私も人波に紛れて駆け出す。
すると、見張り役の一人が気づいて叫び声を上げた。
「戻りなさい!アンセル!戻れ!」
警報が鳴り響いている。声はかき消され、私はそのまま廊下の角を曲がった。
既にスマホに触らせてもらってこの施設の位置は把握済み。
足音や話し声、手足の回線などから大まかな地理も把握している。
肉体君が悪態をついた。
『だーれが戻るか薄汚い研究者め。死ね』
「こら、彼らは真っ当な科学者でしょう。口が悪いですよ」
『真っ当な研究者は死した生物兵器のなかから次代を拾い上げて育てないんですよ』
それはそう。うっかり深く頷いてしまった。
肉体君はやさぐれでぶつぶつ呟いている。
『あーー三代目にして史上最高の殺意を記録。あんなに死ぬ時苦しんだのに次代育てるとかふざけてんですか?あ゛?殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる』
イライラの度がすぎて念仏のターンに入ってしまったようだ。
こうなると肉体君はしばらく戻ってこないため、諦めてそっとそのままにしておく、
肉体君が目覚めるまで一週間、実験結果を覗き見て打開策を探ること六週間、そこから隙を窺うこと一週間。
ほぼ2ヶ月掛かりの大事業が、ようやく終わりを迎えるのだ。
条件が揃うまでかなり長くかかってしまった。
でもここ実験設備緩すぎなんだよな。
ここ1ヶ月で3回も手足の脱走事故があったし。
いやまあ、手足が凶暴すぎるし予想外に頭良すぎるってのもあるにはあるんだが。
阿笠博士の設備がいかに優れていたかを改めて思い知らされる日々である。
それでも懲りずに手足の実験してる根気は認める。
でも毎度こっそり自死命令出す身にもなってほしい。
「培養槽外では長く生存できないのか?」じゃないのよ。私が殺してんの。しっかりして。
というか、手足の兵器化と幼生のバイオ兵器目的が若干透けて見える。
しばらく。出入り口付近まで来ると、銃器を持った警備隊が駆けつけてきた。
それを解放した戦争型を肉壁にしてやり過ごす。
私は最短距離でここに来たが、同時に戦争型に命令を与えて脱走させたのだ。
戦争型に与えた命令は「手を伸ばして一番端のやつが机上の鍵を奪え」「全員分の鍵を解錠しろ」。
管理が甘いんだよ本当に。
いや戦争型に鍵を開ける知能なんて無かったから油断するのも仕方ないけど。
もちろん、研究員も警備隊も殺しはしない。
戦争型のスペックならば多少サブマシンガンの銃弾を受けても問題ないから、撹乱として利用するだけだ。
戦争型は扉を派手にぶち破り、大絶叫をあげて職員達を威嚇した。
あっという間に悲鳴と混乱で包まれる。
警備隊が「うっ、撃てーーーッ!!!」と迫真の叫びで一斉に戦争型を狙う。
というかね、戦争型を放置で私が逃げるとかできない。
ここ、この簡易地下室に四体も育ててんだよ。
信じられます奥さん?
脱走ついでに処分しておかなきゃあかんやろうと。
ついでに戦争型の危険さも再確認してもらって。
悲鳴をあげた警備隊が銃弾を全力で叩き込んでいる。
それに「ギャギャギャギャギャ!!!」と嘶いた戦争型が二体、私の肉盾役以外が突撃する。
その純粋な重量と筋力だけで機動隊を吹っ飛ばし、銃を払い落とす。
私の命令で、銃が受付の遠い場所に吹き飛んだ。
のしかかられた隊員はなりふり構わず泣き叫んだようだ。
目の前には乱杭歯と、その隙間からだらだらと涎を垂らす口がある。
事故って幼生が粘膜に付いたら申し訳ないので、押さえる場所はなるべく気をつけさせてもらった。
戦争型も出血してるし、後ほど清掃死ぬほど頑張れ。
『相手を殺さず抵抗し続けろ。この研究所からは出るな。一日したら死ね』
プログラムもうまく組むことができるようになった。
この研究所でずっと実験尽くしだったしな。
そのまま、最後の一体、壁の向こうで控えさせてた元気で出血のない戦争型の一匹の背に飛び乗り、そのままダバダバ出発進行。
子供の足では逃げきれないので私の取れる手段はこれしか無かった。
お前達など重大インシデントで大目玉食らえばいいのだ。
化け物が逃げ出した時のことも考えて飼育せんかいワレ。
盗んだ戦争型で走り出す、そんなパンクな状況である。
そのまま荒野を直走る。
ひとまず追っ手はいないようだ。
ペットボトルの水を失敬していたので、一本は私が飲みつつ、もう一本は戦争型に与えてやる。
もちろん道で念の為幼生の自死指令を送りつつ、万が一にも感染の可能性が残らないようにする。
まあこの暑さでは放っておいたところで10分で死に絶えるだろうけど。
流石にギラリと太陽の照りつける荒野を長時間走らされるとは思っていなかったらしい。
戦争型はバテバテで舌を垂らしてゼエゼエと息を荒らげている。
3時間ほど走ったところで、ようやく街が見えてきた。
職員の端末で地図は確認したからここまで迷うことなく来ることができた。
そのまま「ご苦労、安らかに死んでくれ」と指示を出す。
戦争型は眠るようにころっとそのまま動かなくなった。
念入りに体内まで命令を行き渡らせて、死体から感染させることを防ぐ。
5分ほど隅々まで命令した後、とことこと私は歩き出した。
街の入り口に立つおじさんがすぱー、とキセルをふかして私を見た。
「ここは始まりの街だよ。ショップは右にある」
「適当言わないでくださいルパン。どうです、合格ですか?」
「うーん派手すぎ36点。もっと気づいたら居なくなってたぐらいを目指すべし。あとキミの乗り捨てた車何あれ?」
「戦争型です。人とか食うやつ」
「研究所に戻してらっしゃい!!!」
すごく怒られてしまった。
でも車はGPSついてたし追われるといけないから…。ブツブツ。
ルパンはため息をついてぷりぷり怒った。
「んもー。GPSの外し方ぐらい自主学習でなんとかすんだよ!あのいかつい車も死んでるからいいとして。感染の危険は?」
「ないです。念入りに死んだただの死骸です!」
「よろしい。ならそのままにして早いとこ出発ってね。どちらまで?」
「ひとまずオリジナルのところに。勢い余ってテロリストになるといけないので」
「よしきた」
「待ってください、まだテロリストじゃないですよね?」
「まだテロ等準備罪で止まってるぜ」
クソやべえ早くなんとかしないと。
とっとこ彼のアジトに向かうと、フルメンバーが揃っていた。
石川五エ門と次元大介が、私を招かれざる客としてじろりと睥睨した。
二人とも眉間に皺を寄せてくしゃくしゃの顔をしている。
「ルパン正気か?生物兵器の盗みは管理しきれねーぞ」
「拙者も、病は切れぬ」
私はすぐさま平伏する勢いで頭を下げた。
この度はほんまご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした…!
「誠にご迷惑をおかけしました…!今後、何か金銭に代えられぬ価値的なもので返させていただきます!!!」
「あん?こういう時は言い値を支払いますじゃねーのか?」
にやっと意地悪く笑った次元さんに、私はしょぼりと小さくなって返答した。
「?でもあなた方は金銭のための盗みは単なるついでですよね。いくらでも手に入るものを対価に支払ったら不敬かなと」
「………ほー。なるほど。弁えてはいるっつーことか」
うむ、と最低限納得してくれたらしい次元さんは、そのままタバコを咥えてゴロリと横になった。
隣で五エ門さんもうむうむ頷いている。
「まあいいさ。せいぜい頑張るんだな」
「うむ」
ひとまずのところは許してもらえたらしい。
ルパンが笑って口を開く。
「んで、戦利品のほどは?」
「幼生の寄生解除と『免疫型』への転換のコツを掴みました。実質無力化できます」
「結構結構」
一つは脳にいる幼生を血液中へ戻す命令だ。
これめちゃくちゃ難しくて、幼生への命令自体すごく制限が多いのだ。
人の脳を借りて大部分の命令を受けてる幼生を人の脳から離すのはかなり苦労した。
実験もかなり難航。
私のクイーンとしての命令機能を研究所側が理解していないのが原因だ。
私のことをただの感染源としか思っていなかったらしい。
どこで情報の行き違いがあったのか、それとも元々知らなかったのか。
目を盗んで交信するのも一苦労だった。
二つ目が幼生の『免疫型』転換。
名前は私が仮につけた。
免疫型について熱心に研究している職員がいた。
それを頑張って教えてもらった形だ。
ただひたすら一日中あーでもないこーもないと普通の幼生を免疫型に変換させる取り組みもした。
なんとかそれが実るのに、一日中取り組んで六週間もかかってしまった。
つまり努力の勝利!!!
私は胸を張った。ルパンも乗ってくれて、ぱちぱちぱちーと手を叩いてくれる。
優しい。
私はぺこりとお辞儀をした。
そんなわけで、長いようで短いアメリカの旅を終えて私は帰路に就いた。
でも普通に家に戻っても連れ戻されるだけなのは悲しいね。
頑張ってこれからは変装しようね。
しょんぼり、ひとまずテロリストあむぴを止めるべく急ぐのであった。
・戦争型三体
死ぬ気で暴れたので、最終的に研究員の避難が完了した後軍が研究所ごと爆破した。
念入りに滅却処分。
いい仕事してくれました。
・研究所
軍の研究施設から被験体が逃げ出したとバレたら恥なので密かにしか行方を探れない。
血眼になって捜索してる。
研究員は善良だったが、上が割れてて善良では無かったパターン。