――虚圏(ウェコムンド)。
そこは、命の呼吸さえも白砂へと還る、終わりなき夜の荒野。
月光が照らす無数の穿孔。
その一つから、どろりとした生温かい血が溢れ、白銀の砂を黒く染めていく。
「――が、あ……っ」
仮面を割られた破面(アランカル)が、砂に伏せ、痙攣を引き起こす。
その背を踏みつけているのは、冷徹な白い軍靴。
背後には、揃いの白い軍服を纏った見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)の兵士たちが、微動だにせず控えていた。
星十字騎士団(シュテルンリッター)。
その一角、聖文字(シュリフト)“K”を与えられた、全身を隠す鉄仮面の男――BG9(ビージーナイン)は、無機質な眼差しで足元の破面を見下ろした。
「答える気になったか。下等生物」
冷徹な、機械的な声が、乾いた風に溶ける。
BG9は静かに、しかし容赦なく軍靴に体重をかけた。
みき、と破面の骨が軋む音が、静寂な夜に響く。
「我らが陛下がお求めだ。貴様たちの『女王』……ティア・ハリベルはどこにいる。生かして捕らえよとの命だ。居場所さえ吐けば、貴様の命など塵芥ほどにも興味はない」
「……し、知る、か……俺たち、は……」
「そうか。――分析完了だ」
言葉の終わりを待たぬ、一閃。
BG9の指先から放たれた神聖滅矢(ハイリヒ・プファイル)が、破面の頭部を容赦なく穿った。
音もなく、破面だったものは霊子へと霧散し、砂の上にはただ虚無だけが残る。
「使えないな。やはりこの世界の塵共には、言語による対話など早すぎたか。これ以上の情報収集は無益と判断する」
BG9が手袋の汚れを払うように手を振った瞬間。
――大気が、爆ぜた。
強烈な、ぞっとするほどの狂気を孕んだ霊圧が、天から叩きつけられる。
それは、押しつぶすような重圧ではない。
肌を、肉を、魂を、直接削り取ろうとする暴虐の爪牙。
「――チッ。どいつもこいつも、我が物顔で人の庭荒らしやがって」
頭上。
切り立った岩の頂に、その男は立っていた。
鋭い青髪。
右顎に残る、剥き出しの仮面。
And、すべてを噛み殺さんとする、獰猛な極光を宿した青い瞳。
第六十刃(セスタ・エスパーダ)――グリムジョー・ジャガージャック。
「おい、白服。今、ハリベルがどうとか言ってたな?」
グリムジョーは岩の縁に腰をかけるようにして、狂気的な笑みを浮かべた。
その口元から覗く牙が、月光を反射して怪しく光る。
「あいつの居場所が知りてえなら、俺が教えてやろうか? ――ただし」
ドン、と。
グリムジョーが岩を踏み抜いて跳躍する。
自重と霊圧に任せた、ただの自由落下。しかしそれは、彗星のごとき質量を持ってBG9の目の前へと着地した。
凄まじい風圧が、周囲の兵士たちを数歩後退させる。
「俺に勝てたら、の話だけどよォ!!」
刹那。
抜刀の動作すら見せず、グリムジョーの斬魄刀がBG9の首筋へと走る。
キィィィィィィィン!!
硬質な、鼓膜を裂くような金属音が響いた。
BG9は一歩も退いていない。その左腕の袖から覗く皮膚――いや、鋼鉄の装甲が、グリムジョーの刃を受け止めていた。
静血装(ブルート・ヴェーネ)。
「ほう」
グリムジョーの目が、歓喜に細まる。
「粗暴な野良犬か。だが、その牙では私の皮膚一枚破れん」
BG9の右手が動く。瞬時に形成された霊子の刃が、グリムジョーの胸元を突き刺す。
が。
ガキィィィン!!
「あ?」
グリムジョーの胸皮が、火花を散らした。
鋼皮(イエロ)。破面が誇る最強の外皮。
二つの「硬度」が正面から衝突し、周囲の空間の空気が、キリキリと悲鳴を上げる。
「ハハッ! いいねえ、お前、さっきの雑魚どもよりは少しは歯応えがありそうだ!」
グリムジョーは刃を押し戻すと、そのまま至近距離で左手を突き出した。
その指先に、凝縮される紅蓮の光。
「――虚閃(セロ)!!」
「……!」
至近距離での爆炎。
轟音と共に、ウェコムンドの白い砂が大きく舞い上がり、視界を完全に遮る。
背後にいたクインシーの兵士たちが、その余波だけで数人、塵となって消し飛んだ。
煙が晴れる。
そこには、衣服の端をわずかに焦がしただけで、無傷で佇むBG9の姿があった。
その鉄仮面の下から、冷徹な機械音が響く。
「やはり、ただの獣だな。霊圧の出力に任せた大雑波な攻撃。我ら滅却師(クインシー)の洗練された技術の前には、その程度の光、ただの篝火(かがりび)に過ぎん」
BG9の背後に、異様な歪みが生じる。
聖隷(スクラヴェライ)によって強制的に隷属させられた周囲の霊子が、目に見える奔流となって集束し、異形の武装へと姿を変えていく。
それは、無機質な白銀の金属光沢を放つ、巨大な多連装ミサイルランチャー。
「理屈ではない、か。だから貴様たちは滅びるのだ」
ランチャーの砲身が、一斉にグリムジョーへと照準を合わせた。
「神聖滅矢(ハイリヒ・プファイル)――『特種弾頭・追尾式(シュペツィアル・ラケーテ)』」
轟音。
青白い光の尾を曳きながら、数十発の霊子ミサイルが一斉に射出された。
それは意思を持つ蛇のように、不規則な軌道を描きながら、全方位からグリムジョーへと殺到する。
逃げ場はない。
圧倒的な破壊の質量が、一歩も動かない青髪の男へと収束していく。
ミサイルの先端が、グリムジョーの鼻先、わずか数センチメートルにまで迫る――。
当たる、その刹那。
グリムジョーは、自身の斬魄刀の腹を、左手で獰猛に擦り上げた。
「――軋れ(きしれ)」
世界が、一瞬だけ音を失った。
「『豹王(パンテラ)』――ッ!!!!」
直後、爆発したのはミサイルではない。
グリムジョーの体内から解き放たれた、文字通り暴虐の塊のような霊圧の嵐だった。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!
至近距離まで迫っていた数十発の霊子ミサイルが、着弾の衝撃を迎えるよりも早く、内側から膨れ上がった圧倒的な質量の霊圧によって、一瞬で噛み砕かれ、吹き飛ばされた。
空間を揺るがす大爆発。
しかしそれはBG9の攻撃によるものではなく、グリムジョーの「刀剣解放」そのものが引き起こした、全方位への拒絶と破壊の爆風。
凄まじい爆煙と白砂の嵐が、ウェコムンドの夜空を覆い尽くす。
「……何だと? 霊圧の急激な上昇を感知……計測不能(エラー)」
BG9が初めて、その無機質な声をわずかに狂わせた。
自身の放った最大火力の猛攻が、直撃の瞬間に、ただの「変身の余波」だけで完全に霧散させられたのだ。
吹き荒れる暴風の向こう。
立ち込める煙を割って、その姿が現れる。
白長髪。
全身を包む、豹を模した白き外骨格。
長く、しなやかにうねる尾。
「ハハッ……!」
煙の中から響くのは、喉を鳴らすような、狂気的な獣の笑い声。
鋭い爪を持つ手で、自身の顔を覆うようにしながら、グリムジョーはさらに深く、獰猛に唇を吊り上げた。
「理屈じゃねえんだよ、戦(やりあ)うってのは。どっちの牙が、どっちの喉笛を噛みちぎるか。それだけだろォが」
その瞳の奥に宿る野生が、完全に覚醒する。
「待たせたな、鉄面。――さあ、本番といこうじゃねえか」