軋む鉄仮面、吠える彪王   作:夏目陽光

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THE BARE HOWL AND THE IRON HALO

「ーー否」

その一文字すら置き去りにして、世界から音が消滅した。

グリムジョー・ジャガージャックという男の存在そのものが、世界の認識速度を、遥かに、そして致命的に超越したのだ。

「――ッ!!」

BG9の無機質なレンズがその『残像』を網膜に焼き付けた瞬間には、すでに風すらも、音を置いて消え去っている。

背後。

一歩。いや、歩数すら介さぬ、空間の跳躍。

――響転(ソニード)。

「遅えんだよ、鉄屑がァ!!」

鼓膜の奥の、さらに奥を抉り抜くような暴虐の咆哮。

剥き出しの白い爪が、BG9の側頭部へ肉薄する。

金属が歪む不快な音。

寸前で展開された『静血装(ブルート・ヴェーネ)』の防壁が、火花を散らして軋んだ。

「――速度上昇。肉体強度の変遷(データ)を再計算(アップデート)――」

「計算(それ)が遅えっつってんだよ!!」

思考速度を上回る、暴力の連撃。

爪が、蹴りが、鞭のようにしなる尾が、全方位から無数の銀閃となって鉄仮面を襲う。

防戦。

圧倒的な、防戦。

ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!

数千の打撃音。鉄仮面を覆う『静血装』の白銀の紋様が、グリムジョーの爪が刻む「溝」によってズタズタに引き裂かれていく。肉体強度のアップデートが、破壊の速度にまるで追いついていない。

予測演算の限界を超えた獣の軌道に、BG9の内部回路は未だかつてない『不快』という名のノイズを走らせていた。

霊子の収束。

今度はミサイルではない。BG9の左腕の構造が、機械仕掛けの意思を持って組み替わる。

現れたのは――巨大な六銃身のガトリング砲。

「排除(キル)する」

銃身が超高速で回転を始める。

だが、それを正面から見据えるグリムジョーの青い瞳に、恐怖の影など、微塵もない。

むしろ、獰猛な快楽にその細められた瞳孔が、夜の闇の中で鋭く縦一文字へと収縮していく。

「ハッ! 面白ぇ、撃ってみろよ!!」

極薄の空間を滑るような超絶の身のこなし。

発射された無数の霊子弾頭――『神聖滅矢(ハイリヒ・プファイル)』の弾幕が、ウェコムンドの白砂を文字通り砂塵の海へと変えていく。

巻き上がる細かな砂が、グリムジョーの豹の如き毛並みに突き刺さり、その視界を僅かに遮るが――男は、その程度のノイズを、ただ「チッ」と鬱陶しそうに舌打ちを一つし、耳をパタパタと不快げに寝かせるだけで踏み潰した。

それどころか。

弾幕の、真ん中。

あろうことか、正面から突っ込んできた青髪の獣が、その鋭い牙を剥き出しにしていた。

「本番つっただろ。もう弾切れかよォ!」

「……!?」

BG9の演算回路が、一瞬の火花を散らす。

回避ではない。グリムジョーは, 放たれる霊子弾のいくつかの『隙間』を肉眼で強引に縫い、残る弾頭をその『鋼皮(イエロ)』で強引に弾き飛ばしながら、距離を詰めていたのだ。かすり傷すら、己の足止めにはならぬという絶対の自負がそこにある。

距離が、ゼロになる。

グリムジョーの白き拳が、猛烈に回転する六条の砲身の『隙間』へと、躊躇なく突き刺された。

ギチ、ギジジジジィィィィン!!

凄まじい硬度と質量の衝突。

青い霊圧を纏った腕そのものが楔となり、超高速回転していた銃身の物理的な回転軸を、力任せに、内部から強引にブチ止めたのだ。

行き場を失った莫大な回転エネルギーが火花となって炸裂し、次の瞬間、グリムジョーはそのまま手首を捩るようにして、ガトリングの砲身ごと、BG9の肘から先を物理的にねじ切った。

内部のオイルと火花が派手に飛び散る中、BG9は即座に残された左腕の根元を引くと同時に、その指先から『謎の紐状の霊子兵装』を無数に射出した。空間を埋め尽くすようにうねる白銀の紐。それは触れたものの霊子を絡め取り、動きを完全に封殺する捕縛の檻。

「捕縛完了――」

「五月蝿ぇんだよ!!」

絡みつくよりも早く、グリムジョー・ジャガージャックの全身から放たれた強烈な霊圧の爆発が、その紐を木端微塵に引き裂いた。

「な……っ」

「終わりだ」

グリムジョーの動きが、止まる。

いや、完全に消えた。

BG9のセンサーが、自らの真上、数センチメートルの空間に『爆発的な熱源』を検知する。

上。

グリムジョーは、BG9の頭頂部を見下ろす位置に、上下逆さまの体勢で肉薄していた。

重力に逆らうようにピンと逆立った長い尾が、空間のバランスを完璧に制御している。

その、右肘。

肘の装甲の隙間から、月光を浴びて不気味な緑色の光を放つ『トゲ』が、一斉にその鋭利な先端を突き出す。

一本だけでも虚夜宮の巨大な柱を容易く叩き壊す破壊の質量。それが、最大発射数である五本。完全に、充填(チャージ)されていた。

この時、グリムジョーの脳裏を過っていたのは、かつて現世の空の下で、あのオレンジの死神の背後に回り込み、その肉体を絶望へと叩き落とした時の、生の狂気。

(あの時と同じだ。――剥き出しの、全開で噛み殺す――!)

「――『虚閃(セロ)』じゃ、ねえぞ」

グリムジョーの、獰猛な囁き。喉の奥から、低く、愉悦に満ちた唸り声(ガルル……)が漏れ出る。

「豹鉤(ガラ・デ・ラ・パンテラ)――ッ!!!!」

至近距離。いや、計測不能のゼロ距離。

肘の装甲から解き放たれた五本の巨大なトゲ状の弾頭が、超音速の針となって、BG9の脳天から左肩へかけての空間を一瞬で埋め尽くした。

一本一本が文字通り「一撃必殺」の質量を持つ破壊の楔が、連鎖的に、同時に、鉄仮面の男の肉体を容赦なく抉り抜く。

ド、ド、ド、ド、ドゴォォォォォォォンッ!!!!

連続する五つの爆発が、重なり合って虚圏の地殻を激しく震わせた。

凄まじい緑の閃光が、一瞬だけ夜空を昼間に変え、激しい衝撃波が周囲の白砂を円状に吹き飛ばす。

「――が、あ、あ、あああああああッッ!??!?!」

爆煙の中から響いたのは、BG9の、それまで決して乱れることのなかった機械の声――その、引き裂かれたような悲鳴だった。

一陣の風が、砂煙を吹き飛ばす。

そこには、右足で白砂を踏み締め、自身の肘から立ち上る硝煙をふぅ、と不敵に吹き消すグリムジョーの姿。長い尾が不機嫌そうに、しかしどこか満足げに左右へ大きく一振り、二振りと砂を打つ。

そして、その数歩先。

「……計測、不能……左腕、の……機能、損失(ロスト)……」

BG9の左腕が、肩の付け根から先、跡形もなく吹き飛んでいた。

断面からは、血の代わりに、バチバチと不気味な火花と、濁ったオイルのような液体が噴き出している。

かつて現世で死神を絶望させたあの絶技は、至近距離ですら測れぬほどのゼロ距離で放たれたことで、滅却師の誇る『静血装』の防御術理そのものを、形を保つことすら嫌って完全に消滅させていた。

グリムジョーは残された鉄仮面の男を見据え、その口元をこれ以上ないほど残酷に吊り上げた。

「おい、どうした白服。お前の言う『洗練された技術』ってのは、その程度で壊れる玩具のことかよォ?」

「――玩具、ではない」

酷く、冷徹な。

狂音を孕んだ電子のノイズが、大気を激しく震わせた。

「……あ?」

グリムジョーの額の、硬質な仮面の名残が不快げにピクリと跳ね上がる。

BG9の、吹き飛んだ左腕の断面。

そこから、無数の細緻な銀のコードと、意思を持つように蠢く鋼の歯車が、爆発的な勢いで噴き出した。

ガチ、ガチガチガチ、ギチギチギチギチギチギチ――ッ!!

それは、まるで深淵の底で這い回る虫の群れ。

超高速で絡み合い、噛み合い、自己複製を繰り返す金属の奔流。

虚体の超速再生すら生温いと感じさせるほどの、異常な速度で行われる『機械的修復(リペアカウンター)』。

その驚異的な修復の光景を前に、BG9の内部演算回路は、狂いかけた処理速度を一瞬で引き戻し、冷酷な最適解を弾き出していた。

『指示、系統、再編。即座に最大火力――滅却師完聖体(クインシー・フォルシュテンディッヒ)へと移行すべきと判断』

一瞬。文字通り一瞬にして、失われた左腕が元の形状へと組み上がる。

だが、それは単なる現状復帰を意味しない。

全身から、それまでとは次元の違う、神聖にして禍々しい光の奔流が噴き上がった。

霊子の強制集束。引き絞られる大気が、キリキリと金属音を立てて悲鳴を上げる。

グリムジョーは、その圧倒的な光の質量を前にしても尚、ただ獲物を前にした野生そのものの身構えで、静かに腰を落として身構えるだけだった。

「聖文字(シュリフト)“K”」

BG9が、その名を口にする。

背後に浮かび上がる、巨大な滅却師の光輪。

「――“ザ・キリング(The Killing)”」

その光輪から放たれるのは、一切の慈悲を排した、純粋なる『殺戮』の概念。

「神聖滅矢(ハイリヒ・プファイル)を以て、すべての生命の呼吸を停止させる。それが、我が陛下より賜りし機能(シュリフト)」

パキィィィィィィィィン!!

激しい空間の割れる音と共に、BG9の全身を包む鎧が、異形の変貌を遂げていく。

鉄仮面の頭上に、まるで王冠を模したかのような、白銀の鋭利な突起が九方向に、規則的すぎる重なり合う光輪。

背後から伸びる、十本の異形なる金属の触手。鋼鉄で編まれた天使の翼。

指示、系統、再編。

即座に滅却師完聖体(クインシー・フォルシュテンディッヒ)へと移行すべきと判断した演算回路が、冷酷な最適解を弾き出す。

そして、修復された左腕。

その指先は、細長く、異常なまでに鋭利な『鋼の爪』へと変貌を遂げていた。

節々の長いその腕は、どこかハサミムシの鋏を思わせる、冷徹な処刑具の如き形状。

かつて空座町に現れた第十一十刃、シャウロン・クーファンの『五鋏蟲(ティヘレタ)』。あの男が持っていた、冷酷な節足動物の如き鋭利さ。

今、BG9が纏った姿には、滅却師の神々しさと、蟲の残虐さという、歪でありながらも完璧な調和を以て、一つの『兵器』としての完成形が示されていた。

「滅却師完聖体――」

BG9の、背後の翼が、ギチリとグリムジョーを威嚇するように開かれる。

その声はもはや、個人のものではなかった。

幾重にも重なる機械の駆動音と、冷徹な神の意思が混ざり合った、絶対の宣告。

「『神の心(ゼニエル)』」

頭上の光輪が、悍ましいほどの白光を放つ。

「観察は、既に完了している。破面(アランカル)」

冷徹な電子音が、虚圏の夜に、冷たく、重く響き渡る。

「――これより、駆除を開始する」

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