文字数が少なめなので、こちらに投稿します。
第一話:今生の迷い人
「これより先に進むのなら一切の後戻りは許されない。念のために忠告するけど後悔だけはしないことね」
人間の少女へとスキマ妖怪は問いかける。
その姿は虚空に浮いた怪奇そのもの、漏れ出る妖力はあまりにも巨大で少女にとって『前世』を含めて感じたことのない大きさであった。スキマ妖怪、八雲紫は微笑むように目の前の少女へと視線を落とす。
そこにいたのは黒髪をツインテールに縛った少女、虚ろな瞳で八雲紫を見上げる姿はまるで屍のように生気を感じさせない。その様子を眺めながらスキマ妖怪は愉快そうに口許を吊り上げる。
この少女は間もなく『現代』を越えて『幻想』の世界へと脚を踏み入れることになるだろう。亡霊のごとき雰囲気を纏い、その手にはわずかな私物の入ったカバンだけだった。着ている制服のブレザーと合わせれば学校帰りの女学生に見えた、もう少女が学舎を訪れることはないというのに。
「早くしなさい、妖怪」
「あらあら、思ったより大丈夫そうね。もう言葉を紡ぐことさえできないと思ったのだけれど」
ぐっとスキマ妖怪を見上げる眼差しに影はない、ただ強い光がそこにはあった。寿命を迎えた蝋燭が最後の瞬間に燃え上がったような激しくも儚い輝きが揺らめく。
変わらない決意を見せた少女へと八雲紫はわざとらしく溜め息をついた。そして口元の笑みを悟られないように扇子で隠す、「これで駒が手に入った」と囁く内心を悟られないように。
「いいでしょう、貴女を受け入れましょう。しかし徒然なる世捨て人が今生にては『現代』を捨てるとは面白いですわね。ふふ、貴女がどんな変化を幻想郷にもたらしてくれるのか楽しみです」
スキマ妖怪がかざした日傘、その先に開いたのは結界の裂け目。ぐにゃりと景色を歪める異空間が少女の目の前に出現していた。ふと、黒髪を揺らした少女が見上げると既に八雲紫の姿は消えている。あまりにも鮮やかな去り際に「今までの出来事は幻だったのか?」と疑いそうになったが、眼前に広がる結界の穴は確かに存在している。
「もう、時間がない」
身体から霊力が抜けていくのを感じる。
それだけではなく存在が希薄に変わっていく、せっかく取り戻した『記憶』が霧散していくのを強い意思で強引に引き留める。ふらつく足取りで少女は踏み出した。
「ーーーふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」
お守り代わりの言霊を唱え、舞う桜の花びらへと手を伸ばす。世界の狭間へと吸い込まれていく花吹雪に誘われ、なけなしの勇気を振り絞って少女は結界の隙間へと自分の身体を押し込んだ。
この日、外の世界から一人の少女が消失することになる。誰にも気づかれず、生きた証を残すこともなく、少女は幻想の彼方へと溶けていった。
人はそれを神隠し、もしくは『幻想入り』と呼ぶ。
◇◇◇
晴れ渡る春空の続く幻想郷。
今日も今日とて、中立地帯である人里では爽やかな朝が始まっている。そしてまだ肌寒く、うららかな日差しの降り注ぐ下、人里の外れにある民家の中で古風な格好をした少女が歌を口ずさんでいた。
「ちぎりおく花とならびの岡のべに、あはれいくよの春をすぐさむ………………ああ、いつの世も儚く散りゆくこそが人の子の運命(さだめ)であるかな」
その姿は優雅に穏やかに、浮き世を離れた隠者のごとき。そして少女の高く清らかな声は風に乗り、春の花弁と共に外へと漏れだし空へ舞う。綿菓子のように大気へと溶けていく言霊は神秘的ですらあった。ふぅ、と溜め息をついた少女は立ち上がる。
「なーんちゃってね、いつの時代も人間なんてろくでなしばっかりだっての。さぁて、朝餉にしよっと。確か魚と野菜が少し残っていたはず」
さっきまでの隠者めいた姿はどこへやら、清らかな空間を自分でぶち壊す。そんなことは気にも止めず、せっせと料理をこなしていく少女の名は
古めかしい狩衣と烏帽子、そして丁寧に結んだ黒髪のツインテールが特徴的な女の子だった。くぅ、という腹の虫に桜色の唇が可笑しげに歪んだ。
「はー、この幻想郷って人里以外では暮らしにくいから本当に困るっての。せっかく『外』から引っ越して来たのに好き勝手もできないし、イライラしてお腹も減っちゃうし」
麦飯をお茶碗に盛り付けながら、袴那はゆるりとちゃぶ台へと朝御飯を運んでいく。ちなみに小さな焼き魚と漬物が今日のオカズである。「いただきます」と言ってから箸を付けた。
「健康的なのはいいけど、侘しいのは考えものよ………前世みたいな生活はもう御免なのに…………あっ、今日はラッキーかも」
片手間にこなしていた占術の結果が良好であったことに喜ぶ袴那。少しだけテンションの上がった少女の目の前では三枚のコインが吉報を表す数だけ裏になっていた。その結果はちゃぶ台に彫られた八卦にもちょうどいい感じに当てはまる。今日は吉日で間違いない。
「ふふふ、これなら今日は負けない。だから布都め覚悟しなさいよ、今度こそ黒焦げにしてやるわ」
何やら黒い笑みを浮かべる少女の正体はト部兼好。
兼好法師と名高い、あの隠者の転生した姿である。そんな彼女が何故、こんなところにいるのかは色々な事情があったりする。そして何故、生前とは似ても似つかない性格になっているのかも。
それは主に『徒然草を執筆したのは兼好法師ではなかった可能性がある』といった現代の様々な憶測に流されて、ここに辿り着いてしまったのだ。その過程自体はどこぞの太子様と似ているかもしれない。まさに「世の中の流れはまさに行く川のごとく」だと他人の作品から引用して袴那自身は意気消沈していた。
さて特に大きな事件もなく、さりとてまったくの平穏というわけでもない。ちょっぴり刺激的な彼女の物語はここから始まることになる。