名取と「臆病な提督」の物語。

※本作は「pixiv」にも投稿しています。

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第1話

 

【挿絵表示】

 

 

勇気を出して

 

 

 理解し合うためにはお互い似ていなくてはならない。 しかし愛し合うためには少しばかり違っていなくてはならない。

 ――ポール・ジェラルディ

 

 

*

 

 

 世間は彼を「臆病な提督」と呼んだ。

 深海戦争では積極策をとることが少なく、常に守りに徹していた。その様子を人々は臆病と揶揄した。

 だが、それは彼なりの戦い方だった。預かった艦娘を一人たりとも喪わない。護るべき人々を一人たりとも喪わない。そう誓ったゆえの戦い方だった。

 そんな彼を艦娘たちは支え、そして彼女たちは戦った。戦い抜いた。

 いつしか、臆病な提督は、英雄となっていた。

 

 

*

 

 

 終戦後、数ヶ月が過ぎ去っていた。

 人類領域は静けさを取り戻しつつある。それは、鎮守府と呼ばれた小さな海軍基地においても同じであった。

 そんな静けさを破るように、執務室の館内電話がけたたましくベルを響かせた。艦娘たちに「提督」と呼ばれた青年が受話器を取る。交換員が「統合司令本部長からです」と言って回線をつないだ。椅子に腰掛けたまま、青年の背筋が伸びる。

『忙しいところすまないな』

 壮年らしい声が聞こえた。日本と人類の防衛にあたった統合司令本部、その本部長にして、司令官の叔父にあたる人物だった。

「本部長」

『ああ、いや、今は君の叔父として電話している。軍の回線を私用で使っとるがな』

 そう言いながら、本部長は、叔父は電話の向こうで快活に笑った。

「わかりました。それで、何かあったんですか?」

『突然だが、一つ君に頼み事があってな』

「頼み事?」

『君の艦隊に名取という艦娘がいるだろう。彼女を見合いによこしてほしい』

「は……?」

 一瞬、司令官は何を言われたのかわからなかった。

「さる人物が、私の個人的なパイプを片っ端から通して連絡を取ってきてな。どうしても息子の見合い相手に名取を、と」

 そして叔父は、日本人なら誰でも知っていそうな旧財閥系の大企業、そこの社長令息が相手だと司令官に語った。

「……何故そんなことに」

『以前、君のところの五水戦が避難民を乗せた船団の護衛に駆けつけたことがあっただろう? そのときに令息が乗ったフェリーを護りきった艦娘が名取だったそうでな、彼女をその目で見て一目惚れ、とのことだ』

 司令官の記憶、その一部が呼び覚まされる。戦時中、敵艦隊への殴り込みを主任務としていた第一、第二、第三水雷戦隊に対し、第四、第五水雷戦隊は船団護衛をその使命としていた。深海戦争の最中、何度か第五水雷戦隊が敵水上艦隊と遭遇、壮絶な戦闘を繰り広げたことがあった。第五水雷戦隊の旗艦である名取は盾となることに徹し、多くの人々を深海棲艦から守り抜いた。

『本来なら、こんなことは引き受けないのだが、まあ色々あってな。君の方からも名取にそう伝えてほしい。悪い話というわけでもないだろう』

 受話器を握りしめたまま、司令官は返答できずにいた。突然のことすぎてことばが出てこない。

『……どうした?』

「いえ、その……わかりました」

『段取りは先方に任せてある。あとはよろしく頼む』

 そして、叔父からの電話は終わった。受話器を置くこともなく、司令官は固まったように佇んでいた。

 

 

*

 

 

 名取。長良型軽巡洋艦三番艦。

 艦娘として転生してからの戦歴は輝かしさにこそ欠けるが、船団護衛を見事に務めきった。その麾下に第五駆逐隊、第二二駆逐隊の第五水雷戦隊を擁し、少し頼りない側面こそあったが、彼女たちを一隻たりとも喪うことはなかった。

 そんな彼女を、司令官は執務室に呼び出した。彼女が控えめに扉をノックするまで、およそ十五分の時間を必要とした。

「どうぞ」

 ノックより控えめに扉が開けられ、短い栗色の髪を白いヘアバンドで留めた艦娘が執務室に立ち入った。外見は十代後半に見えるが、艦齢でいえば彼女は既に一〇〇歳近い。艦齢に相反して彼女の顔立ちは幼いと言っていいほど若く、その様子はおどおどとしていて、とてもあの深海戦争を生き残った艦娘には見えない。自信がないのか、両腕は豊かな形の良い胸を隠すようにしている。そして、彼女の左手、その薬指にはプラチナ色の輝きがあった。艦娘たちが「指輪」と呼んだリミッター解除システム。それは彼女だけのものではなかった。深海戦争の最中、「指輪」を装備した艦娘は一〇〇隻以上に及んだ。

「お呼びですか、提督さん」

「うん、忙しいところすまないね」

 普段通りにしようと司令官は努めて平静を装った。名取は髪と同じ色の瞳をわずかに細め、微笑んで小さく首を振った。

「いえ、旗風ちゃんに刺繍を教えていたところでしたので……」

 彼女が手芸を好み、得意としていたことは司令官も知っていた。

「それで、あの、ご用は……」

「うん……」

 やがて、沈黙が訪れた。何もことばを口にしない二人。窓から差し込む春の陽光。その光がわずかに舞い散る埃を輝かせる音さえ聞こえてきそうな沈黙。

 叔父から伝えられたことを、そのまま名取に伝えなければならない。それが、司令官にはできなかった。

 ――司令官は、名取に好意を寄せていた。素直に愛情と言ってもいい。ただ、彼女には伝えられないその愛情を、胸の中でずっと育み続けていた。できうるなら、彼女を専任の秘書艦としてそばに置いておきたかった。だが、その勇気は出なかった。

「……」

 彼女をそんな風に意識するようになったのは、いつ頃からだっただろうか。

 五分ほど経ってから、司令官はようやく口を開いた。

「……すまないね、忙しいのに」

 思わず同じことを繰り返してしまう。名取は少しだけ微笑んだままだった。

「ある人から連絡があったんだ。その……」

「はい……?」

「その……うん、なんていうか、あの……名取は、これからどうしたいと思ってるかな?」

 名取は目をしばたたかせた。

「これから、ですか……?」

「うん、その、艦娘艦隊はいずれ解散になるだろうし、これからどういう生き方をしていきたいのかなって」

 名取はもう一度目をしばたたかせた。何を訊いているんだろう、僕は。司令官のこころに苦みが広がる。

「……まだ、はっきりとは考えていません」

「そっか。……じゃあ、お見合いとか、興味ないかな?」

 司令官は胸の苦しさを覚えた。軍装の襟を緩める。

「……お見合い、ですか?」

「以前、君に助けられたっていうご令息がいてね、君とどうしても、その、お見合いがしたいって」

 伝えてしまった。こころの苦みが痛みに変わる。

 握りつぶせばよかった。無視すればよかった。

 でも、できなかった。だって、その方が名取は幸せになれるかもしれないじゃないか。こころの声が、いやに近くから聞こえる。

 「臆病な提督」は自らの想いを口にできなかった。

 再び沈黙。長い、長い沈黙。

 それを破ったのは名取だった。

「わかりました」

 小さな名取の声に、司令官は顔をあげた。彼女の表情は、戦時中に命令を下されたときのものだった。

「詳しいお話は、あとで伺いますね。では、わたしはこれで……」

 敬礼して、名取は執務室を辞去した。扉の陰で、彼女が何かを呟いたようだった。

 そして、執務室には司令官が一人、残された。

 

 

*

 

 

 それから半日経ったときのことだった。

「司令官!」

 ノックも何もなく、小柄なセーラー服姿の駆逐艦が執務室の扉を開けた。二つのお下げとキツネのように大きな瞳。皐月だった。

「ど、どうしたの」

「いったい名取さんになにをしたのさ!」

 彼女は何かに怒っていた。ずかずかと執務机に歩み寄り、右手を叩きつけた。

「これ、司令官に返してきてって!」

 そこには一つの「指輪」があった。皐月は自分の「指輪」を外していない。彼女の言うことが正しければ、これは名取の「指輪」だ。

「これ……」

「名取さん、ずっと泣いてる」

 司令官は「指輪」の意味に気付いて愕然となった。「指輪」を装備するのは左手の薬指。結婚指輪と同じだ。

 つまり、彼女は見合いを受けると決めたのだろう。

 そして、件の社長令息との結婚を断らないつもりなのだろう。

「……名取さんは泣き虫だけど、あんな泣き方する人じゃないよ。あんなに『ごめんなさい』って言い続ける人じゃないよ」

 司令官は頭の中が真っ白になった。名取が謝っている。ずっと、誰かに向かって。

 自然と、司令官の視線は執務机の上に落ちていた。そこに広がった書類。どの文字も読むことができない。文字そのものが目に入らない。

 今になって、自分の行いに後悔が湧き上がる。僕は――なんてことをしてしまったんだ。もう取り戻せないところまで名取を追いやってしまったんだ。

 

 

*

 

 

 そのまま、司令官は執務室にこもっていた。書類の決裁などできようはずもない。ただ椅子に座り、呆然と机の上を見つめたままだった。

 後悔と自己嫌悪だけが彼の中に渦巻いていた。

 その方が名取は幸せになれるかもしれないじゃないか。自分のことばが何度も胸を突き刺す。

 ――ただの言い訳だった。自分に対する言い訳だった。名取のことを想ってのことばではなかった。

 誰かが執務室のドアをノックした。司令官はそれに答えない。やがて、そっと扉が開けられた。

「やれやれ、まだこんなところにいたのかい?」

 短い髪にミニハットを乗せた少女が、哀れむような瞳で司令官を見やっていた。

「君を笑いにきた……そう言いたいところだけど」

 緑色の袴にブーツ姿の少女――松風はつかつかと執務机に歩み寄り、司令官を見下ろした。

「いつまでそうしているんだい?」

「……」

「深海戦争を終わらせた英雄はどこへいった?」

 辛辣なことばとは裏腹に、松風の声にはどこか優しい響きがあった。

「いいか、君。自分を責めるのはいい、後悔だってするだろうさ。でも、それは今しなきゃならないことじゃない。違うかい?」

 司令官はようやく視線を上げた。松風の後ろ、扉の向こうで第五駆逐隊と第二二駆逐隊の駆逐艦たちがこちらを窺っていた。

「あの戦いの中、後ろの連中を名取さんはどうやってまとめてたと思う? ああ見えて、名取さんは厳しい人だった。でも、船団護衛のときは必ず僕たちの前に立った。爆雷が尽きても主砲で海を撃ち続けて潜水艦を追い払った。大怪我をして入渠すれば、入渠明けに強く抱きしめてくれた。そんな風にして、僕たちを大切にしてくれた」

 松風は静かに語り続けた。

「大切なものを大切にすること。それを示して名取さんは僕たち五水戦をまとめていたんだ。そうでなけりゃ、あんな連中がまとまるはずがない」

「松風……」

「ことばにできないなら態度で示せばいい。君にだって、それくらいできるだろう」

 勇気を出すんだ。そう言って、松風は背を向けた。扉の陰にいた駆逐艦たちが慌てて顔を引っ込める。

「……今、名取さんはH1バースにいる。まだ間に合うよ」

 松風は執務室を去った。聞こえるのは空調の作動音だけ。司令官は椅子から立ち上がると、拳を握りしめて自分に言い聞かせた。

 まだ間に合う。走れ。

 そして彼は駆け出した。執務室がある鎮守府本館からH1バースは少し離れている。月だけが照らす夜の軍港を彼は駆けた。

 一〇分は走っただろうか。岸壁の上に、人影があることに司令官は気付いた。短い髪の少女。名取だ。

「名取っ!」

 彼女の名前を呼び、司令官は全力で走った。呼ばれた名取は驚きの表情を浮かべて振り返った。その瞳には光るものが浮かんでいる。

「提督さん……!」

「名取ぃっ!」

 彼女のもとへ走り、司令官はそのまま名取を抱きしめた。逃げられないように強く、強く。両腕に感じる名取の温もり、胸に感じる形の良い柔らかさ。

「提督さん……きゃっ!?」

 だが、走ってきた勢いはすぐに消えるものではない。名取を抱きしめたまま――司令官は暗い海面に落ちていった。

 

 

*

 

 

 川内たち第三水雷戦隊がたまたま夜間訓練中だったため、司令官は無事に引き揚げられた。

 海水をシャワーで洗い流し、とりあえず寝間着に着替えた司令官は、士官室で年代物のストーブを前に暖をとっていた。風邪をひかれてはたまらないと言って、松風たちが引っ張り出してきたものだった。

 たっぷり三〇分は暖まった後、士官室の扉が控えめに開けられた。名取が立っていた。艦娘である彼女は海に沈まなかったため、一滴も海水に濡れていない。

「提督さん」

「名取……」

 名取はおずおずと士官室に立ち入ると、司令官の様子を窺うように歩み寄り、そっと彼の隣に座った。甘い彼女の香りを感じる。

 そのまま二人は口を開かずにいた。だが、決して暗い沈黙ではなかった。互いが互いをいたわるような、そんな心地よい沈黙だった。

 五分ほどして、名取が沈黙を破った。

「嬉しかった……です。わたしのこと、迎えに来てくれて」

「ああ……うん」

 無我夢中で名取を抱きしめた司令官は照れくさくなって視線をストーブから動かせなかった。ただ、名取が二ミリほど身体を寄せてきたのはわかった。

「わたし、怖かったんです。もうあなたに必要とされていないんじゃないかって」

「そんなこと……」

「でも、そんなことなかった。提督さんが迎えに来てくれて、本当に嬉しかったです」

「海に落ちるなんて、格好悪いところ見せちゃったけどね」

 司令官はストーブを見つめたまま微苦笑を浮かべた。

「いいんです。提督さんはわたしにとって、その……ずっと格好良い人、ですから」

 再び沈黙。扉の向こうに駆逐艦たちの気配がしたが、二人はそっとしておいた。

「お見合い、お断りしますね」

 名取が再び沈黙を破った。司令官は静かに頷く。

「僕もちゃんと断っておくよ。叔父さんには悪いけどね」

「はい」

 そして二人は笑い合った。

「そういえば名取、皐月が言ってたけど、ずっと謝っていたって……どうしたの?」

「ああ、あの……」

 名取は恥ずかしそうに口籠もると、さらに二ミリほど司令官に身体を寄せた。

「……あなたのことを好きになったことが、その、それが申し訳なくなって……」

 お互い、真っ赤な顔をしているだろうな。司令官はそう思った。

「じゃあ、今度は僕の方から好きって言わないと」

 三度目の沈黙。今度は、二人ともそれを破らない。

 だが、それでよかった。こうして静かに寄り添っているだけで十分だった。

 これからの二人にどんな人生が待っているかはわからない。だが、司令官はそれを恐れる気にはならなかった。

 勇気を出せばいい。それを名取は教えてくれた。もう誰にも「臆病な提督」なんて呼ばせるもんか。

 年代物のストーブは何も言わず、二人を暖め続けていた。


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