幽霊船の掃除屋さん 作:BWC
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大海を望む港町。その外れへ向かう海岸線の切り立った崖沿いの道路をスクーターが走る。
軽快なエンジン音を立てながら緩やかな勾配を登り、道の先には灯台。
その根元まで辿り着いたスクーターから降りたのは、幼さの残る少女。
風で乱れた茶髪を整えて、彼女は慣れた様子で灯台へと入る。
「ただいまー、エリーが帰ったわよー。爺ちゃん? リザ姉?」
帰宅の挨拶を灯台の上へ……上階へと続く螺旋階段へと投げ掛けるも、返事は無し。
代わりに少女、エリーが見たのは上り階段の反対側。
地下へと続く、下りの階段だった。
「下に居るの? 隠し扉開けっ放しで不用心だし……せっかくならオンボロ発電機直しといてよね」
切り立った崖の上に立つ灯台の、秘密の下り階段。
エリーは軽快にそれを下って、下って……海面に程近い位置まで下り続ければ、それが見える。
岸壁を穿つように存在する洞窟に築かれた秘密港。
岩壁を剥き出しにした広大な空間には、波の音と発電機の作動音が響く。
「おお! オンボロ直ってるじゃない!」
歓喜の声を上げ、エリーは発電機に駆け寄ると、そこにはしゃがみ込んで作業をする女性が。
黒髪をバンダナで押さえた彼女は、背後から近寄るエリーに気付くと、煤やオイルで黒く汚れた笑顔を向けた。
「よっ! おかえり。ちゃんと直しといたから、夜も暗くない筈だよ」
「助かった……蝋燭で作業するの、本当に気味悪いし、何も見えないし、最悪なのよ」
「修理するの遅れてごめんねー、灯台の方の整備も結構忙しくてさ」
「灯台守だけでも大変なのに、ありがとリザ姉」
エリーに礼を言われて嬉しかったのだろう。リザは立ち上がって両手を広げ、抱擁を求めてエリーへ近寄る。
が、近寄った分、エリーは下がる。
更にもう一歩近寄れば、エリーは顔を引き攣らせて二歩下がった。
「あの、汚れ……嫌かも」
「あ、ごめん。エリーは綺麗好きだもんね」
「いや、まあ……ごめん。ハグ出来なくて」
エリーには多少、潔癖の気があった。
煤やオイルで汚れるまで、一生懸命に仕事をしてくれた感謝の気持ちはある。
だがそれはそれとしてその汚れ、そしてそれが移るような接触に対する嫌悪が拭えない。
だからエリーは服の端をギュッと握って、申し訳なさと不快感の狭間を耐えるのだ。
「お姉ちゃん、上に居るからさ。夜のお仕事も、頑張って」
「うん、ありがと」
エリーは働き者の背中を見送り、短く息を吐くと気合を入れて動き始める。
手袋を嵌めて、秘密港を見渡す。
停泊している船は……小舟が一艘だけ。
「はぁ、あの役立たずの居候に、何か芸でも身に付けさせようかしら。せめて修理とか」
エリーはため息をひとつ吐き、茶髪を纏めてエプロンを身に付け、デッキブラシとバケツを手に取る。
港としては狭いものだが、1人で掃除をするのには広いもの。
それを前に、エリーは慣れた様子で掃除を始めた。
もう何年も繰り返した日常の一部として、丁寧に丁寧に掃除をするのだ。
細やかな所まで、神経質に、突き動かされるように。
◆◆◆
港の外の海が真っ黒になった夜更け。
昼間に修理した発電機のおかげで、秘密港は照明に照らされ明るい状態。
全ての掃除が済んだ訳ではないものの、エリーは港の一角のハンモックで休憩を取っていた。
濃いコーヒーを器用に飲みつつ、眠らないようにしながら。
「今日はお客さん無しかな……」
その時、不意に秘密港の照明が明滅する。
一瞬消えるそれだけで、洞窟の深く濃い闇が本能的な恐怖を呼び覚ますようなもの。
「来た。さて、お仕事開始だね」
ギイ、ギイ、と木が軋む音が響く。
波の揺れ動く音に合わせて、不気味に鳴るが音の源が分からない。
秘密港は明滅の間隔がどんどん開き、暗闇が支配する時間が長くなる。
更には霧が港へと入って来て、視界は殆ど塞がれた。
それらの異常に対してエリーは……慣れた様子で港を歩き、船着場へ。
この暗闇の向こうに何が居るのか分からない恐怖ではなく、何が居るのか分かっているからこその緊張で、それを出迎える。
顔をこわばらせ、深呼吸。
「ようこそ、幽霊船の掃除屋さんへ。船に残った未練と共に、貴方の船を綺麗にいたします」
船着場には何もない……が、霧の向こうの景色が揺らぎ、大きな影が現れる。
変わらずギイ、ギイ、と木が軋む音を響かせながら、朽ちかけの帆船が。
3本並んだマストには、所々穴の開いたボロの帆が垂れ下がる。
船首には骸骨の飾り、大きな帆にも骸骨と、いかにもといった見た目の船だった。
「おお、幽霊船らしい幽霊船が来た」
「幽霊船だぁ……?」
エリーの感嘆に、船の上から男の声が応えた。
おどろおどろしく、掠れて地の底から響いたような声。
恐ろしげな状況で聞こえたいかにも、といった声ではあるがエリーは気にしない。
準備しておいたバケツとデッキブラシを持ち上げて、高らかに声を上げる。
「ここは幽霊船がやって来る秘密港で、私はその掃除をする仕事をしているんです! 乗船してもよろしいですか?」
「幽霊……秘密港? アァ、クソだろこんなの……縄梯子を下ろしてやる! こっちに来てオレ様に説明しやがれ!」
「はい! ただいま!」
船上から声が聞こえて程なくして、エリーの目の前に縄梯子が下ろされた。
フジツボや藻の類が酷く絡まった、磯臭い物ではあったが。
それを目にした瞬間、エリーは顔を歪ませ不快感で身体を縮こませた。
「うっ……他の梯子はないの!?」
「んだァ!? 壊れちゃいない筈だがなァ!」
「でも、これは汚い!」
汚さの前にエリーは取り繕った礼儀を剥がされて、抗議の声を上げる。
だが、その声に応える言葉はないので、エリーは仕方なく手袋をしっかりと嵌めなおして梯子に手を伸ばす。
顔を引き攣らせて、バケツとデッキブラシを落とさないように気を付けながら足を掛け、また次の段へ手を伸ばす不快感を飲み込みながら。
そうして甲板上まで上がったエリーが見たものは……縄梯子と同じ、藻などに所々覆われたヌルヌルとした質感。
視界に映る幽霊船の全てがそうなのだから、エリーは軽い目眩に襲われる。
「あぁ……汚い……」
「オレ様の船を汚ねェとは、随分と失礼な嬢ちゃんだ」
「あっ、初めまして! 私はエリーと──」
声が聞こえた方へ振り向き、挨拶をしようとしたエリーが見たものは、死体。
骸骨が覗く、海藻や海の様々な生物が絡まった青白い人型。
それが目の前に、居た。
「──っ!!!」
「オ、声にもならないカッコ良さってか?」
「ぐうぅ……駄目だ、落ち着け。失礼にならないように──あはは〜海賊って感じですね〜」
「オウ、海賊だからな。それで? 嬢ちゃんは掃除がどうとか言ってたな」
不思議と匂いはしないものの、見た目から漂うものがある。
エリーは引き攣る表情筋を必死に制御して、なんとか笑顔を浮かべて一礼。
「この港は幽霊船の汚れ……乗っていた方の未練を洗い落とす為の港。私は掃除婦のエリーと申します」
「幽霊船……言われてみりゃ、沈んだ記憶があるような、ねェ気もするが」
そう言って幽霊は自らの顔をベタベタと……剥き出しの骨や血の気の無い傷口を無遠慮に触るので、エリーは不快感と共に迫り上がるモノを抑え込んで青い顔をする。
「それで、私にこの船の掃除をさせていただけませんか? それがきっと、貴方の未練の解消にも繋がりますから」
「未練、未練ネェ……あるっちゃあるが、嬢ちゃんになんとかしてもらうつもりは無いね」
「じゃあ取り敢えず掃除はさせて。それが私の仕事なの」
「マ、オレ様の船が汚いのは気になる。掃除は頼むわ、ナ!」
海賊はそう言って、エリーの肩に手を置いた。
血の抜けた白い肌、黄色い骨が所々覗き、海藻で飾った死体の腕が。
それを見て、たちまちエリーは青ざめる。
死体とそう違いはない程血の気が失せて、小鳥が鳴くような声にならない悲鳴を上げた。
「っ! っ! 汚いぃ! 無理! 死体の中で水死体が1番無理!」
「そんなに死体見てんのかい」
「海賊ならもっと金銀財宝で豪華な姿で現れてよぉ……うぅ、甲板の掃除するから! 近寄らないで!」
「オウ、死人に対してひでぇ嬢ちゃんだ」
海賊は骸骨に張り付いた顔で器用に悲しさを表現するが、既にエリーは全てのフラストレーションを掃除に向けているので視界外。
デッキブラシとバケツを船首側へと運んでいって、先の方から洗い出す。
海由来の様々なものが覆った甲板上を、力強くデッキブラシで擦って汚れをこそぎ取る。
慣れた様子で手際よく、まずは滑らないよう足元から。
「ソイヤ、オレ様の名前言ってないな」
「そうね。貴方が何処の誰かも知らないわ」
「ならちょうど良いじゃねェか。後世にどんな感じで活躍が伝えられてるのか気になる。耳かっぽじってよく聞きやがれ、オレ様の名は……!」
「名は?」
「名は!」
「早く言いなさいよ」
「名は、名は……? なんでだ? 分かんねェ」
海賊は頭をボリボリと、剥き出しの頭蓋骨を掻いて困惑。
エリーは見た目で伝わる不快感で蒼白。
「たまにそういう事もあるのよね、自分の名前分かんなくなった幽霊。そのうち思い出すわ、キャプテンさん」
「そうさ! オレ様はキャプテン──!」
キャプテンと、慣れ親しんだ呼ばれ方に勢い付いた海賊は、しかし名乗りを上げようと突き上げた拳を振り下ろす。
「クソッ! キャプテンなんだったか、ぜんっぜん出てこない」
「そのうち思い出すわよ。私はその為に掃除するんだから」
「掃除すると名前思い出すのかよ? どんな仕組みだ?」
「この船は貴方の生涯そのもの。本来ならもっと綺麗な筈なのに、海に揉まれて汚れてしまった。だから私は掃除をする。この汚れ……未練の下にある、貴方の大切なものを輝かせる為に」
エリーは喋りつつも、手を止めず真剣にデッキブラシの先を睨む。
汚れのひとつも逃してなるものかと。
鋭く、強く、仇のように力を込めて。
「死ぬ時も、死んだ後も、もっと綺麗な状態であるべきなのよ。だってこんな船に乗っても、ちっとも安らげない。だから私が貴方の人生の最後、死への船出を晴れやかな気持ちで迎えられるように掃除する」
酷い汚れのその下に、かつての輝きが存在する事をブラシが暴く。
板張りの甲板には傷も多いが、それこそが幾たびもの航海を乗り切った証。
ただ朽ちて汚れただけの船ではない、かつて生きていた証が確かにそこにあるのだ。
エリーは自らの手で磨き上げた、板一枚にも満たない綺麗な場所を見つめて、思わず手を止めた。
汚れは嫌いで、綺麗は好き。
世界を好きに変えてやったと、満足感を噛み締める。
「これが私の仕事。幽霊船の掃除」
確かめるようにそう言って、エリーは再び手を動かした。
ひとりで掃除をするには時間も手間も掛かるこの船に、微塵も怯む事なく懸命に。