幽霊船の掃除屋さん   作:BWC

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 すっかり陽が落ち月が昇る頃、秘密港にエリーの声が響く。

 

「こんばんはー! お掃除に来ましたよーっと」

 

 茶髪を纏めながら階段を降りて来たエリーは、慣れた様子で道すがらエプロンを手に取り身に付ける。

 忘れずに手袋を身に付け、そのままデッキブラシにバケツに掃除道具を担いでいって、縄梯子を危なっかしく登って乗船。

 幽霊船は相変わらず汚れていて、エリーが乗船するにあたって触れた場所もそれなりのもの。

 それらを見返して、エリーは思わず表情を歪ませた。

 

「うー、気持ち悪い。まずは乗り降りする場所から綺麗にしないと」

 

 と、エリーが作業方針を口にして動き始めた時、その声を聞いて目覚めたものが。

 エリーの頭上の遥か上、マストの上の頂上から、骸骨剥き出しの海賊が手を振っていた。

 

「今日も来たのかァ? ──っとと」

 

「ちょっと気を付けてよ!? 落ちるわよ!」

 

「んだァ? オレ様は海賊だぞ、マストの上なんて揺籠みてェなモンって──」

 

 距離を見誤ったか。ふらり、と揺れたキャプテンはそのまま落下。

 迫る地面に向かって、咆哮が降り注ぐ。

 

「ウオオオオオ!?」

 

「もう死んでる! 死なないから!」

 

 落下。衝突。

 ビタリ、とまな板に魚を叩きつけたような音が響いて、それだけ。

 なんの破壊も起きないまま、甲板に大の字に張り付いたキャプテンはゆっくりと起き上がる。

 

「ヨオ、精が出るな」

 

「落っこちた醜態については何も言わないつもり……? まあ、これが私の仕事だから」

 

「へェ、どれくらい貰えんだい? 丁寧な仕事ぶりだからな、額次第じゃオレ様が雇ってやるよ」

 

「死人に雇われる趣味ないんだけど……お金の事は分かんないわ。困ってはいないと思う」

 

「まだガキだもんなァ、親父かお袋が財布握ってんのか」

 

「どっちも居ない。お爺ちゃんが管理してくれてる」

 

 エリーはそう平然と言ったものの、その後露骨に黙ってデッキブラシを動かす事に没頭している。

 誰が見ても分かりやすい、そのように装っている姿にキャプテンは吐く必要のない息を吐く。

 

「フーン。で、その爺さんは掃除しねェのかい」

 

「上で灯台守をしてるわ。従姉妹もいるけど、灯台担当だから。ここは私の担当……前は母さんと2人でやっていたけど」

 

「てェと、この船をひとりで掃除する気か。そりゃァ大変だ」

 

 まるで他人事のように、キャプテンは船体の囲い(ブルワーク)の上で横になる。

 足を組んで揺れて、死者でなければ恐れ知らずな寛ぎ方だ。

 

「また落ちるわよ」

 

「落ちねェさ、落ちても平気だって分かったしな。実際この船はオレ様の身体の一部みてェなモンよ。見張り台は……ま、感覚と違った。しばらく登ってねェのかもしんねェ」

 

「ちゃんと淵を見て歩きなさいよ……今もほら落ちかけだし!」

 

「おお……ケツと背中に肉がねェから変なんだな、コレ」

 

「ちょちょちょ! 落ちる落ちる!」

 

 グラリと大きく揺れたキャプテンに、慌ててデッキブラシを差し出したエリーはそれが掴まれるやいなや力強く引き寄せる。

 落ちても大丈夫だとは、頭に無い反射的な行動だった。

 そうして甲板上に引き寄せられたキャプテンは、たたらを踏みながらエリーへ近付き……

 

「おー、すまねェ。あんがとよ」

 

 荒々しい海の男らしく肩を当てて背中を叩き、感謝を伝えるキャプテンではあるが……それを受けたエリーは蒼白だ。

 

「触らないでってぇ……言ったぁ……」

 

「うん? そうだっけか。てか幽霊だぜ? 触ってもなんともねェだろ」

 

「気分の問題でしょ……! 自分の身体見た!?」

 

「あー、オレ様って前からこんなんだったか?」

 

「死んだからそうなってんのよ! 骸骨剥き出しの生者が居てたまるか!」

 

 エリーは掃除を続ける。

 単純作業が苦にならず、細やかな作業が好きな性分だった。

 汚れひとつ残すものかと力強く、腰を入れてデッキブラシを前後する。

 一定のリズムで甲板を擦る音が鳴り続け、その単調さに耐えきれなくなったキャプテンが音を上げた。

 

「ぐあー! 歌も無しで退屈だろうが! よお、この辺りは何が有名だ?」

 

「有名……港町だから、魚介類を使った料理とか?」

 

「んなこた聞いてねェ。ま、港なら色々あんだろ。略奪には向いてらァな」

 

「やめてよ。戦争が終わって、ようやく落ち着いたんだから」

 

「ま、これがオレ様の仕事なんでな。嬢ちゃんは汚れてるとこから汚れを取り除く、オレ様は物が多いとこから物を頂く。同じだな!」

 

「違う!」

 

 エリーの反応が面白いようで、キャプテンは残った表情筋を動かして笑う。

 そうして次は何をしようかと甲板上を動き回って、秘密港から覗く暗い海を見て立ち止まる。

 

「そうか、ここは港町か……やっぱりいいぜ、海が近いってのはよ」

 

「なに? 海の男ってやつ? 私は地に足着いてる方が落ち着く」

 

「でもよ、耳を澄ませてみろよ……波の音、カモメの鳴き声──は夜には聞こえねェけどよ。海が近けェと陸だろうが心が海になんだ」

 

 夜の海は暗く、およそ何も見通せない。

 まして照明を灯した秘密港の中から見れば尚更。

 それでも伝わる潮風と波の音が、手を止めたエリーの耳にも入ってくる。

 粗雑な海賊に、情緒的な面を見出した初めての瞬間だった。

 

「全部の海は繋がってっから、どの海岸でも故郷の気分になる。いいモンだな」

 

「ふーん、故郷が好きなの? 海の男、海賊なのに?」

 

「当然だろ? どんな人間にも心の港があんのさ。いつかそこに帰港するって、そう思いながら海に出た場所がな」

 

「で? キャプテンの心の港は何処にあるの?」

 

「あー、うん……分かんね」

 

「そんなもんよね。そのうち思い出すから、私の掃除を邪魔しないでよ」

 

 と、エリーが言って数度甲板を擦った直後には、キャプテンの二の句が挟まった。

 

「よお、気になるんだがよ」

 

「何? 質問多いわね……」

 

「そりゃこんな状態なんだ、気になる事が山程ありやがる」

 

「そんなもん? 死んだんだから、そこでもう終わりじゃないの?」

 

「まずもってよ、死んだってのが納得出来ねェ。お前さんはどうよ? 実は死んでましたって言われて納得できるか?」

 

「私は死んでないし」

 

「なんで死んでないって言える? 喋れるからか? 物が持てるからか? 全部オレと同じだろ」

 

「全然違うけど……何が言いたいのよ」

 

「なんとなく……死んだ時の記憶はあんだよ。それでもまだ、あの世には行ってねェ。納得出来ねェ、まだ終わってねェって思う事の何が悪い?」

 

「終わってないって……ここに来たんだから、終わったんじゃないの」

 

「それだ。オレ様は海賊だぜ? 色んなものに反抗して生きてきた。どうして死んだ事を受け入れなきゃなんねェんだか」

 

 そう言い切ったキャプテンに、エリーはもう何を言っても無駄だと諦めた。

 眉を下げため息を吐いて、動き回るキャプテンを尻目に掃除を続ける。

 だが観客が居ようが居まいが関係ない。

 キャプテンは甲板を舞台にして、手足を振るって生を表現する。

 心の赴くまま、生前とおなじように。

 

「可能も不可能も関係ねェって、オレの心がそう言ってんだ。そうだ、これは心の問題だ」

 

「心……じゃあどうしたいのよ。その心はなんて言ってんの? 少しは聞いてあげる。幽霊船を掃除した後は、ちゃんと出て行ってくれるようにしたいから」

 

「よし来た! 歌だろ、やっぱりよ! 静かなのは物足りねェ」

 

「歌ね、じゃあ今度ラジオを持って来る。この洞窟じゃノイズだらけかもしれないけど」

 

「らじ……? 今度ってなんだ、今歌おうぜ」

 

「嫌よ。恥ずかしい」

 

「歌った方が力も入るだろ? 歌に合わせて体を動かすんだ。帆を張る力も入るし、聞いてっと船が動いてんだって安心する」

 

 あちこち骨が剥き出しで、血の気の失せたゴムのような肉を貼り付けた死体が笑う。

 空っぽの眼窩と濁った瞳に人間性を宿し、ただ顔を綻ばせるように優しく。

 存外に柔らかい言葉と、荒々しさを感じさせない顔付きだからだろう、エリーの頑なさは解けてしまって、少しばかりの譲歩が引き出される。

 

「じゃあ、先にそっちから。海賊はどんな歌で掃除すんのよ」

 

「お? 言ったな? オレ様の次はちゃんと歌えよ? 酒が要るなら船倉から探して来ても良いが……」

 

「嫌よ!? こんな船に載ってる物なんて絶対に口に入れないから!」

 

「へへへ、待ってろよ。どんだけ時間が経ったのか知らねェが、何年モノになってんのか楽しみだなァーっと」

 

 呆れたエリーを横目に、キャプテンは嬉しそうに船倉に向かって軽い足取り。

 海賊船の掃除はまだまだ途上で、それが終わるまではあの幽霊とは付き合っていかなければならない。

 であるならば、緊張で強張る表情よりも、互いの言葉でそれが和らぐ方が良い。

 エリーはキャプテンが戻って来るまで、再び掃除の手を動かし始めた。

 デッキブラシの擦れる音に混じって、微かな鼻歌が混じる。

 どんな歌が良いだろうかと思い出しながら、少し表情を綻ばせて。

 

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