幽霊船の掃除屋さん 作:BWC
今日も秘密港では幽霊船の掃除が行われている。
毎日、夜更けからずっと掃除をし、エリーは弱音ひとつ吐かずに汚れと向き合っていた。
お供になるのは船の持ち主であるキャプテンと、酷くノイズを吐き出すラジオ。
洞窟の中という電波状況の悪い中、微かに音楽を鳴らした文明の利器と共にキャプテンが陽気に体を揺らす。
「よし……甲板終わり!」
「オォ、お疲れさん!」
と言って、陽気さに任せてキャプテンは死体然とした腕で肩を叩こうとするので、エリーは不快感を顔に滲ませながら回避する。
不快さは身に染みてしまっている程なので、避けるのももう慣れたものだった。
「それで、どう? 名前は思い出した? キャプテンさん」
「ウーン、全然だな。困っちまった」
キャプテンはマストにもたれ掛かり、空の瓶を煽っては頭を捻る。
変わらず朽ちた水死体の見た目ではあるが、この港に現れた時と比べれば多少はマシな状態だった。
「そのうち思い出すわ。汚れを──未練やわだかまりを落として船を綺麗にしたから貴方も少しだけ、ほんっの少しだけ綺麗になってるしね」
「言われてみりャ、綺麗になってら。このまま男前が完全復活したらどうなんだ?」
「出港するの。もう海を彷徨わなくていい、安らかな死を迎える事になる」
「アァ? 聞いてねェぞ! それにオレ様は死ぬつもりねェからよ!」
そう言って、キャプテンは剥き出しの頭蓋骨を掻く。
明らかに、死んでいるというのに。
「いや言った! 言ったっけ、言ったはず……そもそも! 死んでるのに外出てどうすんのよ!」
「こうして喋ってんだ! 生きてるのと殆ど同じだろ? ナ!」
「全然違う! 幽霊は幽霊船に結び付いていて、この港の近くからは出られないの。そしてこの港は幽霊船を綺麗にして、安らかな死へと送り出す場所なの」
「あぁ!? 話がちげェだろ! 監獄かよここは! なら、こっから動かねェよ。次の目的地はまだ見つからねェが、少なくともあの世じゃない事だけは確かだ」
「あぁもう! また港の厄介者が増えた! っあぁ! もう! ……はぁ、掃除の邪魔だけはしないでよね」
このひとりで掃除をするには広い船、手を止めている暇はないとエリーは掃除用具を担いで次の場所へ。
甲板を横切り、船尾側にある船長室への扉を開いた。
酷く軋む扉だったが、なんとか力任せに開けてみれば……その向こうは暗闇。
「ランプランプ……」
エリーは胸元にぶら下げた箱──軍の払い下げ品の懐中電灯を操作して、部屋の中を照らす。
投射された光は室内にある様々な物に反射して……黄金に輝く。
この幽霊船には似つかわしくない、豪華な丁度品の数々。
宝飾品も山のように積み上げられて、これがどんな船なのかを思い出させる。
「海賊船って……ほんとにお宝あるんだ」
「オウとも。オレ様は海を往く、あらゆる存在に恐れられる海賊さ。太陽の国の貴族サマでさえ、この船には手を出せなかった」
「思い出したの?」
「サァな。なんか口から出てきただけさ。だが、この宝を抱えて海の藻屑になるつもりはねェ……一度始めた航海は、ちゃんと終わらせなきゃならねェからな」
キャプテンはそう言うと、宝で溢れたテーブルへ乱暴に腰掛ける。
女を抱き寄せるようにテーブルの上のあらゆる財宝を掻き集めては、その欲望を満たす輝きに口の端を歪ませた。
そのうちの一山の金貨を手で掬い上げると、骨が剥き出しの手のひらから次々とこぼれ落ちては、重々しい金の音を響かせる。
「死んだ後じゃ、そのお宝があっても何も出来ないじゃない」
「だとしても、この船には帰るべき港がある。宝を持ち帰って……持ち帰って? クソ、なんか計画があった筈だ……」
キャプテンは空の頭蓋骨を何度も叩き、靄が掛かった記憶の向こうを探ろうとする。
するものの、そんな事をしても思い出すものなど無いのだと、思い知るだけだった。
そんな焦燥と苛立ちにワナワナと肩を震わせて、キャプテンは大声を上げる。
「この部屋の掃除は後だ! オレ様はこの部屋になんかねェか探すからよ!」
「別に良いけど……散らかさないでよ。掃除しづらいの嫌だから」
エリーが踵を返せば、懐中電灯の光も翻る。
船長室は暗闇に包まれて、その中でキャプテンの空の眼窩が怪しく光っていた。
「なあ……太陽の国、オレの故国はどうなったんだ? きっと、この船が沈んでからすげェ時間が経ってる筈だ。この港の設備を見りャ分かる。戦争には勝ったのか?」
「戦争って……どの?」
「戦争なんて後から名前がつくモンだろうが」
「10年前に世界中で戦争をしてたけど、あの国は大国同士の戦いに巻き込まれて、被害を受けた筈。小さい国だしね」
「小さい……あの、黄金に輝く王国が小さいのかよ」
殆ど声にならない呟きが船長室の闇に溶けてゆく。
エリーも踏み入るような事はせず、背を向けたまま自分の仕事へ戻っていった。
甲板を終えたのなら、次は船倉。
下層へ降りる為のハッチを床から持ち上げれば……その下には大砲を並べたガンデッキが。
かつては幾つもの船を沈めたのだろうが、すっかり古びて酷い有様。
そんなものが幾つも並んでいて、更にはガンデッキに降りて足を踏み入れるほど、海に由来する強烈な臭いがするので、エリーは顔を顰めて二の腕で鼻を抑えた。
「くっさ……甲板なんて序の口って事よね。ああもう、ここがこんなに汚れてるって事は、キャプテンは戦いに負けた事を悔やんでるの?」
ガンデッキは所々に穴が開いている。
より下層へ向かう穴ではなく、側面から開いたもの。
こんな船に、そのような傷が付いているのなら、それは間違いなく海戦の結果だろう。
エリーは近寄り穴から外を覗けば、いつも通りの秘密港と遠くの波打つ音が。
所々照らされて、光の下にはエリーが寛ぐ為の場所や掃除や整備の道具が山積み。
この幽霊船以外には小舟がひとつ停泊している。
「ひとりで上手く、出来るのかな」
と、エリーが弱音をこぼした直後の事だった。
「やあ、ご機嫌よう。ひとりが大変なら手伝おうか?」
と、船体に開いた穴から若い男が顔を出した。
外に足場など無い。張り付いているにしては無理のある、鋭角な角度で割れた眼鏡を光らせながら。
「ひっ──!?」
「驚き過ぎだな。そんな調子で幽霊を相手に出来るのか?」
よく見れば、その男が薄っすらと透けている事が分かる。
分かったところで、それが幽霊であると理解出来るだけで恐怖の質が変わるだけなのだが。
それでもエリーにとっては突然現れた顔、よりは幽霊の方がまだ心が穏やかになれた。
「アンタねぇ……! 驚かせる為にそんな現れ方したでしょ!?」
「心外だ。ただ幽霊としての利点を活かし、本物の海賊船を隅々まで観察していただけだとも」
男は宙を滑るようにして穴から船内に入り込むと、緩やかに着地。
傾いていた事で乱れたコートを几帳面に直し、眼鏡をかけ直す。
コートの下にはカーキ色の戦闘服を着て、襟を正す。
肩掛け鞄の位置を調節すれば、身嗜みは完璧。
薄っすらと透けている幽霊である事を除けば、紳士的な几帳面さと立ち振る舞いだった。
「見物するくらい暇なら手伝ってよ学者先生。ひとりで掃除するの、大変なんだから」
「もちろん。自分の意思ではないとはいえ、港の一画を使わせて貰っている身だからね。それはもう出来る限りの事をするとも」
先生と呼ばれた幽霊は丁寧な物腰で、胸に手を当て一礼。
それはもう紳士的で、頼もしい雰囲気が出ているのだが、それを見るエリーの視線は訝しげ……むしろ呆れですらある。
「その口以外に動かせるものは?」
「手持ちの小さなブラシなら任せてくれ。それくらいならば、この非力な霊体でも持ち上げられる」
「はぁーもう少し役に立って欲しいわ」
こうして細腕の少女が、デッキブラシを手に汗をかいて重労働。大砲などの様々な障害物をずらして、隅々まで磨き上げる。
対して頼もしい事を言った男はどうだろう?
片手で持てるブラシを細かい所に這わせたり、大砲の中などを腕をすり抜けさせて磨いたりする。
あとはよくよく口が回った。
「エリー、そこに汚れが残っているが……君のやり方だと、それが正しい状態なのか?」
「普通に磨き残しがあるって言えばいいでしょ!?」
「それが君のやり方なのかと思っただけだ。ワタシの知識にないやり方を知れるのかと思ってね」
「口動かす前に手を動かせる? ただでさえ小ちゃいブラシなんだから」
「ごもっともだ……なあ、その──」
「おててを動かしてくれるかなぁ!? 頭良さそうだけど私が言ってる事、分かんない!?」
幽霊ならではの作業をしてはいるものの、少女を働かせては口だけは出すので、大人としては相当に情けない。
本人は全く気にせず、マイペースに海賊船の見物を楽しんでいるが。
そんな調子でエリーは手を動かし続け、先生は手よりも口をよく動かした。
しかし掃除を続ければ、ガンデッキも多少はマシな状態に。
それを一区切りとして、先生は懐から取り出した懐中時計を見て、熱心に掃除をするエリーに声を掛ける。
「エリー、時間だ。そろそろ切り上げた方がいい」
「もう少し……この大砲と大砲の間だけ……」
「そう言って、前も随分夜更かししてしまっただろう。翌日が辛くなるのは君だ、エリー」
「でも、落ち着かない。ちゃんと区切りの良いとこまで綺麗にしないと」
「明日でも明後日でも、いつだって掃除は出来る。無理が祟れば、ワタシのような幽霊の仲間入りだぞ?」
「それは嫌」
とは言いつつも、エリーは露骨に不安で後ろ髪を引かれつつガンデッキを後にする。
途中で掃除を止めたもどかしさ、歯痒さを露骨に表情に表していたが。
「キャプテーン? 私、今日は帰るね。また明日」
下船する前に、船長室に声を掛けるが何も返ってこず。
部屋は変わらず真っ暗なまま。
蝋燭ひとつ無い部屋では、エリーの懐中電灯が唯一の光源。
キャプテンはテーブルに座ったまま微動だにせず、チラつく懐中電灯の光に合わせ、微かに揺れる。
「キャプテン? どうかしたの?」
エリーが船長室に足を踏み入れば、散らかった黄金の輝きが眩しく怯む。
山のように積み上げられていたものが掘り返され、ならされて部屋中に。
それら黄金の海の真ん中で、キャプテンは静かに佇み……
「見つけたぜ。オレは……
キャプテンが見つめていたものは、豪華な額縁に収められた白。
それはキャンバス生地であり、これから何かが描かれるにしては擦り切れた部分もある劣化を感じさせるもの。
そんな何も描かれていないそれを前に、キャプテンは空の眼窩と濁った瞳に郷愁を宿していた。
「コレ? もうそこにあるじゃない。白紙だけど」
「バカかてめェ? 絵だぞ? 絵なんだからここに描かれた人か場所だろ、分かんだろ? マジで」
「ちょっと言っただけでしょ……」
キャプテンは白の向こうにあるはずの、何かを見つけようと睨み続ける。
自身の名前も、死を拒みこの世にしがみ付き続ける理由もそこにある筈だと。
「コレだ。間違いない。オレがやり残した事はコレしかない。最後に残った、最高の宝だ。これがねェとオレの名は完成しない。これを手に入れるまで、死ぬ気はねェんだよ……!」
この日以来、キャプテンは船長室に閉じこもったまま、扉が開かれなくなった。