幽霊船の掃除屋さん 作:BWC
今夜も幽霊船の掃除はいつも通り、つつがなく。
しかし唯一の問題というのが……エリーが叩く扉にあった。
「キャプテーン? キャプテン開けてー。もう何日も閉じっぱなしで、空気の入れ替えが必要だと思うんだけど」
固く閉ざされた船長室は、もう何日もすっかり閉ざされたまま。
叩けども声を掛けてみても反応はなく、扉に打ち付けるエリーの拳や声も次第に勢いを増してゆく。
「ねぇ! もうそろそろ掃除終わりそうなんだけど! あとは船長室だけ! そこの掃除させて欲しいんだけど!?」
何度も何度も叩いても、物音ひとつ聞こえない。
エリーは苛立ち、腕を組んで甲板を歩き回る。
苛立ちを何かで発散しないとやってられない、だが当て所がないので大股で歩き回る他にない。
そんなフラストレーションの溜まったエリーに、上方から声が掛かった。
「エリー! だいたい終わったぞ!」
「だいたい、じゃ困るんだけど!」
エリーが見上げる先はマスト。
太く高い木の柱の上に、手を振る先生が。
「高くて大変なんだ! 文弱なワタシでは少しばかり難しい!」
「幽霊なんだから落ちても平気でしょ!? 自分からやるって言い出したんだから、ちゃんと綺麗にしてよね!」
「ああ、それはもちろんだ! 君にこんな危険な作業をやらせるのは人に道にもとる」
頼もしい事を言った直後だった。
文弱を自称するだけある先生は、踏ん張る事すらできずつるりと滑ってそのまま落下し、頭から甲板へ真っ逆さま。
とはいえ幽霊、そのままするりと通り抜け、エリーの目の前には手持ちのブラシが転がった。
「……高所の作業用には便利かも、幽霊」
「ああ、自分の身体で体感すると、特にそう思う」
甲板から頭がぬるりと生えてくる。
先生は乱れた髪や眼鏡を直し、心臓が動いているのかすら分からない胸を撫で下ろしながら。
「落ちてる時叫ばなかったわね。キャプテンでも叫んだのに」
「叫んでどうなる? 黙して死を覚悟していたさ」
「もう死んでんのよ、学者先生」
エリーはブラシを拾い上げ、おおよその掃除が終わったマストを仰ぎ見る。
大きく、そして高所という特殊な環境故に残ってしまったここが終われば、残る場所はひとつだけ。
エリーも先生も閉ざされた船長室を見て、そして顔を見合わせる。
「まだ彼は出てこないのか? 本物の海賊と話してみたいんだが、中々良いタイミングがないな」
「あの真っ白な絵? を宝の山から見つけた日から変なのよね。最高の宝だーって言ってるけど、何が描かれていたのか分からないって」
「余程大切な物なんだろう。ワタシもそのような物を持っている」
そう言うと先生は肩掛け鞄から、紙束を2つ取り出した。
滲み、折れ、くたびれたそれは変色して白紙とは言えないが、文字が一切書かれていないもの。
確実に何かが書かれて、そして何度も読み返したであろうもの。
「掃除の手伝いしてない時、アンタもその紙ずっと見てるわね」
「ああ、大切な物だと分かるんだ。この港に来た幽霊は皆、何か思い残した事があって導かれたのだろう。ワタシの場合はこの手紙が、ここへの切符だった」
「2つあるなら、送ろうとしたものと貰った手紙? なんで送らなかったんだろう」
「分からない。だからこそ、ここに来たんだろう。この手紙の送り主を思い出して、返信をしたいんだ」
「そこまで分かってるのに、肝心なとこが分かんないのね」
素朴な意見を口にしたエリーに、先生は少し笑って咳払い。
本人ですらどうしようもなく、焦燥の原因となる部分への無遠慮な言葉を咎める意図。
そしてエリーの未熟さに口を挟める、意地の悪い高揚によるもの。
「そうだな、人生の先輩として……人生を全うした先輩としてアドバイスをひとつ」
「それはそれは。ありがたく拝聴させて頂きますとも」
「我々には納得感が必要なんだ。これから向かう死というものが、恐ろしくないと思える納得感がね。それは実際に納得出来るような、実のある言葉でなくとも構わない」
「逆に難しいでしょ、そんなの。私が今、アンタは心配しなくても大丈夫だから港から出てってーって言って納得する?」
「だから納得感と言ったんだ。君の言葉にはそれが無い。これは例えば信仰であったり、遺す家族を安心して任せられる後継者だったり、戦い続ける戦友や先に行った戦友達。これらは死後を確実に保証するものではないかもしれない。だがこれから終わろうとする人生から、信じられると思えるものを掬い上げられた時に納得感が得られる」
死者は雄弁に語る。
アドバイスという体ではあるが、それが己の欲しいものである事は分かりきっている。
聞いているエリーだって、目の前の幽霊が求めているものが慰めであると理解した。
経緯はどうあれ、人生を全うした大の大人が最期に優しい言葉を欲している。
見方によっては情けない、ナイーブな姿であると思うかもしれないが……エリーはそれをすんなりと飲み込んだ。
「内容自体は口先であれ、心配ないと……ここからはもう安らげると、理屈ではなく心に向けた言葉が必要なんだ。だから納得ではなく納得感。信じて縋りたくなるもののの事だ。どうせこれから死ぬんだ、実際はどうでもいい。気休めでも口にしてくれる誰かが居れば救われる」
「身も蓋もない……確かにそんな言葉を掛けられたらって思うけど。でも相手の事を何も知らない私がそんな事言ったって、それで納得してもらえるとは思えない」
「ならば調べればいい。ワタシの場合は分からないが、あのキャプテンの事は分かるかもしれない」
エリーは先生の言葉に目をパチクリさせて、驚き疑問を抱く。
「なんで?」
「彼が歴史の中に埋もれる、ただ数字として記載される有象無象だとは思えない。船は立派、ガンデッキが二層になっている。軍艦だよ、これは。こんな船を扱える海賊の船長なら名前も残っていそうじゃないか?」
「なるほど、先生は数字側って事ね」
「だから困る。ワタシ自身が誰かも分からないのに、記録にも数字としてしか残らないんだ。その点ではあの海賊はどうだろう。誰かが記憶して、記録しているかもしれないな」
その日、エリーは早めに掃除を切り上げて早寝をした。
そうして普段よりも早起きをして、スクーターに乗って出掛けた。
丘の上の灯台から、心地良い陽射しに照らされながら坂道を下り、遠くに見える町へと。
灯台を必要とするからには、そこは港町。
港を中心に太い道路が伸びて、街の各所を結ぶ様子が、エリーが下る坂道からよく見えた。
「平和、だなぁ……」
町に近付くにつれ、人も交通量も建物も増えてくる。
レンガ造りの2階建てや3階建てが立ち並び、その間を通る石畳の上を行く。
バリバリ、とスクーターが鳴り、すれ違う車はポコポコ、という音を残す。
植えられた、飾られた花々が香りを漂わせ、潮風が遠くから海の味を運んでくる。
エリーはこの町を、このようにスクーターで走るのが好きだった。
五感全てで生まれ育った土地を確かめる……普段死と距離が近いからか、生を感じるこの時間の事が特に。
そして生者との繋がりも。
信号待ちで停まった時に、漂う香ばしい香りと共に女性の優しい声が届く。
「エリーちゃん! 今日はお休みかい? パン買っておいきよ!」
「ごめーん、これから図書館に行くんだ」
「お休みの日にもお勉強かい! 偉いねぇ……困った事があったら、おばちゃんに言いなさいね。アンタのお母さんには随分助けて貰ったんだから」
「うん……困ったら、言うから」
エリーは道を行く。
図書館へ向けて進めば、立派な建物が見えてくる。
大きな建物に見合った駐車場にスクーターを停めれば、遠くに人に取り囲まれている車がある事に気付く。
「なにあれ。事故?」
野次馬根性を働かせて近付けば、エリーの背丈では人垣の向こう側は見えないものの、声はよく聞こえてきた。
「町長! 図書館への予算増額! ご自身の功績を称えた町史の編纂と、それを大量に収蔵させる為に行ったのでは!?」
「馬鹿か! 図書館が町史を編纂する訳ではない! アレはポケットマネーで作って図書館に寄付したものだ!」
「ですが他にも予算の割り振りに不明な点が幾つもありますよね!?」
人垣をかき分けて、恰幅の良い男……町長が現れる。
巨大な腹回りを収めるためのオーダーメイドのスーツに、額を拭うのは質の良いハンカチ。
周囲を取り囲むのは地元の記者達で、男は鬱陶しそうに虫でも払うように手を振るう。
見た目の印象で品が良いとは言えない男だったので、取り囲む記者達も良心が痛む事なく追求出来た。
「なーにが不明な点だ! ──おっ、エリーじゃないか!」
「うわ、厄介な時に見つかった」
町長は笑顔でエリーに近寄ると、肩を抱いて
「予算というのはだな、このような子供の為にあるのだ。今日は休日だろう?」
「ええ、まあ……」
「なのに勉強の為に図書館に来ている! ならば大人として、図書館をより良い環境にしてやりたいと思うのは当然だろう」
肩に乗せられた手に不快感を隠せないエリーだったが、町長はなんとも圧の強い人間であり、調子良く話している最中は誰も口を挟めなかった。
「そして、だ。このエリーは灯台守の家の子でな、この子も家の仕事を手伝っている勤労少女。この町がどうして発展したか分かるか?」
「港があるから、ですか」
「その通り! 我が一族が発展したのも同じ理由なのだよ。このはいわば、物流における心臓。そして灯台とは心臓が安全に機能する為の弁のようなもの。予算はこのような場所にこそ、掛ける必要がある!」
拳を握り締め、気分良く話を締める事が出来た町長は満足げ。
額を溢れる汗をハンカチで拭って、豚のように鼻を鳴らした。
「ですが、接待の名目で随分な額が使われていますよね?」
「……ええぃ! 散れ! 警察を呼ばれたいか!」
相手は権力者。記者達もこう言われては蜘蛛の子を散らすように去っていった。
残るのはエリーと町長。
エリーはそこでようやく町長の腕の中から抜け出して、肩をハンカチで拭く事が出来た。
「あの、触られたくないんですけど」
「おお、それはスマンな。いやしかし、良いタイミングで来てくれた。嘘ではないが、方便には丁度だった」
「うわ、ホントに町のお金使ってるんですか……?」
「ただ単に大喰らいなだけだ。この腹を見れば分かるだろう。話が盛り上がれば飯も進み、食事の時間を共にすれば信頼も得られる。ちゃんとした使い道だとも」
そうは言いつつも、脂ぎった顔は笑顔を貼り付けてばかりで、エリーには本当の事は分からない。
分からないが、それを殊更に明らかにしてやろうとも思わない。
それは立場、利害によるものだった。
「それで……今日は勉強か? それとも
「アレです」
「ほー、そうかそうか。どんな船が来ている?」
「海賊船です。乗っている幽霊が自分の事を覚えていないので、記録が残ってないかと」
「ほほぉ! 海賊船と来たか……いやはや、本物の海賊かぁ!」
「それ聞くとみんなテンション上がるのなんなの……」
「こればかりは男のロマンだからな。子供の頃は海賊ごっこなんて言って、倉庫に仕舞われた古いボートで遊んだものさ」
「町長が船長役?」
「いいや下っ端だ。君のように船を掃除していた。この町には、そんな子供時代を経験した大人が沢山居る。かつて純粋な海や船への憧れを持っていたからこそ、今はそれを守りたいと思うのだとも」
町長は真面目な顔をしてそう言って、瞳に子供時代の輝きを宿す。
そうしてエリーを見やると、おどけたように額を叩く。
「まあ、正直言って幽霊だの幽霊船だのはよく分からん。灯台がこの町にとって重要なのは変わりなく、実際に幽霊船が来てしまうのだから、なんとかする必要もあるだろう」
「もし、私が掃除をしないとどうなるんですか?」
「分からん。幸いな事にこの
「それはちょっと……プレッシャーです。私がひとりで背負って良いのか、まだ全然上手く出来ていないのに」
「構わんさ。少なくとも前任者が亡くなった今、君こそがこの業務唯一のプロフェッショナルだ。ああそうだ、君はご両親を亡くして大変だろう、金銭面での負担があれば言いたまえ。その為の予算であるし、足りない分はポケットマネーを充てるとも。ではな、頑張ってくれ」
「ありがとう、ございます」
エリーは町長を見送り、そして少し俯いた。
申し訳なさであり、現実を直視したくない現れであり、自分がどんな顔をしているのか、誰にも見られたくないから。
快活に振る舞える程は強くはなく、哀れには思われたくない強さがあった。
「戦争で死んだ父さんも、病気で死んだ母さんも、どっちも船で死んでくれなかった。せめて、また……会えたら良かったのに」
長台詞は書いていて楽しいですね。
そのキャラが何度も反芻した言葉なのか、その場で湧いてきた言葉なのかで台詞も変わってきたりして
今回は後者でした