どたどたどた
そうやって愉快な足音を鳴らしながら、息を切らして牡丹さんが入ってきた。
なかなか息が整わないらしく、ソファに腰掛けてもまだ肩で息をしていた。
流石になんだか可哀想だったので、水をあげると、500ミリのペットボトルの半分くらいを一気に飲み干した。
相当喉が乾いてたんだろうな。
ようやく牡丹さんが口を開いた。
「私は神だ!!」
「なら僕は
「ゴッド!ペーパーじゃなくゴッド!」
普段、大人びてる牡丹ちゃんは先生と関わってる時だけやけにテンションが高い気がする。
気の置けない仲ってやつなのかな。
それともランナーズハイってやつなのかな。
「で、一体何事っすか?」
「検証だよ」
と答えた。
あ、そうか。牡丹さんの「嘘」がどの条件で現実になるか絞り込んでるんだ。
「しかし、水を飲んだらダメなんじゃないか?しんどい状態で吐かなければ意味がない。」
いたずらそうに口角を上げて先生が言った。
「……というか、そもそも、なんで私の嘘が特定の条件にしろ現実になるんですか?血筋とか……?この十四年、その特定条件を奇跡的に回避して」
「阿呆め。なわけなかろう」
「でも……私の嘘の怪談のせいで国木田先生は……。何度も何度も頭の中では否定しましたよ。だけど、その度に、私が呪ったようなものだって確信が強くなっていくんです。例えこんなことになるとは思わなかったとはいえ、私の
牡丹さんはかなり責任を感じてるみたいだった。正直、わざとやって起こった訳じゃないなら事故みたいなものなんだから、そんなに気にしなくてもいいのにと思う。
先生が口を開く。
「何を言ってんだ。呪われてるのはお前だぞ」
「顔がって話なら聞きませんよ」
「阿呆。怪異と言うのは人の作為の塊みたいなものだ。もしもお前が主体だとするなら、だ。お前にその気がなければ、そうなる道理は無いんだよ。」
抽象的な話ばかりでいまいち何を言ってるのかピンと来なかったが、牡丹さんは理解できてるようだった。
「いや、でも……えぇ?それじゃあ一体誰が?」
「どこかで恨みでも買ったんだろ」
「お言葉ですけど。そんなものを買えるほどの仲があるような人がいれば、私の人生もう少し豊かでしたよ」
牡丹さんは自分で言っていて少し悲しそうな顔をした。
自分で傷つくくらいなら言わなければいいのに……。
「
どうやら先生と意見が被っていたらしい。
俺は先生に聞いてみた。
「無差別ってことはないっすか?例えばここからここまでの人は明日財布を家に忘れる!みたいな」
「恨みを買った線がなければ、そうだろうな。だが……それだけの人数に呪いをかけるにはそれだけの時間、労力、そして
憑代……。呪いをかけるための媒介らしい。丑の刻参りの藁人形みたいなやつのことだそうだ。
「その時たまたま呪いをかけられた!とかって可能性は無いんですか?もしそうなら牡丹さんの行動をトレースしても意味ないんじゃ」
もうひとつ気になっていたことを聞いた。
「阿呆め。無差別を前提にするならそんな都合の良いことはあるまい。大方、何かしらの引き金が設定されているタイプの呪いだ。お前も覚えがあるだろう。九州のあのド田舎での一件だ」
九州のド田舎での一件。
確か、特定の言葉を喋ったら廃人になる、みたいな事件だった。
しかもその言葉は別に普段使いするようなものでもなければ、意味が無いような文字の羅列だった。
結局、その事件はその呪いをかけているのがかつて人柱になった子供達の怨念だったことが分かった。
してあげたかったけど、解決はできなかった。依頼には含まれていなかったから。
「兎に角今は条件の発見を急ぐぞ。誰が呪ったとかなんで呪ったとかは後回しでいい。必要なのは扉を開く為の嘘だ」
先生が言った。
「嘘で扉を開く……っすか?」
すかさずに聞いた。先生はニヤリと笑って言う。
「あぁそうさ。逆にこの呪いの性質を利用してやる。嘘の怪談で国木田とか言うやつの居場所までの道……いや、入口を作る」
そんなことが可能なのか、と思ったが、先生が言うのならきっと可能なのだろう。
「なら、当時の再現をするのが一番なんじゃないっすか?」
至極当然な疑問を投げかけた。
聞いていた話によると、喫茶店で怪談を話したというのだから、わざわざ牡丹さんが走って息を切らす必要はないんじゃないかな。
先生が笑う。
凄く悪そうな顔で。
それを見て牡丹さんは眉をひそめて、すごい形相で先生を見ていた。
なんでこんなことやらせた、と詰める牡丹さんに「必死に走ってる犬って笑えるだろ」と先生が返す。
基本的に先生は誰に対しても皮肉で嫌味な感じなんだけど、牡丹さんにだけは特にいたずら心をくすぐられているようだった。
「閑話休題だ」
そう言って先生は事務所から出ると、下の喫茶店の店主を連れてすぐに帰ってきた。店主の手には豆とコーヒーを抽出するあの機械を持っていた。
聞くと、コーヒーを作ってくれるらしい。
店主は堂島さんと言って、店が怪談屋の待ち合わせ場に使われることが多く、怪異の存在についても認識している。
定期的に先生が迷惑をかけているが、懐の広い方なのか、未だに出禁になっていない。どころか、二人で飲みに行くこともあるらしい。
俺は砂糖とミルクを事務所の控室に取りに行く。すると牡丹さんもついてきた。
「あの日、私がなにか普段違うことをしてたとするなら、珈琲を飲んだことなんですよ」
そう言った。
先生にもそれは伝えていたらしく、思えばさっきの運動は擬似的にコーヒー酔いを再現する為の検証だったのではないか、と言っていた。
流石に先生を買い被りすぎだと思う。
あの人は差し迫った危機でもなければ、真面目になることはない。
普通に牡丹さんで遊んでたんだろうな、と思う。
しばらく経ってコーヒーができた。
いい香りがする。
再現ということで、牡丹さんは何も入れずにそのままぐいっと二杯飲み干した。
みるみる内に調子が悪そうな様子になっていく。カフェインに弱いのだろうか。
「あらまいらい」
と言って此方にもたれかかってきた。
呼吸が浅くなっているのか、小刻みに肩が膨らんでは縮んでいた。
先生は牡丹さんにカンペを見せて「これを読め」と言った。
座敷童がこの部屋にいると言った内容の階段。
当然、この事務所では見かけたことがないので「嘘の怪談」と言うやつだろう。無害な怪談で確かめるのか。
そう考えると、さっきの牡丹さんの「私は神だ」というセリフを許容していたのは、確実に効果がないことを分かっていたからなんだろうな。本当にただのいたずらだったのだ。
おぼつかない発音で牡丹さんが読み上げる。
発音したかどうかではなく、牡丹さんの頭の中でその怪談をしっかり語った事になれば良い、というのはこれまでの出来事で分かっている。
締め切った室内にさぁっと風が吹いた気がした。
楽しそうな子供の笑い声。
矢張り先生は当たりをつけていたのか、成功した。
「コーヒー酔いが……呪いのトリガー?」
「
先生は続けてこういった。
「呪いをかける為には、呪いの憑代になるものに由来がなければならない。【酔い】が関わる怪異や曰くの呪い……。その点から考えても珈琲酔いが限定的なな引き金では無いだろう。矢張り、酒での酔いの判定に当たったと言うのが正しいか」
堂島さんがほっほっほ、と笑う。
「森須くんといると、この歳になってもまだ不思議なものを見れますな。大抵のものは見尽くしたと思っていたが……いやぁ、慢心でしたな」
確か堂島さんは、納得のいくコーヒーの味を求めて世界を旅してたこともあるんだっけか。
とてとて、と幼い足音がどこかから響いた。
座敷童のものだろうか。
ふと気配を感じて横を見ると、酔いのせいか、目を瞑ってぐったりとしている牡丹さんの膝の上に、着物姿でおかっぱの子が座って、向き合っていた。小さな手で頭を撫でている。
すると、少しずつ彼女の顔に血の色が戻っていく。
「座敷童に酔いを醒ます力とかってあるんですか?」
俺は先生に聞いた。
「そんな限定的なものはない。が、福を招くとされている妖怪だ。怪談を語ってる最中に気分が悪いのを何とかしたい、とこの女学生が思ったのなら、それに応えるような力を持って現れてもおかしくはない。多少の福の範囲だな」
そう答える先生の手には着火マンが握られていた。
何を……
そう思った瞬間、座敷童の服に火をつけた。
「なっ、何やってるんすか先生!!」
座敷童の火を消そうと動かした手を先生に掴まれた。
座敷童は牡丹さんの膝から飛び降り、苦しそうにもが来ながら、悲痛な声を上げている。
赤ちゃんの鳴き声みたいだ。
「検証だ」
と先生は言った。
「あの女の怪異は燃えながら消えて、ちゃんと消滅したんだろう?」
「はい。昨日報告した通りっす」
「どうだ。この燃え方は昨日と同じか?」
「あっ」
同じ燃え方だった。端から黒ずんで
「同じ!同じっす!」
そう言うと、先生はふぅん、と呟いた。
「火が……弱点か」
ほんの一、二分で座敷童は燃え尽きた。
「それにしても……良かったのかね?座敷童を燃やしてしまって……座敷童の去った家は
堂島さんが聞く。
「なぁに、気にするなよ堂島さん。どうせ偽物だ。僕の嫌いな、な。大した
先生はそう言うと、牡丹さんのほっぺたをぺちぺちと軽く叩いた。
彼女は鬱陶しそうに目を開けると、ゆっくり立ち上がって「水……」と呟いて机に向かった。
そして、先程飲み残したペットボトルの水を一気に飲み干した。
「それじゃあ行くぞ」
そう言って先生はドアノブに手をかけた。
「どこにっすか?」
「こういう時の相場は決まっているだろう」
先生は顔だけを此方に向ける。
「
蛇目堂───本屋さんだ。
先生の旧友のいる。