ドラクエ4のバルザックに転生した   作:葛轍偲刳

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第三話:闇の中で

この世界において、夜の闇は人にとって優しいものではない。いや、正確に言えば、夜の闇に親しむように人間という種族は進化してこなかった、というべきだろう。

夜闇を見通す目を持つように進化してこなかった。闇の中で些細な物音を聞き逃さない鋭敏な聴覚を得てこなかった。匂いを嗅ぐ嗅覚も、ひたひたと足音を殺して無音で動く肉球も、分厚い頑丈な体皮も、爪も牙も、何一つ。

この世界に蔓延る多種多様な魔物に比べれば、人間という種族はどうしようもなく脆弱だ。なるほど、進化の秘法に縋り付きたくなる気持ちもわからないではない。

 

例えそれがどうしようもない後退で後に何も残さない失敗であったとしても、自分だけが強くなれるのなら他の全てはどうでもいい、というエゴイストや世界に絶望し切った破滅願望の持ち主なら。原作ゲームで言えば前者はエビルプリーストで後者はデスピサロか。

 

静まり返った夜のコーミズ村を囲む、オーリンが中心になって作り上げた獣や魔物避けの木の柵に沿って歩く。鼻先を掠める微かな刺激臭は、錬金術で生成された獣が嫌う揮発性の高い塗料が木材に染み込ませてあるせいだ。定期的に塗り直さなければならないのが難点だが。

 

「――だいぶ匂いが薄くなってきてるな。そろそろ塗り直しの時期だと先生に提案するか」

 

これが昼間だと、屋外で農作業に励む村人たちの汗や家畜の匂いで気付きにくい。脳内のメモに記録してから村の出入り口を抜け、森の木々の間に足を踏み入れる。

昼間の陽光の下であれば鬱蒼として薄暗い森も、月光と星明かりのみが頼りの夜となれば視界などほとんど利かない。一歩足を踏み入れただけで世界が一変する。微かな風が枝葉を揺らす音、虫の鳴き声、遠くで梟が鳴く声。森の奥から漂ってくる湿った苔の匂い。

前世のような闇を駆逐する都市の明かりなど望むべくもない。南のモンバーバラや、あるいは海の彼方にある闘技場やカジノで栄えているエンドールの城下町のような数少ない例外を除けば、やはり夜の帳は人の手の及ぶところではないほどに分厚いのがこの世界の常だ。

 

獣道のように踏み均されて下生えの草が折れ重なって背が低くなっている場所を頼りに、慎重に足を進める。木の根に躓いて転倒すれば怪我では済まない。暗闇の中で視覚情報の大部分を欠いた状態では聴覚や嗅覚が頼りだが、前世の記憶に比して感覚器官が鋭敏になっている実感はあまりない。ただ、こうして暗闇の中で歩き続ける訓練を続けているせいか、闇に目が慣れるまでの時間は短くなっていた。

 

「ギラ」

 

小さく囁くように呪文を詠唱する。翳した掌から熱線に近い一条の細長い炎が奔り、行く手を塞いでいた灌木の茂みを焼き切る。火炎系統の魔法は一つ間違えると山火事になる恐れもあるので、扱いと制御は慎重かつ精密を期さねばならない。

森の中の少し開けた場所まで辿り着く。断面が焦げたように黒ずんでいる幾つかの比較的小さな切り株は、錬金術で生成した薬剤を塗布した断面から少しずつ枯れ始めている。

半分は実験目的だ。伐採した木の切り株はそのままにしておくと根腐れを起こして害虫を大量発生させたり、地盤沈下の原因にもなる。しかし周囲を掘り起こして根ごと除去するのは多大な手間がかかる。薬剤で枯死させるのが一番手っ取り早いが、あまり強力な薬剤は周囲の土壌そのものに悪影響を及ぼす可能性もある。その適度な配合を探るためにも実験は必要不可欠だった。

 

「先生なら経験でどうにか出来るのだろうが、俺はまだまだだ」

 

配合だけではない。実際に塗布する量、塗布する範囲、根が枯死するまでにかかる時間、枯死した後に必要な処置。こういった分野は自分の手でやってみないことには感覚が掴めない。エドガンという錬金術師の偉大さは言うまでもないことだが、実地で学ぶという意味でもこういう実験は積極的にさせてもらっていた。

 

「……」

 

空地に立って暫く黙る。周囲を見回したりはしない。そんなことはするだけ無駄だ。

 

「――…成果は?」

 

夜風に紛れて聞き逃してしまいそうなほどに抑えた低い声が響く。

 

「無い、と言っても信じないだろうな」

 

こちらも可能な限り感情を排した淡々とした答えを返す。

 

「以前にも伝えた通り、『進化の秘法』の欠陥は構造的なものだ。この欠陥は術式をどうこうしたところで解決できるものではない」

「其方に求めているのはそのようなことではない」

 

影のように森の闇に溶け込んでいる声の主は、キングレオ王家に仕える隠密だの暗部だの、あるいは密偵などといった後ろ暗い仕事をこなす存在だ。もちろん俺に接触してきたのも個人的な理由などではない。当然のようにキングレオの城内に住まう王族が関わっている。

 

「何度も言った通りだ。文献や資料を幾ら読み込んだところで実際に実験してみないことにはわからないことなど幾らでもある。そして『進化の秘法』についての実験は危険に過ぎる」

 

そもそもエドガンは『進化の秘法』を一体どこで、どのようにして知ったのか。原作ゲーム内においてそれが明確に語られたことは無かったはずだ。

だが、幾つかの傍証はある。術式を創始した地獄の帝王エスタークが封印されていたのはアッテムトの鉱山の地下だ。そしてアッテムトを治めているのはキングレオ王家。『進化の秘法』の実験がキングレオ城内で重ねられ、その成果としてバルザックとキングレオが元は人間の身でありながら勇者一行の前に立ちはだかるほど強力な魔物に変じていたこと。

おそらくだが、キングレオ王家にはエスタークに関する伝承や文献が古くから密かに伝えられていた。その上で、王家にも出入りする錬金術師エドガンに研究をさせ、それらを資金面で援助していた。

 

バルザックがキングレオに売り込んだわけではない。

キングレオがバルザックに目をつけたわけではない。

偉大な師と、偉大な父王。どちらも同じように偉大な先人が目の前にいて、そして同じように劣等感と嫉妬を募らせていた。

両者が裏で繋がるのは必然だった。もともとエドガンがキングレオ王と繋がっていたのだから。養女であるマーニャを姫として、王子の妃として迎えようとするほどに。

 

「では、実験に必要な材料、触媒、その他の物品と術式記録を」

 

この隠密が俺に接触してきたのは絶対に独断ではない。最初の頃こそキングレオ王家としても援助した資金が正しい用途に使われているかを確認する必要があるとか、聞こえの良い適当な口実を並べていたが。最近はそういった口実や建前すら出てこなくなった。

 

「材料や触媒が簡単に用意できると考えているのなら浅慮が過ぎるぞ」

 

結局のところ、とにかく一刻も早く『進化の秘法』を実用化にこぎつけたいから情報を寄越せ、という要求を押し付けてきている。

唯一の救いは、この隠密も個人的な感情は捨ててかかってきているとはいえ、やっていることはあくまで伝言役でしかないという点だ。

証拠が残る手紙や報酬の現物を前渡ししてきたりもしない。全て脅迫まがいの口約束だ。

 

曰く、宮廷錬金術師として取り立てる。

曰く、ゆくゆくは大臣としても働いて欲しい。

曰く、王族の血を引く美女を妻として用意し、望むならモンバーバラの踊り子も妾として自由に出来るように取り計らう。

だから、『進化の秘法』に関する情報を寄越せ。研究で成果を出せ。エドガンの研究を盗んで来い。さもなくば――。

 

まあ、言うまでもなく空手形だ。それでも一応、原作ゲーム内ではキングレオ城の隠し部屋の王座にバルザックが座っていたり、その後も空になったサントハイム城の主として振る舞うことが許されていたりと、キングレオなりに約束は守っていたのかもしれないが。

 

「進化の秘法が生き物を進化させ強化するのを目的とするなら、当然その材料となる生き物も相応に強力なものでなくてはならない。獣であれ魔物であれ危険は変わらない。まして死体であっては意味がない以上、生け捕りするのに要する手間と危険はさらに増大する。そこまでしても実験の成功率そのものには何ら寄与しない。あくまで材料を入手するだけのために、それだけの費用がかかる。はっきり言って無駄遣いだ」

「……」

 

俺としては諦めさせるのは最初から無理でも、事態の破綻を少しでも遅らせたかった。偉大な錬金術師エドガンだからこそ太古に封印された『進化の秘法』を再発見することが出来た。だが、その死後に実用化にまでこぎつけたのはバルザックであり、キングレオだ。対費用効果を頭から無視して、膨大な人命と金銭と物資を浪費した挙句のことだろうが。

この隠密も任務は任務として上からの命令には従っているのだろうが、その内容に全く思うところが無いというわけではないらしく、少なくとも俺に向かって成果を無理強いしてきたり急かすようなことを言ってきたことは一度もない。あくまで、上に言われてきたことを俺に向かってその通りに伝えに来ているだけだ。

 

「では、現状における其方の成果は皆無、という返答で良いか」

「成果を出すだけの環境が整っていない、というのが俺の答えだ」

 

コーミズ村では危険な実験など出来るものではない。そしてエドガンがコーミズ村を離れようとしない限り、目に見える形で成果を出すのは難しい。

そういう答えを手を変え品を変え言い回しを変えて何度も繰り返すことでこれまでは誤魔化してきたが、それもそろそろ限界かもしれない。エドガンが研究の全てを破棄してしまったからだ。いずれ援助された資金に見合った成果を出せずに終わったことを詫びに、王城にまで出向かないわけにはいかなくなるだろう。

 

「承知した。その返答をそのまま報告する」

 

その声を最後に微かな空気の流れだけを感じた。相手は本職だ。その道のプロの気配や動きなど俺のような素人に掴めるものではない。

 

「……」

 

森の闇を仰ぎ見て溜息を吐きそうになったが堪えた。溜息を吐いたら肺腑の中の澱んだ空気が森の清浄さを穢してしまうようで嫌だった。

 

「あるいは、……いや、繰り言か」

 

思わず口にしかけた言葉を飲み込んで唇を噛む。

記憶している師の研究成果を少しずつ小出しにすれば、さらなる時間を稼ぐことも出来なくはなかった。触媒として若い乙女の魂が必要なこと、増幅器として黄金の腕輪が必要なこと。だが、それをキングレオに教えたら一体どうなる?

モンバーバラの踊り子たちがキングレオ城内で実験材料にされて悲惨な姿に変えられた未来。黄金の腕輪を巡って起きた争いが絶えず、フレノールの南の洞窟に封印されたという逸話。どちらも同じようにろくでもない結果しか招かない。

 

『例え相手が誰であろうとも、だ』

 

何より俺自身がエドガンの言いつけを破りたくなかった。バルザックとしてではなく、この『俺』が、大恩ある『父』を裏切りたくなかったのだ。

この世界に生まれて。こともあろうに自分が最悪の裏切り者であるバルザックとして生を受けたと知って。

師であり、養父であるエドガンに接するたび、その偉大さと優しさに触れるたび、マーニャとミネアのモンバーバラの姉妹がどうしてあれほど養父の仇を恨み憎んだのか骨身にしみて理解できた。

例え命の恩人であることを脇に置いたとしても、こんなにも優しい『父』を殺されては『娘』として憎まずにはいられなかったのだろう。

 

だからこそ、だ。

だからこそ、俺はエドガンを裏切りたくない。生きていて欲しい。せめて、マーニャとミネアの姉妹が共に一人前となって、このコーミズ村から旅立てる日までは。

 

「……よし」

 

小さく呟くと同時に俺は踵を返した。

明日の朝も早起きして朝食を作る必要がある。早く戻って寝台に潜り込まなければ。

だが、寝る前に姉妹の様子を見ておこう。あの二人は互いに抱き合わねば今も寝付けないのだが、そのせいで暑がってどちらからともなく寝具を剥いでしまう悪癖がある。寝冷えしないように見てやらないと風邪をひいてしまう。

 

俺は先の見えない未来の不安から目を逸らすようにあえて手近な日常の問題に意識を切り替えると、夜の森を歩く足を速めた。

 

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