男はサランの街の宿の一室で寝台に横たえた体を休めていた。
窓の鎧戸を締め切った部屋の中は薄暗い。
魔力切れによる眩暈、頭痛、吐き気に脱力感。それらの体調不良にも、もう慣れた。しかし、そうなるほどに、逆に無力感が募る。
男は
だが、そんなベホマであっても万能ではない。体力の維持という意味では全くの無意味というわけではないが、病気を回復させることは出来ない。死者を蘇生させることも出来ない。
――そして、病気でこそないが、寿命で少しずつ衰弱していっている老人を引き戻すことも。
男の前世の知識は、厳密には正解そのものではないかもしれないが、おそらく正解には近いであろうと思われる推論を出している。
日に日に衰弱している男の恩師は、一日一回サイコロを振る。ダイスロールに成功すれば、ひとまずは問題ない。だが、もし失敗すれば
何面のダイスかはわからない。それで減る最大値が幾つかもわからない。だが、どれだけベホマでHPを最大値まで回復したとしても、体力そのものが徐々に低下している師が衰弱していっていることは変わらない。
「……」
どうしようもない現実に向き合うことに耐えられず、男は目を閉じた。
男の主観では、意識が途切れたのはほんの一瞬のことのはず。だが、自覚していなかったが疲弊した精神は休みを欲していたのか、薄暗かった部屋の中はさらに暗くなり始めていた。
そして、男は横になっている自分の上に跨るように
「……なんて恰好をしてやがるんだ、お前は」
海水を染み込ませた髪も洗わず、海に潜るために服を脱いだ体は、胸と腰の辺りにありあわせの布を巻いただけ。ほとんど下着も同然の格好だ。まして、そんな恰好で男のいる部屋に入るべきではない。そう言おうとしたが、男が見上げた先にある紫の目に宿った強い光が口を塞いだ。
「世界樹。この前、言ってたわよね。そこに剣が刺さってるとか、何とか」
「それがどうした?」
「世界樹の葉には、死者を蘇らせる力があるって聞いたの。本当?」
「ああ」
もはや少女と呼ぶのは難しくなりつつある、早熟な体をした
「じゃあ、それさえあれば、もしお父様に万が一のことがあっても――」
悲痛な声だった。泣き出すのを必死に堪えようとしている声でもあった。そんなことにはならないようにと心から願いつつも、迫りつつある避け難いその現実を必死に遠ざけようとしている者の声だった。つまり、それは男と同じで、心から『家族』を想い按じる声だった。
だからこそ、それを否定するのは男にとって自らの体に刃を突き立てるにも等しい痛みを生じさせた。
「……無駄だ」
「なんでよ」
男は息を吐いた。これから自分は言いたくも無い事実を言わねばならない。だが、それを言わずに優しい嘘で誤魔化すということだけは出来なかった。それは、裏切りになってしまうからだ。
「いいか。死者を蘇生させるということは、
例え世界樹の葉がHPの最大値まで回復させてくれたとしても、最大HPが1の状態で蘇生された老人が死に瀕していることは変わらない。
「蘇生して得られる時間は残り数分か、数時間か、数日か。そして『また』先生は死ぬ。そのたびに蘇生させるのか? 死の直前の状態に引き戻すのか? いたずらに死の苦痛を引き延ばすだけのソレは、拷問と何が違う?」
「……っ!」
歯を食いしばっても、それでも溢れてくる涙は止められない。紫の双眸から零れ落ちる涙を見ていられなくて、男は手を伸ばして自分の胸に引き寄せた。
男の薄い胸板に顔を突っ伏して、啜り泣く。漏れそうになる嗚咽を、男の胸に顔を押し付けて噛み殺す。
「それでも、何か……何か、他に、ないの?」
「……」
「何でもいい。何でもするから。お願い。お父様の力になりたいの。ほんの少しでも」
涙声で、しゃくり上げるように囁く小さな声。その声は、男に、かつて小さな約束を交わしたモンバーバラの夜を思い出させた。
「教えてよ、ねえ、私には出来ない事でも、あなたには出来るでしょう? 何かあるでしょう? お願い」
どこか痛切に、男の胸に頬を押し付けて。どこか甘えるように、男の胸に囁きかける声。
――どうしてこうなった。
男は全知を自称する天上の神に向かってありったけの呪詛と罵倒を投げつけた。自分は卑劣な裏切り者であるバルザックとして、勇者たち一行の前で敵役として悲惨に死ぬはずだった。それが、どうしてこうなった。
再び息を吐いた男は、海水でべとついた紫の髪に指を差し入れて優しく撫でた。
「なんでも、か」
「そう。なんでも」
「そういうことを軽々しく言うな」
「お父様のこと以外では言わないわよ」
男は三度目の吐息を漏らして、その手で自分の頭を掻き毟った。
「……コナンベリーの南。ミントスから更に南東に向かったところに、ソレッタという国がある。農業が盛んで、パデキアという薬草が特産品でな。『ありとあらゆる病を治す』という謳い文句で知られてる」
「!?」
涙に濡れていた紫の目が大きく見開かれ、すぐ目の前にある男の顔を映した。苦虫を嚙み潰したような、それこそ無責任な放言だと受け止められかねない、雲を掴むような話を口にしている自分を責めているような顔を。
「さっきも言ったが、先生は病気というわけじゃない。どこまで効くかどうかは、正直わからん」
「でも、それがあれば」
「そうだな。生命力に溢れた万病に効く薬草というからには、全く効果がないというわけじゃないだろう。あくまで、だろう、というだけだが」
確証はない。だが、その細い蜘蛛の糸のような頼りない手がかりは、闇の中にあってか細い一条の光だった。
「……なんで、もっと早く言わないのよ」
「言ってたら、お前は何も考えずにコナンベリーから南のミントス行きの船に飛び乗っていただろう。そうしたら今頃は船ごと海に沈んでいただろうな」
その小さな恨み言は、男の素っ気ない答えで立ち消えた。
「ただ、もしかしたらソレッタでもパデキアを手に入れることは難しいかもしれん」
「なんでよ?」
「干ばつ――というよりは、地獄の帝王の復活の前兆による気候変動かもしれんが。それによってソレッタの土壌が一時的に変化して、肝心のパデキアが全滅している可能性がある。その場合はソレッタの南西にあるパデキアの種が保管されている洞窟まで、それを取りに行くことになるだろう」
両手で目元を擦り、涙を拭う。赤みを帯びた紫の目が男を見つめる。
「これまでもずっと誤魔化されてきたけど」
「誤魔化したつもりはないが」
「じゃあ、はぐらかされてきたけど」
「……」
「なんでそんなことを知ってるのよ」
男は目を逸らした。だが、その顎と頬に触れた指が無理やり顔を引き戻した。
「パデキアのことは、まだわかるの。例えば本で読んだとか、誰かから噂に聞いたとか。でも、それが今はもしかしたら全滅してるかもしれないなんて、どうしたらわかるのよ」
紫の目が、男の目を覗き込んでいる。
「あの女神像の洞窟で。あの銀の女神様が言ってたわよね。あなたは『世界の裏側にも通じる目を持ってる』とか何とか」
「……」
「ねえ、それってつまり、あなたも神――」
「やめろ」
男は強い語調で遮った。
「
「……ごめん」
本気で嫌がっているとわかって、それ以上は続けられない。けれど、違和感はさらに強まる一方だ。だって、そうだろう。仮にも『神』と称される存在を
つまり、『知って』いるのだ。遥かな高みから地上を見下ろしているはずの神を、その神をも超越する視点から。
「――…俺は、そんなのじゃない」
ああ、
また、自分を責めてる。大切な家族を救えるかもしれない手がかりを自分に教えてくれたはずなのに、その自分に、何か悪い事でもしたみたいに。
それが見ていられない。同じなのに。同じくらい、自分にとって大切な家族なのに。
「ねえ」
「やめろ」
「だって」
「やめてくれ。俺は……」
開きかけていた口を閉じて、そして男は目も閉じた。
「……『俺は』?」
「俺は、裏切り者だ。お前の、敵だ。お前たちの、仇だ」
囁くような声に、紫の瞳が瞬いた。
「誰が裏切り者で、誰が敵で、誰が仇なのよ」
「俺が」
「……」
男が口にしたソレは、きっと嘘ではない、のだろう。これまでずっとそうだったように。
だけど。否。だからこそ。ソレを否定したかった。
「嘘」
「……」
「嘘よ。そんなこと、あるはずないわ。……
それは、優しい声だった。本来であれば、原作ゲームにおいては、絶対に向けられないはずの声だった。それが、裏切らなかった男へと与えられた報いだった。
本作は全年齢区分作品です。なのでAIさんが忖度してくれた部分は自主規制します。あとはわかるな