「あ、ミネア。お帰り」
「ただいま、姉さん」
私たちが大灯台からコナンベリーの街に戻ると、宿の一室で姉さんは体を洗っていた。正確には、ぬるま湯に浸した手拭いで体を拭いていたところだった。
「アリーナとシンシアは?」
「まだ下にいるけど、すぐに来ると思うわ」
姉さんが差し出してくれた手拭いをありがたく受け取って、私も顔や手を拭う。またお風呂屋さんで体を洗ってさっぱりしたいところだけど、ひとまず潮風を浴びた顔を拭きたい。
「…?」
何か。上手く言えないけど違和感に近いものを感じて、すぐ目の前の姉さんの体をまじまじと見てしまう。私と同じ褐色の肌で、毎日の踊りの練習でよく鍛えられた体。
「どうしたの?」
小首を傾げる仕草も、表情も、いつもと同じ。間違いなく私の姉さんで間違いないはずなのに。でも、何か――。
「モシャスで姉さんに変身したシンシア――の、わけはないわよね?」
「あら、それは楽しそうね。今度オーリンとバルザックの前で、シンシアと入れ替わってみましょうか? 二人が見抜けるかどうかで賭けてみる?」
クスクスと悪戯っぽく笑う姉さんは、やっぱり間違いなく私の姉さんだ。
「もし賭けるなら、私は二人とも見抜ける方に賭けるけど。姉さんは?」
「私も同じね。残念だけど賭けは成立しないみたい」
姉妹で笑い合っていると、アリーナとシンシアも戻ってきた。
「ただいまっ!」
「ただいま戻ったよ」
「お帰り、二人とも。あ、そうだ。この部屋を使ってた男の子だけど、ちゃんと母親と再会できたわ。帰り際には何度もお礼を言われたの。『部屋を使わせていただいてありがとうございました』って」
「良かった!」
姉さんが濡らした手拭いを渡しながら言うと、それを受け取ったアリーナもシンシアも、私も一緒に喜んだ。救助された時は意識が無かったから子供の名前も何もわからなかったし、あの混乱した状況では親を探す手がかりも見つけようがなかったから、もし孤児になっていたらどうしようかと心配していたのだ。
特に私と姉さんは同じくらいの年頃に親を失っていたから、決して他人事じゃなかった。最悪の場合、私たちで引き取れないかバルザックに相談してみようと姉さんと話をしていたぐらいだ。
「あの子に部屋を譲ってた間の分の宿代の事とかも母親から言われたけど、そういうのは全部トルネコに任せたわ。私にお金の話をされても困るし」
肩を竦めた姉さんは下着を身につけて、身躱しの服を着ていく。その仕草を見ている私の内側に、さっきの違和感がまた少しぶり返す。横目でチラッと見ても、アリーナもシンシアも何も気づいた様子はない。私の気のせいなのだろうか。
「ミネア? 大灯台の方はどうだったの?」
「シンシアとアリーナが大活躍だったわ」
「むっ、ミネアだって頑張ってたよ!」
「ソロにクリフトにブライもね」
皆で口々に大灯台の中で何があったか話し合う。
寝台に腰掛けてそれを聞いている姉さんの耳元にそっと囁く。
「姉さん、バルザックと何かあった?」
いつもなら少しは慌てるはずの姉さんは、だけど満面の笑みを浮かべて――。
「そう、それよ。聞いて、ミネア。バルザックがお父様の体に効くかもしれない薬草のことを教えてくれたの!」
「!?」
その瞬間、私の頭は些細な違和感とか何もかもどうでも良くなって忘れてしまった。
「バルザックが!? いえ、今はそれは別にどうでもいいわ。薬草? それってどこにあるの?」
「ここから南のミントスから、もっと南東にあるソレッタっていう国らしいわ。そこのパデキアっていう万病に効く薬草なら、お父様の体にも効くかもしれない、って」
「なら、今すぐに――」
「落ち着いてよ、ミネア。今すぐには無理だってわかってるでしょ? コナンベリーの港には船が沈んだまま。そしてトルネコの新しい船はまだ完成していない。まずは沈没した船をどうにかして、それからトルネコの船の完成を待たないと」
よりにもよって、私が姉さんに窘められてしまうだなんて。いつもとは立場が逆になってしまった。無意識に腰を浮かしていた私は姉さんの隣に座り直し、深呼吸をして意識を落ち着ける。
「良かったね、二人とも! でも、そんな大事なことをなんで今までバルザックは教えてくれなかったんだろ?」
話を聞いていたらしいアリーナが小首を傾げると、姉さんが苦笑交じりに首を振った。
「私もそう言ったわ。そしたら『もし教えてたら、今頃は何も考えずに飛び乗った船と一緒に沈んでただろう』って」
「……」
いかにもバルザックが言いそうなことだった。そして、つい今しがたの私の言動を顧みると悔しいことに全く言い返せない。
「ホン…ットに、意地悪だよね。バルザックって」
アリーナが心の底から嫌そうに思い切り顔を顰めると、姉さんはフフッと口元を微かに綻ばせた。妹である私が今まで見たことも無いような、それはどこか優しげで、そして艶っぽい笑い方だった。
「そうね。…うん。本当に、そうよ」
「姉さん?」
「うん? どうかした?」
自覚していないのだろうか。どこか不思議そうに私を見返す姉さんは、いつもと変わらない様子だったけれど。
「それなら、次の目的地は決まったわね。ソロたちにも言ってくる」
そして、幼馴染のソロ以外の人間の細かな変化には無頓着なシンシアが部屋から外に出ようとしたところで、逆に部屋の扉が外からノックされる。
「シンシア、ちょっといい?」
私たちの方を肩越しに軽く振り向いて、問題ない事を確認してからシンシアが扉を薄く開く。
「ソロ? どうしたの?」
「トルネコが造船ギルドから戻ってきたんだ。この前に言ってた契約の変更とか、細かい話がまとまったらしい。だから、皆で話を聞いた方がいいかなって思って」
そういうことならと、私たちが揃って酒場に下りていくと、ホフマンにダズンやメルタたちも一緒に、皆が一つの卓を囲んでいた。
「皆さんに集まっていただき恐縮です。ですが、ソロさんたちは大灯台から戻ってこられたばかりでお疲れでしょうから、今回は手短に、要点のみをお話しします」
それぞれが好きな飲み物と軽食を頼み、座った席に腰を落ち着けてからトルネコが口を開く。
「皆さんもご存知の通り、一から船を造るのではなく、いまドックで造られている船に手を入れて改装する方向で話がまとまりました。予定通りに事が進めば、船の進水式は三か月後の予定です」
最初の予定では建造に半年ほどはかかる予定だったはずだから、それがほぼ半分になったわけだ。それ自体は良いことだし、私たちにとっては、それだけ早くお父様の体に効くかもしれない薬草を取りに行ける。それでもつい気が急いて、思わず前のめりになりそうになる意識を抑え込む。
「処女航海は南のミントスに。それからすぐにコナンベリーに引き返すことになるわけですが、どうせなら何か荷を積んで帰りたいところですね。少し前までならソレッタのパデキアが高く売れる人気の商品だったのですが、どういうわけかここ数年はミントスにも全く入ってきていないようで。向こうで何かあったのでしょうか」
「それについてはバルザックが言ってたわ。『もしかしたらパデキアが全滅してるかも』って」
私の隣に座った姉さんが横から口を挟むと、トルネコも含めて皆が目を丸くする。
「それは本当ですか?」
「ええ。でも、ソレッタからさらに南の洞窟に、パデキアの種が保管されてるんですって。それを取りに行けば、また育てられる可能性があるはずだって」
トルネコは考え込むように小さく唸り、私は思わず安堵で胸を撫で下ろす。わざわざソレッタにまで足を運んで、もしそこでパデキアが全滅していたなんて聞かされたら絶対に平気ではいられなかった。あらかじめ姉さんがバルザックから話を聞いてくれていて助かった。
「いやはや、相変わらずバルザックさんは一体どこからそんな話を仕入れて来られるのやら。ですが、もし本当にそうなのでしたら、わたしも一度ソレッタに足を運んで仕入れが可能かどうかを確認しておきたいところです」
「ええ、是非お願い。そして、出来れば私たちにも支払える金額で売ってくれると嬉しいわ。もしかしたらパデキアがお父様の体に効くかもしれないって、バルザックが言ってたから」
「そういうことでしたら、もちろん喜んでお売りしますとも」
姉さんとトルネコの話がまとまったところで、ホフマンが何かを決意したように口を開いた。
「なら、オレはミントスでお別れだな」
「え?」
「そのバルザックって男からオレも話を聞いた。今、サントハイムの南の砂漠に新しい街を作るって話が持ち上がってるらしいんだ」
「ああ、そうらしいな」
何故かその話にダズンやメルタたちも反応を見せた。
「父さん? 母さんも……」
「あたしたちも、ブランカの山奥に戻るには危険すぎるってバルザックから言われててね。だけど他の村や街に余所者が大勢移り住んでも、それはそれで元の住民とゴタゴタが起きちまう。どうしたもんかと思ってたんだが、だったら一から新しい街を作るから、そこに移り住んだらどうかって話が来ていたのさ」
そこでガロンが一つきりの目を鋭く光らせる。
「新しい街でも、どうしたって軋轢や衝突は起きる。だが、それを収めるには俺のような人間も必要だと言われてな」
「もし望めるのであれば、人も、人でない者も、分け隔てなく受け入れる街を目指して欲しい。そして、そういう街を作り上げるために力を貸して欲しいと言われてしまえば、断るわけにもいかんじゃろう」
カダルも杖を小さくカツンと鳴らして付け加えた。
「人も、人でない者も……」
ソロがチラッとシンシアを見て、それからホフマンに目を戻す。
「ホフマンさん」
「期待するな。『今の』オレには、まだそんな理想を叶えられる力は無い」
両手で握りしめたジョッキを呷って、喉を鳴らしてエールを飲んだホフマンは口元を手で拭ってから大きく息を吐いた。
「だけど、ミントスには『商売の神様』って言われるくらい成功した老人がいるんだとさ。そいつに弟子入りして勉強すれば、今より少しはマシになれるかもしれない」
「きっとホフマンさんなら出来ますよ」
空にしたジョッキをギュッと強く握って、ホフマンは大きな溜め息をついた。
「お前、オレには『自分たちを信じるな』とか言うくせに、オレのことはあっさり信じるんじゃねえよ」
「『今の』ホフマンさんなら、信じても大丈夫かなって」
もう一度溜め息をついたホフマンは、酒場の店員に向かってエールのお代わりを頼んでからソロに向き直った。
「わかったわかった。なら、オレも『今の』お前を少しだけ信じてやる。オレの大切なパトリシアを預けてやるよ。船が出来上がるまでの間に、馬の世話の仕方も教えてやる」
「はい、よろしくお願いします」
ソロの事だから、その辺りはあっさり覚えてしまいそうだけど。
「父さんたちも、ホフマンさんのことをよろしく頼んだよ」
「ああ」
「勝手に話を進めんな。まだそうなると決まったわけじゃねえ」
「大丈夫ですよ、きっと。『何となく』そうなりそうな気がするんです」
もはや何を言う気にもなれなくなったとばかりにホフマンは新しいエールに口をつけて顔を背けた。
「では、話を戻しましょう。処女航海で南のミントスに向かった後、わたしたちを馬車ごと下ろしてから船はコナンベリーに戻ってもらいます。ミントスでホフマンさんと別れた後、ソレッタに向かってパデキアの入手を目指す。ひとまずの方針としては、これでよろしいですかな?」
全員が同意したのを確認してから、最後にトルネコは一つ質問した。
「そういえば、船の名前をどうするかと造船ギルドで尋ねられまして。もし適当な案が無ければ、元々の船主が『トリスタン号』と名付けるはずだったそうなので、それをそのまま使っても良いそうですが」
誰も何も言わないので、私は軽く手を挙げた。
「はい、ミネアさん。何か良いお考えがありますか?」
「良い名前かどうかはわからないけれど。……クリフト、大灯台で手に入れた聖なる種火はまだあるでしょう?」
「はい、元々の燭台は大灯台に戻してきましたが、種火はランタンに分けてもらってきましたので」
クリフトが荷物袋から取り出したランタンに灯されたままの火を見て、私はトルネコに向き直る。
「船にも灯火は必要よね?」
「はい。航海中は帆柱と左右の舷側と、あと船尾にも、それぞれ火を灯すのが基本ですね」
「なら、その灯火に、この聖なる種火を使うのはどうかと思って。それで魔物が寄り付かなくなるとまでは言わないけれど、少しでも旅の危険が減ってくれればいいわけだし」
「なるほど」
「だから、船の名前もそれにあやかって――『聖なる種火丸』っていうのはどうかしら?」
ここから三か月ほど時間が飛びます
あと船の名前もアンケートで決めようと思います。
ぶっちゃけどちらでもいいと思うので、お好きな方を選んでいただければ……
本作における船の名前は?
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ゲームブック準拠で『トリスタン号』
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小説版準拠で『聖なる種火丸』