第一話:腐った林檎と腐らせる林檎
ミントスの武器屋で破邪の剣を鞘から抜いて、刀身を見せてもらう。
銀色に輝く刀身は綺麗に磨かれていて、いま使っている鈍色の鋼の剣とはまた違った凄みがある。同じ剣をライアンが愛用していて、稽古の時に何度か振らせてもらっているので、その時と感覚は変わらない。鋼の剣と重心や使い心地は少し違うけれど、すぐに慣れるだろう。
「どうですか、ソロさん。お気に召しましたか?」
「気に入ったというか、うん、これならちゃんと使いこなせそうだな、って」
「なるほど。幾ら強力な武器でも使いこなせなければ意味がありませんからな。それは大事なことです」
商談のためにと付き合ってくれたトルネコに視線を向ける。
「これならトルネコも使おうと思えば使えるんじゃ?」
「ええ、はい。まあ、振ろうと思えば、わたしのような素人でも振り回すぐらいのことは出来そうですね」
試しに柄頭を向けて見ても、しかしトルネコは触れてみようともしなかった。
「いえいえ、わたしは結構ですとも。そもそも、商人たる者が自分の手で武器を振り回す時点で、もうどうしようもないほど追い詰められているということです。そんな状況になる前に対処すべきことが幾らでもあるはずですからね」
破邪の剣の代金と下取りに出した鋼の剣の差額をミントスの武器屋に支払ったトルネコは、自分が腰に提げた破邪の剣を一瞥して苦笑する。
「商人であれば、まず我が身に迫る危険を察知するために情報網を作っておくべきです。顧客や取引相手から話を聞き、あるいは噂や風聞などに常日頃から注意を払い、危険から身を遠ざける習慣を心掛けておかねば。愛する妻子がいるのであれば、尚更のことです。危険な事態に家族を巻き込むなど絶対にしてはいけません」
「うん」
「次に、どうしても危険が避け得ないものであるならば、それに対する備えもしておくべきです。そもそも危険な場所には近づかないようにするのが最善ですが、どうしてもそこに足を運ばなくてはならないのであれば護衛は万全に。人を雇い、あるいは知り合いに頼んで、自分を守ってもらう手立てを整えねばなりません」
防具屋の前でチラッと鉄の前掛けを見て、小さな吐息を漏らす。
「自分用の武器や防具に金を費やすより、そのお金で一人でも多くの護衛を雇い、自分の命と大事な商品を守ってもらう。それが商人の戦い方というものです。商人が自分の手で魔物と殴り合うなどただの無謀ですし、そうなってしまった時点でどこかで致命的に判断を間違えてしまっているのですよ。わたしは、そんなことにはならないようにしたいものです」
「そうだね。トルネコに何かあったらネネさんやポポロも泣くし、自分たちだってすごく困る。だから、トルネコは自分たちで守るよ。トルネコが武器を持つことがないように」
旅に必要な食べ物や水、その他の物資の補充。馬車を牽いてくれる馬のパトリシアに食べさせる
もしトルネコがいなくなったら、それまで一手に担ってくれていた雑務を全部自分たちでやらなくてはならなくなる。それはきっと、トルネコ一人を守る手間よりもずっと面倒で大変なことになるだろう。
「ありがとうございます。ソロさんがそんな風に言ってくれるとは実に心強い。わたしも、これからもっとお役に立ってソロさんのために働こうという気になります。こういうのもカリスマというのですかな。アリーナ姫様もそうですが、きっと人の上に立つ人というのはソロさんのような人のことを言うのでしょう」
「そうかな? 自分では、よくわからないけど」
コナンベリーでも、アリーナから自分は『強い』と言われた。それも、よくわからないことだった。必要だと思ったことをしただけなのに、それのどこが『強い』のか、逆にそれをしなかったことがどうして『弱い』という評価に繋がるのか、その違いも。
「ふむ? お分かりになりませんか?」
「うん。自分はただ、そうしなきゃ、って思っただけだから」
「ええ、それは正しいことです。ですが、
自分とトルネコはミントスの通りを歩いていく。ミントスの街にはサランの街の教会にも匹敵するぐらい立派で大きな二階建ての宿があって、それと通りを挟んで反対側には広場があって、そこの壇上では老人が立って講義をしている。それに聞き入っている人も大勢いる。最前列に近い位置にはホフマンが座っていて、真剣な顔で老人の話に耳を傾けている。
トルネコは広場の後ろの方に回り込んで、井戸の近くで立ち止まる。
「さすがは『商売の神様』と言われるヒルタン翁ですな。『物ではなく心を売る』。わたしも思わず弟子入りしたくなるほど含蓄のあるお話をされていらっしゃる。……ですが、ソロさん。あちらを」
トルネコが指し示すのは、聴衆の最後列で大いびきをかいて寝ている男だった。
「人が百人も集まれば、どうしたって一人や二人はああいう人も必ず出てくるものです。実際の割合はもっと多いのですがね。そして、集団の中で一人でもそういう人が現れると、途端に他の人も文句を言うようになるのですよ。『あいつは怠けているのに、どうして自分たちだけが真面目に働かなきゃならないんだ』って」
実際、いびきをかいている男を迷惑そうに見ている人もいれば、そうやってチラチラと何度も後ろを振り向くせいで話に集中できなくなっている人もいた。
「ヒルタン翁の値千金のお話を聞かずにああやって寝ているなど実に勿体無い。少し考えれば誰だってわかることです。しかも、周りに迷惑までかけている。どうでしょうか、ソロさん。あの人をミントスの街の外に追い出すのは『正しいこと』でしょうか?」
「……」
自分は考える。一見、それは正しいことのように思える。でも、何故だろうか。『何となく』、そうすべきじゃないと思っている自分がいるのだ。
「……わからない。わからないけど、でも、そうしちゃいけないような気がする」
「ふむ」
「だって、自分がそうするよりも先に、あそこで話しているヒルタンさんが何故あの人に何も言わないのか、そのままにしているのかがわからないから」
ああやって壇上にいれば、後ろの方までよく見えるだろう。あれだけ大きないびきをかいていれば、嫌でも気付くはずだ。自分の話を聞かずに寝ている男がいる。なのに、どうしてそれを見過ごして放置しているのか。
「トルネコにはわかる?」
「いいえ、わたしにもわかりません。まあ、わたしが仮にヒルタン翁の立場だったとしても、やはり追い出したりはしないでしょうが」
「どうして?」
「簡単ですよ。商売とは、そういうものですから」
トルネコは腹をポンと手で叩く。
「誰もが欲しがる商品だと思って仕入れたとしても、百人の客が一人の例外もなく必ず買ってくれるかと言えば違います。同じように、例え相手が絶対に損をしない商談だとこちらが思っていても、必ず相手が聞いてくれるとは限りません」
そう言って、苦笑する。
「誰もが賢く、誰もが合理的で、誰もが正しい判断をする。それが出来るのなら、世の中はもっとわかりやすいのでしょうが。ソロさんのように、『何となく』で自分の生き方を決められるほど人は賢い生き物ではありません。残念ながら」
「別に、自分もそんなに賢いつもりはないんだけどね」
例えばシンシアはよく、自分を頭が良い、良すぎると言ってくれる。クリフトやミネアは自分を天才だと持ち上げてくれる。
だけどシンシアは自分が知らない森の草木や鳥や動物のことを知っている。わざわざ目で見ずとも鳴き声を聞けば鳥の種類がわかる。風に乗って漂ってきた匂いを嗅げば花の種類がわかる。足跡や糞を一目見ただけで獣の種類がわかる。
ミネアは占い師で、自分にはわからない未来が見える。クリフトも、自分にはわからない政治のことや外交、経済といった難しい問題がわかる。
トルネコも、ライアンも、ブライも、もちろんバルザックも、自分よりずっと年上で、自分の知らないことを色々と知っている。両親や師匠や先生は言うまでもない。
ここからでは背中しか見えないけれど、ホフマンも自分にはわからない商売のことを頑張って勉強している。
――皆、自分よりもずっと凄いところをちゃんと持っている。
「自分が、そんなに特別な存在だとは思えないな」
「ほう、それは実に――ええ、とても
「褒めてる?」
「むしろ絶賛していますとも。大絶賛です」
「わざわざ『大』を付けるほどのことかな?」
そこまで言われると照れくさいし、こそばゆい。自分にとって、当たり前のことを言っただけなのに。
思わず目を逸らして何気なく足元の地面を見ると、何かが靴の爪先に当たっているのが見えた。しゃがんで触れてみる。硬い。硬くて丸い。拾って、井戸の桶の中にあった水で汚れを洗い流すと、金属の輝きが陽光を反射した。
「おや、それは――小さなメダルですか」
「うん、誰かの落とし物かな」
「どうでしょうか。こんなところに忘れていくようなものではないでしょうが……」
ひとまずトルネコに渡して管理してもらう。その小さなメダルを見ながら、トルネコは何かを思い出したように小さく笑った。
「そういえば、これは妻から聞いた話なのですが」
「うん」
「林檎を他の果物と一緒に袋や籠の中に入れておくと、その果物は熟れて甘く美味しくなるのだとか」
「へえ、そうなんだ」
「ですが、同時に傷みやすくもなるのだそうです。ずっと長くそのままにしておくと、やがて腐って食べられなくなってしまう。だから、そういう時は林檎を近づけないように別にする」
まだ寝ている男を見たトルネコは、自分を横目で見た。
「先ほど、わたしはあの人を追い出すべきかとソロさんにお尋ねしましたが、逆にああいう人が目に付くところにいると、中には『ああはなるまい』と反面教師にして、より発奮して勉強に励む人もいるかもしれませんね」
「……」
なるほど。そういう考え方もあるのか。
「『他の人と違う』集団の中の異物をどう扱うか。それを排除するのか、あるいは受け入れるのか。『勇者』であるソロさんには、良くも悪くも他の人たちに影響を与える力があります。あるいは、それゆえにソロさん自身が異物として扱われることもあるかもしれません」
エルフであるシンシアが、ではなく。シンシアを庇う自分も、そうなるかもしれないのか。
「商人としては、箱の中に腐った林檎を一つ見つければ、他の林檎がダメになってしまう前にそれを取り除いて捨てるのが当たり前ですが。さっきも申し上げた通り、逆に他の果物と一緒にしてしまうと、今度は林檎がそれを腐らせてダメにしてしまう場合もあります。果物ですらそうなのですから、人間の社会はもっと複雑で面倒なものです」
「難しいね」
「はい。とても。ですから、ソロさんには色々と考えながら旅をしていただきたいと思っています。ご迷惑でしたかな?」
「いや、そんなことはないよ。ありがとう。トルネコが教えてくれることは、とても勉強になるから」
今もまだ壇上で語り続けているヒルタンの話す商売のことは、やっぱり自分にはよくわからないけれど。トルネコが教えてくれたことは、これからも忘れずに覚えておこうと思う。
本作における船の名前は?
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ゲームブック準拠で『トリスタン号』
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小説版準拠で『聖なる種火丸』