大きな歓声と幾つもの拍手で賑わうソレッタの城から静かに抜け出す。城の門番の兵士が軽く会釈してきたのに対して、自分も黙礼を返す。
「マーニャちゃーん!」
「いやぁ、モンバーバラの踊り子ってな、すんげぇなあ」
背後からはソレッタの民の声が漏れ聞こえてくる。パデキアで潤っていた頃はともかく、今となっては娯楽など望むべくもないソレッタの城を舞台にして慰労の踊りを披露したマーニャ殿に、誰もが日中の畑仕事の疲れも忘れて夢中になっているようだ。
「あれ? ライアン、どうかした?」
月明かりの下をそぞろ歩いていると、石橋のたもとでシンシア殿と行き会った。
「先に宿に戻るの? それとも、一人で散歩? 今夜は月が綺麗だよね」
目深に被っているフードを少しだけ持ち上げて、夜空に浮かぶ月を見上げる。
宿ではアリーナ姫様らとトルネコ殿とが、ソレッタの将来について今も議論をされているはず。いま戻っても、自分は邪魔になってしまうだろう。
「シンシア殿はどうなされた? ソロ殿はどちらに?」
「あっち。ほら、夜釣りしている人と話してる」
白く細い指がさす方を見ると、なるほど釣竿を手にしている商人らしき御仁と話し込んでいるようだ。
「あの人、『この間たこまじんを釣り損ねた』とか言ってるんだけど、本当かな?」
「どうであろうか。そもそも、ここの水は淡水のはず。でなくば畑に撒くことも出来ぬと思われるが」
「だよねえ。人間って、そういう法螺を吹くのが好きだよね」
クスッと笑う声がフードの下から響く。
「ライアンは元々口数が少ないから、そういう法螺話をしたりはしない?」
「さて、自分は戦士ゆえ。言いたいことがあれば口ではなく剣で語るべきとは思うが」
トルネコ殿のように弁舌で戦うのはバトランドの戦士の在り方ではない。生まれつき、口数の多い方では無かったのも事実だが。
「……」
それっきり、暫しの沈黙が続く。耳に届くは水のせせらぎ。石橋の下を見下ろせば、水面に月が映っていた。
「どうかした?」
――
そう、自分はシンシア殿の静かな問いかけに自問し、そこでようやく己の心中に
「自分はこれまで、マーニャ殿の踊りを幾度か目にする機会に恵まれた」
「うん?」
「最初はもう八年以上も前のこと。キングレオのコーミズ村で。あの時点で既に踊りへの熱意は一人前以上に持ち合わせておられたが、やはりまだ技量で言えば子供の嗜み以上のものではなかったと、今ならば言える」
今も、踊りの善し悪しがわかるようになったわけではない。だが、今のマーニャ殿と比べれば明らかに未熟な踊りであったと確信をもって言える。
「そして八年後、今度はエンドールの地下劇場で、再びマーニャ殿が踊るのを目にした。別人のように上達していた。一日も休まず練習に励んでいたというバルザック殿の言に嘘偽りはないと一目でわかった」
草花の茎が育つが如くに手足は伸び、背は高くなった。その踊りは色鮮やかな若葉を茂らせていた。誰の目から見ても、その踊りは見事だと評されるほどに上達していた。
「だが、それすらも今夜の踊りに比べれば。――……なるほど、自分は今まさに『感動』をしているようだ」
月明かりの下をそぞろ歩くなど、自分はそれほど風流を解する人間ではなかったはず。こうしてシンシア殿と話し、自分の内心を改めて整理することで、ようやく理解できた。
「そうだね。蕾が花を咲かせるように。蛹が蝶になるように。マーニャの踊りは、確かに『変わった』と思うよ」
「シンシア殿もそう思われるか」
「うん。ソロも、きっと今も頭の中で反芻してるんじゃないかな。昔、ガロンが剣で石を割るところを初めて見せた時と同じような顔をしてる」
なるほど、その気持ちは自分も理解できる。今まさに、自分がそれと同じ気分なのだから。
まるで翼でもあるかのように高く分厚い壁を一足飛びに乗り越えて、マーニャ殿はさらなる高みへと至って見せたのだ。それに比べて、この八年間で自分は一体何をしていた?
決して怠けていたつもりはない。弛むことなく研鑽と修行を積んでいた自負はある。だが、そうであってもまだ届かぬ領域はある。かの山奥の村でまみえたヘルバトラーのように、さらなる強敵を前にしては、この年に至ってもなお自分が未熟であることを痛感させられる。
「ライアン?」
「あ、ソロ」
気付けば、ソロ殿が自分とシンシア殿のところに戻ってきていた。
「ライアンと何を?」
「さっきのマーニャの踊りのことを話してた。ライアンも感動したって」
二人の会話を背に、自分は石橋のかかる水路のほとりに下りる。腰の剣を引き抜き、刀身をかざす。銀の輝きが月の光を反射し、水面に影を落とした。
自分では、形なき水を
「ライアン? どうしたの?」
「ソロ殿」
シンシア殿の問いには答えず、手にした剣に目を落としたまま声だけを背後に投げる。
「一手お手合わせを願えぬだろうか」
答えは返ってこなかった。ただ、ソロ殿の腰から剣を引き抜く微かな刃鳴りの音と共に、自分とは水路を挟んで反対側に下りてくる足音が聞こえてきた。
二振りの破邪の剣が、月光の下で交差する。ソロ殿の青い目が自分を映しているのが見えた。
「……っとに、もう、ダズンやガロンもそうだったけど、どうして人間ってこうなんだか」
シンシア殿の呆れたような声が聞こえた。
「参る」
「うん」
キンッ!という澄んだ音。一条。また一条。腕を振り、手首を返し、互いの剣を打ち合わせる。そうしながらも、自分も、そしておそらくはソロ殿も、先ほどのマーニャ殿の踊りが頭から離れなかった。
何故なら、互いに踏み出す足の音が、まるでそっくりそのままマーニャ殿の踊りのステップをなぞるようであった。
キンッキンッと連続する刃鳴りの音が、背後のソレッタの城で観客が打ち鳴らす手拍子の音と重なっていた。
「ふっ…!」
「はっ…!」
自分は目を閉じた。瞼の裏にマーニャ殿の踊る姿が焼き付いていた。腕を振る。瞼の裏のマーニャ殿が高く跳ぶ動きと合わせたように剣が甲高く鳴り響く。薄く目を開ける。月明かりの下で、ソロ殿も目を閉じていたのが見えた。
ああ、やはりソロ殿も自分と同じか。閉じた目は見えぬはずなのに、何故か互いの剣が
同じ踊りを見て、同じように『感動』して、その心を共有している。互いの心の昂ぶりを、こうして剣を振ることでしか表せない。実に救いがたい剣士の
「「ふ、ふふっ……」」
思わず自分の口から漏れた笑いですらソロ殿と重なった。二振りの剣が踊る。互いの心も踊る。ただ剣を振っているだけの無言の時間が、何故か欣快だった。
一人の稽古では味わえない喜びだった。いつまでも連鎖し続ける刃鳴りの音は、互いの心がマーニャ殿の踊りを賞賛する限りない拍手のようですらあった。
――そうして自分とソロ殿は、いつしか時を忘れて無我夢中で剣を交わし続けた。
「え? ちょっ…二人とも!? 何やってんの!?」
その月下の剣舞は、城での踊りを終えたマーニャ殿たちが宿に引き上げてくるまで終わらなかった。
「シンシアも! こんな危ない真似はさっさと止めなさいよ! もしソロが怪我でもしたらどうするの!?」
「んー……大丈夫だよ、きっと」
「え?」
「だって、二人とも楽しそうに『踊ってた』だけだから。マーニャだって踊りの練習で転んで怪我することぐらいあるけど、それで危ないから止めろって言われても止めないでしょ?」
石橋に腰を下ろして足をブラつかせたまま肩越しに顧みたシンシア殿の答えに唖然としているマーニャ殿を見つつ、名残を惜しむ気分のまま腰の鞘にゆっくりと剣を納める。顔や手足に刃が掠めて薄く血が滲んでいることに、今さらのように気付いた。
「ソロにライアンも、ホイミは要る?」
「いや」
「自分も結構」
橋から下りてきたミネア殿の問いに、自分とソロ殿が揃って首を横に振る。体のあちこちに痛みを感じていないわけではないが、むしろ快い痛みだった。この痛みを無くしてしまうのが勿体無いとさえ思った。
「あ、そう。じゃ、薬草は忘れずにね」
「かたじけない」
「行きましょ、姉さん」
「ミネアまで!?」
「シンシアが言ってたでしょ? 私が止めたって『いまの感覚を忘れないうちに!』って言って、転んで捻ったはずの足首を酷使して踊りの練習を続けてた姉さんと一緒よ」
当のマーニャ殿よりも、その妹のミネア殿の方が今の自分たちのことを理解しているらしい。
「ほら、そんなことよりもさっさと宿に戻って休むわよ。明日は洞窟まで行ってお父様の為にパデキアの種を取りに行かなきゃならないんだから」
姉の背を押して宿に戻っていくミネア殿に感謝の眼差しを向けていると、ソロ殿が自分の肩に手を置いた。
「ライアン、とても楽しかった。今度また稽古につきあって欲しい」
「喜んで」
ソロ殿の青い目は、まるで幼子のように無邪気な輝きを宿していた。そしてそれは、きっと自分も同じなのだろうと思った。
そんな自分たちを、シンシア殿がフードの下の口元に微苦笑を浮かべながら見比べていた。
本作における船の名前は?
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ゲームブック準拠で『トリスタン号』
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小説版準拠で『聖なる種火丸』