一か月が過ぎ、二か月が過ぎた。
あれから村の外に出ても、森の木の影から誰かに接触されることは無くなった。束の間の平穏。あるいは、嵐の前の静けさ。
何かが起こるのではないかという不安とも予感ともつかない心のざわめきと、できればこのままで何事もなく時間が過ぎてくれという願望が交錯する中、いつものようにコーミズ村に宿を求めてきた隊商の中に一人だけ見慣れぬ風体の剣士がいた。
「自分は北方の小国バトランドに仕える兵士ライアンと申す。高名な錬金術師エドガン殿にお会いできて光栄の至り」
訪ねてきて早々に堂々と名乗りをあげた長身はオーリンほどに筋肉が目立つ体躯ではないが、文字通り鋼のように一分の隙もなく鍛え上げられていて、その真っ直ぐに伸びた背筋も相まって一振りのサーベルを思わせた。
「バトランドから? ずいぶんと遠いところからいらっしゃったのですな」
師と歓談する客人のために、食卓にも使うテーブルの上に薬草を煎じた二杯分の茶を淹れて差し出す。
さすがに声を上げたりあからさまに表情を大きく動かして動揺を露わにするほど子供では無かったが、まさかこのタイミングで、こんなところに勇者の仲間の一人が顔を出すなぞ俺の乏しい想像力の斜め上にもほどがある。
「自分は元々、バトランドでも特に辺鄙な山奥の生まれ。体が大きくなり、兵士として城に仕えることになって、多くの人が行き交う街というものを生まれて初めて目にした時は驚きのあまり大声を上げてしまったことは今も忘れられませぬ」
慌てず騒がず、朴訥な語り口でゆっくりと話す剣士の顔には、あのトレードマークとも言える立派なカイゼル髭はまだ無い。それだけの違いだが、それだけでも随分と若く見える。だが、実際トルネコと並んで勇者の仲間の中ではブライに次ぐ年長者だったはず。原作ゲーム内においては序盤の第1章で子供たちの失踪事件を解決した後、勇者を探すために世界中を旅をしている。そして、このライアンが勇者の仲間に加わるのが他でもないキングレオ城だった。
そう考えると、ゲーム内で描写されていないというだけで、既にライアンにキングレオ城内に出入りした経験があったとしても別におかしくはない。
「しかし、世界を広く見渡してみればバトランドの城よりも大きく、そして栄えている街など幾らでもあるのだと、視野の狭さを養父に叱られまして」
「なるほど。良き父君であらせられる」
「然り。自分には勿体ないほど良い養父かと。わざわざ旅費を用立ててまで、若いうちに世界を見聞してくるよう背を押してくれました」
静かに茶を啜った剣士は僅かに口を動かし、深い緑色をした液体を見下ろした。
「苦い。が、実に滋味深い味わいだ。良ければ少しばかり分けていただけぬだろうか。養父への手土産に良さそうだ」
「喜んで。バルザック、薬草はまだ残っていたな? 少し多めに調合してやりなさい」
「はい、先生」
部屋の隅に立っていた俺は軽く頭を下げて、天日干しした薬草を擂粉木と陶製の鉢で擂り始めた。
「お弟子殿ですか」
「養子です。いずれは儂の跡を立派に継いでくれることでしょう」
やめてくれ、と思った。俺の横顔に、ライアンの興味深げな視線が向けられているのを頬の辺りに感じたから尚更だ。血の繋がらない父に厚遇されている養い子、という境遇に共感でも抱いたのか。だが、勇者の仲間であるライアンと、そのライアンとモンバーバラの姉妹たちに討たれることになる裏切り者のバルザックの間に共通項など無きに等しい。
「とーさま! とーさま!」
パタパタと軽い足音が響いて、いつものようにマーニャとミネアの姉妹が駆け込んできた。
「あのね、あのね、木箱の中のカチコチに凍ったお魚を見せてもらったの! すっごく大きなお魚! このぐらい大きいの!」
小さな両手をいっぱいに広げて大きさを示すマーニャと、その横でコクコクと小さく頷いて同意を示すミネアを、エドガンとライアンは共に微笑ましげに見つめた。姉妹の騒がしさを咎めるでもなく、殊更に叱りつけるでもなく。子供慣れした年の功を感じさせる落ち着いた態度だ。
「とつげきうお、ですかな? 少し前にハバリアの沖の方で群れが出たそうで。自分もエンドールからの船に乗っている時に何匹か切りましたな」
特に自慢するようなことでもないとばかりに、さらっと武勇伝を語って見せる。原作ゲーム内においては痛恨の一撃とかを連続でぶちかましてきたりするんだが。
ヒャドで凍らせて鮮度を保った魚をモンバーバラまで運ぶと、特に珍味を好む富裕層には高く売れる。海に出る魔物を食す機会などそうそう無いだろうから尚更だ。値段的にもコーミズ村の村人にとってはなかなか手を出せない代物だが、そこは村の名士として知られるエドガンなら、あるいは養女の幼い姉妹からおねだりされれば買ってくれるかも、と商魂たくましく計算を働かせたか。首尾よく売れれば重い荷物を少しは減らすことも出来て一石二鳥というわけである。
「おいしい?」
「とーさま、知ってる? 食べたことある?」
「ふぅむ、……時期にもよるが、特に脂の乗った個体は甘みがあって美味とも聞くな。どれ、オーリンに言って、試しに一つ買ってこさせるか。ライアン殿、村の宿屋は隊商で一杯だろうから、今夜はここに泊まっていかれるといい」
「かたじけない」
丁寧に礼を言う客の横で、マーニャとミネアの姉妹が飛び上がって喜ぶ。山間の村では滅多に食べられない珍しい食材を口にできるとあって、二人とも大喜びだ。
「バルザック」
「はい、先生」
「儂はこれから手紙を書く。夕食の支度は任せても良いか?」
「わかりました。マーニャ、ミネア。魚を買って帰ってきたら、オーリンに薪を少し多く割るように言ってくれ。せっかくだから、今日は少し手の込んだものにしたい」
多忙な師に代わって夕食の支度をするのも俺の役目だ。いつもと同じく手間のかからないシチューにしても良いが、今日は遠方からの客人をもてなす料理にするべきだろう。となると――香草の包み焼きにでもするか。
「薪割りでしたら自分がやりましょう。子供の頃はよくやったものです」
「じょーず? オーリンよりも?」
「さて、どうでしょうかな」
物怖じしないマーニャに向かって、ライアンは楽しそうに口角を上げた。剣士らしく武骨で実直な雰囲気だが、意外と子供好きのようだ。ミネアも少しだけ緊張が解けたように口元が緩んでいる。姉はいつも新しいお客さんにはこうして話し掛けていくが、やや人見知りな妹はいつも後ろに隠れてばかりなのだ。
「ミネア、いこ! 早くしないとお魚が売り切れちゃう!」
「ねーさま、きっと大丈夫よ。あんなにいっぱい木箱はあったじゃない」
「それでも、早く!」
再び飛び出そうとする姉を追いかけた妹が戸口でつまづいて転びそうになると、すぐにマーニャは駆け戻ってきてミネアを心配そうに見つめる。
「ミネア、大丈夫? 痛くない? 血は出てない?」
「ん」
小さく頷いてから、姉に向かって両手を開いて見せる。その手のひらに汚れも擦り傷も無かったのは幸いだった。
「手、つなごっか」
「はい、ねーさま」
仲良く手を結んで、モンバーバラの姉妹は出て行った。
「良き姉妹だ。自分には兄弟がおらぬので、少し羨ましくもありますな」
その背を見送るライアンがポツリと言った。『兄弟』という単語に、俺は何気なくオーリンのことを少し考えた。師であるエドガンが殺されると同時に瀕死の重傷を負い、そしてキングレオに敗れたモンバーバラの姉妹を逃がすために、追手の前に体を張ったオーリンは再び倒れることになる。
結果的に仇敵のバルザックもキングレオも勇者たちによって倒されることになるが、結局オーリン自身は恩師の復讐を自らの手でやり遂げることは叶わなかった。あの実直な性格からしてそのことはマーニャとミネアの前では絶対に言わないに違いないが、実は後々まで尾を引いたのではないだろうか。
少なくとも、幼馴染として20年ほども一緒に成長してきた俺はそう思う。出来ることなら、自分の手で仇を討ち果たしたかったはずだ。絶対に。
だから、俺はエドガンを裏切りたくない。マーニャとミネアのためにも。そして、オーリンのためにも。