本日の正午を持ちまして船の名前についてのアンケートは締め切らせていただきます。
マーニャさんたちがソレッタに戻ってきた時、その輝くような笑顔を一目見るだけで結果は聞くまでもないほどに明らかだった。
「ただいま!」
「おかえり、マーニャ! ミネア! それに……エドガン、起きられるようになったんだね!」
逗留中の宿で待っている間、ずっと気もそぞろで落ち着かない様子だったアリーナ姫様が溌溂とした表情を取り戻して立ち上がる。
杖を突いて、傍らのオーリンさんに支えてもらいながらではあるにしても、ずっと寝たきりだったはずのエドガンさんが再び外を出歩けるようになるとは。なるほど、パデキアの薬効は実に大したものだと思う。しかし、知人の快復を喜ぶよりも商品の価値を見定めることに意識を割いてしまうのは商人としての自分の悪い癖だ。
「アリーナ姫様、それにサントハイム王陛下のおかげをもちまして――」
「いいよ、そんな堅苦しい挨拶なんか! 良かった! 本当に良かったよ!」
素直に笑顔を満面に浮かべているアリーナ姫様の方が、自分などより人間として遥かによく出来ている。
「エドガン殿、ご快復を祝着に存ずる」
「これはライアン殿。息子と娘たちのおかげで、どうにか息を繋ぐことが出来ました」
普段は無口なライアンさんですら、わざわざ自分から近づいて握手を求めている。あまり自分のことを語る人ではないが、本心からの安堵と喜色が滲んだ目は、エドガンさんを通して別の誰かを思い出してでもいるかのように遠い彼方を見ている。
「トルネコ殿、このたびはパデキアを娘たちに売っていただき感謝します。おかげでこの老い耄れも生き延びられました」
「いえいえ、そんな。そもそもパデキアの種を持ち帰ってこられたのがマーニャさんたちですから。わたしは、その成果の上に乗っかっただけで」
わざわざ丁寧に礼を言われるほどのことは何もしていない。ソレッタ王から収穫した最初の一株を褒美に与えられたものを、そのまま右から左に渡しただけのこと。危険な橋を渡ったのはソロさんたちであり、アリーナ姫様たちであり、マーニャさんたちだ。
「そうですかな? 娘たちから話は聞きましたが、ソレッタの未来のためにアリーナ姫様たちと共に方策を練っておられるとか。この老い耄れにも少し手助けをさせていただけませんか」
「そういうことでしたら、是非そちらのブライ様に――」
「いえ、これにサントハイムの色を滲ませるのはなるべく避けたい。これはソレッタの内政の問題。それにサントハイムの王家が関わるのはよろしくない。あくまで、儂とトルネコ殿が『サントハイムとは関わりなく』ソレッタ側に提案する形を保つのが肝要かと」
ハッとしてブライ様の方に目を向けると、重々しく頷きを返される。言われてみれば、それは確かに道理だった。自分はまだ商人としてギリギリ中立の立場だと言えるが、サントハイムの宮廷魔術師であるブライ様は、明らかに他国人として見られてしまう。
「わかりました。わたしに何をお望みでしょうか」
「ソレッタ王陛下に、お目通りを願えませんか」
既に話は聞いているのか、マーニャさんたちやバルザックさんも何も言わない。自分は介添え役のオーリンさんと共にエドガンさんを宿の外に案内する。ゆっくりと石橋を渡り、一面に広がる畑を歩き、今も鍬を振るっているソレッタ王のところへと。
「おや、トルネコではないか。何用か。早速、新しいパデキアの買い付けにでも来たか。商売熱心なことだ」
日除けの麦わら帽子を上げて開いた口から白い歯を覗かせる笑顔のソレッタ王は、やはり何度見ても王というより一人の農夫に見える。だが、その目が自分ではなく、杖を突いているエドガンさんに向けられると僅かに目を細める。
「そなたは――いや、待て。どう見ても床払いをしたばかりではないか。そんな病人を地面に跪かせるつもりはない。この手拭いを貸してやるゆえ、座って楽にするがよい」
汗を拭ったばかりの手拭いを地面に敷いて、椅子の代わりに勧める。なんとも大らかな王である。あるいは、これもソレッタのお国柄だろうか。
「これはこれは、お気遣いありがとうございます。それでは失礼を」
そして悪びれもせずに王の手拭いの上に腰を下ろしたエドガンさんは、周囲の光景を見回して目を細める。
「ここは、実に良いところですな。――…申し遅れました。儂の名はエドガンと申します。つい先だってまでは長く病に臥せっておりましたが、こちらのトルネコ殿が陛下から賜ったパデキアのおかげをもちまして、どうにか命拾いをしたところでございます」
「わっはっはっ、それでわざわざ礼を言いに来たと? そなたは律義者じゃな。とはいえ、悪い気はせぬ。わしらが育てた作物で誰かが救われたと聞けば、汗水たらして働いた甲斐もあったというものよ」
鍬を置いたソレッタ王は地べたに直接どっかと腰を下ろしてあぐらをかいた。
「それで? 幾ら何でもそれだけが用件の全てではあるまい?」
「ご明察、恐れ入ります。陛下に命を救われた御恩を少しでもお返しできればと思うのですが、この老い耄れからの提言を聞いてはいただけませんか」
「ふむ」
腰の水袋を口に運んだソレッタ王が、それをエドガンさんに差し出す。
「良かろう。先ほど
ソレッタ王が口にした水袋から一口だけ飲んだエドガンさんは、それを返しながら口を開く。
「陛下、この畑一面で育っているパデキアが全滅した干ばつというものは、どれほどのものでしたかな?」
返された水袋を受け取ったソレッタ王が渋い顔になった。
「あれか。あの干ばつは、実に凄まじいものであったとも。水気を失ってひび割れた一面の大地。この青々としたパデキアの葉ですら茶色に枯れて、全てが萎びていた。わしは、それをこの目で見た。二度とは見たくない、悪夢のような光景であったよ」
「ですが、陛下。少なくとも陛下ご自身の目で見ることは二度とないかもしれませんが、陛下の子や、あるいは孫であればどうでしょうか」
「……」
「陛下の父君、先王陛下が遺された種が再びソレッタの大地に根付いたのは僥倖でございました。おかげで儂も命を拾うことが叶ったのは事実でございます。ですが、次に同じことが起きた時、再びパデキアの根がソレッタの土に馴染む保証がありましょうか」
ソレッタ王は目を閉じて、手元の土を握り込んだ。水気と栄養をたっぷりと含んだ黒々とした土は王の手を汚した。それは王が自らの手で耕した畑であり、ソレッタの国土そのものだった。
「そなたの言わんとするところは理解しておる。パデキアに代わる新たな作物を、と言うのであろう」
「はい」
「確かに、未来に備えるは王の務めではあろう。しかし、民の平穏な暮らしを守るのも同じく王の義務である。ようやく取り戻したパデキアを捨てて、収穫できるかも定かではない新しい作物を育てよなどと、わしの口からは言えぬ」
エドガンさんは慌てず騒がず静かに頷く。
「陛下やソレッタの民の手を煩わせるつもりはございません。もしお許しをいただけるのであれば、この老い耄れが弟子と共に新たに畑を切り拓きます」
「戯言を。病み上がりに鍬を持たせて何が出来る」
「いえ、陛下。
閉じていた瞼を開いたソレッタ王は、怪訝そうに首を捻った。
「どういう意味か」
「かつて、儂はキングレオ王国のコーミズ村に住んでおりました。先代のキングレオ王陛下は寛大な御心をもって民を慰撫する仁君であらせられましたが、その後を継いだのは『キングレオを世界に冠たる大帝国に』と息巻く野心家でございます。そのような王が、果たして自国の民をどのように扱うかは想像も容易いかと」
「他国を征服するための強大な軍を養うには、臣民から重税を搾り取る他に手立てなどあるまい。――…なるほど、そなたはソレッタへの移住を希望するキングレオの民を集める気か」
「例え重税に喘いでいたとしても、それでも先祖伝来の土地を離れがたく思う者もおりましょうが、同時に苦難の日々を避けて新天地を目指す者とて現れましょう。ソレッタ王陛下、他国に生まれた民にソレッタの豊かな土地を分けてはいただけませんか」
自分は思わず居住まいを正した。これは、こんな露天の畑で交わされている茶飲み話は、しかし文字通り一国の未来を左右する重大事だった。
一つ間違えば、自分もまた移民の名を借りた
「本気か」
「無論」
「二つの国の民が交われば、必ずや同じ土地を巡っての軋轢が生じよう。どう治める」
「この老い耄れが生きているうちは、この身命に懸けても。儂が亡き後は、こちらの弟子が」
エドガンさんの傍らで地面に両膝を突いたオーリンさんが平伏する。
「本気で、我が国に骨を埋めると言うのか」
「パデキアの薬効で回復できたとは言え、それが再発しないという保証もまたございませぬ。儂が生を繋ぐには、パデキアの産地のすぐ近くに住まうのが最適かと」
それは同時に、ソレッタ王は移民側の旗印になりえるエドガンさんに対し、最悪の場合はパデキアを渡さないことで切り捨てることも出来るという選択肢を与えることにもなる。
「小賢しいことだ。わしがもしそなたを見捨てれば、そちらの弟子が仇討ちに立ち上がることもありうると脅すのか」
「滅相もございません」
フンッと小さく鼻を鳴らして笑うソレッタ王は、しかしそれほど気分を害した風でもなかった。
「何を育てる」
「サトウキビを。コーミズ村は山あいの小さな村で土地も痩せておりましたが、このソレッタの地では水も陽光も十分にございます。北のミントスには殊のほか大きな宿屋もあり、多くの人が訪れているとか。さらに砂糖の産出が軌道に乗れば、海峡を隔てたコナンベリーの港から世界中に売り手を求めるも容易いことかと」
サントハイム王のような僅かな例外を除けば、甘いものは子供から老人まで等しく求める嗜好品だ。人間どころか、パトリシアのような馬までも欲しがる。
確かにパデキアは万能薬として確かな効能を誇るが、逆に言えば病人が少なくなってしまえば買い手も減るだろう。逆に、病が治って健康になった人は甘いものを欲しがるようになる。両方を育てられれば、ソレッタの産業も安定する。
「サトウキビを育てるには多くの水が要るであろう。パデキアの畑と水の取り合いになる恐れもあるが」
ソレッタ王は慎重だった。だが、それはエドガンさんの提言に真剣に耳を傾けていることの裏返しだ。
「大規模な灌漑工事が必要になるかと。地下水を汲み上げる井戸を新たに掘り、水車小屋を建て、水路を畑に巡らす。あるいは、儂が生きている間に終わるものではないかもしれませんが」
「それに必要な人手はどこから連れてくる」
「キングレオの北西、アッテムト鉱山の坑道からは毒ガスが出て、そこで働いていた鉱夫たちも多くが逃げ散ったとか。港町ハバリアや南のモンバーバラで声をかければ、坑道を掘るのに慣れた肉体労働者を集める目途は立ちましょう」
沈黙が落ちた。ソレッタ王は無言でエドガンさんの顔を見つめている。いや、それはもう睨んでいるというべきものだった。
「――…エドガンと言ったな。そこまでの規模となれば、もはや民の一人や二人が重税に堪えかねて行方を晦ますという話では済まぬぞ」
「承知しております」
「農夫。そして鉱夫。あるいはその家族も。十数人か、数十人か。それだけの民に国外逃亡を勧め、そしてソレッタにまで連れ出すともなれば、それこそキングレオ王家への反乱にも等しい。そなたは他国の反逆者に与したとしてソレッタ王家の名に泥を塗る気か」
「いいえ、陛下」
これが自分であったなら絶対に平静ではいられないであろうソレッタ王からの威圧にも、エドガンさんは顔色一つ変えることなく淡々としていた。
「反逆者とは、統治する側に正当性が保たれていればこそ汚名となります。逆に、民を虐げている現在のキングレオ王に統治者たる資格はございませぬ。暴君による圧政からの解放を支援することは正義であり、むしろ善行と讃えられましょう」
「よく言う。だが、それがそなたの妄言ではないと一体誰が保証してくれるというのだ」
これが商売であれば、保証人を求めるのは当然のことだ。借金の証文であれ、それを裏書きする保証人がいれば危うい契約を飲むこともあり得る。
だが、この場合のソレッタ王の言葉は失着だった。『しかるべき保証があるのならば話を飲んでも良い』とエドガンさんに言質を与えてしまったも同然なのだから。
「サントハイム王陛下が」
「……何?」
「それでも足りなくば、エンドール王陛下ならびにボンモール王陛下、さらにブランカ王陛下も。四か国の列王が保証人となって下さるのでは足りませんかな、陛下」
そこでようやくソレッタ王は自分の存在を思い出したように鋭い目線を向けて来た。舌打ちをする寸前で辛うじて自制したように顔を歪め、麦わら帽子を脱いだ手で頭をガシガシと掻き回しながら大きな溜め息をつく。
「抜かったわ。ここまでトルネコが連れて来たという時点で、そなたにもサントハイムの後ろ盾があると察するべきであったか」
「騙すような遣り口で話を切り出したことについてはお詫び申し上げます、陛下。ですが、もし儂がアリーナ姫様がたを伴っていれば、おそらく陛下は話を聞いては下さらなかったことでしょう」
「否定はせぬ。キングレオからの移民の中にサントハイムが毒草の種を紛れ込ませるのではと警戒するのは当然だ。――…尤も、そなたは毒草などよりも遥かに厄介であった。そこを見誤ったのは、わしの不覚よ」
再び水袋から喉に水を流し込んだソレッタ王は、口元を手の甲で乱暴に拭った。
「まあ、良かろう。実際、パデキアが全滅したことでソレッタから離れた民もかなりの数に上る。それらの民が戻って来るかどうかも定かではないし、あるいは移り住んだ先で既に生活が軌道に乗っているのであれば尚更戻ろうという気にはなれまい。余っている土地を放置しておくよりは、誰かの手に委ねられるのであればそれに越したことはない」
「ありがとうございます」
「税務などの諸事については大臣と相談せよ。トルネコよ、移民たちが住まう新居の建築や灌漑の工事に必要な資材の手配については、そなたの全面的な協力を期待させてもらう。異存はあるまいな?」
「もちろんでございます、陛下」
次の目的地はキングレオ王国。そこでは、おそらく本格的な国家権力との闘争が待っているのだろう。あるいは、それは魔物との戦いよりも厳しいものになるかもしれなかった。
これにて第三部は終了です
本作における船の名前は?
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ゲームブック準拠で『トリスタン号』
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小説版準拠で『聖なる種火丸』