ライアンが隊商と共にモンバーバラへと発ってから数日。
日常を取り戻したかに見えたコーミズ村にキングレオ城から一台の馬車を伴った兵士が来て、エドガンに同行を求めてきた。
「失礼いたします。国王陛下より錬金術師エドガン殿に、城にて伺いたいことがあると申しつかってまいりました」
とうとう来るべきものが来た、と俺は思った。だが、兵士の態度は極めて丁重だった。礼節からしても、王家から援助を受けている身としても、到底断り切れるものではない。
「かしこまりました。ただちに城へ参りましょう」
いずれこうなることは師も予想していたと見えて、ゆったりと落ち着き払った態度で腰を上げた。
「オーリン、バルザック。しばらく留守を頼む」
「はい、先生」
「マーニャ、ミネア。二人ともオーリンとバルザックの言う事をよく聞くように」
「とーさま、いつ帰ってくるの?」
「さて、どうであろうな。あまり遅くならなければ良いが」
慈父の笑みで姉妹の頭を撫でるエドガンは、しかしはっきりとした言質を娘達に与えようとはしなかった。
「とーさま、いってらっしゃい。なるべく早く帰ってきてね」
「うむ。……ミネア? どうした?」
姉と並んで父を見送ろうとした妹は、しかし唐突に顔を蒼褪めさせた。
「……っちゃ、ダメ」
「ミネア?」
「ダメ。ダメ、とーさま。行かないで、お願い」
エドガンのローブの裾を握りしめ、何かを予感したように、あるいは予知をしたように、必死に訴える。
「ダメ、ダメなの。とーさま、行っちゃダメ」
それは、傍目には親を恋しがって引き留めようとする幼い子供の我が儘でしかなかった。少なくとも、それを見守る城の兵士にとってはそれ以外の何物でもなかっただろう。俺にとってはそうではない。ミネアが未来の予知をすら可能とする占い師となることを、その予知によって世界を救う一助となることを、俺は知っている。
それでも――そうであってさえも、今の俺にはどうしようもない。
「エドガン殿、大変申し訳ありませんが――」
「ああ、わかっておりますとも。陛下のお召しとあらば儂には否応もございません」
あくまで礼儀正しく、しかし僅かに急かすように声を上げた兵士に、エドガンは静かに告げた。
「ミネア。儂は必ず帰ってくる。だからマーニャと一緒に、」
「嘘! とーさま、嘘つき!」
顔を蒼褪めさせたまま叫んだミネアの頬を、大粒の涙が伝った。
「行かないで。行かないでよぉ……!」
滂沱と溢れた涙と嗚咽に邪魔されて、それ以上の言葉は出てこなかった。
俺にはわかる。あれは予知の片鱗だ。だが、エドガンを止めることは俺にはできない。幼い子供の訴えだからこそ、兵士も聞かなかったことに出来る。俺が横から口を出せば、それは師の立場を危うくすることになる。今の時点では城からの使いに落ち度など何一つない。ないからこそ、エドガンが城からの召喚を拒む理由を見出すことすら叶わない。
「ミネア、ほら、こっちだ。あまり先生を困らせてはダメだ」
必死の訴えも虚しく、エドガンは優しくミネアの手を解いた。正確には、むせび泣いて離れようとしないミネアを、オーリンが優しく引き離した。俺には出来ない。姉妹に慕われるオーリンだから辛うじて言う事を聞かせられたのだ。もし俺が同じことをしようとしても泣き叫んで抵抗されただけだろう。
「ねえ、バルザック。とーさまは……」
マーニャが、俺を嫌い、警戒しているはずのマーニャが、それでも縋るような目で俺を見た。妹の様子に、これはただ事ではないと嫌な予感を募らせたのだろう。
「とーさま、大丈夫、だよね?」
「……」
「帰ってくる、よね? すぐに帰ってくるんでしょ?」
いつもの快活さを失い、不安に翳る紫の瞳を俺に向けてマーニャは問いかけた。それに対して、俺は何も言えなかった。
「バルザック」
そして、こともあろうに。
そんな俺に向かって、エドガンは言った。
「そんな顔をするな。言っただろう。『これは私のケジメだ。責任はすべて私が取る』と」
「っ」
「後は頼む」
エドガンは馬車に乗り込んだ。兵士の手が馬車の扉を閉めた。御者が鞭を振るった。ミネアの泣き声は止むことは無かった。その声に釣られたように顔を覗かせてきた村人たちも、どこか不安そうな面持ちで馬車を見送った。
――俺は、ずっとそこに立っていた。不安で今にも崩れ落ちてしまいそうなマーニャを支えるためにも。