師が不在のコーミズ村での生活は、少なくともその表面上においては静かなものだった。
オーリンは村人たちと畑で汗を流し、時には森で獣を狩ってくる。マーニャは日課の踊りの訓練を続けている。
「……バルザック。今日も、魔法を教えて」
――そして、師と別れるのを嫌がって泣いていたミネアも、落ち着いてはいた。しかし、この平穏が仮初のものに過ぎないことは俺も予感していた。未来を予知するミネアならば尚更のことだろう。以前は姉の傍で読書に費やしていた時間を、今は俺から魔法を教わるために使うようになった。
「俺が教えられる範囲の基礎知識は、先生からもう習っているだろう?」
「……」
「これ以上の実践の部分は、まだ教えられないとわかっているはずだ」
俺のローブを縋るように掴んで、見上げてくる紫色の大きな目。まだ遊びたい盛りのはずの、たった5歳の子供が、だ。その必死さがあまりに痛々しい。ただ待っている時間が長すぎて、何かをしていないと耐えられない。一度は実の両親を失った心の傷は今なお深く、俺にはどうすることもできない。
「……教えて」
「ミネア」
「おねがい」
その瞳には、底知れぬ不安と恐怖が湛えられていた。その心の限界を超えて溢れてしまう日も近い。
師であれば、優しく宥めて落ち着かせてやることも、不安と恐怖を拭い去ってやることも出来るだろう。俺には無理だ。それでも、今の俺に出来ることと言えば――。
「……ラリホー」
「え?」
「ラリホーだ。睡眠付与魔法。知っているか?」
「うん」
マーニャが得意とするメラ、ギラ、イオ系の派手な攻撃魔法に比べれば一見すると地味にも見える状態異常付与系の魔法だが、使い方次第では非常に凶悪な魔法である。
相手がスライムであれドラゴンであれ、眠ってしまえば同じことだ。極論すれば、ラリホーが効かずに眠らないスライムよりも、目を覚まして起きるたびにラリホーを連発されて眠り続けるドラゴンの方が脅威度で言えば低くなってしまうことになる。
相手が強力であれば強力であるほどに、それをたった一つの魔法で無力化できるという意味は大きい。原作ゲーム内においてもイオナズンのような強力な攻撃魔法でも一発では倒せない高いHPを持つ魔物は後半になれば頻繁に出てくるが、例え痛恨の一撃で即死させてくるような強力なボスであってさえも、ラリホーで眠らせることさえできてしまえば安全に、そして確実に倒せるのだ。
「ミネアなら使えるようになる。才能があるからな」
「教えてくれるの?」
「そうだな。だいたいこんな感じで使う魔法だ」
俺はおもむろにミネアの目の前に人差し指を軽く突き出すと、小さく呟くように唱えた。
「ラリホー」
「っ……!?」
ミネアの体がグラリと揺れた。俺のラリホーはまだまだ未熟で、正直なところ魔物相手に通じるかと言えば心もとない。だが、ここのところ根を詰め過ぎている上に夜も不安で寝つきが悪く、あるいは寝入っても悪夢で魘されている寝不足気味の子供には効果てきめんだろう。
「…バ…ル、ザック…? な、んで……」
「疲れているんだな。少し休め」
俺はミネアの体を抱き留めた。オーリンのように力が強いわけでもなく、ライアンのように鍛え上げているわけでもない俺のひ弱な腕にとってさえ、その小さな体はひどく軽かった。
「バルザック、ミネアは……おい、どうした? ミネア、大丈夫か?」
「心配するな。疲れているようだったから、少し眠らせただけだ」
畑仕事から戻ってきたオーリンの心配そうな顔に、俺は頷きを返して見せた。
「それより、そろそろ昼飯にしよう。オーリン、お前はマーニャを呼んでき――」
そう俺が言いかけた時だった。
「聞け! これは城からのお触れである!!」
高圧的なまでに厳格な叫び声が、コーミズ村に響いた。