ミネアと一緒に、オーリンの腕の中で毛布にくるまって眠っていた私は、ふと目が覚めた。
家の中は真っ暗で、まだ真夜中だ。どこか遠くで酔っ払いが騒ぐ声が微かに聞こえた。
寝直そうかと思って少しだけ頭を動かすと、バルザックはちゃんと寝ているだろうかと気になった。きっと大丈夫だろうと思う反面、目を離していたらいつの間にか勝手に起きていそうな気がする。今までが今までだから、放っておけない気分になるのは仕方ない。
ミネアとオーリンを起こしてしまわないように気をつけながら立ち上がる。いつもは私と抱き合って眠るミネアも、今日はオーリンと一緒だから大丈夫だろう。
そっと足音を殺して奥に向かい、扉の隙間から中を覗く。もちろん中も真っ暗で、横になって寝ているはずのバルザックの顔さえ見えない。
もしかして起きて、また黙って考え事に沈んでいるんじゃないかと気になってくる。音を立てないようにして扉を開ける。一歩、二歩と寝台に近づく。
「バルザック?」
小さく呼びかけながら、そっと手を伸ばす。
手探りの指先が触れたのは、いつものローブの感触と、規則正しく上下する肩の動き。
どうやら本当に寝ているらしい。随分と深く眠っているようだ。少し拍子抜けしつつも、安堵して息を吐いた。
「…良かった」
そんな言葉が無意識に口をついて出た。自然と、自分でも意識していないうちに、スルッと。そして、そんな自分に少し驚く。
だって私はバルザックが嫌いだ。大嫌いだ。嫌いだったはずなのだ。頼りがいのあるオーリンに比べたら体も細くてヒョロヒョロしてて、てんで弱そうで、意地悪で、偏屈で。
何より昔から父さまといっつも難しそうな話ばかりしてて、私たちよりも長く父さまと一緒にいるから。私たちの優しい父さまを独り占めしているから。
「バルザック」
口には出さない。出さないけれど、舌の上で言葉を転がす。
寝ているバルザックの枕元に腰を下ろす。ここまで近づけば、薄ぼんやりと顔が見えた。コーミズ村にいた頃に遊んでた子供たちからは幽霊みたい、と言われてた顔。青白くて、痩せてて、いつも難しい顔をして眉間に皺を寄せてるからそう見えるのかもしれない。でも、いまはそうじゃない。
ただ眠っているだけ。力も抜けて、幼い子供みたいに無防備な寝顔。
「……。バルザックは、私たちのこと、どう思ってるの?」
答えが返ってくるはずもない。バルザックが寝息を立てる音だけが聞こえる。
父さまが城に連れて行かれて、コーミズ村から逃げ出して、このモンバーバラまでやってきて。
ミネアの前では頑張って明るく振る舞っていたけど、私はすごく恐かった。不安だった。父さまがいなくなってしまった。次はオーリンかもしれない。もしオーリンまでいなくなってしまったらどうしよう。私とミネアだけになったらどうしよう、って。そればっかりを考えていた。
――でも、バルザックは。私が嫌ってたバルザックは。大嫌いなはずのバルザックは。
オーリンと一緒に寝る間も惜しんで働いて、お金を作って私たちの家を借りて、ご飯を、着る服を用意してくれて。
私が劇場で踊るための踊り子の服だって買ってくれて。虫刺されの塗り薬を作ってくれて。虫除けの線香を作ってくれて。
私に魔法を教えてくれて。ミネアに魔法を教えてくれて。
オーリンと一緒に、私たちを守ってくれて。
「バルザック、父さまは……」
もう。
もしかして、もう。
その続きは。それだけは、例え心の中だけでも言うのが怖くて。考えるのも嫌で。
「心配するな」
「っ……!?」
私の頭の上に何かが乗せられた。オーリンの大きな手とは違う。父さまの優しい手とも違う。骨ばった、冷たい手だった。
驚いて顔を上げると、寝ていたはずのバルザックと目が合った。淡い琥珀色の瞳が微かに光を宿してこちらを見ている。
「先生は、必ず助ける。必ずだ」
金色に光る目が私を見ていた。私は信じたくなった。バルザックを。信じたくなって、しまった。
そして、私は言った。
「信じていいの? 嘘じゃない?」
「ああ」
「約束してくれる?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
バルザックの手が私の頭を撫でた。何度も、何度も撫でた。
「――私とミネアを、裏切ったりしない?」
その一瞬だけ、手の動きが止まった。まるで何かを堪えるように、バルザックが息を詰まらせた。
「約束しよう」
「もし破ったら?」
「その時は――そうだな、どうすればいい?」
私は考えた。私との約束をバルザックが違えた時の罰。
「その時は、バルザックも私と同じ舞台で踊らせてあげる」
「……」
その答えに虚を突かれたように呆然としたバルザックが、やがて苦笑した。
「……それは、困るな」
「でしょ? 私と一緒に、同じ舞台の上でバルザックも踊るのよ。大勢のお客さんに見られながら」
「ひどい罰だ。そんなことになったら、俺は一生それをからかわれ続けることになるのか」
「そうよ」
私は大きく頷いた。体を動かすのが苦手なバルザックにとっては、それが一番辛い罰になるだろう。
「それが嫌なら、必ず約束は守ってね。必ず父さまを助けて。お願い」
頭の上に置かれたままのバルザックの手を、私は両手で握った。祈るような気持ちだった。それが誰に向けての祈りかは、私自身にもわからなかったけれど。
「ああ。必ず守るさ」
バルザックの手が私の手を握り返してくれた。その手はオーリンほど温かくも、父さまほど優しくもなかったけれど、でも確かにそこにあった。私たちを守ってくれる、バルザックの手が。