翌朝。俺は陽が高く昇っても寝台から離れられずにいた。理由は二つ。
まず一つ目は、そもそも目が覚めたのが遅かった。起きた時には陽の光が白々と差し込んでいて、鳥かごの中でさえずる小鳥の声で起きたぐらいだ。
そして二つ目の理由は、俺の薄っぺらい胸板の上に突っ伏すようにマーニャが寝ていたせいだ。何とか起こさずに寝台から抜け出そうと試してもみたが、むずがるように俺の胸から離れようとしない。もしやとっくに起きていて寝たふりをしているんじゃないかと疑いたくもなるが、良くも悪くも激情型で腹芸は苦手なマーニャは、そういう手の込んだ悪戯はしない、だろう。
なのでオーリンとミネアが起こしに来るのを待つしかない、という状況だ。俺が下手に起こして、起き抜けから身に覚えのないことでギャーギャーと耳元で喚かれたくはない。
「……」
今は他にやることもないので、仕方なくマーニャの寝顔を眺めているところだ。
『――私とミネアを、裏切ったりしない?』
頭の中に、未明の真っ暗な中で瞬きもせずに真っすぐに俺を見つめる一対の紫瞳が思い浮かぶ。
全く、本当に、ひどい話だ。ひどい約束だ。そして、ひどい罰だ。
エドガンを裏切って、オーリンを裏切って、マーニャとミネアを裏切って。最期は仇敵として、無様に勇者たちに殺される
「……ったく」
挙げ句に『もし約束を破ったら舞台で一緒に踊れ』だとか、どう考えても裏切り者に対する罰じゃないだろうよ。どうしてそこで『殺してやる』ですらないんだよ。
「起きたのか、バルザック」
「とっくに起きていたよ。というか、起きたのなら真っ先に起こしに来いよ」
「せっかくだから、少しでも長く寝かせてやりたくてな」
扉が開いて、オーリンとミネアが並んで顔を覗かせた。
「おはよう、バルザック。姉さまは?」
「んー……」
声にならない微かな寝息を漏らして、マーニャがモゾモゾと俺の胸に頬ずりをする。ミネアが軽く目を瞬かせた。
「珍しい。父さまやオーリンにじゃなくて、姉さまがバルザックに甘えてる」
「いや、ただ単に寝ぼけて先生やオーリンと俺を間違えてるだけだろう」
「そんなことない。姉さまも私も、父さまとオーリンは特別。寝てたって他の人と間違えたりはしない」
トトトっと小さな歩幅で枕元に近寄り、姉の寝顔を見守る。
「うん、姉さまはバルザックが甘えてもいい人だって判断した。そういう顔をしてる」
「……」
俺にとっては寝顔一つでそんな判別ができる、出来てしまうミネアの方が逆に怖いんだが。占い師の人相学とか、そういう感じなのか。よくわからん。
「姉さま、朝よ。起きて、姉さま」
しかしミネアは俺の内心には構わずマーニャの肩を軽く揺すって声をかけている。
「ん、んんっ……」
まだ眠そうに低く唸りつつも、瞼を手で擦りながらマーニャは欠伸をする。涙を目尻に滲ませながら口を大きく開けて、その目が俺の顔を捉えた次の瞬間、凍り付いたように全身の動きが停止した。
「え? バルザック? う、嘘? なんでバルザックが……」
「なんでだろうな。俺が夜中にミネアと入れ替わったわけじゃないのは確かだが」
思いっきり投げやりに答えると、ようやく夜遅くになって俺の枕元に自分から押しかけてきたことを思い出したらしく、その顔がみるみるうちに真っ赤に染まる。
「~~~~~~っっっ…!?」
怒りとも羞恥ともつかない中途半端な表情で涙目のまま頭から湯気を立てている姉に、すぐ隣からミネアが冷静に追い打ちをかける。
「姉さま、これからはバルザックと一緒に寝ても大丈夫ね」
「ん、なっ…!?」
「おい、ミネア。ちょっとは手加減してやれ。マーニャが死ぬ」
マーニャは毒針で急所を一突きされたみたいになっていた。真っ赤になっていた顔が青くなり、また赤くなる。血圧の急変で倒れなきゃいいがと心配になるレベルで顔色が何度も変わる。
俺が助けを求めてオーリンの方に顔を向けると、
「……おい、オーリン?」
俺たちに広い背中を向けて、筋骨たくましい肩をプルプルと震わせて、オーリンが笑い死にしそうになっていやがった。
ミネアもオーリンが珍しくツボに入っている様子に目を丸くして、そしてマーニャは、
「ち、ちちちちち、違うからっ!」
ようやく再起動したように、必死になってオーリンの背中に向かってまくし立てた。
「オーリン、違うから! そんなんじゃないから! 私とバルザックは、絶対に仲良くなってたりしないから!」
だが、オーリンは振り向いたりしなかった。声を殺しながら、というか半分くらいは声も出ないほどに笑い転げているだろ、アレは。
「落ち着け、マーニャ。オーリンは怒ってもいないし呆れてもいない」
「バルザックこそ、なんでそんなに落ち着いてるの!?」
「なんで、って言われてもな。慌てるようなことなのか?」
俺がマーニャの頭を軽くポンポンと撫でてやると、一瞬だけ黙り込んだ。そして、次の瞬間には猫が飛び跳ねるみたいな勢いで俺から距離を取った。
撫でられた頭を両手で押さえ、真っ白な歯を剥き出しにして俺を睨みながら全身の毛を逆立てる。
耳や尻尾は見えないが、ほぼ瓜二つと言っていいだろう。うん、あれは完全に猫だ。間違いない。あと口は裂けすぎてないが、般若だ。
「バ―――ル―――ザ―――ッッック!!」
怒髪天を衝きながら飛びかかる寸前の態勢で吼えるマーニャを、こちらもようやく笑いを収めたオーリンが後ろから抱きかかえる。
「オーリン、離して! 私はバルザックをお仕置きしなきゃいけないの!」
拘束を振りほどこうと手足を振り回して暴れまくる姉をよそに、妹のほうは無言のままじっと俺を見つめてきた。
「どうした、ミネア」
「……。なんでもない」
小首を傾げる俺から目を逸らし、マーニャを抱きかかえるオーリンの腰の辺りに手を添える。
「姉さま」
「ミネアも手伝いなさい! 今からバルザックに天罰と神罰と、ええっと、あとは……何でもいいけど、とにかく私が思い知らせてやるんだから!」
「これからはバルザックのこと、『義兄さま』って呼んだ方がいい?」
「「!?」」
俺とマーニャが同時に硬直する。
「オーリン兄さまはオーリン兄さまだけど、もしバルザックが姉さまと……ってことになったら、」
「あるわけないでしょ、そんなこと!?」
爆弾岩がメガンテを唱えた時のように、とうとうマーニャが激発した。しかも、そこにオーリンまでもが油を注ぎこみやがった。
「もしそうなったら、俺もバルザックを『義兄さん』って呼んでやるか」
「なんだ、オーリン。ミネアに求婚でもするつもりか。するにしても、せめてあと10年は後にしろ」
「お前がマーニャと一生添い遂げてくれるのなら、俺は喜んでお前の義弟になるさ」
俺の話を聞け。あと、そういうセリフを真顔で言うな。お前が言うと冗談に聞こえない。
「いい加減にしろ。いや、してくれ。いくらなんでも朝っぱらから騒ぎすぎだろう」
こんなにも大声で騒げば、内容は近所にも筒抜けだろう。しばらく外を出歩きたくもないが、そうしたらそうしたで逆に噂がおかしな方向に拗れてしまいそうで怖い。
起きたそばから全力で暴れ過ぎて、とうとうぐったりとしてしまったマーニャを横目に俺は手で顔を覆い、深々と溜め息をついた。
次で第二章は終わります