ガタゴトと揺れる馬車の中。同じ箱の中でミネアは静かに瞑想している。
最初は本を持ち込もうとしたけど、揺れる馬車の中で読書すると酔いやすくなるとバルザックに止められたそうだ。
「ミネア、お水ちょうだい」
「飲み過ぎないように気をつけて、姉さん」
「わかってるわよ」
最近、ミネアは私を『姉さま』ではなく『姉さん』と呼ぶようになってきた。きっかけは何だったのかは覚えてない。よくわからない。でも、まあ、そう呼ばれるのも別に悪くはない。ミネアも少し大人っぽくなった。私が同じ年の8つだった頃よりも大人びて見えるのは少し悔しいような気もするけど。
渡された水袋を開けて、一口だけ飲む。
「干し葡萄もちょうだい」
「まだ街からそんなに離れてないのに。もうお腹が減ったの?」
「ちょっと口寂しいだけよ。そんなに口うるさく言わないで。バルザックみたい」
以前よりも少しだけお説教臭くなった妹は、唇を尖らせた私の反撃に少し黙った。前なら『姉さま』『姉さま』って、素直に私の後をくっついてくる方が多かったのに。
差し出された小さな袋から干し葡萄を一粒だけ取り出して、口に含む。濃厚な甘さが口の中に広がった。また水が欲しくなったけど、我慢する。またミネアにチクチク言われたくない。
「~♪」
やることもないので、私はモンバーバラの劇場では定番の踊り子たちの音楽を小さく口ずさむ。そのまま目を閉じると自分が踊っている姿が目に浮かぶ。座っている膝の上で指をテンポ良く踊らせて、自分の手足の動きを想像する。
ステップを踏み、一歩、二歩、三歩。舞台の端でターン。クルリと回って、ジャンプ。頭を揺らさずに着地。ここが今の私の課題だ。高く跳ぼうとすればするほど、今の私はつい首を反らしてしまう。だからその分、着地の時も勢いがついて頭が揺れる。
もう一度。ステップを踏む。ターン。ジャンプ。着地する。ステップ、ターン、ジャンプ。
頭の中で理想的な自分の姿を繰り返し思い描く。そうすると、鼻歌で奏でる音楽に合わせて体も少し動いてしまう。肩を揺らして、腕も上下させて。
「姉さん」
「あ、ごめん」
ミネアに叱られて私は腕を下ろす。踊りのことになると夢中になってしまうのは私の悪い癖だと知っているけど、なかなか治らない。多分これは一生このままのような気がする。
自分の思い通りに体を動かすのは楽しい。自分では綺麗に動けたと思っても、観客の目から見ればまた違う。指と、手と、腕と、肩と、体の隅々まで音楽のリズムに乗って理想的に動かせるようになるまでは練習、練習、また練習。
口の悪い酔っ払いからは『踊るだけなら誰でもできる』と言われるけど、ちょっと違うと私は思う。確かに、
「コーミズ村の人たちはどうしてるかな」
しばらく黙ったままだったけど、今のままだと退屈だからまた声に出してしまう。
ここからは外の景色も見れないから、どのあたりまで来たのかはわからない。夜になって野営することになったらオーリンとバルザックのどちらかが様子を見に来てくれて、ついでに食事も持ってきてくれて、もし外が安全そうならちょっと散歩もさせてくれるとは言っていたけど。
「お城の人とかに悪いことをされたりしてなければいいんだけど」
「……それも、行ってみればわかるわよ」
ポツリとミネアも言った。心配なのは一緒なのだ。私も一緒に遊んでいた子供たちだって、三年も経てば大きくなってるだろう。久しぶりだから、もしかしたら顔を見てもわからないかも。
「ミネアは覚えてる? 村の子たちのこと」
「名前くらいは……」
コーミズ村は小さい村だったから、私たちを除けば同じくらいの年の子供たちは片手で数えられるくらいしかいなかった。それでも父さまのおかげで子供たちが流行り病で死んだりすることも無くなっただけ、昔よりずっと良くなったらしい。
父さまが村に来る前は水車小屋も無かったし、読み書きのできる村の人なんていなかったし、痩せた土地を必死に耕して育てた作物だってほとんどが城に持って行かれるせいで、村はずっと貧しいままだったそうだ。当然、子供も遊んでなんかいられなかった。大人と同じく朝から晩まで働かされてた。
でも、父さまのおかげで村の暮らしはずっと楽になったし、子供たちも死ななくて済むようになった。読み書きも教えてもらえるようになって、同じ子供同士で遊ぶ余裕までできた。だから父さまは村の人たちから尊敬されたし、信頼もされてた。
「村で話をするのは……ちょっと無理かもしれないけど、少し顔を見るくらいならいいよね?」
「それは、オーリンとバルザックに相談してからよ」
最近のミネアはオーリンのことも『兄さま』とは言わなくなった。というか、それを言うとバルザックのことも、その、何というか――なので、私が言って、どちらが兄とか、そういうのは止めにしてもらったのだ。
「魔物だー! 魔物が出たぞー!!」
その叫び声に、二人で同時に体を強張らせる。コーミズ村にいた頃は周りに獣避けの柵もあったし、オーリンが村の外を小まめに見回ってくれたりもしたし、魔物が村の中にまで張り込んでくることは無かった。もちろんモンバーバラの街では魔物に襲われる心配をする必要はなかった。だから、魔物に襲われるなんてことは。
――私たちが、実の両親と旅をしてたジプシーの一座が襲われた時以来だ。
「ミネア」
「大丈夫よ、姉さん」
お互いの手を繋いで、しっかりと握り合う。
「大丈夫かな」
「オーリンとバルザックなら、きっと大丈夫」
ミネアは占い師を目指している。毎朝、翌日の天気を占ったりもしている。占いが当たる確率は半々くらいで、ミネアはまだまだだって言ってる。昨日の朝の時点で、今日は夜まで雨は降らないって占いでは出てたけど。
「魔物が出るなんて、占いに出てた?」
「野営地まで無事に着けるって出てたわ。だから大丈夫」
魔物が出た時点で『無事』って言えるのかはともかく。
「外に出ましょ。様子を見なきゃ」
「待って、姉さん」
「だって、気になるじゃない。ミネアもそうでしょ?」
バルザックが薄く開けていってくれた蓋をずらして、外を見る。幌馬車の中は陽の光が遮られてて薄暗い。でも、幌のあちこちに小さな穴が開いていて、そこから光が漏れている。箱から出て、穴を覗く。何も見えない。次の穴を覗く。これもダメ。何もない草原だけだ。
「姉さん、こっち」
やっぱり気になっていたのか、私の後から箱の外に出てきていたミネアが手招いた。
「見える?」
「全部じゃないけど、少しだけ」
ミネアが場所を譲ってくれたので、遠慮なく穴を覗く。草原で飛び跳ねる、ちょっとした犬ほどもあるように見える大きなバッタが見えた。キリキリと何かを擦り合わせるような羽音が微かに聞こえる。
「キリキリバッタね」
「素早いし、数も多いから一人の時に戦うのは避けた方がいい、ってオーリンが言ってたわ」
ミネアが言う通り、バッタは跳んで、また跳ねて、忙しく動いていた。さっきまで思い浮かべてた自分の姿がそこに重なって見えて、ちょっとイラッとする。
でも、横手から走った細い炎の帯がバッタの群れを一気に焼き払う。
「ギラだわ」
「バルザック?」
「ここからだと見えないけど、多分そう」
私も早く使えるようになりたいし、魔法を教えてくれるバルザックもいつか必ず使えるようになるって言ってくれてるけど、まだダメだ。
ミネアも早くラリホーが使えるようになりたいと言っていて、毎日勉強している。
「魔物はいなくなったぞー!! 怪我人はいないかー!?」
ここからは魔物の姿が見えなくなって少し経つと、また大声がした。
「こっちは大丈夫だ!」
「こっちも無事だ!」
あちこちから声がして、ちょっと安心する。良かった、被害はないみたいだ。
「姉さん」
「うん。良かった。本当に良かった」
あのジプシーの一座の中で生き残ったのは、生き残れたのは、私とミネアだけ。それも、父さまとオーリンが助けてくれなかったら間違いなく死んでた。
でも、今回は誰も怪我をしなかった。一人残らず無事だった。
私はミネアと抱き合って、思わず目から滲みそうになる涙を堪えた。