「オーリン、二人は無事だ! そっちはどうだ!?」
「こいつで最後だ!」
バルザックの声を聞きながら、突き出した鉄の槍の穂先で魔物を貫く。倒れた魔物から槍を引き抜いて、他に新手が出てこないか油断なく周囲を窺う。
見通しがきかない森に囲まれた山道で、不意を打たれて魔物に囲まれるというのは護衛の立場からすれば悪夢そのものだ。その意味で、乗合馬車の中にいたはずのミネアが魔物の襲来を予知してくれたのは僥倖だった。ほんの僅かな差だったが、それが生死を分けた。
「オー……スコット、でいいのか?」
「すまない。ハバリアまではそっちで通してくれ」
やがて、他の魔物はもう出てこないと思えるほどの時間が経ってから警戒を解いた俺に話しかけてきた隊商の頭目は頬から薄く血を滲ませていた。手の甲で頬を軽く拭いながら近づいてくる。
「今のところ死人は出てねえ。怪我人は何人か出ているが、コーミズ村で手当てすりゃ何とかなる程度で済んだ。バ……じゃねえ、ロレンスが連れてた嬢ちゃんたちのおかげで、今回は助かった。後で礼を言っといてくれ」
「ああ」
頷くと、肩をポンと叩かれた。
松明で夜道を照らし、魔物の姿を見つけて、コーミズ村へと馬車を急がせる。即座に反応した一行の対応が数人の軽傷者を出すだけという奇跡的な結果に繋がった。あの状況なら複数の死者が出たって不思議じゃなかったはずだ。
「なんかお前らには色々と事情があるみてえだが、詳しくは訊かねえし今はそれどころじゃねえ。だが、ハバリアに着いたら酒の一杯ぐらいは奢るぜ」
「ありがとう。だが、俺は下戸なんだ」
「ったく、なんだよ。ロレンスといい、てめえといい。付き合いが悪ぃな」
フンッとばかりに小さく鼻で笑ってから頭目は離れていった。俺は踵を返して乗合馬車に向かった。
「マーニャ! ミネア!」
駆け寄ると、中を覗く。踊り子や旅人たちが揺れる馬車の中でぶつけたのか、あるいは擦ったのか、手足の打ち身や擦り傷の手当てをしていたり、まだ怯えて縮こまっていたりする中で、二人は馬車の隅の方で身を寄せ合っていた。
マーニャはぐったりとしている。体力を使い果たして眠ってしまったのかと思ったが、目は開いていた。
ミネアは黙ったまま俺を見ていた。いつもの静かな瞳の奥に、揺らめくような影があった。恐怖の残滓か。あるいは予知した時の余韻か。今はまだ聞くべきではないだろう。
「よくやった、二人とも」
「……うん」
「オーリ……スコットも、無事で良かったわ」
マーニャは俺の顔を見て安心したのか、ふにゃりと脱力したように笑った。
「隊商の頭目も助かったと言っていた。ミネアのおかげで、誰も死んでない」
「…ん、良かった。
「そうか。もうすぐコーミズ村だ。到着したら、また話そう」
「わかった」
「まだ着くまでは安心しない方がいいと思うから、気をつけて」
二人の無事を確認できて俺も安心できた。馬車の中にいる踊り子たちに軽く声をかける。
「二人を頼むな」
「任せて」
「オーリンって今すぐにでも良い父親になれるわよね」
「逆に言えば手強い義妹が二人も出来るのよ。あんたじゃ無理じゃない?」
モンバーバラの踊り子たちはいつも姦しい。俺はマーニャとミネアだけで手一杯だ。
乗合馬車から離れ、馬車ごとに取り付けられた松明の光が列をなしている中を前へと進む。やがて列の先頭に出る。ここで立て続けの連戦になると厳しい。一刻も早く村に到着したいのが本音だ。そしてそれは一行の誰もが望んでいることだろう。
「おう、スコット」
「ここでもし倒木やらで道が塞がってた、なんてことになってたら一大事だからな。様子を見に来た」
「おう、そうなってたら本気で洒落にならねえ。頼りにしてるぜ、兄弟」
誰が兄弟だ、とは心の中で思っても口に出しては言わないでおく。
この辺りまで来ると、森の木々を切り開いて作った細い道にも何となく見覚えがある。この3年はコーミズ村に近づくことも避けていたために記憶も薄れ始めているが、昔は村の周りを見回る時にこの辺りまで来ていたはずだ。
「そこを曲がれば村の入り口が見えるはずだ」
「よく知ってるな。ひょっとして前にも来たことがあるのか?」
「昔の話だ」
列の先頭を行く馬車の御者と軽く話しながら、緩く湾曲する道を進む。鬱蒼とした木々の先には、コーミズ村の家屋の光、が――。
「……え?」
思わず声が漏れた。確かにそこはコーミズ村だった。村を囲む獣避けの柵も、入り口の近くに建っている村に一つきりの宿も、そのままと言えば確かにそのままだ。
だが、よく見れば違っていた。木製の柵には何度も補修した痕があった。だが、それも間に合わずに所々が壊れていた。かつては定期的に塗り直していたはずの獣避けの塗料の匂いが完全に消えていた。宿の建物もどこか古びていた。屋根に塗っていたペンキも剥げていた。
つい無意識に、俺に言ってくれればすぐ塗り直したのに、という考えが頭に浮かんで、そこでようやく、俺やエドガン先生やバルザックが今は村にいないことに思い至った。
「着いたぞー!」
「馬車を奥の方に並べろー! なるべく詰めろ! 停めた馬車から順に車輪と車軸を点検しろ!」
「手の空いてるヤツは馬に喰わせる飼い葉と水を貰ってこい!」
隊商の一行は村に到着しても休むことすら考えずに勤勉に動き出す。彼らが休むのは明日の準備を全て整えた後でだ。
「お、お前……オーリン、か……?」
迂闊にも、俺は村の入り口で呆然と立ち尽くしてしまっていたのだろう。本当なら、村の人たちには気付かれないようにしているべきだったのに。
だけど、俺が我に返るよりも先に隊商の到着に気付いて村人が家から出てくる方が早かったのだ。
「……」
「いや、いい。答えるな。答えられちまったら聞かなかった振りも出来ねえ。すまなかった。知り合いに似てたんでな、つい声をかけちまった」
村人は、だけど俺の顔を一目見ただけですぐにこっちを気遣ってくれた。そこは昔と何も変わらない、優しい村人のままだった。
「だけどこれは独り言だ。答えなくてもいいから聞いてくれ。エドガン先生の娘さんたちは今も元気にしてるか、それを村の連中はいつも気にしてた」
「……」
「元気にしてるんなら、それでいいんだ。何も顔を見せてくれなんて言うつもりもねえ。城の連中は税を取り立てに来るたんびに聞いてきやがる。エドガン先生の助手はどこだ、娘はどこだ。エドガン先生は罪人だ。もしその身内を隠し立てするなら罰を与えるって、そりゃあもう偉そうに。エドガン先生が、この村にどれほどのことをしてくれてたかも知りやしねえくせに」
村人は悔しそうに歯を噛んで、低く吐き捨てた。
「昔の王様はともかく、やっぱり偉い連中はどいつもこいつもそんなもんだ。こんなちっぽけな村のことなんか、これっぽっちも気にかけてくれやしねえ。だから、あんな連中に連れてかれちまったエドガン先生が気の毒でたまらねえ。あの可愛い娘さんが、連れてかれる先生を恋しがって泣いてた時の声が今も耳を離れねえんだ」
あの時、もし俺がミネアを引き離さずにいたら、先生は城に連れて行かれずに済んだのだろうか。そうも自問したことがある。気にするな、お前が何をしても変わらなかったとバルザックは言ってくれたが。
「だから、せめて元気でいてくれと皆で願ってたよ。村の古い教会で欠かさずお祈りもしてな」
「……。少し、ここで待っていてくれないか」
とうとう俺は我慢できなくなって、気付いた時にはそう言っていた。
「すぐに戻る。……二人も、会いたがっていると思う」
「!?」
硬直した村人が、俺を縋るように見つめた。
「ま、まさか、ここに、来て…!? あ、いや、そうじゃねえ。わかった。だけど、俺も会わせてやりてえ。実はウチの倅もなんだ。ずっと、あの二人のことばっかり話してやがるんだ。忘れられずにいやがるんだ。だから、連れてきてもいいか?」
「……顔を見ても騒がず静かにしてくれるんなら。あまり騒ぐと他の村人たちも顔を出すし、そうなったら収拾がつけられなくなるだろう?」
「わかってる。わかってるって。俺が手で倅の口を塞いでおく。絶対に何も、何一つ声には出さねえし、倅にも出させねえ。顔を見るだけだ」
俺は頷いて、村人と別れた。乗合馬車の方に戻ると、バルザックが二人の傍に寄り添っていた。もちろん、フードを目深に被って顔は隠していたが。そういうところは俺と違って抜け目ない。
「
「
そう言いかけて、俺の顔を一目見ただけで即座に何かを察したようにバルザックは小さく溜め息をついた。
「すまない」
「いや、いい。ここに立ち寄れば、きっとこうなるんじゃないかとは思っていた。俺は先に行っている。お前は二人を頼む」
軽く言い置いてから静かに村の周りの柵に沿って歩き出し、すぐに夜闇の中に暗色のローブが溶け消えて行った。ああいうところが村の子供たちに『幽霊みたい』だと言われる原因の一つだったのを未だに自覚していないのもアイツらしい。
「どうしたの?」
「顔を見せてやって欲しいんだ。言葉を交わすと騒ぎになるから、静かにな」
小声で尋ねてくるマーニャに言うと、それだけでピンと来たように目を輝かせ、嬉しそうに頷く。さっきまでは馬車の中でぐったりと疲れていた様子だったのに、久しぶりの村の知り合いと会えるとなって気合いが入ったらしい。
「
「違う。俺が昔の知り合いに似てるからって、村の人の方から声をかけてきてくれたんだ」
ミネアが囁くように言ってくるのを、首を小さく横に振る。正体を知られたり騒ぎにならないようにお膳立てを調えるなんて、そんな器用な真似は俺には出来ない。
「――!」
さっきのところに戻ると、村人とその息子が立っていた。息子の方は畑仕事に使うような丈夫な日よけの帽子を頭に乗せていた。
ご丁寧にも、前もって息子の口は父親の両手でしっかりと覆われていた。マーニャとミネアを見た途端、その塞がれた口から声にならない声が漏れた。確かに口を塞いでいて正解だった。それでも、父親の手を振りほどこうとしないだけ辛うじて自制は出来ていた。
「~~~~っ!」
「…ん、元気」
マーニャは、それでも何かが伝わっているように小さく頷き、囁くようにして返した。塞がれたままの口の上で大きく見開かれた目から涙が溢れていた。
「――?」
「大丈夫。ミネアもいるから。ね?」
「うん」
「昔、いつも一緒に遊んでくれてありがと。あのね? 私、モンバーバラの劇場で踊ったんだ」
「!」
「まだ小さい劇場だよ。ちゃんとした舞台なんてなくて、小さいテントがあるだけの。見てくれるお客さんも少ないし、他の踊り子たちと一緒にだけど」
トン、トンとその場で小さくステップを踏んで、マーニャは面映ゆそうに笑った。
「でも、ちゃんと人前で踊ったよ? もっと大きな劇場で踊れるように、今も練習してる」
「……」
「体、ずいぶん大きくなったね。きっと将来はオーリンぐらい大きくなるって言ってたの、覚えてる」
塞がれたままの口の奥から嗚咽にも似た低い音が響いた。
「お父さんの手伝い、頑張って。そしていつか、モンバーバラに私の踊りを見に来て。待ってるから」
マーニャは胸の前で小さく手を振った。ミネアはその横で丁寧に一礼した。
「よそ者でしかなかった私と姉さんを、父さまと一緒に育てて、ずっと優しくしてくれたご恩は忘れません。どうかお元気で。――いつか、また」
「……そうか。また、この村に来てくれ。俺たちは、ここでいつまでも待ってるよ」
息子の涙で手を濡らしている父親が、くぐもっているような低い声で答えた。だけど、その口を塞いでいた手を息子がゆっくりと叩いた。
「おい。絶対に口を開くな、黙ってろってさっきも言っただろ」
「んんんっ!」
父親が叱るように低く言うと、息子は頭に被った帽子を指さした。父親は少し考え、それから手を離した。
「――……あ、あの、さ」
両手の拳で目を擦り、真っ赤になった目を瞬かせながら、息子は被っていた帽子を脱いだ。
「これ。良かったら、持ってってくれよ」
「いいの?」
「旅をするなら、日よけの帽子はあった方がいい、だろ。そろそろ俺の頭に合わなくなってきて、もう小さくなってきてた、から」
途切れ途切れに、囁くように言いながら差し出された帽子は使い古されてはいたが、マーニャは黙って受け取った。
「ありがとう」
マーニャとミネアと並んで、俺も一緒に深々と一礼した。俺とバルザックを育ててくれたのも、このコーミズ村の人たちなのだから。