ハバリアの酒場。まあ、今はまだ昼間ということもあって、酒を飲んではいても盛大に酔っぱらって声高に騒いでる人の数はそれほど多くない。
テーブルに出された新鮮な魚介を使ったスープはとても美味しいし、じっくり丁寧に火で炙った焼き魚も、いつだったかバトランドから来たっていう兵士さんと一緒に、皆で食べた時の珍しい魚の魔物の蒸し焼きを思い出すほどに美味しかった。
でも、今の私は美味しそうな料理や酒の匂いよりも隣のテーブルで真剣な顔で話してるバルザックと、その向かいで腕を組んで難しい顔をしている商人の話の方が気になって仕方ない。
「ミネア、二人の声は聞こえる?」
「ダメ。あれは多分、静寂の玉を使ってる」
私と同じで料理そっちのけで聞き耳を立てようとしているミネアが、悔しそうに呟いた。酒場の中は賑わってるけど、いくらなんでも隣のテーブルの会話が全く聞き取れないほどじゃない。でも、話してる二人の声が聞こえないということは、きっとそうなのだろう。バルザックが錬金術で作ったという静寂の玉。
いつどうやって作ったのかとか、作るのに必要な材料とか、実際の作り方とか、そういうことは私やミネアも、そしてオーリンでさえも全くわからない。そういうことを父さまと話せるのはコーミズ村でもバルザックだけだった。
「二人とも、ちゃんと食べないと明日が辛くなるぞ。コーミズ村からハバリアまでよりも、ハバリアからアッテムトまでの方が遠い。ちゃんと食べれる時に食べておくんだ」
オーリンは動じずに塩で味付けした素揚げにした魚と芋を盛大に口の中に放り込んでるけど。
「だって、気になるじゃない」
「俺だって気にはしてるさ。昔っから、そして今も、アイツにはずっと頼りっぱなしだ。先生を助けるための方法も手順も何もかも、アイツにばかり考えさせてる。情けないよな。俺はアイツよりも年上なのに」
わかる。私だってミネアに負けたくないもの。平気そうにしていても、きっとオーリンがバルザックに感じているであろう悔しさが、私には痛いほどにわかる。
「だから、せめて今の俺に出来ることはちゃんとしないとな。今の俺がやるべきは、二人がちゃんと食事をするのを見守ることだ」
いつものように私とミネアの頭を撫でようとして、でも手が油で汚れているのに気付いたのか途中でそれを止めた。こんな風に優しくオーリンに言われると、私も言い返せない。バルザックには言い返せるのに。
「ねえ、ミネア。父さまが今どうしてるかとか、占える?」
「生きてはいるわ。間違いなく。もし死んでいたとしたら、そう出るはずだもの」
さりげなく訊こうとして失敗した私の小さな声に、即座にミネアが答える。
「なんでそんなにすぐわかるの?」
「だって、毎日占っているもの。翌日の天気とは違って、当たっているのか外れているのかは確かめようがないけれど。でも、父さまの死が卦に出たことは、この一年で一度もないわ。だから、絶対に生きているわよ」
やっぱり悔しい。『父さまは必ず生きている』っていうバルザックの言葉を私は信じきれず、今も心のどこかで不安を抱えているのに、ミネアは全く疑わずに信じ続けているのだ。本当に信じていなければ、生きているか死んでいるかの簡単な占いだって出来ないはずだ。だって、それでもし本当に『死んでる』って結果が出たら、私だったらそこで心が折れちゃうもの。
「…強いね、ミネアは」
「そんなことない。姉さんの方がずっと強いわよ」
心外だとばかりに言い返されて、思わずムッとする。
「強いのはミネアの方よ」
「姉さんに決まってるわ」
私は妹と顔を突き合わせて睨み合った。同じ紫の目が、同じように強情な光を宿している。
「二人とも、言い合いはそこまでにしておけ。食事が冷めるぞ」
呆れたように言うオーリンの声が聞こえてきた。オーリンが仲裁してくれたおかげで、私とミネアも睨み合いは中断して食事に戻る。スープも焼き魚も、ちょっと冷めちゃってたけどやっぱり美味しかった。
当たり前だけど、ここは酒場だから酒を飲んでる人が多い。品書きを一瞥すると外国から運ばれてきた珍しいお酒もあるらしい。一口だけでいいから、ちょっと飲んでみたい、という好奇心が湧く。チラチラと給仕が運んでいる酒杯を見ていると、そんな私を監視するようにジトッとした目で見ているミネアに気付く。
「姉さん」
「な、何よ」
「違うわ。そこは、『わかっているわ』のはずよ。ね?」
「ん、ぐっ」
遠回しに『今はそんなことをしている場合じゃないでしょ』と叱られてしまった。事実その通りなので何も言い返せない。だから、というわけじゃないけど話が終わったのかバルザックが戻ってきてくれたので、これ幸いとばかりに飛びつくように話しかける。まだ何か言いたそうだったミネアも気になっていたのは同じなのでバルザックの方に向き直る。
「どうだった? 上手くいった?」
「そうだな。少なくとも話は聞いてもらえた。上手くいけば、キメラの翼を俺たちに譲ってくれることで話がついた」
バルザックと話していた商人は足早に酒場を出て行く。
「あの人は?」
「これからコーミズ村に向かって、おそらく西の洞窟に行くんだろう。奥にある
「それ、本当にあるの?」
父さまなら、そういう道具を作れたとしても不思議じゃない。それはわかる。そして、それをお城に持って行かれないように、どこかに隠していたとしても。
「さてな。俺も中に入って自分の目であるかどうかを確かめたわけじゃない。ただ、奥への行き方は教えた。そして、今の俺たちに必要なキメラの翼は、わざわざ奥にまで行かずとも手に入る、はずだ」
「……バルザック。それをもっと早くに言ってくれていたら、俺が取りに行くことも出来たんだが」
「すまん。それについては謝るしかない。まさかこういう状況になるとは思っていなかったから、今の今まですっかり忘れていたんだ」
オーリンに、そして私たちに向かってもバルザックが頭を下げる。ここで開き直られていたらまだ怒ることもできたけど、こうも平謝りされると何も言えなくなってしまう。そもそも私たちではキメラの翼のある場所だって知らなかったわけだし。
「あとは俺たちがアッテムトに行って帰ってくる間に、あの男がコーミズ西の洞窟から持ち帰ってきたキメラの翼を、さっきのハバリアの道具屋に預けておいてくれることで話がまとまった。さすがに無料で、というわけにはいかなかったが、それでも俺たちの懐事情を考えれば格安で手に入れられることになる。少なくとも、その見通しは立った」
そして、こうやってちゃんとした成果を形にして出してこられてしまえば、なおさら何も言えない。
「ねえ、ミネアは気付いてたの? さっきバルザックの手を引いた時、後ろに立ってたのがキメラの翼に繋がる手がかりになる、って」
「そんなわけないじゃない。ただの偶然よ」
私の囁きに首を横に振る。でも、それもちょっと疑わしい。私には未来のことなんてさっぱり見えないけど、ミネアになら見えたっておかしくないのだから。
「でも、いいわよね、ミネアは。ちゃんと
「姉さん、言い方!」
いつぞやのバルザックを『義兄』呼びしようとしたことを思い出して軽くからかうと、真面目な妹は顔色を変えて慌てふためいた。オーリンほどじゃないけど、バルザックだって魔法が使えて頭が良くて金回りが悪いわけでもなくて、結婚相手として別に悪いわけではないのだ。まあ、性格は悪いけど。そこは擁護できないけど。
「二人とも、どうしたんだ?」
「放っておけ、
そんな私たちのじゃれ合いを、オーリンは不思議そうに、そしてバルザックは冷めきったスープを啜りながら醒めた目で見ていた。
次で第三章は終わります