「父さま!」
「父さま、どこ!?」
「助けに来たわ!」
地下牢の中をミネアと一緒に叫びながら走り回る。
外は昼間だというのに、ここにあるのは乏しい松明の光だけ。それでさえ暗い牢獄を照らすには足りず、通路の隅には薄気味悪い闇がうずくまるように影となっていて、どれも同じに見える冷たく分厚い扉が牢と通路を隔てていて、中を覗こうとしても真っ暗で何も見えない。
「父さま!」
「父さま、返事して!?」
返事がない。まるで誰もいないみたい。死んでしまったの? いや、そんなはずない。ミネアがずっと占い続けて、絶対に生きているって言い続けてくれたのだもの。ミネアの占いは絶対なんだから。でも、でも、もし、もし!?
「マーニャ、ミネア、いいから落ち着け!」
私とミネアの肩を掴んだ大きな手。オーリンの手だ。その温かさと力強さに、止まっていた息が戻ってくる。
「ただ闇雲に叫んでも声が届かないだろう。ここは石造りだぞ。音は反響するし、壁や扉が阻む」
「じゃあ、どうすれば!?」
オーリンは私の肩を軽く叩いた。
「こうするんだ」
腹に力を入れたオーリンは、一つ大きく息を吸い込んでから、怒鳴った。
「エドガン先生!! オーリンです!! !!」
地下牢に雷鳴のような声が響き渡った。石造りの壁に反響して一層大きく轟いたその声は、分厚い鉄の扉を通して中まで届いただろう。私もミネアも、オーリンの真似をして腹に力を入れて叫ぼうとしたけれど、そこで不意に、壁の向こうから微かな反応があった。
「――。……やれやれ、そう怒鳴るでない。頭に響く」
その声は小さかった。とても弱々しかった。だけど。でも。それは。
「「父さま!!」」
私とミネアの声が唱和した。声が聞こえた扉に駆け寄る。ミネアがドンドンと扉を何度も拳で叩く。
「父さま! ここ!? ここにいるの!?」
「いま開けるわ!!」
鍵を取り出す。幾つもの鍵が下がっている鍵の束。一番大きな鍵はさっきの入り口のものだとすぐにわかるほど簡単に見分けがつく。でも、残りの鍵はどれも同じように見える。松明の光にかざして鍵に刻まれた印を読み取ろうとするも、古い鍵は手持ちのところが擦り減っていて、よく見えない。
「貸せ、マーニャ」
バルザックが私の手から鍵束を取り上げ、一つ、二つと鍵を選り分ける。
「なんでわかるの?」
「先生が閉じ込められている、つまり今現在使われている牢の鍵は定期的に開け閉めの必要がある。囚人が自殺したりしないか、牢内から脱出するような企みをしてはいないかを監視し、中を確認するために。先端の錆が擦れて落ちていて、他の鍵より真新しく見えるものを選ぶんだ」
私よりも遥かに冷静で落ち着いているバルザックが選り分けた鍵の一本目を鍵穴に入れる。開かない。二本目。ガチャリと音を立てて鍵が開いた。
「父さま!」
扉の隙間から体を押し込んで中に飛び込む。ひどい悪臭。饐えたような湿った空気。石の床に干し草が敷き詰められているだけの質素で暗い牢獄の中に、一人の老人が座り込んでいた。痩せ細って頬がこけ、髪は白髪交じりで乱れ、髭も伸び放題。着ているローブもボロボロだ。
「……マーニャ、か? ミネアか?」
私の顔を見上げて、老人が呟く。その声は掠れていたけれど、穏やかで優しい声だった。いつもの優しい父さまだった。私が、私たちが知っている父さまのままだった。
「父さま!」
私は父さまに抱きついた。ミネアも一緒に。父さまは力なく笑って、私とミネアの頭を撫でてくれた。その手はとても冷たくて、骨ばっていたけれど。
「無事で……よかった。全く、仕方のない子たちだ。儂の為に、わざわざこんなところにまで来てしまうとは」
「父さま!」
私は泣いた。ミネアも泣いていた。私たちは父さまの胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
「先生!」
オーリンも牢に入ってきて跪いた。目を赤くしている。涙を堪えているのがわかる。
「すみません。本当にすみません、先生! こんなにも長く、お待たせしてしまって……」
「オーリン。……お前も、無事だったか」
父さまの手が、震えながらオーリンの頬に触れた。
「お前も立派になったな。マーニャとミネアを、よく守り通してくれた」
オーリンは何も言えずに、ただ首を横に振り続けていた。
「話は後にしろ。オーリン、お前は先生を担げ。すぐに脱出するぞ」
ただ一人、冷静なままのバルザックが指示を出した。私は思わずバルザックを睨みつけた。そんな言い方しなくてもいいじゃない。そう言おうとした。だけど。
「いいか、オーリン。先生を下ろすな。絶対にだ。俺では先生を担げない。先生を助けたければ、
妙に最後の一言だけを強調するバルザックの顔は硬く強張っていて、まるで何かに急き立てられているかのようだった。
「バルザ――」
「急げ!」
オーリンが何かを言おうとするのを遮って、バルザックは私とミネアの肩を掴んだ。バルザックの力はオーリンに比べたら全然だけど、その手をべっとりと濡らす汗が一刻の猶予もない今の状況を私たちに教えてくれていた。
「バルザック」
「先生、どうか積もる話は後で――」
「わかっている。わかってはいるが、一言だけ挨拶を許してくれ。この儂の顔に免じて、せめてそれだけは、な」
父さまはオーリンの手を借りて、よろめきながら通路に出た。そして隣の牢の扉に手を添えると、深々と頭を下げた。
「陛下」
私は、そしてミネアは思わず両手で口を覆った。
陛下? 王さま? この城の?
昔、コーミズ村に来た時の王さまは優しかった。親もいない、それどころかキングレオの民ですらない
「陛下、お許しください」
「――……構わ、ぬ」
小さな咳き込む音がした。ひどく弱々しい声が囁いた。それはあまりにも小さくて、分厚い鉄の扉に隠されていてさえも、牢獄の中にいる病み衰えた老人の体が、骨と皮ばかりになった細い手が目に見えるような。
「……良い。大儀で、ある。錬金術師エドガン、そしてその息子と、娘達よ」
それでも、どんなに小さくても、繰り返し咳き込んで途切れ途切れの声であったとしても、それは王様の声だった。私たちに耳を傾けさせるだけの威厳と品位があった。
「キングレオの、王として。この国を、背負う責務を担った、者として。汝らに、命じ、る」
「……」
私は跪いた。ミネアも、オーリンも。そしてバルザックでさえも。誰もが扉の前に平伏した。誰かに言われるまでもなく、ただそうしなければならないと思ったのだ。
「生きよ。キングレオの、王の、血脈など、些末、である。民が生き長らえる、限り。国を愛する、者が、いる限り。王など、座る玉座の、飾りの一つであれば、良い。ゆえに、そなたらが死ぬことは、許さ、ぬ」
血を吐くように、咳と痰混じりの苦し気な声が響く。
「そなたらの行く先に、光、あ、れ」
「勅命、確かに承りました。陛下の威徳に栄えあれかし」
沈痛な面持ちで父さまが答えた。扉の前でもう一度だけ一礼し、それからオーリンに身を委ねる。
「オーリン、奥に。そこに出口がある」
広い背中に背負われたまま、父さまが指さした。でもそれよりも先にバルザックが動いていた。まるで前もって知っていたみたいに。
「こっちだ。行くぞ、マーニャ、ミネア」
私は一瞬だけミネアと顔を見合わせ、急いでバルザックの背中を追いかける。
壁に取り付けられた松明の光が届かない牢獄の突き当たりの壁。一面に漆喰が塗られた、ただの何もない石壁だ。
「出口って、どこ!?」
「落ち着け。コーミズ村の俺たちの家にある地下室も、煉瓦の壁を漆喰で塗り固めていただろう。なんで城の連中は、わざわざそれを煉瓦を剥き出しになるまで引っ掻いて探るような手間をかけていたと思う」
バルザックは壁を、その漆喰を手で探っていた。
「もちろん、それを命じられていた下っ端の兵士は何も知らなかっただろうな。だけど、それを命じた側は違う」
指で微かな凹凸を探るみたいに、そろそろと壁に手を這わせている。それって、つまり、でも、まさか。
「キングレオの城に限った話じゃないが、万が一に備えた隠し通路だの、人の目につかないように国の宝を隠した秘密の宝物庫だのの一つや二つは、どこの国の城にもあるものだ」
何かを見つけたように、バルザックの手が壁の一部を押し込む。ガチッと何かが噛み合うような音がして、水車小屋の古くなった水車が軋むような音を立てて回るように、ゆっくりと石壁が半回転して開いていく。人が一人、辛うじて通れるかどうかの狭い階段が現れた。地上に向かっているのか、階段は上に向かっている。
「……一応、この国の王族しか知らぬはずの秘事なのだがな、これは。それをこんなにも簡単に洞察されてしまっては儂の立つ瀬がない。よくもまあ気づいたものだ」
やれやれとでも言いたげに、オーリンに背負われた父さまが苦笑する。
「先に行け、オーリン。次がミネア。マーニャの順だ。早く」
そんな軽口にも取り合わずにバルザックが急かす。オーリンとミネアに続いて私も階段に足をかける。急角度の階段は古びていて上りにくい。だけど文句は言えない。再び城の中を突っ切って外を目指すよりはずっといい。
しばらくの間は誰も何も言わなかった。ただ誰のものかもわからない荒い息の音だけが聞こえた。
やがて前方が、そして足元も明るくなってきた。どこからか光が差し込んでいるのだ。
「光が見えたぞ、バルザック!」
「地上だ。出口は封鎖されているだろうが、蹴破って抉じ開けろ!」
「わかった!!」
先頭のオーリンと最後尾のバルザックの声が交錯する。立ち止まったミネアの背中に私の鼻先がぶつかりそうになる。ミネアは息を切らしているし、私も肩を上下させていた。
「オーリン?」
「大丈夫だ。少し下がっていろ」
父さまを背負ったまま、オーリンが一歩下がって来る。
「うおおおっ!!」
オーリンが金属の枠というか柵を蹴りつける、ガツンッ!という大きな音がした。続いて、もう一回。三回目で、金属がひしゃげるような音が重なった。
「開いたぞ!」
先頭を切ってオーリンが外に出た。続いてミネアが、私もそれを追う。目の前が真っ白になる。暗いところから急に明るいところに出たせいだ。目が眩んで、よろめきそうになった私の肩を誰かが支える。オーリンほど大きくも力強くも無い手は、だからこそそれがバルザックのものだとわかった。
でも、そのバルザックが父さまを助けてくれた。私とミネアをここまで連れてきてくれた。バルザックのおかげだ。ちゃんとお礼を言わなくちゃ。なんだかんだで、ちゃんとお礼は言えてないもの。私も、正面からお礼を言うのが気恥ずかしかったこともあるけど。
「…………え?」
だけど。
だけど。
光に目が慣れて、周りが見えるようになって。
私たちの周りに、私たちを取り囲むように、大勢の兵士たちが立っていて。そして、その真ん中には。
「ああ、やっと出てきたか。待っていたぞ、我が城を土足で汚したドブネズミども」
あのコーミズ村で私たちに優しくしてくれた王様とは似ても似つかない。酷薄で冷たそうな顔の、この国の王子が立っていた。
あと2話で第四章および第一部は終わります。
明日の午前と午後に1話ずつ投稿の予定です。